Clock Collector & Pacifist(完結) 作:ファルメール
無駄な装飾品や写真立てのような私物は一つとして置かれておらず、清掃も行き届いた執務室。
事務机を挟んで、女性と少女が向かい合っている。
少女は、赤を基調とした制服をシワ一つなくパリッと着こなしていて、180センチを優に超える長身は一本の棒が体の中心に通っているようでピンと伸びている。服の上からでも、贅肉が落とされて鍛え抜かれた肉体である事が良く分かる。長い黒髪が、ポニーテールに束ねられて背中に垂れていた。
視線がイマイチ分からない糸のような細い目が、度の強い丸形の近眼用眼鏡越しに上司に向けられていた。
「自分がどうして呼ばれたか、分かるか?」
「はい、先の任務での失態の事かと」
即答だった。
ムスッと不機嫌そうな表情のままで、上司・楠木司令が頷く。
「前回の件だけではない。君がチームリーダーに選ばれてからの度重なる失態は目に余る。幸い、サポートチームのお陰で任務自体は成功してはいるが、誰にもお咎め無しという訳には行かん」
何か言いたい事はあるかという問いと合わせて、楠木司令がじろりと少女を睨んだ。
「責任は全てリーダーである私にあります。どうか他の子達には、寛大な処置をお願いします」
またしても打てば響く早さで、少女は即答した。
「……君のチームメイトからも、君に対して処分軽減の嘆願が複数来ている」
「……」
「
「はっ!!」
踵を揃えて、少女、芹沢王利絵は姿勢を正した。
「ファーストリコリスからセカンドへの降格処分の後、支部への転属を命ず。当面はそこのファーストの補佐として活動したまえ」
「……少し、太ったかな」
短い期間だけ袖を通した紺色の制服の着心地を確かめつつ、リコリス寮の通路を大きなトランクケースを引きながら王利絵が歩いて行く。
玄関にさしかかった所で、数名のリコリスが立ちはだかった。
一人は昨日まで王利絵が着ていたのと同じファーストリコリスの赤い制服を着ていて、他の者はサードリコリスのベージュの制服だ。サードリコリス達が、わっと王利絵の前に集まってくる。
「王利絵さん!!」
「すいません。私達が足を引っ張ったせいで……」
「あなたみたいな人が転属なんて……」
「仕方ありません。私は任務に失敗し続けました。結果が全ての世界ですから」
王利絵の糸目が、腕組みして柱にもたれかかっていたファーストリコリスへと動いた。鋭い目の少女だ。
「あなたにも迷惑ばかりかけましたね、フキ」
深く頭を下げる。
「全くだ。私はお前の尻ぬぐいの為に居る訳じゃないぞ」
「返す言葉もありませんが、謝りついでに……」
「こいつらは、しばらくは私が面倒見る事に決まった。お前が余計な心配する必要はねーよ」
「フキになら安心して任せられます。それじゃ、私はこれで……」
王利絵はそうしてリコリス達の間を通り抜けると、もう振り返らずに歩き始めた。
配属先の支部へ向かう電車。
車中の人となった王利絵は油断無く自分の前後に尾行や不審者が居らず、念の為に専用の機器を使って盗聴器や監視カメラが無い事を確認する。
そして、
「よし、よし、よしっ!!」
ガッツポーズする。
『そもそもDAの任務なんて私に向いてないんだよ。いつ死ぬか分からないドンパチ任務の日々なんて、人間の生活じゃないよ。あぁ良かった、降格になって。大体ファーストなんて私の柄じゃないし。自分の命を守るだけで精一杯なのに、部下の命にまで責任持てとか、バカじゃないの?』
心の中で悪態吐きつつ、駅の売店で買ったカフェオレの栓を開ける。
『なまじ根が几帳面なばかりに訓練で手を抜けずに優秀な成績を収めたし、堅気の人達に迷惑掛ける事も出来ないからリーダーの補佐も全力でやったから気が付いたらファーストになってたけど、私は自分が可愛いだけの女なんだよ。だからさっさと評価を落として、DAから支部の閑職に回して欲しいと思っていたけど……やっと夢が叶った。それも理想的な形で』
評価を落として左遷されるのが彼女の望みだったが、任務中に意図してそれを行う事は、一般市民は当然、仲間の命も、そして一番大事な自分の命をも危険に晒す事になる。出来る訳が無かった。
だから今回の左遷人事は、実に理想的な展開だった。
部下であるサードリコリス達の命が最優先で失態は晒すものの、任務自体はフキが率いていたサポートチームによってどうにか成功。民間人への被害はゼロ。王利絵は全責任を取る形でファーストから降格され、支部へと異動。
日本の治安を守るエージェントであるリコリスに安全な任務などはありはしないが、それでも最優秀であるDA本部に配属されるリコリスに比べれば、これから王利絵が行くのは、ファーストとは言えたった一人のリコリスによって構成される零細支部。回される依頼は比較的平和的なものと相場が決まっている。
これから先の人生設計は既に出来ている。
異動先の支部で真面目に勤め上げて、前線に立つような年でなくなったら教官としての職を用意してもらう。これは運良く長生きしたリコリスには、ある程度の数、前例のある経歴である。
『この国と、私の平和な未来に乾杯!!』
手にしたカフェオレの缶を、王利絵は高々と掲げた。
同じ頃、リコリス寮では。
「そう言えば、あいつが転属になった支部ってどこなんだ?」
フキが、当面は彼女のチームと王利絵が率いていたのとの混成チームを指揮する事になるので打ち合わせをしていて、確認事項が一区切り付いた所でふっと口にした。
質問に答えるのは、王利絵のチームだったサードリコリスだ。
「確か……
聞き終えない内から、フキの顔からさぁっと血の気が引いて青白くなった。手にしていた紙コップを取り落としてしまって、入っていたコーヒーが零れて書類を黒く染めた。
「ちょ、ちょっと春川さん? 大丈夫ですか!?」
「……あいつの所か……さんざん臆病者だってバカにしてたけど……王利絵の奴とは、もっと話しておくべきだったなぁ……」
フキは遠い目で、そう呟いた。
チャイムを押す。
もう五度目だが、部屋の中で誰かが動いたりする気配は無い。ちゃんとピンポンと鳴るので、チャイムが故障している訳ではない。
「住所は合っている筈ですが……」
表札に「五島」と書かれている。このマンションの部屋は配属先のリコリスの事務所兼セーフハウスの一つで間違いはない。
扉の前に立つ王利絵は、バラの花束を小脇に抱え、左手にはトランクケースを手にして首を傾げる。
既にこの時間に自分が来る事は、ここのリコリスに連絡が行っている筈だ。留守の訳は無いのだが……
「?」
ゆっくりと、ドアノブに手を掛ける。
鍵は掛かっておらず、あっさりとドアは開いた。
「不用心な……?」
用心深く、王利絵は入室していく。
ブービートラップの可能性も考察しつつ、トランクケースから取り出した自撮り棒を目一杯伸ばして照明のスイッチを押す。爆発したりはしないが、照明が付く事もなかった。電気が通っていないらしい。
更に部屋の中へ進んでいくと……
「時計屋さんと間違えたかな?」
そう、王利絵が感想を抱くのも自然だった。
入ったそこには、右も左も壁一面に大小無数の時計が掛けられていた。冷蔵庫やベッドなど、家具の類は一切無い。代わりに沢山の、時計時計時計。
床にもいくつもの置き時計がずらりと並んでいた。
そして床の真ん中には、ファーストリコリスの制服を着た少女がうつ伏せに倒れていた。
「!! 敵襲!?」
王利絵は素早く花束を、ゴトリという音を立たせて床に置くと拳銃をドロウした。トランクケースを床に滑らせ、窓から倒れた少女の体を死角になるように移動させる。壁を背にして、室内に動く気配が無い事を入念に確認すると……カーテンを引いて窓から部屋を見えなくさせ、少女を抱き起こす。
「ちょっと、大丈夫ですか」
首筋に手を当てて脈を確認。
少し弱いが、規則正しい拍動が指に伝わってくる。生きている。
嗅覚に意識を向けると、血の臭いもしない。外傷は無いようだ。
王利絵はファーストリコリスの少女を観察する。
身長は自分と同じくらい。
草臥れてシワだらけになった制服。これに憧れて日々訓練しているサードリコリスが見れば叫び出すかも知れない。
ぼさぼさになった枝毛だらけの白い髪が肩甲骨の高さまで伸びている。目元は落ちくぼんでいて、血色が薄くて肌も土気色だ。
その時、いきなり、爛々と輝く両眼がギョパッと開いた。思わず、王利絵は上体を仰け反らせた。
「……お腹すいた……」
「……取り敢えず、これをどうぞ」
トランクから取り出した経口補水液と、栄養補給の為のゼリー飲料を差し出す王利絵。ファーストリコリスは10秒と経たずに両方を空にしてしまうと、すくっと立ち上がった。
「ふっかーつ」
「あ、あなたが……」
「あぁ、楠木司令から聞いてるよ。ウチに転属になったリコリスの、芹沢王利絵でしょ。いやごめんなさいね。昨日から時計を眺めていたら、水を飲んだりご飯を食べるのを忘れちゃって……」
「は、はぁ……じゃああなたが」
「うん。私がこの支部長の……と言っても私一人だけど……