Clock Collector & Pacifist(完結) 作:ファルメール
「では、どうぞ司令」
「確かに、受け取った」
刹那から楠木司令に、恐らくはどこかの信用金庫のカードと暗証番号が渡される事となった。
『…………』
王利絵は考える。
この交渉で実際に取引されたのは何なのか?
まず、情報・ネタと見て間違いあるまい。金庫の中には、会話が録音されたテープかそれとも書類の写しかはたまた隠し撮りした写真か、いずれにせよそういった物が保管されているのだろう。それが公開されたら、総理にとって致命傷となるのでその動きを牽制する事が可能ではあるが、使い方次第では日本という国そのものが吹っ飛ぶ危険がある。
……と、本当の所どうなのかは計り知れないが、少なくともそれほどの劇物であると刹那も楠木司令も考えているらしい。
では、具体的にどのようなネタなのか?
知らないという刹那の言葉は嘘ではあるまい。これはれっきとした取引、それで嘘を吐くなどプロとして最低だ。そして、楠木司令も知らないらしい。当然と言うべきかミカも同じく、知らないようだ。
『でも……私には分かるぞ。どんな厄ネタなのか、私には手に取るように分かる……』
ヒントは、総理がクーデターに荷担している、そしてクーデターの目的は自分達に都合の良い憲法改正だろうという二点だ。勿論、この時点で自分の推測が正しいという事が大前提となってくるのだが、少なくともその可能性はあると見たからこそ楠木司令は刹那と取引したのだろう。
多分……密約の書類か、その会話の録音データだ。
次にどんな密約なのか、だが……
『きっとアメリカ相手の密約だ……そう……多分……《日本が実効支配する無人の島嶼を第三国が占拠した場合、合衆国は自動的に日本側に付いて参戦するものではないとする、上記の合衆国の立場を日本は理解する》……とか、大方……そんな感じの内容に違いない』
日本が実効支配する無人の島嶼とは、つまり尖閣諸島の事だ。
第三国、なんて書いてあるのだろうがその国とは、中国の事に他ならない。
つまり仮に尖閣諸島が中国に武力占領されたとしても、アメリカは即座に参戦しない、あるいは傍観に徹したとしても日本は文句を言いませんと、そんな内容が書かれた覚え書きか、密約の音声データか。とにかく少なくとも見聞きした者がそれを信じるようになる代物と王利絵は考える。
仮にそんな物が存在するとして、それがマスコミに公開されたらどうなるか。
『まず日本社会は大混乱に陥り、政権は風の前の塵の如く吹き飛ぶだろうな……平家物語か』
だがそれでは終わらない。
この情報化社会、アメリカという後ろ盾が存在しない事はすぐ中国も知る所となり尖閣に武装船が殺到し、日本という国そのものが滅びかねない事態に直面する。仮にそこまで行かなかったとしても、与党は向こう20年は政権に返り咲く事は出来なくなるだろう。
きっと今の総理は、日米貿易交渉を有利に進める為に、アメリカから尖閣諸島の防衛義務を一部あるいは全部免除する事を条件として出したのだろう。これは疑惑がささやかれただけで、政治家生命が永遠に絶ち切られるような大失態、日本国民全てへの背信行為に等しい。
誰にも知られてはならないが、だがいつ、誰の手によって爆弾が炸裂、つまり秘密が暴かれるか分かったものではない。
だから総理は、このクーデターの準備を進めていたのだ。
『……クーデターによって新憲法を制定して、中国の脅威に対抗する為の日米の新しい、対等な同盟関係が結ばれれば自分の大失敗を揉み消して釣りが来る……と、そんな風に考えてるんだろうな……』
王利絵のこの考えは、まず自分の推論が正しいという前提が第一にあり、それに辻褄が合うように話を合わせているものだが……
きっと事実も……当たらずしも遠からず、という所であろう。
では、そんな情報を持ち出せる刹那は何者!?
『しかも、楠木司令との話振りだと、このネタ以外にも色々と取り揃えているような感じだったし……』
只の、一介のリコリスでは絶対にそんな物を持つ事は出来ない。
でも刹那はそれを持っている。何故か?
『でも……私には分かるぞ……刹那さんの秘密が、私には手に取るように分かる……』
リコリスはDAが孤児を拾って養成した暗殺者。だから刹那も孤児、それは間違いない。
では、元はどんな立場でどうやって孤児になったのか。
『きっと、刹那さんは元は、代々続く超大物政治家の家系だとか、妖怪と呼ばれたフィクサーだとか……』
日本の政治を裏からまかなっている……操っている? とにかくそんな家、名門中の名門の生まれだったのだろう。
『でもある時、交通事故か、あるいは政敵が差し向けてきた殺し屋に一家が皆殺しにされるかとかして、幸か不幸か刹那さんだけが生き延びて、そしてDAに拾われる。家族が……多分おじいちゃんやひいおじいちゃんが、他の政治家を裏から操る為に生涯掛けて集めた情報の鍵を持ったままで……』
鍵は二種類。
たった今、楠木司令に渡したカードは、他にも何枚かある内の一枚。
もう一つは金庫の暗証番号。それは刹那の頭の中だ。
彼女の記憶力の凄さは、殉職したリコリスの死亡した年月日や時間、顔、名前、状況や略歴を全て覚えている事からも証明されている。きっと最初は、祖父や曾祖父のメモを見るとかで……刹那は頭が良いから全ての隠し金庫の暗証番号を意味も分からずに丸暗記してしまっていたのだろう。自分がとんでもない火薬庫の番人だと気付いたのは、孤児になってからずっと後……DAに拾われてリコリスとなるべく様々な教育を受けてからに違いない。
『……だとするなら……どうして前にリリベルがやって来たかも説明が付く……!!』
結局、あのリリベルはうっかり殺してしまったから誰に言われて来たのか分からずじまいだったが……
今にして思えば奴のバックには、どこかの政治家の存在があったのではないか? 彼等からすれば、自分達をいつでも失脚させられる材料を隠し持つ刹那は言わばいつ墜ちてくるか分からない、頭の上に吊されたダモクレスの剣。取り除かねばならない。仮に情報を表に出さなくとも、存在をほのめかされるだけで枕を高くして眠れないし、DAに身を切って便宜を図らなくてはならなくなる。
理想を言えば、自分達のアキレス腱となる情報を確保した上で刹那を殺したい所だが、それが出来なくとも暗証番号を知る刹那が死んで、金庫が誰にも開けられなくなってしまえば同じ事ではある。完全な形ではないにせよ、秘密は守られる。
そしてそれならもっと頻繁に攻撃があっても良さそうなものだが、王利絵が支部に配属になってからリリベルの襲撃は一度だけだった。
『理由は二つ……』
一つは楠木司令が、刹那が握る情報を、今回のようないざという時の武器として使う為、各方面と交渉して手打ちにしているのだろう。前にやって来たリリベルは、制御しきれなかった跳ねっ返りの政治家が差し向けた刺客だったのだ。
もう一つは……
『死後代行の可能性か……』
刹那は、自分からの連絡が一定期間途絶えた時、何らかの形で自分が持つ情報もしくはそれに繋がる鍵が公開されるように仕組んでいるのだ。少なくとも自分が刹那の立場であればそうすると、王利絵は考える。政治家連中もその可能性に思い至っているから、迂闊に刹那に手出し出来ない。この国の社会構造はミルフィーユで、彼等が居るのはその一番上の階層。半端に刺激して、砂糖がまぶされた今の快適な地位を失いたくないのだ。
そしてそこまで考えが至った所で「はっ」と気付く。
『じゃあ、刹那さんと何ヶ月も一緒に生活している私は?』
ひょっとしたらもう、政治家やリリベルからは重要人物としてマークされているのではあるまいか。なんでもいい、刹那の秘密を何か知っている筈だって。
ゾッと、背筋が粟立って夏場なのに寒くなった。
『はぁ……もっとバカに生まれたかった……』
心中で嘆く王利絵。
日頃から生き延びる為にありとあらゆる可能性を想定するクセが付いているから、こんなバカげた話を真剣に考えて、その事で思い悩まなければならない。生きるという事は、胃痛に慣れる事なのだろうか。
こうして、楠木司令に情報とそこからの考察を話し、カードを渡して暗証番号を伝えると3名は帰路に就く。
帰りの電車の対面の席で、ミカと刹那に相対した王利絵は駅弁を食べつつ、じっと相棒を見詰める。
「……聞かないのね?」
「は?」
「てっきり、あなたは私にどうして楠木司令にあんな総理を牽制出来る情報をネタに取引が出来るのか。それを聞きたがるものだと思っていたわ」
「……」
ちらりと、王利絵は刹那の隣に座るミカへと視線を送る。
かつてのリコリスの訓練教官は気遣うような目を、刹那と王利絵へ交互に送っている。これは事情が分かっている者の反応だ。
『ミカさんは、刹那さんの事情を知っている……』
「王利絵、刹那は……」
「わーっ!!」
どこかわざとらしく声を上げると、王利絵は箸と弁当箱を素早く隣の空席に置いて、両耳を塞いだ。
絶妙に声量を抑えたので騒ぎにはならなかったが、それでも他の乗客が何人かこちらを向く。「あぁ、何でもないですよ。すいません」と刹那が頭を下げた。
「聞かない。聞きたくない。私は絶対に刹那さんの事情なんか聞きませんからね」
ぶるぶると首を振って、拒絶の意図を示す王利絵。
『私には分かるぞ……刹那さんの事情を知ろうとしたらどうなるのか……私には手に取るように分かる……』
恐ろしい秘密を知ったは良いが、それをどうすれば良いのか、王利絵は持て余して途方に暮れるだろう。それをずっと隠し通していく覚悟も決められないし、誰かに打ち明ける勇気も無い。いっそのこと全ての資料を刹那に提出して固く口を閉ざす事を約束し、服従を誓えばあるいはとも思うが、より確実に口を封じてしまう手段を刹那が決断しないと、誰が保証してくれるのか。
そうこうしていて、明日になれば事態が好転するかも知れないと問題を先延ばし先延ばしにしている間に、ある日、スマホがメールの着信を知らせるのだ。
『?』
誰からだろう。DAからの緊急連絡か、リコリコからのシフトの連絡かと思ってスマホのロックを解除する。
見た事もないアドレスからのメールで、副題も付けられていない。そして一見して、メール本文も空白である。
『……??』
訝しんで、文面をスライドさせる。
下へ、下へとスライドさせていくと、最後の行にこう書かれているのだ。
<お前は知りすぎた>
『!!』
何とか逃げようとするが、もう時既に遅し。
チャイムが鳴って、びくりと飛び上がって恐る恐るカメラを見る。そこに映るのは、出前持ちの顔だ。
《来々軒です。ラーメンお持ちしました》
『あぁ、ご苦労様です。そこに置いといてください』
《はい、分かりました》
そうしてドアの前に丼が入った岡持が置かれて出前持ちは去っていって……
それから、セーフハウスのある8階建てのマンションが7階建てになるのだ。翌日の新聞には都内のマンションでガス爆発と報道される。リコリスである自分は、死んでも最初から誰も居なかったものとして処理される。
恐ろしい。
絶対そんな事になりたくない。好奇心は確かにあるが、自分は人間だ。それに殺される猫ではない。
第一ここまで想像しておいてなんだがそんな事が起こる前に、刹那が自分を殺すだろう。あるいはミカがそれをやるかも知れない。それとも楠木司令の命令を受けてやって来たフキ達の役目だろうか。
逃げる事はもう出来ない。第一にどこへ逃げるかが問題だし、第二には到底逃げ切れないだろう。政治家やリリベルを頼っても、彼等は鴨が葱を背負ってきたとばかり自分を拷問して知っている情報を吐かせようとするだろう。その後で殺される。
ならば残された道は、一つだ。
信頼や情など不確かなものなど要らない。
自分が刹那にとって死んだらすぐ補充は出来ない得難いパートナーであり、千束やたきな、ミカ達リコリコの面々からは優秀なリコリスであると、利用価値がある事を示し続けなくてはならない。失ってしまったら大損で、替えの効かない価値がある事を証明し続けなくてはならない。捨てるには惜しいと思い続けてもらわなくてはならない。
自分が刹那やミカ、千束やたきな、リコリコを守る事で、彼女達に自分を守ってもらうのだ。
いつか、刹那が死ぬか。あるいは王利絵がリコリスを引退するその日まで。
だからどうかその日までは。
『私を殺さないでください』