ようやくチャンスが巡ってきた!
スラムの住民にまで落ちぶれたヨキの脳裏にはそんな言葉が浮かんでいた。
彼は元炭鉱経営者にして元国軍中尉。
どちらも元が付く、昔の話になる。
最初はただの炭鉱のオーナーだった。
それだけであれば地元の名士として生きる道もあったのかもしれない。
だが金で軍の地位を買い、金で権力を手に入れた。
ふらりと訪れた国家錬金術師に取り入ろうとして逆に騙され、一夜にして全てを失った。
欲に目がくらんだ小悪党の末路と言えばそれだけの話だろう。
だがこの男、存外にしぶとく諦めが悪かった。
スラムに落ちたあとも虎視眈々と復権の機会を狙っていたのである。
そんな彼にとってティム・マルコーの暴露は恵みの雨に等しかった。
これでどれだけ軍の席が空くのか、そこに滑り込むためにはどうすればよいか。
そして返り咲いた暁にはこの薄汚いスラムをどうしてやろうか。
そんな皮算用をするくらいには生き汚い男であった。
彼が身を置いているのはイシュヴァール人が身を潜めるスラムの一角。
その中でも一目おかれている、額に傷のある武僧に小間使いとして取り入っていた。
なんだかんだ、力のあるものには尻尾を振る習性を持つ男である。
権力と暴力の差はあれ、そこに大きな違いはない。
何よりも、そんな相手の弱みを握っていると言う事実が彼を増長させていた。
彼は知っている。
誰もよりも厳格で、清廉で、復讐に身を焦がしている男が、後生大事にエロ本を隠し持っているということを。
ヨキが偶然それを発見したときには驚くほど狼狽していたことを。
そいつが指名手配されている国家錬金術師殺しの犯人だとは予想が付いている。
どうにか捕縛して懸賞金を元にのし上がってやろうと考えなかったわけでもない。
だが、人間兵器よりも強い男を顎で使えるかもしれないという可能性が、彼に通報を躊躇わせた。
そして現在、それは最大の選択だっただろうと彼は自賛する。
だってそうだろう。もはや軍は悪だ、悪魔の組織だ。
少なくとも騙されやすい愚民共はそう考えるだろう。
そんな組織で悪魔の研究を行っていた国家錬金術師!
それを倒すは地獄の底から蘇ったイシュヴァラの武僧!
そしてその横に立つ自分は彼らからどう見える?
そんな人物に、これからの軍を率いてもらいたいとは考えないだろうか?
そんな自分は、かつて国家錬金術師のために地位を追われた軍人であったのだ!
なんとも心踊るストーリーではないか。
それが現実になるかどうかはともかく、彼の脳内では一定の信頼が置けるシナリオと化していた。
「ヨキさんヨキさん、さっきのラジオで分からない言葉があったんですヨ」
彼を現実に戻したのは最近流れ着いた少女の呼びかけだった。
この辺りでは見慣れない衣装に身を包み、白黒の変わった猫を連れた異国の少女。
「あーそういやお前、他所の国の出だったか。つっても錬金術の話なんざ俺も詳しいことは分からんぞ」
「【OCHINCHIN】ってどういう意味ですカ?」
「わーーーーーーーっ!?女の子がそんなこと言っちゃいけませんっ!」
言葉の壁は、分厚く重い。
何も知らずにえっちな言葉を口にする少女と大声を上げた小汚い男。
スラムとはいえ彼らのような者が住み着ける程度に治安は安定しているが、ひそひそと囁かれるのは避けられないことである。
小柄な少女を抱き上げてそそくさと去っていくのであれば尚更に。
拠点としている場所に帰ると傷の武僧も戻ってきていたらしく、真剣な表情で荷造りをしている最中であった。
「旦那?遠出でもするんですか?」
「セントラルに向かう」
「中央に殴りこむんですかい!?いくら旦那でも無茶ですって!」
曰く、あのラジオが真実だとするのならば、今でも同胞達の魂は軍の兵器として縛り付けられていることになる。
国境線のどこかで運用されているのか、はたまたどこかの研究所で実験材料にでもされているのか、それは分からない。
彼とてティム・マルコーがラジオで話したことが全てだとは思っていない。
大衆が聞いているのだから、第二第三の悪意に利用されないよう、伏せている部分が少なからずあるはずだ。
そして、あれほどの事が暴露されたのであれば、軍は関連書籍に秘められた暗号を無視できるわけがない。
故に集めるだろう。この国最高の錬金術師たちを。国より二つ名を与えられた、国家錬金術師たちを。
それを狩るのだ。傷の武僧がやることは、今までと変わらない。
こいつよくエロ本のことそんなカッコつけて語れるなぁと、ヨキは思った。
傷の武僧は真剣な表情で荷造りをしている最中であった。
隠し戸棚の薄い冊子を整理している最中であった。
かつて彼が偶然目にした、前より数が増えているエロマンガの数々を黙々と背嚢に詰めている最中であった。
「……おれの兄は言っていた。マンガという文化自体に違和感があるとな。まさかこれほどの話だとは思わなかったが」
そういうことにしたいのだろうと、ヨキは思った。
下手につついて怒らせても面倒だし、小脇に抱えた少女の情操教育にも悪い。
そういうことにしておいてあげよう。