明日があるのなら『おはよう』って言いたかった。

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空の名優

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Chapter 0 【最初の台詞】 

              4歳 - 記憶

 

 

 

『貴女はメジロの名を継ぐ者。貴女にも使命を背負ってもらいます。宜しいですね?』

 

これは4歳の頃。

お婆様の部屋に呼び出された時だ。

お婆様の初めて見る緊迫した表情に、普段と雰囲気が違う事は幼心にも伝わっていた。

 

お婆様は私に「メジロとしての在り方」を語った。

抑揚を付けない淡々とした言葉に、私は耳を傾ける。

 

なんとなく理解していた。

自分の家系は少し特殊で、周りとは違うという事。

屋敷の敷地外に一歩も出られない事。

遊ぶ時間はなく、机に座らされる時間ばかりな事。

もっと自由な暮らしがある事。

それが自分の使命だと言う事。

 

『宜しいですね?』

 

一通り語り終え、猛禽類のような鋭い視線を向けられる。

 

「もちろんです」

 

胸に手を当て、利き足を下げ、頭を僅かに垂れる。叙任式を模した儀式だ。

この時初めて「メジロマックイーン」としての生を自覚した。

 

宣誓を終えると踵を返し部屋から出る。

 

重厚感のある扉を閉め切る刹那

『期待していますよ、マックイーン』

優しい言葉が聞こえた気がした。

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

Chapter 1 - 1 【空の名優】

              15歳 - 記憶

 

 

 

 

私にはライバルがいなかった。

心を許せる人も、誰かの優秀さに僻む事もなかった。

 

メジロ家の理想を体現していた。

淑女的な物腰と気品を。優雅で豪快な走りを。

それはメジロとしての誇り。マックイーンとてのプライド。

 

そんな私がトレセン学園に入り、1人大切な人ができた。

 

私の担当トレーナーだ。

天皇賞連覇の悲願達成のため、共に苦楽を乗り越えてきた。

食事制限も、トレーニング効率も、メンタルケアも、何もかもサポートして下さった。

 

私は変わった。

 

理想を体現するべく仮面を張っていたのに。スイーツを間食してる場面を見つかったり、ユタカの応援に行ってるのを見られたりと、散々だ。

 

人生って、こんなに楽しかったんだ。

当たり前の感情を、思い出せた。

 

メジロとしての完璧な私ではない、マックイーンとしての私を見てくれる人もいる。

 

仮面は崩れ落ち、縛っていた枷が少しづつ取り払われる解放感。

本当の自分を見せるのは痛く心細いのに、あの人なら受け入れてくれる。

心から信じられる。

 

風が心地いい。

 

私、幸せ。

 

...........

 

瞬間、私は地に伏せた。

 

「マックイーン!?」

 

トレーニング中の出来事だ。

足が、動かない....何で?

起きあがろうとしても、立ち上がれない。

遠のく意識の中、1人の顔が視界に入る。

 

.........トレーナーさん。

そんな顔をしないで...大丈夫。こんな怪我すぐに治りますから...

 

 

 

 

【経靭帯炎】

それはウマ娘にとっては不治の病。発症したら最後、二度と走れなくなる病なのだ。

 

今日という日を境に、メジロマックイーンの舞台は終わりを告げた。

 

 

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Chapter 1 - 2 【空の名優】

               15歳 -病室

 

 

 

 

_____目が覚めた。視界に入るのは真っ白い天井。

知らない場所だ。

体を動かそうとするが力が入らず、肢体はピクリとも動かない。

 

耳から聞こえる音。

ピコっ、ピコっ、と高い電子音が一定の間隔で鳴っている。

よく視線を回せば、視界の端々に医療器具のようなものが確認できる。

 

そうか、ここは病院か。

 

風の動きを感じる。窓でも空いているのだろうか?

夜は冷えるから閉めてもらいたい。

 

「誰かいませんか?窓を閉めて貰いたいのですが」

 

天井に向かい言葉を発する。

返事はない。

 

この広い病室には私1人しか居ないようだ。

そうか。

 

そうか...

 

 

 

 

『メジロマックイーンさん。貴方はもう走れないでしょう』

 

先日、主治医から通告された事実は、私の人生において最悪の事実だった。

『経靭帯炎』

完治するのは不可能の病。

 

私はもう2度と走れない。

その事実を、頭は理解しているが、感情は受け入れられない。

 

出鱈目だ!起き上がって足を動かせば治る筈だ!

 

そう思い屋敷を抜け出し、ターフで駆けようとした。ダメだった。

徒歩から少しでも速度を上げると信じられない激痛が体を蝕み、走れる事なんて到底できないと痛感した。

 

それでも足を動かし、激痛にもがき苦しみ、地を這い泥に塗れながら天を仰いで悟った。

 

あぁ、そうなのか。「私」の人生はここで終わるんだな、と。

 

 

 

 

 

 

「誰か、いませんか?」

 

再度、返事を求める。

返される事はない。

当たり前だ。

 

走れないウマ娘には "以前と同じ価値" は無い。

 

暗黙の了解だった。

理解していた事だ。

 

負傷により選手生命を絶たれたウマ娘は、リハビリを経て社会進出をする事になる。

私がこれから生きる世界はレースとは無縁の世界。

培ってきた足の強靭さも、レースに関する知識も役に立たず、新しい世界を受け入れなければならない。

 

それは人間関係も同じ。

 

チームメンバーの人達、メジロの関係者、トレーナーさんとは無縁の世界。

 

そんな人生に"メジロマックイーン"としての意味は有るのだろうか?

 

欲しい名誉も手に入らず、課されてきた使命も果たせなかった人生。

 

私は嫌だ。

そんな惨めな人生は嫌だ。今すぐ立ち上がって走り出したい。誰かの期待に答えたい。必要とされたい。捨てないでほしい。

 

嫌だ。嫌なのに。

窓一つ閉められない私に何ができるのだろうか。

 

「お願いします。誰か返事をしてください」

 

誰か私を必要として。

誰か....

 

 

コンコンコンっ、

 

乾いた音が鳴り響く。

言葉を発する前に扉は開かれた。

見えたのは人影。しかも見慣れた形だ。

 

『マックイーン起きてるか?』

 

この声は...トレーナーさん?

 

「何故、貴方がここに」

『気にするな。ほら』

 

ハンカチを押し当てられる。

涙を拭いてもらったようだ。

ゾゾ、とパイプ椅子と床が擦れる音がして、彼の視線が私と同じ位置に来る。

 

「...」

『...』

 

面会時間はとっくに過ぎている。

それを差し引いてもこんな時間に来るなんて、何の用だろうか...

月明かりが覗く病室の中は沈黙が支配していた。

 

『寒いな』

「窓、閉めないのですか?お身体に障りますよ」

『風邪ひくなら一緒にひこう』

「...変な事を言いますね。それで、ここにきたのは何の用事ですか?」

『俺は今年をもってトレセン学園を引退することにした』

「え...私のことが原因ですか!?私が怪我をしたから」

『いいや違う。俺の意向だよ。手綱さんにも理事長にも同じこと言われた。負い目に感じる必要は無いってさ』

「でしたら何故」

 

直後、左手を包み込む感触。

 

『マックイーン、一緒に逃げ出そう』

 

「え...」

『お前さえ良ければ一緒に逃げよう。新しい場所へ行って、新しい場所で生活する。学校も公立の決めてさ、俺も新しい場所で仕事を始める。どうだ?』

 

彼が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。

でも彼の目がまっすぐ私を見ていて、心から真摯に見ていることが理解できた。

 

新しい場所?

新しい生活?

新しい?

 

...あぁ、と納得した。

 

彼らしい優しさだ。

私の境遇と、今後の処置を考えてくれたのだろう...

 

...多分、メジロ家は私に『社会復帰』の教育を施し『選手としてのメジロマックイーンを無かった存在』として扱い始める。

 

お嬢様として扱われるだけの存在。

メジロの祈願を果たせなかった存在。

そんな空間にこれから生かされてゆくなんて、私にはできそうも無い。

理想と現実の狭間で溺死してしまう。

 

そんな未来は嫌だ。

たから、私にとって『逃げ出す』という提案は魅力的に思えた。

 

『メジロ』を捨てて「マックイーン」として生きる事を許される選択。

 

今までの、15年の関係を全て捨てる事になるがそれでも良い。

 

貴方が隣に居るのなら、それが良い。

 

 

「私を、一緒に連れて行ってください」

 

 

かつて"メジロの名優"と謳われた演者の最後の台詞は、誰にも知られず空へと消えた。

 

 

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Chapter 2 【春風の渡鳥】

             15歳 -電車 : 春

 

 

 

ふと、目が覚めた。

ここは何処だろう?

微睡む思考を巡らせ、得られる情報を組み上げる。

目の前には窓、その奥には海、雲。

窓の下にはソファ、人。他人。

ソファの横には扉。沢山の広告、

天井には吊り革。広告。

揺れている。

 

電車...かな。

 

ようやく脳が起き上がると、頭が何かにもたれ掛かっている事に気がつく。

反射的に頭を上げ背を正した。

 

『おはよう、マックイーン』

 

なんてセリフを投げられた。

隣にしていた人は私のトレーナー。いや、元トレーナーさんだった。

どうやら眠っている内に、彼の肩に持たれ掛かっていたようだ。

謝罪しようと横に倣うと、一瞬息を呑んでしまった。

夕陽に照らされた横顔と、窓越しに見える海原がロマンチックで、まるで映画のワンシーンのように綺麗だった。

 

『よだれ出てる』

「...気のせいです」

 

ロマンスの神様は刹那に消えた。

ハンカチを手にし口元を拭う。

 

「ここは何処ですか?」

『電車』

「それは見ればわかります」

 

見渡す限り、夕暮れの運行列車が海辺を走行している以外の情報が入ってこない。

 

『近畿の南東。そこの新しい家に向かってる。もう少しで着くはずだから、まだ寝てて良いぞ』

「いいえ、目が覚めてしまったので起きてます。...その、家って、どういうところですの?」

『言ってなかったっけ?』

「聞いてません。今朝初めて聞きました」

『瓦屋根の古い一軒家だよ。港町で裏側には蓮池がある所さ。掃除すれば使えるって所有者の人が言ってたから、到着したらまず掃除だな』

「そうですのね。大変になりますね」

『あぁ、マックイーンにも手伝って貰うからな』

「臨むところです。掃除だって洗濯だって料理だってなんだってやりますよ」

『そりゃ頼もしいな』

 

力こぶを作って茶目を入れてみた。

強張った表情が少し綻ぶのが伺える。

良かった。棍を詰めやすい彼が笑う位の余裕はあるのだと、安堵のため息を付きそうになった。

途端、ぐう〜っと違う方の音が鳴った

 

『お腹すいたな〜』

「そうですね...」

『あっち着いたら掃除の前にご飯でも食べようか。なんなら今日一泊は民宿にでもしちゃおうか』

「私は構いませんけど、その、お金の方は大丈夫なんですか?」

『侮るなかれ。これでも天下のトレセン勤務だったんだぜ?』

「ふふっ、そんなに言うのでしたら遠慮しないでも大丈夫そうですね」

『まぁ、何にせよあっちに付いてからだな...そうだ、学校決めはどうする?トレセンの中等部は卒業扱いにしてくれたから良かったけど、こっからが大変だな』

「ええ、そうですね。高等学校も吟味しないといけませんね」

『願書受付期間はもう過ぎたから。まぁ仕方ない事だけど今年は浪人って事になるな』

「別に構いません。焦っていませんから」

『そっか、なら良いんだ』

「...でも、私を知っている人が居たら、どうしましょう。引退表明も出さずにここまで来てしまったので...」

『ははっ、そういえば先週まではまだ選手扱いだもんな。勢いだけで来ちゃったな』

「...全く。自分のことながら先が思いやられます」

『なら変装でもするか?ちょび髭なら常備してるぞ?』

「なぜ鞄に入れてるのですか?常備してるのですか?胡散臭いペテン師のようですよ?」

『変装と言ったらちょび髭だろ。常識だ』

「やたら自信満々に言われると常識だと疑ってしまうのでやめてください」

 

彼はちょび髭を私に手渡そうとするが、丁重に突き返してあげた。少しションボリしている。

電車はまだ揺れている。目的地は2駅先のようだ。

 

『あ、ごめんマックイーンさっきの民宿の話ナシ』

「と言うと?」

『予約いっぱいで入れないって、宿情報調べたら書いてあった』

「それじゃあ仕方ないですね」

『振り出しだな』

「掃除は今日中で終わるのでしょうか?」

『難しいかな。寝床だけでも埃払って布団干して換気して...って今の時間じゃ大変だ』

「ふふっ、二人で雑魚寝ですね」

『かび臭い布団vs埃被った床vsボロい壁』

「私は壁にします」

『オレも壁が良い』

「なら2人並んで寝ましょう?」

『それは恥ずいな』

「あら、先週からずっと同じ屋根の下で寝ていたじゃないですか?」

『誤解を生む言い方はやめなさい。弊マンションの廊下と寝室だから別室扱いだ』

「同じですよ」

『月とスッポン』

 

なんて言い争いをしていると、ガタンと大きく揺れてドアが開いた。

終点に着いたようだ。

 

『降りようか』

 

直立し『さぁ』と手を差し伸べてくれる。

その手を受け取り立ち上がる。

 

「お姫様の様ですね」

『さながら逃避行だ』

 

改札を抜けると、途端に潮の香りが立ち込めた。

沈む夕陽を背に、燃えるような情景に溶け込む町がある。

港町、というのもあるのだろう。

海岸線と堤防を挟んで10mもしない場所に民家がずらりと立ち並ぶ。

どれもこれも築50年は経っていそうな佇まいだ。きっと長く人が住んでいるのだろう。

 

野面積の石壁聳える畦道。

潮風を受けて赤茶色に錆びたガードレール。

山瀬の向こうに顔を出す灯台。

波打ち際を見失いコンクリートにぶつかり消えた波端

 

どれもこれも知らない。

香りも、光も、音も、町も、情景も、何一つ知らない。

 

 

  ____私を連れて行ってください

 

あの夜を後悔する日は来ないだろう。

 

『メジロ』を捨てて『 』のマックイーンになった私の人生は序章の序章で、未だ空白の1ページだった。

 

最初の一言は何が良いだろうか?

 

ロマンチックな事を言おうか?

それとも挨拶から入ろうか?

 

...結論は繋いだ右手が出していた。

 

「ずっと隣に居て下さいね」

 

小さな声に乗せられた気恥ずかしい台詞は、汐風に掻消され誰に届くこともなく、思い出の1ページにのみ記されていった。

 

 

 

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_____________________

 

 

新しい場所での生活は順調で、毎日が輝いているように感じました。

新しい高校も決まりました。

周りとは1年歳を取ってしまいましたが、余り気にされる事もなく日々を送れています。

浮世離れした言葉遣い、しかもウマ娘比率の少ない場所だったので、周囲からジロジロと見られているように感じてしまいます。

場所も駅で3つ先。しかも共学という事もあり、慣れない事ばかりです。

 

そんな私も、16の夏を迎えました。

 

 

...

 

 

Chapter 3 【未明の宙】

              16歳 -家: 夏

 

 

眠れない。

 

沈殿した澱のように、夜に溶け込めずにいた。

 

意識を深層に沈めようとするが、手のひらからすり抜けたように揺蕩い浮かび、瞼を開いて目が覚める。

寝返りしても頭中の気怠さが剥がれる事はなく、息苦しさが背中に纏わりついてくる。

今日が終わらない。

 

...水でも飲みましょうか。

 

起き上がると寝室を出て階段を降りた。

キッチンで水を飲んでいると、スゥ〜っと、風の流れを感じた。

窓でも閉め忘れていたのでしょうか?

気を巡らすと、鈴虫の唄も近く聞こえる。

風の行方を頼りに探すとバルコニーが開いている事に気がつく。カーテンは閉め切っていたのだが、靡いた裾から月光が溢れていた。

誰か居る...と言っても、この家に住んでいるのは私ともう1人だけなので、そこに誰が居るのは想像に易い。

 

カーテンを開けた。

 

『よっ、夜更かしさん』

 

なんて、キザったらしい台詞を言われた。

リクライニングチェアに腰掛け、ティーカップを片手に紅茶を啜っている。

サイドテーブルには茶菓子と読みかけの文学小説が置かれていた。

 

「あら、貴方だって夜更かしする気満々じゃないですか」

『俺は良いんだよ、オトナの特権ってやつ』

「それなら私だってもう大人ですよ?」

『16はギリ子供』

「法的解釈で言えば大人です」

『ハハッ、それなら一緒に夜更かしするかい?どうせ眠れないんだろう?』

「仕方ないですね。付き合ってあげます」

 

私の返事を聞くと、サイドテーブルの下段からティーセットをもう一つ用意して茶を淹れてくれた。

 

『冷たいのは大丈夫だっけ?』

「大丈夫ですよ」

 

リクライニングチェアを一つ広げ腰掛ける。

茶菓子を一つ摘み、茶を啜る。

これは...ピーチティー。匂いは...ファストフラッシュ苦味の強い品種だ。

ダージリンベースの強い苦味と桃の甘味が幾重にも混ざり合ってゆく。

 

「美味しいですね」

『お口に合うようで何より』

 

また一つ茶を嗜み情景を味わう。

 

『贅沢だよな』

 

ポツリと呟いた。

彼の視線は頭上を指していた。

それに倣い視線を追う。

満月。夜に場違いな影ができてしまう程、今日の月光は強く綺麗だった。

私に水彩画が描けたなら直ぐにでも絵の具を練っていただろう。

 

「贅沢ですね」

『田舎の夜っていいよなぁ。風がヒンヤリしてるって言うか、静かで落ち着けるっていうか...都会暮らしに慣れた後だと田舎の良さがわかってくるというか...』

「どうしました急に?老け込んだ物言いをして」

『ふぉっふぉっふぉっ、ワシももう長くないからのぅ。婆さん後は任せたぞぃ』

「誰がお婆ちゃんですか。辞世の句を述べたら骨を砕いて差し上げますからどうぞゆっくり述べて下さい」

『ジョークジョーク。目が本気で怖い』

 

湿度の低い空気が肺胞に染み入る。

耳元で奏でる鈴虫の合唱を聞く。

遠方で轟浚う波風に揺蕩う。

 

『俺の生まれは田舎だからさ、この雰囲気は実家を思い出すようで懐かしいんだ』

「ふふっ、ホームシックですか?」

『かもね』

「帰省はしないのですか?」

『うーーん、親も放任主義だからあまり言ってこないけど...そういや5年も帰ってないな。そろそろ帰ろうかな』

「お土産はご当地スイーツでいいですよ?」

『流石の食いしん坊ですねお嬢様』

「帰省中は私がお留守番していますので任せてください」

『はっはっはっ。3食コンビニ弁当決定だな』

「...パスタくらいなら茹でれますよ」

『どんぐりの背比べだぞ』

「もう!ちゃんと1人立ちできますから!心配しないで家族水入らずで過ごしても良いんですよ!」

『ありがとう。マックイーンは優しいな』

「っえ、あっ...りがとうございます」

 

急に褒めるのはやめてほしい。

言葉が出てこなくなって胸が苦しくなる。

見透かされた想いを隠すように、ピーチティーを一気に飲み干してしまう。

 

『...あと何年ここに住んでいようか』

「ずっと、ずっと居ましょう」

『それも良いかもな』

「あら、珍しく弱気ですね?」

『ずっと居られたら、どれだけ幸せなんだろうな』

 

彼の横顔は、どこか遠かった。

憂いを持った横顔が、"何か"を隠しているようで。儚くて。

手を伸ばしても掴めないようで...

 

『マックイーン...?』

 

ピトリと、左手が頬に触れた。

 

「貴方は此処に居ますよ?悲しい事を言わないで下さい」

 

なんてロマンチックな事を言わないと、消えてしまいそうで。

 

『...そうだな。ありがとう、それじゃ約束しようか』

 

彼は右小指を差し出してきた。

意図を理解し、左小指を差し出し絡める。

古くからある呪いの一つだ。

 

「指ー切ーりげーんまーん」

『指ー切りーげーんまーん』

「嘘ついたら駅前パフェ奢りです」

『嘘ついたら京都旅行しよう』

「ぷっ!ふふふ!」

『ぷっはっ!ハハっ!』

「なんですのそれ、プッふふっ」

『マックイーンこそなんだよ、それくらいならいつだって連れて行くよ』

「あら奇遇ですね、私も誘われれば何時だって行きますよ?」

 

もう一度指を絡めて呟いた。

何時までも何処までも、2人側に居ると。

 

月影の下、2人の誓いは誰に知られる事無く、未明の宙へと消えていった。

 

 

 

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滞りなく高校2年生に上がれました。

私もクラスにすっかり溶け込み、友人も2人ほどできました。

なんでも彼女達は選手時代の私の事を密やかに知っており、入学してきた時は「こんな片田舎に居るなんて...」と大変驚いたそうです。

彼女達とは気の置けない友人となり、大変良くしてもらっています。

先月だって一緒に夏祭りに行ったほどです。

...なんて事をこの前、彼に話したら『トレセン学園で孤立してたお前が!?』と失礼な事を言ってきたので、思わず手元にあったペットボトルを投げてしまいました。

彼ともこの2年で家族のような仲になってしまいました。

私としてはもう少し違う関係で。情熱的に.....いや、なんでもありません。

 

生活を支えてくれて、保護者をしてくださっている彼を困らせてはいけません。

 

だから、この思いはそっと胸の内に...

 

 

 

 

Chapter 4 【海原のロックスター】

             17歳 -砂浜 : 秋

 

 

遠くで鳴り続く祭囃子に耳を傾けながら水平線を眺めていた。

空の輪郭は蒼い、水平線に溶けてしまったかのように境界の判別が付かない。

雲の表情は昼間と一転して一層濃く、夜更けの速さを実感させられる。

 

『涼しくなってきたな』

「そうですね」

 

移りゆく季節を憂い感嘆の言葉を紡ぐ。

秋の花火大会が終わり家路を辿る最中、夜風に誘われるように海へと足を運んでしまった。

 

波打ち際を歩いていると、足元まで波が押し寄せてくる。

引潮がサラサラと足首をくすぐってくる。

波を直に浴びようとサンダル脱ぎ、裸足で歩いてみる。

濡れた砂浜を歩く毎、水が溢れ足跡に沿って波が溜まる。

腰を屈め、手でお椀を作り波を掬い上げてみる。指の隙間から零れる雫を眺める。

 

「ヒンヤリしてて気持ち良いですね」

『秋の海ってのも良いものだな』

 

彼が着ている甚平は波飛沫により真鱈模様の染みを作っていた。

それは私も同じで、浅葱色の浴衣は飛沫により真鱈模様を描いていた。

 

『こんなに濡れちゃ洗濯が大変だな』

「念入りに洗えば済む問題です」

『前向きですねお嬢様』

「...こんなに濡れたらどこまで濡れても同じですよね...えい!」

『ひゃっ!?冷!』

「ふっふふ!」

 

隙を見て、手に掬った海水を彼に掛けてやった。

油断していたのか、呆けた声が出ていた。

 

『お返しだ!そうれ!』

「ひゃっん!...やりましたわね!」

 

水を掛けられて、やり返して。

悪戯から始まった波の応酬は着物が波に張り付くまで続いていった。

 

昼間の海と、夜の海は貌が違う。

昼の海は大自然のオーケストラ。

夜の海は荒野で1人歌うロックスター。

今は夜の貌。

 

水掛け戦争を一度切り上げ、また2人で夜空を見上げていた。

 

『こんなに涼しいなら、来年の夏は夜風を浴びるついでに海にでも行こうか』

「昼間は暑くて出歩けない分、運動不足解消にもなりますね」

『夏場は毎日クーラーに張り付いて動けないし筋肉も衰えちまう。毎日健康生活だな』

「あ、そうです。夏休みだと公民館で朝のラジオ体操をして居るのですよ?来年は一緒に参加してみませんか?」

『子供だらけだろ?浮くぞ俺達』

「誰かの保護者って顔をしていれば大丈夫ですよ」

 

__なんて事を話していると。

ドンっと、一つ大きな波が来た。

 

「あっ_________」

 

突然。足が崩れ、平衡感覚が狂う。

背中が浮き上がり、後頭部から海に呑み込まれそうなる。

大波に攫われる。

海に沈んでしまう瞬間、トンっと、背中を抱えられる感触があった。

 

『大丈夫か?』

「あっ、りがとうごさいます』

 

海に攫われそうになった所を、彼に助けられた。

 

『立ち上がれるか?足がすくんだりはしないか?』

「はい、大丈夫です...』

 

立ち上がり、海底に足をつける。

 

「あっ、」

『と、大丈夫か?』

 

足元がフラついてしまい、彼の胸元に抱付き止まる形となる。

勢い強く抱きついてしまったので、濡れた体が密接してしまう。

触れる肌からはジンワリと温もりが伝わる。

彼の心音が聞こえてくる。トンットンットンッとら大きくて、早くて、強い心音。

私の心音も同じように早鐘を鳴らして居た。

 

「あ、あのすみません。もう大丈夫です1人で立てます」

 

彼から離れ、一歩後ろに退いた。

これ以上長く触れてしまったら私の心音が彼に伝わってしまいそうだ。

それを想像したら羞恥の気持ちが溢れてくる。

 

『それなら良かった。じゃあもう帰ろうか』

「はい...」

 

砂浜から離れ出て、帰路へと足を運ぶ。

普段から季節の音に耳を傾けているのに今はそんな余裕がない。

 

『顔、大丈夫か?』

「え、何かついてますか?」

『いや、真っ赤だぞ』

「...え、みないでください!」

『さっき何か口にしなかったか?波に混じって変なもん口にしてなかったか?』

「大丈夫です!病気じゃないってことは自分がよく分かってます!こっち見ないでください!」

 

彼からソッポを向くように顔を背ける。

さっき抱き止められた瞬間から、耳と頬が熱くて収まらないのだ。きっと彼が言う通り真っ赤なんだろう。

 

「...バカ」

 

悪意のない悪態は秋空に消えて、誰にも届かず霧散していった。

 

 

 

 

_____________________

 

高校3年生。

短かった青春も終わり、私も大人への階段を登ることになりました。

金銭面を考えて遠慮していた大学進学は、彼が強引に出資すると聞かないので進学ができる事になりました。

『知識を広げるのは無駄にならない!まだ貯金は有るし金なら俺が出す!』なんて啖呵を切っていたが、日に日に帰ってくる時間が遅くなっているのが目に見えるようになっていた。

私のために身を削る彼の為に何かできないか。

せめて恩返しでもしたい。

なんて事を考えていました。

 

 

 

Chapter 5 【ホットミルクと手編マフラー】   

            18歳 -家 : 冬

 

安寧が心地よく、静謐な憧景でした。

外は一面の雪景色。蛍光色の街灯に照らされ反射した雪が、怖いほど綺麗な雪化粧を生み出していた。

ホットミルクを啜り外を眺める。

ネットニュースでは来週末まで大寒波に見舞われると言っていたので、今年のクリスマスも家で過ごすことになるだろう。

窓辺のカーテンを閉め切り、ブラッケットを脚にかけ、毛玉を膝に乗せる。

毛玉の先端を伸ばし、1つを棒針に括り付け編み物を再開する。

古くから伝わる棒針編みという技術だ。

毛糸で輪を作り、そこに毛糸を一つ入れて、再度輪を作る。この繰り返しや反転で編んでゆくのだ。

編み物に手をつけたのは去年が初めてだった。

高校の友人から誘われてやり始めたのがきっかけだが、やり始めたら存外楽しく、最近は時間を忘れたい時にはよく編んでいる。

 

『また夜更かしか?』

 

なんて言葉が聞こえた。

編み物を中断し顔を上げると見知った顔だった。

 

「あら、もしかしたら起こしてしまいましたか?」

『いいや眠れなくってさ...編み物してるの?』

「はい。後少しでマフラーが完成するので」

『そうかい。...夜更かしするなら暖房くらいつけても良いんだぞ』

 

ピッと電子音が鳴り、足元から暖風が流れる。

冷え切ったリビングに僅かに温もりが戻ってくる。

 

「電気代とか、大丈夫ですか?」

『風邪ひいて看病する方が大変だ。テレビ、付けてもいいか?」

『ええ、大丈夫ですよ』

 

リモコンを手に取りチャンネルを操作する。

深夜番組らしい落ち着いた雰囲気の番組が映し出される。

Another Skyという番組だ。有名芸能人が自身の第二の故郷を紹介する放送だ。

 

『ホットミルク飲むけど、マックイーンも飲む?』

「それでは私の分もお願いします。先程注いだ分がつきそうなので」

『はいよ』

 

チャっと、コンロの火の灯る音と、ガスが燃焼して鉄鍋に火をかけられる音が聞こえる。

編み物をしながら、傍目にテレビを眺める。

 

「この番組好きですよね。ファンなんですか?」

『放送の雰囲気が好きなんだ。これ見ると週末の夜って感じで落ち着いて寝れるんだ』

 

今日の放送場所は異国の大地だ。

灰褐色の街並みに白色の煉瓦造形の建物が立ち並んでいる。

空は雲一つない青空で、海沿いに立ち並ぶ街並みが美しかった。

 

「ギリシャですね」

『綺麗だなー、旅行したいよな』

「日本よりも蒸し暑いですよ?確か地中海性気候に分類されてます。それに治安や下水事情も日本の生活に慣れたら他国は不便に感じますよ?」

『やけに詳しいな』

「義務教育の賜物です。あ、ありがとうございます」

 

カップにホットミルクを注がれる。

彼はダイニングテーブルの向かいに座ると、自分用のカップにも注いでゆく。

毛糸と棒針を膝に置き、ホットミルクに口をつける。

口に含むと身内から熱を与えられる。

火照る内側との温度差で、自身の肌が冷えていたことに気が付かせられる。

陶器に触れた指からビリビリと熱を感じる。

ほうっと、一息。

 

『それにしたも手編みマフラーかね。意中の殿方でも出来たのかい?』

「ふふ、どうでしょうね?」

『マックさんも年頃ですから。そういう人の1人2人3人4人はいるでしょうよ』

「そんな何人にも恋慕の情は抱きません」

『って事は1人はいるんだ。意外』

「...引っ掛けとは小細工を使いますね。まぁ私も高校3年生ですから。恋愛の一つくらい興味ありますよ。ホットミルクのお代わりを頂いても宜しいでしょうか?」

『はいはい。じゃ温め直してくるか』

 

ダイニングテーブルに置いていた片手鍋を取り、キッチンへ赴く。

編み物を再開し、大詰め作業に入る。

 

『昼に淹れたコーヒー残ってるけど、混ぜて飲む?』

「私は要らないです。カフェインで眠れなくなりますよ?」

『摂取してから直ぐだと入眠作用があるんだぞ、眠たい時にはむしろ良いんだ』

「博識ですね」

『先週テレビでやってた』

 

流れていたテレビ番組が終わり、次いでニュース番組が流れる。

どうやら本格的に雪が降るようで翌週に迫るクリスマスは大寒波に見舞われそうだ。

 

「クリスマスは大寒波らしいですね」

『本当?終業式の日、電車動く?』

「...まだ分からないですが、1センチでも積もったら運休ですものね。送迎をお願いしても良いですか?」

『勿論。...と言いたいところだけど、タイヤをスタッドレスに変えてないんだよなぁ。今からでも間に合うかどうか』

「間に合わなかったら今年のクリスマスは学校で過ごすことになりますね」

『ハハッ、それはそれで楽しそうだ。寒いだろうけど、校舎内で過ごす夜は特別だから体験してみるのも良いかもな』

「経験者のような口ぶりですね」

『あるよ。というかトレセンで残業してただけなんだけど』

「ふふっ、そういう事だったのですね。私はてっきり不良だったのかと」

『そっちの方が箔が付いて良いな』

 

彼がホットミルクの代わりを持ってくると同時に、編み物が完成した。

席を立ち上がり、カップにホットミルクを継ぎ足している彼の首元にマフラーを巻いてあげる。

 

「似合っていますよ」

『え、俺用に編んでたのか?』

「勿論。最初からそのつもりでした」

『参ったなぁ。...照れる』

「ふふっ、顔が真っ赤ですよ?」

『おちょくるな』

 

真っ赤な毛糸を大面に使った真紅のマフラーを首元に巻き付け、3歩ほど下がり出来上がりをみる。

 

「少し長いけど大丈夫ですね。ちょっと早めのクリスマスプレゼントです」

『ありがとう。嬉しいよ。でもマックイーンの分は無いんだな。これから作るのか?』

「人に上げるからやる気が出るんです。私のなんて毛糸で十分です」

『そんなこと言うなら俺が編んでやろうか?』

「編み物は一朝一夕じゃ上手くなりませんよ?」

『でも貰いっぱなしじゃ悪い。今年は間に合わないから、来年にはお返しのプレゼントできるようにするよ』

「ふふっ、期待しないで待っています」

 

ホットミルクを口につけ、一つ気持ちを落ち着かせる。

来年も再来年も。その先もずっと此処に要られたらどれだけ幸せかと、今の一瞬を愛おしく見つめる。

 

「それでは私はもう寝ます」

『あぁ、おやすみ』

「はい、おやすみない」

 

間際に放った言葉は夜更けに沈み、日常の幕は音もなく降りて______

 

 

 

 

バタンと、音がした。

 

 

 

何かの質量が倒れるような。鈍い音。

振り返ると、テーブルに突っ伏し、ビクとも動かない彼の姿。

 

「え、.....大丈、夫ですか?」

『_______』

 

返事は無かった。

 

幸せな日々は、失って初めて幸せだと気がつくのだ。

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

彼女を助けたのは、境遇が似ていたからだ。

『メジロ』という枷を繋がれた人生。

生を受けた瞬間から自分の運命が決まっていて、自由のない人生。

 

自分もだ。

『血の割合』だけで決まってしまった終着点。

生まれた瞬間から余命を宣告され、老いることすらも許されない短い人生。

 

終わりの見える人生なんて不自由そのものだ。

 

だから、彼女と自分が巡り合ったのは運命だ。

似たもの同士と言う言葉があるだろう。自分達にぴったりだった。

性格も、好きなものも、会話の噛み合いも、鼓動の速さもピッタリ同じだった。

 

彼女が軽靭帯炎になった時、片翼がもがれた気持ちになった。

半身が無くなったようで、胸が空いた気持ちだった。

そんな姿は見ていられなかった。

助けなければいけないと使命感に駆られた。

 

助けたからには、自分も覚悟を持ってこの娘を育てなければならない。

そして成人したら、片翼を授け、旅立ちさせなければならない。

 

それが自分の生きた答えだったから。

 

 

 

 

 

 

Chapter 終 【23億の鼓動】

            

 

唇に、柔らかい感触がした。

 

 

目が覚めた。

良い朝だ。

窓から覗く陽光は柔らかくて暖かい。

開け放たれた窓からは心地良い風が流れてくる。

 

『おはようございます』

 

ベットの横端に腰掛け、慈愛の籠った眼差しを向ける女性が1人。

 

「おはよう、マックイーン」

『ええ、良い朝ですね』

「いつからそこにいたんだ?』

『目を覚ます前から。ずっと居ましたわ』

「そんなに寝顔が見たかったのか。物好き」

『ふふ』

「嬉しそうだな。俺の寝顔に何か付いていたのか?』

『違いますよ。貴方が今日も目覚めてくれたからですよ?』

「ははっ、そんなもので良いなら毎日が祝日だな」

 

ベット端に備え付けられている手すりを使い、上半身を起こす。

 

『朝ごはん食べますか?』

「作ってるの?それじゃいただこうかな」

『ええ。先に下で待っていますね』

 

そう言って部屋を出て行くマックイーン。

ベットから起き上がり、身だしなみを整え階段を降りた。

 

リビングに降りるとサンドイッチとサラダ、ヨーグルトが用意されていた。

 

「健康的な朝ごはんですね」

『あら、何か文句でも?』

「褒め言葉です」

『ありがとうございます。それなら一緒に食べましょう』

 

テーブルに座り食べたい量のサラダを盛り付け、サンドイッチを2切れ貰う。

 

「『いただきます」』

 

.......

 

「ご馳走様でした」

『お粗末様でした』

 

朝食も食べ終わり、サッと洗い物を済ませて今日の予定を聞く。

 

『私は特に予定はありませんが』

「それなら今日は外出しないか?海に行きたいんだ」

『えっ、海...ですか?』

 

気まずそうな顔をしたかと思うと、視線を下げ自身の下腹部を凝視する。

 

「一応言うけど、海水浴じゃ無くて海岸に行きたいだけだから」

『それなら大丈夫ですわ』

 

ホッと胸を撫で下ろすマックイーン。

きっとお腹周りが緩んでしまっているのだろう。

『何を笑っているのですか?』

なんて睨まれるものだから、きっと口元の微笑が溢れてしまっていたのだろう。

 

部屋の掃除と洗濯物を干して、海へと歩いた。

 

丘の上に立つ一軒家に自分達は住んでいる。

5年ほど前に中古で購入した家だ。

丘の後ろは蓮池が広がり、坂の下には港町が広がっている。

 

「転ばないようにな」

『ええ、もちろん』

 

手を繋ぎ、長い長い坂道を下ってゆく。

 

柔らかい日差しが心地よくって、取り込もうと呼吸の量が大きくなる。

鼻腔に広がる青の匂いが気持ち良くって、いつでも新鮮な気持ちにしてくれる。

風も、緑も、陽も、唄も、今を生きていて、

自分も生きている事を実感できる。

 

「あぁ、気持ちいい天気だ〜」

『そうですね〜。背伸び日和です』

「いつもありがとうな」

『どうかしましたか?急に改まって?』

「感謝の言葉。言える時に言おうと思ってさ」

『ふふっ。なら明日でも良いでしょう?』

 

坂を降り、午後の風を浴びる。

初春を迎えた島には桜が咲き、街中どこを歩いても桜吹雪で溢れている。

次来た時には草木も芽吹いているのだろうか?もう一度雪解けを見れるのだろうか?

楽しみだ。

 

海浜までたどり着いた。

海岸線に聳える堤防に腰掛け、2人並んで潮風を浴びる。

 

「眠いなら寝ても良いんだぞ」

『...いいえ、大丈夫ですよ』

「ずっと看病してくれてたんだろう?迷惑かけたな」

『何の事でしょうか』

 

波打ち際で遊んでいる子供が2人、視線が合ったので手を振ると、大きく振り返される。

そのまま浜辺を駆けて行った。

 

「...この町に来た時の事、覚えてるか」

『忘れる訳無いですよ』

「色々大変だったよな。お前は高校探して、オレは仕事を探して走り回ったよな」

『苦労しましたね。新しい場所で新しい生活。お陰で私も成長できましたけど』

「もう5年も前か...長いような短いような」

『短いですわ。もう少し長くても良いです』

 

水平線が紅く染まる。

傾いた陽は影を伸ばす。

漣が穏やかに波紋を伸ばす。

あの燃えるような陽が沈めば、今日が終わってしまうだろう。

 

『...そろそろ家に帰りましょう?』

「いや。もう少しここに居たい」

『お身体に障りますよ?』

「永くなるだろうしから、先に帰っても構わないぞ」

『まったく。そういう訳にはいきません。風邪をひくなら一緒に引きましょう。そういう仲でしょう?』

 

 

再び手を重ねられる。

自分の手が冷え切って居たことに気がつく。

 

『そうだ。明日は本島へ行ってドライブしませんか?私、もう免許だって持ってるのですよ?』

「そうなのか。知らなかった」

『言ってなかったですもの。本島に行ったら何を食べますか?』

「いや、いいよ」

『..あぁ!そういえば3年前に約束していた京都旅行もまだ行ってませんね。日帰りでよければ行きませんか?』

「...いいや、マックイーン」

『京に行ったら何を食べましょう?やはり八つ橋や宇治金時は____』

 

「マックイーン。もう良いんだ。今までありがとう」

 

彼女を抱きしめ、胸に寄せる。

気丈に振る舞って居た声は、次第に嗚咽と涙声で切れ切れになっていた。

 

『良いって、.....そんなわけ....良いわけ、無いじゃないですか』

 

しわくちゃになった顔からは止めどない程の涙が流れている。

 

「ごめん」

 

『謝らないで下さい...。なぜ貴方が死ななくてはならないのですか?こんな若いのに、何故...』

 

「俺の病気、医者から聞いたのか?」

 

『はい。貴方が倒れた後お医者様に聞きました...貴方の血、ウマ娘濃度が異常に高いって...』

 

「天命だから仕方ないさ」

 

『でも...!そんな事って...あんまりじゃないですか...』

 

 

.......

 

 

 

 

 

 

ウマ娘の寿命は、人間と比べると2/3程の長さで終わる。

人間の平均寿命が60歳なのに対し、ウマ娘の寿命は40歳にも満たない。

その理由は「拍動」の差だ。

心臓の動く回数は皆平等に23億と定められている。

人間に比べウマ娘の拍動の数は速い。その分寿命は早く尽きるが、生命を燃焼する力で彼女達は無類の身体能力を手に入れたのだ。

 

しかし、この世界には『ウマ娘』と『人間』の2つに綺麗に分別はできない。その"中間の存在"も存在する。

 

この世界の人間は多少なりとも『ウマ娘の血』が混在しており、血液濃度の10%以上が『ウマ娘の血』を持ち、『女性』に生まれる者だけが "ウマ娘" として生まれてくることが判明した。

 

では、その逆『ウマ娘の血が10%以上の男性』はどうなるのか。

 

答えは。

超人的な力を持つことも無く、拍動は常人よりも速いだけの人間。

 

つまり『早く死ぬだけの人間』

 

それが自分の事だ。

 

 

.......

 

 

 

 

死は怖くはなかった。生まれた時から宣告されて居たから覚悟はできていた。

 

自分は覚えていないのだが、4ヶ月前突如として意識を失い昏睡状態に陥って居たらしい。

 

まだ28歳、

大丈夫だと思っていた拍動は疲労の蓄積により早く消費し、知らないうちに限界にを迎えていたようだ。

そのまま死ぬ筈だったのだが、マックイーンの早急な判断により病院に搬送され、一命を取り留めたらしい。

4ヶ月の入院の末、昏睡状態からの復帰は絶望的だと判断された。

どうせ看取るなら家がいいと、マックイーンが無理を言って家に返してもらったらしい。

 

それが昨日。

今日の朝起きれたのが奇跡だった。

 

何の魔法を使ったのだろうか、それは自分にも分からない。

 

 

 

 

胸の中で泣き止まない彼女の背中をさすり、水平線に沈みゆく夕日を静かに眺める。

 

 

『なんでもっと、早く言ってくれなかったのですか?』

 

『貴方に全部...生きることの全部教えてもらったのに...お礼も返せないで貴方だけが居なくなるなんて...そんな悲しい事、ないですよ...』

 

「ごめんなマックイーン」

 

『謝るくらいなら、....一緒に明日、おはようって言わせてください』

 

 

 

どうせ死ぬなら気を失って居た方が楽だった。

自分の事で泣いてくれる人が居るのが、こんなにも心が痛い事なんて知らなかった。

 

 

「そんなに泣くな。俺が安心して行けないだろ?」

 

『...そんな事言うのはずるです...バカ』

 

「...本当はさ、高校の卒業式だって見たかった。独り立ちするところまで面倒見る責任があるのにさ...大学に入ったマックイーンも見てみたかったなぁ」

 

「そうだ。朝ごはん作るの上手くなったな。掃除も家事も、来た時とは比べ物にならないぐらい上手くなってさ...」

 

「........なんかいっぱい言いたい事あったのに、もう出てこないや」

 

「あのさ...俺が連れてきた手前言うのもなんだけど...メジロに戻っても良いんだぞ。メジロマックイーンとして、またやり直すのだって__ 『いいえ』

 

途端、食い入るように割り込まれた。

視線を落とすと、そこには強い瞳。

 

『...いいえ。それはしません。私は"空の"マックイーンとして。貴方がくれた人生を綴ると決めていますから』

 

 

そう言った彼女の顔は、いつか見た凛々しい表情をしていた。

泣きじゃくった瞳の奥に、一つの決意を決めた顔。

沈みゆく夕日を受けて、その陰影は強く出ていた。

綺麗で強かった。

 

 

「そうか、なら安心だ_________」

 

水平線に太陽が沈み切ると同時に、心臓が一つ拍動を終えた。

 

倒れる肢体。

遠のく意識、

流れる情景。

 

もう死ぬんだろう。

 

『待ってください!まだ言えて...私、貴方の事が_______』

 

刹那、抱き抱えられる。

 

意識が途切れ声が消えた。

彼女が残した台詞は聞こえなかったが、

朝にも感じた唇の感触が伝わってきた。

 

 

最後の台詞は空へと消えて、

23億回目の鼓動は終わりを迎えた。

 

 

 

____________________

 

 

 

 

Chapter 2-1 終 【春風の渡鳥】

            19歳 -家 : 春

 

 

 

目が覚めたら「おはよう」なんて呑気な声が聞こえなかった。

 

今日も作ってくれたのか?ありがとう

ごちそうさまでした。おいしかったよ。片付けは俺がやるから

 

そんな言葉は無かった。

食器の音だけが鳴り響いていた。

 

生命に活気あふれた朝。

命が、鼓動が重なり続ける朝なのに、私の愛した人は何処にも居なかった。

 

視界が崩れ、涙が溢れてきた。

 

「....置いて行くなんて、ズルいですよ。死ぬのなら、私も一緒に連れて行って欲しかった...」

 

なんて事を言っても、首を絞める勇気もなく、息を止める事もできない。

 

私は生きている。だからお腹が空く。

だから水を飲む。

だから息を吸う。

だから、生きている事に感謝をする。

 

「ごちそうさまでした」

 

私は『 』のマックイーン。

私が生きれたのは、連れ去ってくれたあの人のおかげ。

生かしてもらったこの命を粗末にする事は出来ない。

 

意識をしないと2人前のご飯を作ってしまう。

そのうち半分を食べ、残りは弁当箱に詰めてお昼に食べようと思う。

 

「行ってきます」

 

扉を開き、日の当たる世界へ一歩踏み出す。

残りの鼓動の数だけ私は生きる。

懸命に息を吸って、水を飲んで、ご飯を食べて。

喜んで、怒って、泣いて、笑って。

 

私は今日も生きている。


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