Clock Collector & Pacifist(完結) 作:ファルメール
人間、あらゆる物事に満足出来るようには設計されていないが、王利絵は刹那との生活には気に入っている所と不満な所が、どちらもある。
気に入っている点は、やはり衣食住。特に食のクオリティが高い所だろう。
例えば朝食に刹那が煎れてくれる濃いめのコーヒーは毎日の楽しみだ。バッチリと目が覚めて昨日から持ち越してきた疲れも吹っ飛び、一日の活力が湧いてくる。
「美味しいです。刹那さん」
「そりゃそうよ。これでも元とは言え、本職だったんだから」
「本職?」
「そう、私は昔、喫茶リコリコの従業員だったの」
「あそこの、ですか」
確かに、刹那は昔はあの支部のリコリスである千束のパートナーで、一緒に住んでいた時期もあったと言うから不思議ではない。だがどうにも、王利絵にはこのファーストリコリスが喫茶店で働いているというイメージが湧きにくいのだ。
刹那も、自分がそうした印象を受けやすい事は理解しているらしい。スマホを渡してくる。
「うん? どれどれ……」
写真アプリを立ち上げたスマホの画面には、白を基調とした喫茶リコリコの従業員制服である和装姿の刹那の姿が写っていた。写真の中の彼女は今よりもずっと幼い。だが姿勢が猫背な所やギョロ目は少しも変わっていない。本人だと認識するのに苦労は無かった。
指を滑らせて写真を切り替える王利絵。すると今度は、色違いの赤い和服を着た千束とツーショットで写っている写真が表示された。
その次には、ミカと千束、それに雑種の犬が写っている写真が出てくる。更に次の写真には、同じ犬に刹那が餌をやっているシーンが写っていた。
「先生と千束が写っている写真を撮ったのが私よ。その次の写真は、千束が撮ってくれたの。この犬はリッキーという子なの」
「犬、飼ってたんですか」
「えぇ」
そう言って刹那は指を差す。王利絵は本能的にその指が指し示す先を追っていって……
そして、本能を御し切れなかった事を後悔した。
刹那の指先の延長線上には、時計が置かれていたのだ。止まった時計が。
「4年前、1月31日の午前3時55分。それがリッキーが死んだ時間よ。元々、私達と出会った頃から年を取っていたし、晩年は病気を患っていたのでね……分かっていた事だったのだけど……辛かったわ」
「そ、そうですか……」
不満点はこの刹那の性格と趣味である。
今まで何人かのリコリスとパートナーになったし、そのパートナーを任務の最中に失う時だってあった。昨日まで話していた友達が、ある日を境に姿を見せなくなった事など幾度もあった。
リコリスは平和維持の為に働くエージェントである。危険が仕事であり、どんなリコリスも任務に従事する過程で殉職するかも知れぬという可能性を絶対の前提としている。だからそうした話題については、明確なタブーとは言わぬまでも積極的に尋ねたりはせず「察しろ」というのが暗黙の了解・不文律として通っている。忘れる事が推奨されていると言っても良い。
そうしないといつ死んでもおかしくない仕事などやってられないという部分もある。
だがこのファーストリコリスは、自分が今まで関わった全てのリコリス達の事を覚え続けているのだ。
『キモっ……』
いや、それ自体は決して悪い事ではない。寧ろ(少なくとも普通の人間としては)良い事であるだろう。王利絵はそう思う。
死者に敬意を表して、哀悼の意を表する事は生者の義務だと言える。死んでいった者は、もう生きている者の思い出の中にしか居ないのだから。そうして死んでいった仲間の事を覚え続けているリコリスが一人ぐらい、居ても良いだろう。
だから時計をプレゼントされたリコリス達は、そういう刹那の趣味を知らない者も知っている者も全て時計を身に付けている。リコリスはリコリス以外には交友も少ないから、プレゼントをするのも貰うのも少ない。故にプレゼントされる事は純粋に嬉しいし、自分が死んでも刹那が自分を覚え続けてくれる事は、死んでも最初から居なかった事にされる身の上としては少しでも報われる気がして、救いになる部分もあるのだろう。
しかし刹那は、ちょっとイキ過ぎている。
この日、9時ぐらいの事だった。
「王利絵、デートしましょう」
そう言われて連れて行かれた先は、時計屋だった。
この時点で猛烈に嫌な予感がしていたが……果たしてそれは見事に的中した。
「王利絵、この時計のデザインはどうかしら? ……シホの……あぁ、あなたには話してなかったわね。3年前に一度、一緒に仕事をしたサードの子だけど……彼女の止まった時間を差させようと思うの」
そうして「彼女は地味なのが好きだったからこうしたシンプルなデザインが良いかしら? それとも思い切って派手なデザインの時計にしようかしら?」と聞いてくるのである。
『ゲェ~~……』
「部屋の時計には丸いのが多かったから、四角いのにしようかしら。縦長のやつにするか、鳩時計が良いかな? 店主さん、時刻を止められるタイプのデジタル時計はありますか? あぁそれから、クロエの時計の文字盤は数字かローマ字か、どちらにしようかしら……」
こんな調子である。胃に穴が空きそうだ。それもデカいのが。
16年生きてきて、これほどまでに「早く終わってくれ」と思った事も時間が長く感じた事も初めてだった。今なら100メートルを5秒フラットで駆け抜ける事だって出来そうだ。それぐらい時間が流れるのが遅い。
それでもやっと時計選びが終わって、王利絵は肺に溜まっていた二酸化炭素をぶはーっと吐き出した。
無知は幸福と言うが、一緒に生活していて少しずつ刹那を知ってくると、王利絵は段々怖くなってきていた。
ある日、恐ろしい事に気付いてしまったのだ。
配属初日、最初に出会った時に刹那は時計を眺めていて時間を忘れ、何日も飲まず食わずで死に掛けていた。共同生活を送るようになってからは流石にそこまで極端な事は無くなったが……それでもオフの日は、四方に時計がずらりとしかも整然と並べられた部屋の中央に置かれたソファーに座って、何時間でもその部屋に籠もっている事が多い。
最初は、壺や絵画、彫刻などの重度のコレクターにはありがちなやつだと考えていた。お気に入りのコレクションを眺めていたらそれで一日が終わってしまっていたというあれだと思っていた。
だが、あの時、王利絵はどうして「ここの時計は全て止まっているんですか」と聞いたのか後悔して、もしタイムマシンがあるのならば絶対にあの時の自分の口を噤みに行くだろうと思った。
止まっている時計の時刻は全て、刹那と関わりのあったリコリスが死んだ時刻。刹那は通しのナンバーを刻印した腕時計を知り合ったリコリスにプレゼントしていて、こうして買った時計とは別に、壊れて戻ってきた同じデザインの、止まった腕時計をいくつものコレクションケースに入れて飾っている。
そして刹那は、知り合った全てのリコリスの顔も名前も略歴も死んだ日もその時刻も状況も、全て覚えているのだ。
そんな彼女が、無数の時計が並ぶ部屋に入って、時間を忘れて籠もっているという事は……!!
「……!!」
ゾーッとしたものを想像して、夏服を着る季節だというのに、王利絵の全身の汗が一瞬にして乾いて鳥肌が立った。
考えるんじゃなかったこんな事。
昔読んだ漫画の台詞の一節が頭をよぎった。
『「何故私達の先祖は賢くなろうと思ったのでしょうな、元のままの下等動物でいればもっと楽に生きられ、死ねたろうに。進化したお陰で……」だったかな?』
はぁ、と溜息を一つ。
だから王利絵は性質(性格ではない)的な所で、刹那との生活には大いに不満がある。正直このパートナーは顔も見たくないが……でも、生きる為には贅沢は言っていられない。現状、刹那のパートナーとして活動する事が、結果的に一番自分の生存率が高いのだ。許容出来る不快感を取り除いて、死亡する可能性を高くするなど愚か者の極みである。
「オフも今日で終わりですねぇ」
休憩で入ったカフェで、シロップをなみなみと注いだカフェオレを啜りながら、ぼやく。
「嫌なの?」
刹那は気品のある手つきでブルーマウンテンを含みつつ応じた。
「そりゃそうでしょ。誰だって死にたくないです」
「……まぁ、ね」
オフの日にも持ってきている王利絵のもう一つの相棒、トランクに刹那が目を落とした。
「どうしてみんな、平和な所にテロだの事件など起こそうとするんでしょうかねぇ。みんな、私みたいに平和主義者になれば良いのに」
「平和主義者が殺しをやるの?」
意地悪そうに、刹那が言った。
矛盾を指摘された王利絵だったが、別段動じない。
「私はこれでも平和を愛しているのは本当ですよ? そう、私だけの平和を。だからそれを乱されるのが大嫌いなんですよ。あぁ、テロリストも通り魔も爆弾魔もみんな死ねば良いのに」
自分が平和主義者である事と、殺し屋である事。これは少なくとも王利絵の中では両立する概念なのだろう。
それにしても、と刹那は思う。
着任初日は歯の浮くような美辞麗句を並べ立てていたのに、今はこうしてそれなりに本音を語ってくれるようになったのを見るに、少しは信頼されて打ち解けてきたのかも知れない。それが、ちょっぴり嬉しい。
「トランクの中がサバイバル用品だらけなのはそれが理由なの?」
「えぇ、任務では何が起こるか分かりませんからね。最低限の用心としてこれぐらいは……」
「それなのだけどね、王利絵……」
「ハ?」
王利絵は露骨に嫌そうな顔になった。
どうせ今まで組んだリコリスがそうだったように「持ちすぎじゃないか?」とか「町中を戦場と間違えてませんか?」と言ってくるのだろう。王利絵に言わせれば、DAから支給される貧弱な装備で現場に出ようとする他のリコリス達の方が自殺志願者だと思えるぐらいなのに。だから何百枚も申請書を書いて、やっとこれだけの装備を持ち歩ける特別許可を取ったのだ。
「事前準備を怠らない事は凄く大切だと思うけど……」
「はい。あらゆる状況を想定して準備するのは当たり前でしょう」
「不測の事態に対応出来るように生存に特化した装備を色々整えるのも良いけど、速攻で敵を殲滅してしまえば結果的にあなたが生存するんじゃないの? だから、もっと武器の比率を多くしても良いのではないかと思うのだけど……」
「……」
そう言われて、王利絵はぴたりと動きを止めてしまった。
瞳の動きが止まって、啜っていたストローもカフェオレの流れが停滞していた。
「お、王利絵……? どうしたの?」
「……その発想はありませんでした。刹那さん。確かに、素早く敵を皆殺しにしてしまえば私は生き残りますよね」
再起動した殺人ロボットのように立ち上がると、カフェオレをぐいっと飲み干す王利絵。冷たい飲み物を一気飲みした事で頭痛が襲ってきたのだろう。こめかみを押さえる。
「こうしちゃいられない。刹那さん、早く帰りましょう!!」
「どうしたの、王利絵」
「帰って装備を見直すんですよ!! 武器とサバイバル用品のバランスを調整して、最高の生存率に仕上げなくては!!」
行きは足枷が括り付けられているようだった王利絵の足取りは、今はその鎖の先に付いていた鉄球が風船に変わったように軽やかだった。
「やれやれ……まぁ、私も新しい時計を飾らなければならないからそろそろ帰ろうと思ってはいたけど……銃を一挺入れるかどうかで一晩中悩んで、コンディションを落とすような事はしないでよね」
空にしたコーヒーカップを置くと、刹那はレシートを手に取った。
「早く帰りましょうよ、刹那さん。次の任務は確か明日でしたよね」
「えぇ、楠木司令から直接下りてきた任務よ。テロリストが地下鉄を襲撃するから、迎撃チームの指揮を執れ……とね」