時は『天照大御神の錫杖』が天見広大の手に渡るよりも一週間前まで遡る。
時刻は丑三つ時…夜が更けて誰もが寝静まる頃。古くからおばけや幽霊がこの世に最も多く現れる時間帯であると深く信じ込まれていたが、近現代ではそれらよりもさらに恐ろしく悪どい考えを持った人間達が活発に動くようになっていた。夜の闇に蠢き息を潜めるのは、人智を超えた怪異から度し難い生者達に取って代わられたのだ。
…だが、どんな時代のどの国にも秘密裏に悪を滅する仕事人は必ず存在する。永劫の安寧を約束されたここ日本もまた然り。
独立治安維持組織『DA』に属するエージェント…リコリスは、日夜醜く膨れ上がった悪意を欠片も逃さず排除している。
誰にも知られず。誰にも顧みられず。
そして、今宵もまた必殺の刃を隠し持った彼岸花達による舞踏会が開かれようとしていた。
現在、DAの東京支部が追っているは『蜥蜴の尻尾』という悪徳商売を生業とする極道組の組長である。そいつはとにかく悪知恵の働く野郎で、自身の命が危うくなれば簡単に部下を切り捨てて雲隠れするのがお得意なのだとか。
そんな具合にこれまで警察やDAの操作網を掻い潜ってきた蜥蜴の頭だったが、ついにDAの情報部がその足取りをつかむことに成功。今はそこから画策された暗殺計画の真っ只中であり、千束と同期のファーストリコリス…
『
「了解。
『了解』
…司令官、楠木に死角は無い。退路を塞ぐように四方を囲み、フキ率いる
まさに隙のない緻密な計画。いよいよ蜥蜴の頭脳も年貢の納め時だろう。
『こちら
「フキ。生憎、ビル中の窓がブラインドカーテンに遮られ、ドローンは使い物にならん。中の様子が確認出来ないからな。こちらから安易な指示は下せないので、突入のタイミングはお前の判断に委ねる。それで良いな?」
『了解』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「んでフキさん、結局どうなったんすか?」
「こっちの判断に委ねるそうだ。特に問題無い。予定通りに行くぞ」
「うーす」
フキは声を潜めて、パートナーである
耳をすませば、壁越しでも荒い声のする中の会話が聞き取れた。相手はこちらに気付いていない。
「
『ばっちり。もう何時でも』
「了解。………司令部、これより突入します。射撃許可を下さい」
『許可する。やれ』
司令からのゴーサインも下り、バックアップも万全。高鳴る心音をうるさく感じながらも、フキがノブに手を掛けた…まさにその時。
「こ、殺せぇ!奴を逃すな!」
動揺に満ち満ちた怒号とけたたましい銃撃音が静寂の世界を打ち破った。部屋の中から襲い掛かる衝撃に、フキは咄嗟にノブから手を放してしまう。おそらく…いや、確実に銃弾の嵐と化しているであろう室内にむざむざ入り込むような自殺願望は持ち合わせてはいないから。
(何が起こってる!?)
流石のフキでも、この想定外のイレギュラーには困惑必至であった。ここだけではない。待機中の
自身も動揺を隠せないが、状況からしてかつての
(DAとは関係の無い第三者の仕業か…?)
と一つの可能性を見出すが、いずれにせよ確証はゼロ。中に入って確かめようにも、些か危険過ぎる。結局、フキ達は嵐が過ぎ去るまでの間、無情にも待機を強いられることとなってしまった。
…だが、ただ一人、楠木だけは表情を一切変えずに事の成り行きを静かに見届けていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから僅か2分後。銃撃は完全に止み、再び一帯が夜の静けさに包まれる。フキが室内の凄惨な様を想像していると楠木からの通信が届く。
『私だ、フキ。
「!…はい、こちら
『そうか』
「…司令、改めて突入の許可を頂けませんか?私には現場指揮官として、状況確認を行う責任があります」
『ふむ…いいだろう。だが、先の銃撃戦の生き残りがいるやもしれん。くれぐれも警戒は怠るな』
「了解」
迷いは無かった。それが私達リコリスの役目なのだから。不安こそ残るが、今は不確定な判断材料に縋る他に無い。
サクラ達にアイコンタクトを送り、もう一度ノブに手を掛ける。異常な雰囲気のせいか、さっきと違って手汗がじわりと滲んだ。
(……ええい、ままよ!)
意を決して扉を開く。すると、何度も嗅ぎ慣れた血の匂いが鼻腔をつんとつついてきた。
やはり室内は惨い有り様で、血潮が噴いた痕が壁や床に付着し、マフィアの構成員の者と思われる死体が大量に伏していた。
しかし、フキやサクラ達の目を引かせたのは既に完成された死体の海ではなかった。それは、
「っ! 何奴!?」
声色からして男性であることには間違い無いのだが、顔バレを防ぐためのものであろう笠を被っているせいで、真正面から向き合ってもその素顔は分からない。だが、彼から放たれる殺気は、フキを含めたチーム
「……御免」
一瞬の隙に乗じ、男はそう吐き捨てながら、フキ達から見て右手にある窓に向かって颯爽と駆けてゆく。
「! 待てっ!」
男が行動を起こすよりワンテンポ遅れて再起したフキが静止の声をかけたが、もう遅かった。
その間0.15秒の早業。神速の剣戟がブラインドカーテンごと窓ガラスを切り刻む。次の瞬間には、男はここ
「何だ…あいつ?」
「逃がさないっすよ!」
文字通り男が切り開いた窓枠から、サクラが銃撃を試みる。仮にマフィアの生き残りだとして、みすみす逃す訳にはいかないからだ。
…しかし、弾丸は標的に掠りもせず虚空を貫くのみ。彼女は自身の射撃の腕前と目を疑った。男は背中に目がついているとでも言うのか…決して後ろを振り返ることなくジグザグに動き弾を躱している。よって、サクラが得られた成果は、真っ赤な流血ではなく意図せず地面に命中した弾から上る白い硝煙だけだった。
その後、アクション映画の役者が如く屋根伝いに跳躍していった彼の後ろ姿はついに見えなくなってしまう…。
現場に取り残されたフキやサクラは、司令部への報告まで意識が回らずただただ唖然とするばかりだ。
「……千束さんみたいな弾の避け方出来る人、ほんとにいるんっすね」
「…いや、あのアホでもノールックで背後からの射撃を躱し切るのは容易じゃない。あれも大概バケモノだな…」
かくして極道組・組長暗殺計画は、たった一人の男に掻き乱される形で幕を下ろしたのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「拘束された蜥蜴の下っ端が見つかった?」
「はい。つい先程、現場周辺の事後処理をしていた
休む間も惜しんで報告書に目を通していた楠木に、また新たな報告が寄せられる。
たまたま通りかかった公衆トイレから助けを懇願する声が聞こえ、それの主を
楠木は作業の手を止め、秘書の話に耳を傾ける。
「事情聴取によれば、彼は何者かに気絶され、次に目が覚めたらいつの間にか手足を縛られ身動きが取れなくなっていた、と。アジトに脱ぎ捨てられた衣服も彼の物であると自供しました」
「なるほど。ならば、仲間内による諍いという線は消えたな」
これまで明らかになった物的証拠から考えるに、DAや警察といった公的機関…極道組にも属さない第三者が
「ところで…アジト周辺に設置された監視カメラはどうだった?」
「それが…」
彼女は一瞬苦い表情を浮かべるも、送られてきたばかりの写真が複数詰まった茶封筒を提出する。その中身を確認した楠木は、やはりか…と小さく呟き肩を落とす。
「はい。DA所属のドローンと同じく、例の男が逃走した方角に設置されていた監視カメラも全て
楠木は、元々デスクに広げていたドローンを写した写真と例の監視カメラの写真とを見比べる。SDカード諸共、どれも見事に一刀両断されていて、むしろ清々しく感じられた。保存されたデータを復元する余地さえ与えてくれないとは…小賢しい真似をしてくれる。
「いかが致しますか、楠木司令」
「関東各支部に厳重警戒を促せ。件の男が今回の一件だけに関わっているとも限らないからな。奴の特徴もつぶさに伝達するように」
「はい、わかりました。それでは失礼します」
「……」
秘書官が部屋を後にしたのを確認すると、楠木は背もたれに身を預けながら考えた。
彼女には分からなかったようだが、今回の計画を狂わせた人物…実を言えば、かなり早い段階からおおよその見当をつけていた。裏の世界では盗人や傭兵、そして暗殺者として…余りにも有名が過ぎるビッグネーム。
(十三代目石川五ェ門…。各地を転々とする流浪の剣士が、ついに故国へご帰還か)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
楠木司令名義でDA関東本部より厳重警戒が発令され、早三週間が経過した喫茶リコリコ。
一応DAの支部であるため、他と比べかなり毛色の違うここにも『任務中に
(そんな人今まで一度も見かけませんでしたけどね)
なかなかそれが生きる場面というのが無い。カウンターやらテーブルやらの後片付けを行なっているたきなは、千束と共に請け負った直近の任務について思い返してみた。
日頃の手伝いのお礼として保育園でのお遊戯会に招待されたり、阿部さんから迷子の捜索を頼まれたり…あれ、なんか平和過ぎやしないだろうか。
ともかく、任務(?)の最中にもそんなピンポイント過ぎる格好は見かけなかったし、何よりDAにマークされるような人間が白昼堂々と外を出歩いているなんてありえない。そう思っていた。
カラン カラン
「ぁ、いらっしゃいま…せ」
「……む?」
今この瞬間。和服を着こなし刀袋を肩に掛けた好青年がリコリコに顔を出すまでは。
え…?と見た目のインパクトも相まって、完全に不意を突かれたたきなは固まってしまう。勿論着物には毎日世話になっていて、この店内にいる分にはすっかり見慣れた衣類でこそあるが、それをお客が着ているとなると新鮮味が深いし、極端な話とても浮世離れした装いだ。加えて、白鞘か否かは分からないが刀袋を所持していることから、先述の危険人物である可能性がある。
しかし、ここは喫茶リコリコ。
「本日はお一人様でのご来店でしょうか?」
「うむ。此度は食べモグとやらのレビューを見て参った次第だ。修行の合間に是非ともここで一服して
「かしこまりました。カウンター席でよろしいですか?」
「構わん」
対面していきなりだが、随分古風な言い回しをする人だな、と思った。しかし、その格好に見合うよう背伸びをしている様子は感じられず、むしろこれが彼にとっての自然体なのかもしれない。
「こちらがメニュー表になります。ご注文が決まりましたら、いつでもお変え掛け下さい」
「いや、すまぬが既に品定めを終えている手前…早速注文しても良いだろうか」
「あ、はい。いいですよ」
「では、煎茶とどら焼きバーガーを一つ」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
そこからの行動は早かった。注文を承った名目の元にたきなは厨房へ向かい、酔い潰れた呑んだくれの代わりに料理番を担っているミカに注文を伝えがてらひっそりと耳を打つ。和服姿の青年への対応を打診するために。
「店長」
「ああ、わかっている。あの男を怪しいと踏んでるのは私も同じだが、今は様子見だ。普通のお客様として応対しなさい」
「…はい」
勘付かれているかはわからないが…ミカも客の姿をこっそり覗き見していたから、自分と同じ心情を抱えているらしい。けれどこの場合、男が黒であろうとなかろうと、ミカの意向に従うというのが賢明だろう。
と、たきなも気持ちを切り替えて、煎茶を淹れる急須の用意を急いだ。ミカは既にどら焼きバーガーを完成させ、仕上げにちょこんと三色団子を皿に乗っけていたのでよりテキパキ動いた。
こんな時千束がいれば、もう少し心に余裕を持てていたのだろうか。今ばかりは彼女の底抜けの明るさを恋しく思う。
「お待たせしました。こちら、どら焼きバーガーと煎茶のセットです」
「かたじけない。……頂きます」
彼はいの一番に茶を淹れた
何より、今の今まで口を横一文字に結び表情を固く崩さなかったというのに、菓子を口に運んだ途端もひもひとゆっくり咀嚼し大変満足そうにお茶の時間を楽しんでいる。さっきまでの人物と本当に同一なのだろうか。ふと疑問に思っていると、
「ただいまー」
買い出しを頼まれ留守にしていた千束が漸く帰って来た。
「およよ?いらっしゃいませ。お客さん見ない顔ですね〜、もしかして喫茶リコリコは初めてです?」
「いかにも。誠に無粋ながら、邪魔させて貰っている」
彼女は初めて見るお客人の姿を目に留めると、彼が食事中でもお構い無しに明るく声をかける。厳かな雰囲気は抜けないものの、彼もまた千束の話に耳を傾け丁寧に受け答えている。
「いえいえ、そんな畏まらんくて大丈夫ですから。どうぞゆっくりしていって下さいね」
「有難い。ならばもう暫し、このひと時を堪能するとしよう」
「…? お兄さんの隣に立て掛けてあるのって、もしかしてモノホンの刀?私、初めて見るかも!」
「ちょっ、千束っ」
これはまずい。帰着したばかりがゆえにミカの意向を知らない千束が青年の私事に踏み込んでゆくのを、たきなは慌てて諫めようとする。この天真爛漫な声音と無警戒っぷりからして、純粋な興味本位によるものだと察しがつくし、これは絶対にDAからの通告を忘れている。自分もあえて触れずにいたのに、この相棒と来たら…
「然り。拙者は居合道に身を委ねる剣士の端くれ…これは間違いなく本物だ」
「おおーすっげぇ!モノホンの日本刀だってさ、たきな!」
「は、はい」
…あれ?千束の問いにいくらか渋るものだと思っていたのだが、なんか…意外にすんなり教えてくれた。呆気に取られて生返事が出てしまったが、彼が
やはり考え過ぎなのか?たきながそう思慮していると、興奮した千束がさらに暴走することになる。
「お兄さんお兄さん。ちょ〜っとだけで良いから、ご自慢の愛刀に触れさせて貰えないでしょうか?この通り!」
「! 千束!なんてことお願いして……」
「ならん」
強靭な語気と共に周囲の空気がぴりつく。冗談にしてもその範疇を大きく超えた千束の懇願をたきなは声を大にして咎めるが、拒否の意が込められし一声に遮られ…二人は背筋をしゃんと正した。
「この剣は、おいそれと他の者に託せられる代物に非ず…某の誇りにして命と等しき我が半身。自らの手で無下に扱おうものならば、腹を切って自害する覚悟だ」
「ちょーいちょいちょいちょい!?覚悟重過ぎでしょう!?一体いつの時代の人ですか!?」
しかし、怒鳴られるどころか、むしろ千束を諭すように自身の信条と覚悟を語り出してしまう青年。その内容の余りの重さに千束は焦り待ったをかけるが、なおも彼は話を続ける。
「これほど上質な菓子と茶を馳走してくれたそなたらには感謝している。だが、某の全てが詰まったこの剣を触れさせてはやれん。………すまない、気を害したことだろう。即刻立ち去るので、勘定を…」
「…も」
「も?」
「申し訳ありませんでしたー!!100億パーセント、お兄さんの覚悟を貶した私の責任です!無礼な発言の数々を!どうかお許しくださいぃ!!」
「!?」
と、千束は超早口な謝罪を添えて華麗なまでの土下座をかます。その勢いたるや凄まじく、今度は青年が仰天させられる側に回った。
「ごほん。そうは言ってもだ…お主に謝る道理は無かろう。早く面を上げなさい」
「は、はい」
彼の寛容な態度と言葉により立ち直る千束だが、自身の失言を省みて居た堪れなさと羞恥心を覚えたのか、買い出しの成果を連れて厨房に身を隠してしまう。たきなには、(別段怒られていないのに)まるで怒られた子どもがいじけるように立ち去る彼女の背中がとても小さく見えた。
「申し訳ありません。私からも良く言って聞かせておきますので…」
「なに。気にしてはおらぬ。千束と言ったか?あの娘に灸を据えるのも程々にしてやってくれ。それにしても…」
「?」
「全く喜怒哀楽の激しい娘よ。あの様子では、お主も同じ釜の飯を食う者として退屈せんだろう?」
「! そうですね。いつでもやりたいこと最優先で非常識な人ではありますが、以前いたバイト先よりも千束と過ごす毎日の方がとても楽しいです」
そう軽口をたたいた時の彼の表情は、とても優しかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「馳走になった。また機会があれば、再度訪れてみたいものだ」
「はい、お粗末様でした。…千束?」
「うっ、またのお越しをお待ちしてまーす…」
気まずさゆえにしこりが残り、声は段々と尻すぼみになってしまう。確かにホールスタッフとして褒められた礼節ではないと思うけど…しょうがないじゃん。臆さず見送りに出向いただけ評価してほしい。
たきなに脇を小突かれていると、お兄さんは去り際に
「ここへ来て良かった」
と、一言だけ残して退店していった。
…………くっそう、フォローも完璧かってんだイケメン侍め。
「さて、千束。そこへ直って下さい」
「へ?何故に?」
「DAからの警告を忘れたとは言わせませんよ?」
「ア…アハハ〜。タキナサマ、キョウモカワイイネ〜」
「早く直る!次のお客さんが来るまでみっちりお説教です!」
「わぁ〜ん!ごめんて、たきなー!勘弁してぇ〜!」
青年の願いを反故にする罪悪感を覚えつつも、心を鬼にして千束をうんと搾るたきななのであった。その後、彼女による
prrrrrr…prrrrrr…
「ルパン、拙者だ。天見邸周辺の偵察は完遂した。敷地外に罠らしき物は無い。……うむ。……うむ、息災だとも。先日の
五ェ門ってルパンファミリーの中で最年少だから、実は裏ではみんなからちやほや甘やかされてると思うの(クソ偏見)
あの顔で、二十代です。とか言っても絶対誰も疑わん。