Clock Collector & Pacifist(完結) 作:ファルメール
「木瓜上首相、緊急入院。赤坂の料亭で倒れる……今日はどのニュースサイトもこの記事ばかりだな」
喫茶リコリコの二階、クルミが専用のコンピューターを置いて作業用スペースとして使用している押し入れ。改造PCのモニターには、各ニュースサイトや新聞の記事が表示されている。
日本の殆どの人は、総理は高齢だし激務だからそういう事もあるだろう、後任はいつ頃決まるのだろうか。そんな風に呑気な考えだが……事の裏側を知っている王利絵は画面を見る顔が蒼い。
『楠木司令が発射したミサイルが直撃したんだ……効果は覿面らしいなぁ……』
過日の、DAにて刹那が楠木司令に渡したカードと、伝えた暗証番号。その直前に、クーデターが計画されていて総理が一枚噛んでいるのではないかという予想を話した事実から合わせて考えるに、やはりあれは現職総理の何らかのスキャンダルの証拠が保管されている金庫の鍵であったのだろう。王利絵はそれを尖閣問題についてのアメリカとの密約だと見ていたが……
いずれにせよ、一発で総理大臣の政治家生命をぶっ飛ばす爆弾であった事だけは確かなようだ。楠木司令が秘密裏に総理と会ったのか、もしくはどうにか誰か信頼出来る国務大臣クラスに話を通したのか。
最悪の場合の、恐ろしい想像だが……もし、これで楠木司令だけが蚊帳の外であった時にはもう採れる手立ては無い。内閣法第9条により首相代理に指名された政治家の誰かが、総理の代わりに自衛隊の出動を押し留めて、テロリストの軍隊に首都を武力制圧させてしまうだろう。そうなったら自分達はお手上げするしかない。
だからそのケースは考えるだけ無駄。よって考えない事にする。
「これで治安出動命令が発令されず、自衛隊が動かないというケースは無いだろうな」
クルミも、同じ見解のようだ。
「じゃあ、もうテロリストが軍隊で東京を制圧する事は出来なくなりましたね」
「だとすると……」
「例の闇業者への武器発注はキャンセルされてたりしますか?」
「……いや……」
画面に金の流れを示すのだろう数字の洪水といくつもの概念図が浮かび上がった。専門家でない王利絵には分からないが、クルミにはしっかりと全体像が把握出来ているようだった。
「どの業者にも金の払い戻しが行われている様子は無いな」
「じゃあ、武器は発注されっぱなしって事ですか……」
今頃は世界の海を航行するどこかの船の中に、貨物に偽装された爆薬やライフルが山のように積まれて日本に向かってきているのだろうか。考えてみると、ぞっとしない事実である。
黒幕からしても、クーデターを成功させる為に警察や自衛隊の動きを封じる事が絶対の条件である事は、百も承知であろう。だから首相の動きには常に注意を払っている筈だ。よって緊急入院してしまって政治が出来ない状態になってしまったと知れば、素早くプランを中止するか修正しそうなものだ。なのにその動きが無いという事は……
「もう、テロリストには見込み無しと切り捨てたのかな? 1200万ドルは損切りって事で」
「計画は重層的で、こういう事態もあらかじめ想定されていたというケースも考えられますよ?」
前者なら黒幕の尻尾は掴めないだろうが、テロリスト達は後ろ盾を失ったという事になるからこの事件は容易く終息させられるだろう。よって注力して考えるべきは後者のケースだ。
「自衛隊や警察がちゃんと動く前提なら、所詮一個旅団程度の戦力じゃ何も出来ないだろうな」
王利絵は頭を回す。こういう時は思考を整理する事が重要だ。
「つまり武力蜂起の可能性は無しとして……そもそもテロリストが持っているカードは?」
① 以前の取引で手に入れた、未だ所在不明の千挺の銃。
② 数名のリコリスの顔情報、及び制服のデザイン情報。
③ 最大で一個旅団規模になるだろう人員。
「各国の闇業者に発注した武器が日本に届くにはまだ時間が掛かるだろうが……」
「それを使う人間は、少なくとも一部はもう日本に入っている可能性が高いですね」
総理がテロリストとグルだったのなら、招待された某国のVIPなどという形を取って、チェックの緩いルートで入国させてしまっていたりするだろう。今から足取りを辿った所で、果たしてどれだけ捕まるか、怪しい。
それだけのマンパワーを使って、やる事と言えば何だろう?
「東京中で、同時に無差別銃乱射事件でも起こす気かな?」
「……」
有り得ない可能性ではない。
千挺の銃の所在をテロリスト側は当然知っているから、それらを使えば理論上は東京の千カ所で同時に発砲事件を引き起こす事が出来る。
「……でも何か違う気がしますね……」
これは理屈ではなく直感だが……どこかしっくり来ない。第一そんなやり方なら全てを封じ込めるのは不可能かも知れないが基本的にリコリスで対応出来る。テロリスト側もDAやリコリスの存在は知っているから、リコリスでは対処出来ない手段を使うというのは、考え過ぎだろうか?
ではリコリスが対処出来ない方法とは……?
「うーむ……?」
そこまで考えた所で、王利絵の思考は暗礁に乗り上げてしまった。
ぐるぐると思考は回るが回るだけで出口には至れない。
行き詰まって息が詰まり、ふうっと、天を仰ぐ。
「そう言えば刹那はどうした?」
「店長と一緒に買い出しに出かけましたよ」
都内のカフェ。買い物袋を椅子の一つに置いて、ミカと刹那は小休止していた。
「今日はすまなかったな、刹那。荷物持ちに使ってしまって」
「いえ、先生は足がお悪いですから。これぐらいは当然です」
品のある動作で紅茶を飲みながら、刹那が返す。
「……先生、一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
「何だ?」
刹那が紅茶のカップを置いた事で、これが真剣な話であるという事を察したのだろう。ミカもコーヒーをテーブルに置いて座り直して、真剣に答える姿勢になった。
「千束の人工心臓の事ですよ」
「!!」
「あれの耐用年数……つまり、千束の余命は後二年と少し……それをたきなさんには、もう伝えられたのですか?」
「いや……これは千束の問題だし、たきなの相棒は千束だ。千束が自分で伝えるまで待つつもりだ」
「そうですか……」
これは予想していた回答であったようだ。刹那は感情の動きを見せずに頷くだけだった。
「ではもう一つ……千束の、拍動しない人工心臓……あれは術後から10年経った現在でも、実用化されていない技術です。そして手術の前には持っていなかった、アラン機関のチャーム……これらの証拠から考察して、あの人工心臓はアラン機関の手による物……と、考えてよろしいですね?」
「……」
ミカは答えない。これをイエスと捉えたようで、刹那は話を続ける。
「今更言うまでもないですが、アラン機関は環境や金銭的な束縛によって埋もれている天才を支援する機関……バイオリニストやフィギュアスケートの選手など、支援を受けた天才は世の中に多く居ますが……」
テレビやネットのニュースで時折そうした天才、通称アランチルドレンが報道されている。
「では、千束は何の才能を評価されて、その才能をどのような形で発揮する事を望まれて支援を受けたのか……」
それは千束自身すら知らない事だ。勿論、刹那も知らない。
「先生ならご存じなのではありませんか?」
「……」
ミカは答えない。刹那もそれ以上問い詰めようとしなかった。諦めたように首を振る。
ただ、この沈黙が雄弁に語ってくれていた。
「……そうですか」
千束の、他人に無い才能。そんなのは彼女と一緒に居れば否応にも理解させられる。
卓越した洞察力と動態視力によって銃弾を回避する、類い希な、殺人者としての才能。それが千束のギフト。
ならばそれを発揮するというのは、たった一つの形でしか有り得ない。
「では……今の千束は、与えられた使命に背いている事になりますね」
「千束の命も人生も、千束自身の物。ならば千束の使命もまた、千束自身が決めるものだ」
「それは同感ですね」
と、刹那。
「ですが千束や先生がそう思っても、アラン機関までそう思うでしょうか?」
「……それは」
「先生」
ミカが言い終えるよりも早く、爛々と光る刹那の両眼がギョロリと恩師を見据えた。
「千束の人生を決めるのは千束自身……それは私も同意する所です。だから、千束に殺しをさせようとするなら……」
四白眼が、少しだけ下へと向いた。
「無理かも知れませんが」
そう、一言置いて。再びミカの顔へと視線が戻る。
「先生であろうとアラン機関の総帥であろうと、私は殺します」
これは脅しでもなければ駆け引きでもない。ただ単に、刹那の中の決定事項を伝えているだけに過ぎないのだろう。
そこまで言って、ミカは肌を刺すような感覚が急激に引いていくのを感じた。刹那が、張り詰めていた気を解いたのだ。
「失礼しました。気を悪くしないでください」
「いや……安心した」
「は……」
「形はどうあれ、お前がそこまで千束の事を大切に思って、守ろうとしてくれていると改めて確認出来たからな。たきなのような相棒が居て、お前のような友達が居れば、千束は何があっても大丈夫だ。それが、良く分かった」
「……千束は、特別だから」
もう冷めてしまった紅茶を、刹那は一口含む。
「他のリコリスの時計は、彼女達が墓標も残さず、誰にも覚えられずに死んでいくのは余りにも不憫だと思っただけですけど……」
「千束は、違うんだな」
「はい。先生、私はね……本当は……ホントのホントは、千束に長生きしてほしい訳じゃないんですよ」
「な……?」
これは意外な発言であったようだ。ミカの顔に驚きが走る。同期で昔のパートナーで、今も親交の深い刹那ならば千束とずっと一緒に居たいと、そう思っているものだとばかり考えていたのに。
「千束が死んでも、私は千束の事をずっと覚えている。私が死ぬ迄ね。ただ……千束には、一生懸命に生きて、そして死んでほしい。それが望みなんです」
「一生懸命に生きるとは、どういう生き方の事だ?」
「それは決まっていますよ」
刹那は即答した。
「誰にでも寿命はある、いつかは死ぬ。でも命を全うする時に『死にたくない』じゃなくて『生きてて良かった』そういう風に思えるように、千束には生きてほしいんです。たとえ百歳のおばあちゃんになるまで生きても、ただ死にたくないから嫌々人を殺して、仕方無くリコリスの仕事をして、ダラダラ生きていく。そんな千束の人生は覚えていても仕方無いし、命が終わった時間の時計を飾りたいとも思わない」
「……」
「悔い無く、誇りを持って生きた命だからこそずっと覚えていたい友達の人生だし、そんな千束だから、彼女が死んだ時刻で止める時計は最高の物を用意しているし、その時計を飾る場所も既に決めてあるんです。だから人を助けるのが千束の望みである限り、誰が千束に殺しをさせようとしても、私がそれをさせません」
「たとえ人を殺す事で、千束の命が永らえるとしてもか」
「はい」
またしても即答だった。
「昔から思っていたが、刹那……」
「はい」
「お前は悪趣味だな」
「自覚しています」
少しも動じた様子を見せずに返されて、ミカは苦笑する。
刹那は自分が異常者である事を自覚している。
千束がかけがえのない友達である事と、彼女が死んでその時間で止まった時計を部屋に飾るのを楽しみにしている事。刹那の中ではその二つは矛盾無く並立するのだ。そしてその為には、千束の心が救われていなければならない。
もし、救えるのが命か心かの二者択一を迫られたとしたら……普通の人間はその選択を突き付けられたら悩む。悩んで、そして命を選ぶ方が多いだろう。だが刹那はそこで少しも躊躇わずに心を選ぶのだ。王利絵はその逆で、ノータイムで命を選ぶに違いない。そういう意味でも二人は正反対でお似合いのパートナーかも知れなかった。
「さて……そろそろ帰るか。皆が心配するといけない」
「はい、先生」
椅子から立つと、ミカは杖を、刹那は荷物をそれぞれ持つ。
「刹那」
「はい、先生」
「今日は有意義な時間だった。お前と話せてな」
「私も先生と腹を割って話が出来て、良かったです」
視線は合わせずに、だがどこか和やかな雰囲気で、二人はリコリコへの帰路に就く。
千束が自分のアランチルドレンとしての使命を知るのは、この三日後の事だった。