「この史跡の先は行き止まりだからね、きみの妹さんや友達はその辺りにいるだろう。暗いから足元には気をつけて」
爺さんの言いつけをガン無視してキャンプ参加者と一緒に侵入してしまったミウを探して禁足地に足を踏み入れた俺たちを待っていたのは、市役所に依頼されて学術的調査を単身ながら行っていた水無瀬アキハル教授だった。
俺はカイトに懐中電灯を渡した。この壁画から先はさらに通路が狭くなっていてみんな入れない。9人も入るスペースはなさそうだから、行きたい奴が行くべきだ。そしたら、カイトを先頭に何人か入っていく。
それより俺は神隠しの予兆である霧が出ないか気になって気になって仕方ない。だから奥には入らず入口付近から周りをみていた。いつだって神隠しの前触れはアトランダムに発生する異常気象に追い立てられた先で迷い込む禁足地なのだ。神隠しが実在すると爺さんから聞いてるカイトも同じようで、半ば怒鳴りつけながらミウを呼んでいる。
「霧は出ているかい、スバルくん」
「いえ、まだ大丈夫っぽいですね」
「そうか」
「教授、この辺最近霧は出ましたか?」
「いや、今回の調査も含めて、今まで一度も見たことがないんだよ、幸運なことにね。やはり子供だけが対象なんだろうかね」
「神隠しが子供だけじゃないのは知ってるでしょう」
「まあ、そうなんだがね」
伝承とは、一般には、前世代からの伝統的文化遺産を次の世代が引き継ぐこと、または継承されたその内容を意味するが、民俗学や文化人類学では、常民社会におけるある種のまとまった知識や技術や信仰の体系、習俗、文字化されていない説話(神話、伝説、民話、昔話など)、民謡、諺(ことわざ)などの世代を超えた伝達を「民間伝承」として研究の対象としている。
伝承の内容と形式とは地域的特性をもつが、ある文化体系内における個々の文化要素は、実際には他の地域からもたらされたものが多い。
このような文化要素の空間的移動を伝播(でんぱ)とよぶのに対し、伝承とは文化の時系列、とくに世代を経た伝達を意味するのが普通である。
情報の流通体系が比較的限定されている社会では、伝承の過程はより円滑で、その内容もほぼ一定しているが、現代社会のように情報量が増え、内容が多様化し、しかも価値観の多岐化によって、受け止めるべき情報の選択基準自体が流動的となると、伝承の形態、内容の量と質が規制されることになる。
ある時期、ある社会集団に特有の文化があっても、それが次の世代において機能することがなければ伝承されず、一時的な流行または風俗に終わる。
ケモノガミ信仰はその典型だと水無瀬教授はいう。
平安時代あたりから信仰の形として生贄を捧げていたのが、時代を経て、安土桃山時代あたりから生贄を捧げなければならないから祟り神と考えられるようになった。それは人々の価値観が宗教的にも慣習的にも変化してきたからだと。
興味があるとどんな状況でも考え込んでしまうクセがあると父さんから聞いてはいたけどまさかこれほどとは思わなかった。
ふと疑問を挟んだらどんどん専門用語を挟みながら考察を始めてしまったのである。
タクマたちを先に行かせて正解だった。カイトあたりがいたら喧嘩になっていただろう。ミウたちを探しに来たといったはずなのに、大の大人である水無瀬教授は目の前の壁画に夢中になっている。俺はとりあえず教授を現実に引き戻すことにする。今のところ、霧は出ていない。
「教授、水無瀬教授」
タクマたちがいなくなったのを見届けてから、なんとなく、苗字を出すのはまずい気がして、ずっと教授呼びしていたのを苗字もつけて呼んでみる。タクマたちは本来観光神社に行くはずだったのだ、宮司が水無瀬なことくらい1人や2人覚えているに違いない。特に真面目そうなアオイと引率スタッフのシュウジは。
この人が水無瀬家の直系でありながら地方私大の准教授で民俗学を教えているのは、50年前に本来あった旧神社の宮司を継ぐはずだった姉のミユキが行方不明、神隠しになったためだ。もともとケモノガミ信仰が廃れた1980年台はすでに鉱山は閉山し、高度経済成長に取り残された水無瀬家は神主だけではやっていけず両親は共働き、子供2人の4人家族で、事前に予約があった時だけ朱印状を書いたり、祭事を土日祝日、あるいは平日の夜に相談役たちと行っていた。当時の記憶がすっぽり抜けおちている教授にとってケモノガミ信仰は全てのはじまりなのである。
禁足地であるこの史跡の調査に単身許可されたのもそもそもこの土地の所有者である水無瀬家の人間であり、神隠しの被害者かつ唯一の帰還者で大学の教授という権威があったからに他ならない。あとは市役所の観光課と文化課、教育委員会を渡り歩き、観光協会に派遣されていたうちの父さんと親交があったから。
俺に言わせれば民間伝承や神話などを独自の切り口で解釈した論文は学会では異端扱いされている変人だ。この世界の超常現象は現代科学を超えた未発見の要因があり、その謎を解く鍵は各地の古代文献等で記された伝説にあると水無瀬アキハル教授は信じている。
この土地を訪れた教授は、『ケモノガミ』を祭る祠を調査中なのだ。強い学術的好奇心と失われた神隠し当時の記憶を取り戻したいという強い欲求がそうさせているにちがいない。
「おっと、すまない。ついね」
爺さんがこの場にいたらきっと水無瀬の坊主は相変わらずだと笑ったはずだ。五十年前からなにも変わらないのは三つ子の魂百までというやつだろうか。
1年前父さんが煽り運転に巻き込まれて死んだとき、真っ先にかけつけてくれた人だから爺さんはめずらしくあんまり邪険にしないのだ。毎年線香を上げに来てくれる人を無碍にはできないらしい。
「三鷹さんの文書のおかげで解読できそうなんだ、読んでみるかい」
「この壁画のですか」
「そうだよ」
ケモノガミ文字と水無瀬教授が名づけた奇妙な古字は、日本語の五十音と対応していることから、平安時代の中期に書かれたものらしい。中国との文化交流が盛んで、漢字が輸入され、仏教が国教として広まった時期である。遣唐使として唐にわたった留学僧たちの間では、持ち帰った経典の意味を解明しようとする「音義」の研究がはじまっていた。当然ながら、それらの学問研究は国をあげて取り組まれた一大事業であった。一方で、日本古来の文化を振り返り、大和言葉の音図を意識する動きも高まっていたといえる。その派生ではないかと水無瀬教授はいう。
父さんが爺さんの機嫌が悪くなるのも気にしないで酒のさなかにひたすら講義していたことを思い出す。
「清音に特定の記号がつくことで濁音・半濁音が表現されていてね、数字はアラビア数字と同じだ。キャのような小さな「ャ」やラッパのような「ッ」を添えて表す音の区別はないようだね」
きりとともに ひとつのせかいが うまれた
きりとともに ひとつのせかいが うまれた
けものがみは ひとのかのうせいを かくちようする
けものがみは ひとのかのうせいを かくちようする
ひとはあらそいをはじめ けものがみのせかいもひとをひつようとしない ちつじよがうまれようとしていた
ひとはあらそいをはじめ けものがみのせかいもひとをひつようとしない ちつじよがうまれようとしていた
あるとき せかいはふたつに わかれてしまつた
あるとき せかいはふたつに わかれてしまつた
ふたつのせかいを つなぐ もんが しゅつげん
ふたつのせかいを つなぐ もんが しゅつげん
もんは たがいのせかいを にんしきさせた
もんは たがいのせかいを (文字が欠けている)んしきさせた
もんをつうじ ひととけものがみ がたがいの ことなるせかいを いききする
もんをつうじ ひととけものがみ(文字が欠けている) たがいの ことなるせかいを いききする
けものがみのちからをひとは あこがれすうはいの たいしようとしていつた
けものがみの(この行はよく読めない) ちからをひとは あこがれすうはいの たいしようとしていつた
けものがみ ときには さいがいをあたひとから おそれられるようになつた
けものがみ ときには さいがいをあたひとから おそれられるようになつた
「きみの父さんが見た第三層の壁画をはやく私もみたいものだよ」
父さんが遺した資料片手に興奮気味にいう水無瀬教授に俺は苦笑いするしかなかった。
「この壁画に描かれていることが本当なら、この巫女はおそらく......いや、それより、かつて人とケモノガミは対になっていて......」
水無瀬教授の野外講義を中断させたのは、ミウたちの悲鳴だった。弾かれたように顔を上げた俺たちは、あわててそちらに向かう。狭い通路をくぐり、壁画のある部屋に出る。祠がひとつ鎮座する小さな石造りの空間だったのだが。
足元に注意した方がいいという水無瀬教授の言葉を今更ながらに思い出す。踏み締めたはずの石畳がないことに気づいたときには、俺たちはそのまま落下してしまったのだった。