Clock Collector & Pacifist(完結) 作:ファルメール
その日の衝撃を、刹那は今も忘れない。
訓練場の入り口に、ファーストリコリスの赤服を着た千束が現れたのだ。まだ病室に居る筈なのに。
「千束、どうしたの? もう良いの?」
「うん、刹那。もう退院して良いって。今日から私も訓練に参加するよ」
「訓練って……」
千束はこの前まで、先天性の心疾患で入院して保って半年の命と言われていた。治療を受けたとは聞いていたが……でもこんな早く、戦闘訓練が出来るぐらいに容態が回復するものなのだろうか。
「さ、始めよ!!」
「ちょっと、千束……走らないで……」
駆け出していく千束を追って、刹那もキルボックスへと入っていった。
壁には月曜日から日曜日まで、炊事洗濯掃除が4人公平に分担された表が貼り出されている。
今日の炊事当番はたきなだった。食事が済んだので、食後のお茶とデザートを載せたトレイを運んでくる。今日のデザートはプリンアラモードだった。飲み物は刹那は緑茶、王利絵は濃いコーヒー、千束とたきな自身には紅茶が煎れられる。
毎週見ているバラエティ番組がちょうど終わったタイミングで、千束が切り出した。
「たきな、ちょっと良い?」
「? 何でしょうか千束」
「話しておきたい事が、あるんだ」
「……」
刹那が、大切な話である事を察してリモコンをかざしてテレビをオフにした。
「?」
一方で王利絵はイマイチ事態が把握出来ていないようだ。首を傾げる。
勧められるままに、たきなもエプロンを外して着席した。紅茶が湯気を立てているが、カップに手をやろうとはしない。今の千束の目は、ここ何ヶ月かの間で見た事もないぐらいに真剣なものだ。今から話そうとするのは、余程大切な話なのだと彼女にも分かった。
「千束、話というのは……」
「うん……この先、どれぐらい一緒に居られるかって話……」
「どれぐらい? この生活をいつまで続けるかという事ですか?」
「それなら、私達を狙っているテロリストを捕まえるまで……」
たきなと王利絵はそう言うが、千束と刹那は目を合わせて、二人とも首を横に振った。
「そうじゃないの」
千束は自分の胸に手をやる。
「たきなも知ってるよね。私のここが、機械だってこと」
「はい。無拍動型の人工心臓だと……」
「その、人工心臓がどれぐらい保つかって話だよ」
「え……」
保つ……? どれぐらい……?
千束の語る言葉が、明瞭な筈なのにノイズが掛かって脳に届いているような感覚だった。
これではまるで……難病に冒された患者の余命宣告の話のようではないか。
「良い? 落ち着いて聞いてね?」
そう前置きする千束であるが、それは無理というものだ。
まるで何年か付き合った恋人と喫茶店で会って、いやに神妙な面持ちの彼が頼んだケーキにも殆ど手を付けずに黙りこくって、十分も黙っていた後にやっと「色々考えたんだが……」と前置きしてから語られる話が良くないもの……多分別れ話である事を語られる前に察する彼女のように、深刻な話が始まるのだと問わず語りされてしまっている。
「私はね。後、二年ぐらいしか生きられないの」
「えっ……」
一番大切な、聞かなくてはならない、でも聞きたくない言葉はもう語られてしまった。
もし椅子に腰掛けていなかったら、たきなは倒れて尻餅付いてしまっていたかもしれない。椅子から転げ落ちないように、思わず机を掴んで体を支えなくてはいけなかった。
「……今、何て……」
くすっと、笑いきれない笑顔になる千束。
「私の心臓はね。後二年と少しぐらいしか保たないの。それが、私の余命」
「嘘……そんな……」
否定してほしいのだろう。あるいは千束の笑えない冗談だと言ってほしい。そういう願いを込めて全ての事情を知っているであろう刹那へと視線を送るが……ファーストリコリスの支部長は瞑目して、首を横に振るだけだった。
本当の事なのだ。
「そんな顔しないの。元々私は、10年も前に病気で死んでる筈の人間だからね」
今までだって、良く保ったくらいだよと空笑いする千束。
「で、ですが人工心臓が寿命だと言うのなら、新しい物と交換すれば……」
「……それが、出来ないという事ですか」
王利絵が、苦虫を噛み潰した顔で言った。千束は頷く。
「うん。私の人工心臓は、一つしかないの。今の医学じゃ、同じ物は作れないんだ」
千束が取り出したのは、アランチルドレンである事を示す梟のチャームだ。アラン機関は各分野の天才を支援する組織。千束の心臓も、そうした医療や工学の天才の技術の結晶、あるいはそれらを複合させて製造された物なのだろう。
「そんな……千束……」
立ち上がったたきなが、詰め寄ってきてパートナーの肩を掴んだ。
じゃあ千束は、今までそんな時限爆弾を懐に抱えたような状態で、リコリスとしての仕事をしていたと言うのか?
下着を買う為に一緒に出かけた時に、間食を摂る為に立ち寄ったカフェで千束が言った言葉が思い起こされる。
『人間一生で食べられる回数は決まってるんだよ。全ての食事は美味しく楽しく幸せであれ~』
あの時は千束らしいと何も思わなかったが……本当は千束は、どんな気持ちでそう言っていたのか。
たきなには分からない。あまりにも多くの情報、多くの感情が流れ込んできてそれを処理出来ない。
「どうして……言ってくれなかったんですか?」
口に出して、今の自分は何てマヌケな質問をしているんだと思った。
そんなデリケートな話題を話すのは、それを教えても良いぐらいその相手を信頼してからだろうし、余計な心配を掛けたくなかったというのもあるだろう。第一、それを知った所で同じ物がどこにもないのならどうにもならない。教えた所で意味が無いというのもあるだろう。
実際に、千束の答えも同じようなものだった。
「いやだ……」
「たきな……」
「千束が居なくなるなんて……後二年しか、一緒に居られないなんて……」
「……ねぇ、たきな。一つだけ教えて」
「?」
たきなが顔を上げる。いつの間にか両目から涙が零れていた。
「たきなは、私と会えて良かった?」
だがそれこそ、今のたきなを見れば無駄な質問だと言える。会えて良くなかった、嬉しくない相手の為に、泣く筈がない。
それでも、言葉に出して聞きたい事だってある。
「はい。千束に会えて良かった。あなたと会えた事が嬉しかったんです」
「……そっか。そっか!!」
千束が笑う。
もし、10年前に心臓の手術を受けていなかったら。もし、たきなが人質に取られたエリカを救う為に独断専行していなかったら。
他にもいくつもの要素があって、それらのどれか一つもボタンの掛け違いがあれば、出会う事は出来なかったろう。そんな小さな奇跡。最初はただ配属された先に居た選任のファーストリコリスだと思っていて気にも留めなかった事。それがどれほど大切なものだったのか、こうして終わりの刻限を宣告されて、やっと気付くなんて。
「大丈夫だよ、たきな。まだ二年ある。これから一杯、一生分楽しい事しよ」
「千束……」
二年。730日と少し。
その時間が長いのか、短いのか。
それは当事者達にしか分からない事なのだろう。
「それにね。たきなさん。無責任な事は言えないけど……希望が無い訳では、ないのよ」
ここで、刹那が口を挟んだ。
凄い反応速度で、ぎゅるんとたきなの首が動いて刹那を向いた。
その速さに思わず引いたようだったが……刹那はポケットから、二冊の手帳を取り出してテーブルに置いた。
「これは……」
不思議そうに、千束とたきなはその手帳を調べる。そこには刹那と、それに王利絵の写真が貼ってあった。
「パスポート、だねぇ? これ」
「しかも見る限り、偽造とかじゃない……正真正銘の正規品ですよ、これ……」
きょとんとした顔になる。自分達リコリスは存在しない者。任務中の死亡、つまり殉職しても最初から居なかった事にされる。だから戸籍など持っていないから、パスポートだって取れない筈なのに。
刹那は一体どんな裏技を使ったというのか。
「……!!」
刹那本人以外で、事情を知っている王利絵は寒くもないのに鳥肌を立たせて体を震わせる。
以前に楠木司令に、首相を脅す事が出来るネタを提供する見返りとして無心したパスポートだ。どうやって正規品のパスポートを用意したのか、そのトリックのタネについては王利絵は自分が以前に考察した手段に間違いはないだろうと思った。
在外公館が火災やテロなどに見舞われ、未使用のパスポートが焼失した時にわざとその部数を過大に本省へは報告しておいて、浮いた分のパスポートをこういう時の為に手元に置いていたのだろう。
「確かに、日本の病院やDAには人工心臓を製造する技術は無い……けど、それが存在しているという事は造った者は、居るという事……私と王利絵で世界中を巡ってでもその技術者を見つけ出し、嫌だと言ったら頭に銃を突き付けてでも新しい心臓を造らせるわ」
「さらっと私を巻き込みましたね……」
諦めと怒りが半々という目で、王利絵はパートナーを睨む。
「あなたが居ると生存率が3倍は違ってくるからね」
これは刹那としては最大級の評価と言える。人工心臓を製造出来る技師を発見しても、その時自分が死んでしまっていたのでは意味が無い。
「それにこれは取引であり契約。勿論、タダとは言わないわよ」
刹那は一枚のカードを、王利絵に差し出した。前に楠木司令に渡したのとは、別の銀行のカードのように見える。
「こ、これは……」
「具体的に何のネタなのかは私も知らないけど……まぁDAの後方勤務に回してもらうなり、財産と新しい戸籍を作ってもらうなりのワガママが通るだけのシロモノである事は保証するわ。あなたに頼むのは私の護衛。カードは前払い。全てが終わった後で暗証番号を教える。それでは不足かしら?」
「……」
しばらく考える。
否、考えるフリをする王利絵。
口の端からヨダレが垂れているのに気付いて、慌てて拭き取った。
確かにこれから二年の間、死ぬような目には逢い続けるだろうが……でもその先には、憧れの後方勤務かそれともリコリスの裏家業からはさっぱり足を洗って一般人としての生活を享受出来るのだ。命を懸ける価値は、十分にある。
王利絵は手に取ったカードを、懐に仕舞う。契約成立だ。
「あの、刹那さん……パスポートをもう一部用意する事は出来ますか?」
たきなが名乗り出た。自分も一緒に行くという意思表示だ。
「いや……たきな、あなたは千束と一緒に居て、千束を守って。これは、あなただから頼める事よ」
「……!! はい。分かりました」
見るからに不承不承だが、しかしそれも大切な役割だとは分かっているのだろう。たきなは了解する。
「いや~」
話の一番中心に居る筈なのに、いつの間にか蚊帳の外に置かれてしまっていた千束が頭を掻く。
「愛されてるなぁ、私」
「そう思うなら千束、明日の健診にはちゃんと行ってくださいね」
「えぇ……注射は苦手なんだけど……」
「まだ敵が捕まっていないのに。一人で行くのは危険ね。非武装の所を襲われたらひとたまりも無い。王利絵、あなたが護衛に付きなさい」
「はい。分かりました。これも仕事の内という事で。引き受けたからにはちゃんとやらせていただきますよ」