普通に生きていたら『托卵(たくらん)』て言葉が大嫌いになる機会はそうそうないだろうと俺は思っている。
托卵は本来、カッコウの生態としてよく知られる動物の習性のひとつで、自らの卵と、それから生まれる子の世話を他の個体に托する行為だと理科の資料集にあった。
違う種類の鳥の巣に卵だけ産み付けて、その卵から先に生まれた雛が自分以外の卵を全部落として殺し、子供ですよという顔をして違う種類の親から餌をもらって育つそうだ。
生きるためとはいえ、ひどいことする奴もいるもんだなあってこの時の俺は呑気に考えていた。ネットで不倫相手の子供を母親が父親の子供として育てさせることをいうのだと知ったとき、気持ち悪いと心の底から思ったし、当たり前だがそんなことすれば糾弾される以上の因果応報が望まれるような所業だろうと思った。
母さんが浮気をしているから離婚したいと思ってる。スバルはどっちについて行きたいかと父さんから聞かれたときも、母さんが生理的に無理になるのが先で、まさか俺自身がそんな所業の果てに生まれたなんて知りもしなかった。離婚したとき父さんはそんなこと一言も言わなかったし、母さんの悪口を死ぬまで一回も口にしなかった。母さんは俺の母さんだから言わないでくれと爺さん婆さんにお願いしてたらしい。
俺が中学生になるのを待ってたんだと父さんはいってた。小学生だと子供の意見より親の意見が優先されて、父親が親権や養育権をもつのは証拠をたくさん用意しても子供の世話をする実績を積まないと相当大変だからと。まして俺は血がつながらない子供だ、なおのこと大変だったに違いない。
父さんと付き合う前から元彼となる浮気相手とずっと二股していた母さんは、結婚してからも浮気を続けていた。職場不倫で浮気相手は同僚だったから、生活態度の変化とか兆候がそもそもないから気付けるわけがなかったらしい。どっちの子供かわからなくて、血液型も大丈夫だからバレないだろうという軽い気持ちで、公務員だった父さんの子供だということになった。
父さんが気づいたのは俺が小学生だったときらしく、日本の現行法上、DNA型鑑定によってこの「托卵」行為が判明しても、嫡出否認の訴えの期間制限を過ぎると父子関係の存否を争うことは原則できないとわかってからは、俺を引き取る方針に変えたらしい。
赤の他人、自分の血が一滴も入ってない子供でも12年間我が子として育ててきた一人っ子の俺だけは渡したくなかったらしかった。おかげで俺はなにもしらないまま三鷹スバルとしてずっと生きてこれた。
その事実を知らないまま母さんへの嫌悪だけは増幅しつつ、14の時に好きな人ができたんだと父さんから言われたときは心底複雑だった。父さん主催の観光課のイベントのときはかならず力になってくれた鹿野岸観光協会の人で、すでに顔見知りだったからなんとなくこの人父さんが好きなんだろうなと思ってたから反対はしなかったけど。母さんみたいなひどい女の人より、しあわせにしてくれそうな人だったし、父さんをとても大切にしてくれそうな人だったから。新しい母さん......あの人は無理に母さん呼びしなくていいといってくれたから、なんとかうまくやっていくために俺は爺さんの家に残った。俺の意志を尊重して父さんと新しい新居をかまえて、いつでも遊びに来てねといってくれた。俺が中学2年のときに父さんは再婚した。
1年もすれば俺には14歳歳の離れた弟ができるとわかって、あの人は隣の県の実家に帰って出産した。お宮参りをする日は、俺は小学生んときからずっとやってる剣道の大会の日だったから参加できず、父さんは2人を迎えにいくために出かけた。高速道路で飲酒運転したあげくに煽り運転するトラックに絡まれなきゃ、俺たちはそのまま家族になれたかもしれなかったのに。
葬式にのこのこと現れた母さん......ほんとは母さんと呼びたくないあの女が金に困って養育費目当てで俺を引き取ると裁判を起こすなんてとんでもない騒ぎを起こさなきゃ俺はなにもしらずにいられたのに。
全部夢に出たらよかったのにと何度思ったか。でも爺さんがマジギレして父さんが生涯墓にもってってくれと預けてた金庫の中身をフル活用して裁判してくれなかったら、今頃俺は三鷹スバルじゃなくなってたわけだから、そういうわけにもいかないのが本当に嫌だ。あの女の血が半分流れていると思うだけで死にたくなる。裁判沙汰にしたせいで近所では周知の事実になってる。爺さんが校長まで務めた有力者じゃなかったらもっと好奇の目にさらされたはずだ。結果としてあの女は俺の前に姿を現したら、今度こそ刑務所行きだからよかったとは思うんだけど。
だから俺は死ぬほど嫌いなんだ、自分の発言や行動に責任がもてない感情や目先の快楽最優先のあの女みたいな人間は。下半身でしかものを考えられない頭お花畑みたいな人間は。世界で一番。誰よりも。
でも、そんなこと大っぴらにしたら婆さんみたいにカウンセリングに通わされるし、精神科にかかって薬飲まなきゃいけなくなる。何であの女のせいでそんなことしなきゃいけないんだふざけるな。
だから俺はやめたんだ。相手を変えるまでかかわるのがしんどいならやめたらいい。逃げたらいいとは言われたけど、あの女と血がつながっている事実からは逃げられないじゃないか。一生ついて回る諸問題にどうしたらいいか考えたときに考えるのをやめた。レッテルをはることにした。どうせ40にもなって今更人は変わらない。なら諦めればいい。12から何度も裏切られつづけてきた俺が出した結論は人に期待するのをやめることだ。期待しなきゃ傷付かないで済む、かかわらないですむ。物事がはやく終わればかかわらなくてすむ。
さいわい、人を見る目はこの5年間で嫌というほど培ってきたつもりだ。たった16の俺がなに様だとか言われそうだけど、自分で自分を守るにはそれしかなかった。だいぶ心が楽になった。友達や先生には元気になってよかったとホッとされた。それだけひどい顔をしてたらしい。それだけで怖くなった。この優しい人たちに俺の考え方がバレでもしたら、嫌われたら俺はどうしようもなくなる。
バレるまえに離れたくてたまらなくなった。
俺は大学にいくのを諦めた。高卒で市役所に入るにはある種の資格をたくさんとって実績を積めばいいと聞いたから、商業系の高校に進学した。剣道は続けてるけどこの学校のレベルでは大会にいけないのはわかってたが、はやいとこ道場の師範に頼まれてそっちに顔出すことはあるけど、その日から俺は学校の勉強と資格をとるための勉強しかしなくなった。
あれだけ好きだったゲームも漫画もアニメも、全然楽しめなくなってたから買わなくなった。小遣いは貯まる一方だったからちょうどよかった。
もともと新婚で未亡人になったのに小さな赤ちゃんかかえながら相手がゴネまくるせいで長期化する交通事故の裁判のせいで疲弊してるあの人にも、爺さんたちにも、いつまでもお世話になるわくにはいかないと頭のどっかで考えてたからちょうどよかった。
3月28日土曜日、爺さんと婆さんはすでに畑仕事に出たあとだったから一人きりの三鷹家にチャイムが連打されたとき、資格の勉強をしていた俺はまたかと思ったのを覚えている。あの女のせいで導入した玄関口のカメラには焦りまくっているカイトがいて、今日が校外学習のキャンプ二日目だと知ってた俺はすぐ玄関を開けたんだ。
カイトの両親は父さんの葬式の騒動を知らせてないからほんと助かる。その気遣いを実の子供にできねえのはおかしいんだけどな。
昨日、散々行きたがるミウを引き止めるためにウチでゲームして遊んだのに懲りないやつ。また勉強する時間潰しやがって。カイトがどんだけ心配してるか知らないのか、爺さんが神隠しが一番起こる日だって散々説明したのにあのクソガキ。
「おはよう、スバル!なあ、ミウ来てないか!?お越しにいったらもういなかったんだよ!」
「朝ごはんも食べずにか?」
「そうなんだよ、昨日は朝ごはんまではいたから今日も大丈夫だと思ってたのに!あーくそ、ミウのやつ!!」
「わかった、わかったからカイトは一回ご飯食べてこいよ。爺さんにLINEしとくから」
「ほんとごめんな、スバル!助かる!」
俺は爺さんにLINEを飛ばした。家の鍵をかけながら向かうのは旧神社だ。あーあ、また午前中の勉強時間が潰されるのかよ、めんどくせえ。
そんなことおくびにも出さず、俺はカイトを宥めながら先を急いだのだった。