Clock Collector & Pacifist(完結) 作:ファルメール
シャッターが下りて、これまでは午前中の快晴によって照明要らずであった延空木の展望室を急速に闇が覆っていく。
「くっ!!」
たきなは完全に視界が閉じられる前に仕留めようと拳銃を連射するが、拳銃弾の威力では真島が盾代わりにしたシートを貫けない。そうしてマガジンが空になるのと、シャッターが閉じて視界が真っ黒になるのは同時だった。
視界を奪われた事で、たきなの手が反射的に背中のリコリス制定バッグに伸びる。
そこには予備のマガジンや医療器具に爆薬、そしてライトなどといった道具も入っていて、たとえ目隠しされていても訓練されている彼女は淀みなく指先の感覚だけで最短時間でその時々で欲しい道具を取り出す事が出来る。
マガジンを再装填すると、次には視界を確保する為にライトに手を伸ばす。
「たきなさん、駄目!!」
だがスイッチを入れようとした所で、この闇で見えていた訳ではあるまいが見計らったようなタイミングで王利絵の声が掛かった。
「!!」
はっとして、あと少し力を入れてスイッチを押し込もうとしていた指が止まる。
この暗闇の中で、ライトを付けてしまったらそれは絶好の標的。自分の位置をアピールするだけだ。
シャッターを下ろしたのはそこまで計算しての真島の作戦なのだ。危なく、その策に嵌まる所だった。
たきなはライトを、出来るだけ遠くに放り捨てる。これはライトが床に落ちた音に反応して、真島が何か動きを見せないかと考えての行動だったが……この空間は、シンとしたものだ。引っ掛からない。
小手先の手には、真島は乗ってこない。
『しかし……だとしたらこの状況、王利絵さんはどうする気なのか……?』
下のリコリス達や、あるいは上に行っている千束と刹那が来てくれるのを待つか。
それとも、ここは根比べ。動かずに、真島が痺れを切らして動くのを待つのか。
「チッ」
「……?」
「チッ、チッ、チッ、チッ……」
耳を澄まさなければ分からなかったが、微かに舌打ちの音が聞こえてくる。
真島ではない。王利絵の声だ。
苛立ちから出ている声ではない。
目的あっての行動である。
『……これは反響定位、エコーロケーションか……』
これは潜水艦のアクティブソナーやシャチやイルカ、コウモリのような動物が持つ能力である。
つまり自分から超音波を放って、それが反響する音の様子を感じ取って、周囲の状況を把握する特殊能力。特にシャチのエコーロケーション能力は高く、数ミリしか間隔の空いていない二本の糸を識別出来るほどの精度を持つとたきなは本で読んだ事があった。
このエコーロケーションは、人間でも訓練によって身に付ける事が出来るとされていて、視覚障害者や煙の中でレスキュー活動に従事する消防士などにこのテクニックを習得させるプログラムも存在している。
リコリスにはそのような訓練課程は存在しないが、王利絵は自らの病的な用心深さから闇の中で行動しなくてはならない状況に陥る事も想定して、独自の修練によってエコーロケーションを習得していたのだ。
「そこです!!」
返ってきたソナー音を読み取って、真島が居ると思しき位置に銃撃する王利絵。
「!!」
暗闇に、微かに息を呑むような声が反響する。真島だ。
奴にとっても、リコリスがエコーロケーションを使えて、明かり無しに完全な暗闇の中で行動出来るというのは想定外だったのだ。
だが、王利絵が撃った銃声は、後が続かなかった。
もし一発でも体のどこかに命中していたのなら、うめき声ぐらい聞こえてきても良い筈なのに、それが無かった。即ち一発も、命中弾は無かったのだ。
いくら目視は出来なかったとは言え、闇雲に発射した訳でもないのに一発も当たらないのは偶然ではない。
真島にも、こちらの動きが分かっている。
『これは……!!』
『奴もか!!』
王利絵にも誤算はあった。真島も、エコーロケーションが使えるのだ。
「驚いたぜ。お前らにも耳の良い奴が居たんだな」
これは本当に驚いているのだろう、真島の声が闇に木霊する。
「お前のと俺のと、どっちが凄いか試してみるか?」
それきり、真島の声が途絶えて……
「うわっ!!」
打撃音と、王利絵の悲鳴が聞こえてきた。その後に、ごろごろと倒れて転がるような音。
「王利絵さ……」
「たきなさん!!」
声を掛けようとして、制止するように王利絵の強い声が聞こえてきて、たきなははっとして口を押さえた。声を出したら、真島にこちらの位置を悟られてしまう。
「くっ!!」
倒れた王利絵は、今さっき打撃が飛んできた方向へと銃撃するが、今度は適当な狙いだったので当然当たらない。
だが、今の攻防で分かった事もあった。
マガジンを入れ直す王利絵。
真島もエコーロケーションが使えるのは分かったが……だが王利絵よりも奴は二つの点で優れている。
一つは精度。真島の方が王利絵よりも、高い精度で周囲の状況を把握出来ている。
もう一つはそもそものエコーロケーションのタイプ。王利絵のは自分から音を発信して周囲の状況を把握するアクティブなものだが、真島のは周囲のほんの僅かな音を捉えてしまうパッシブソナーだ。王利絵は自ら音を出さなければ状況を把握出来ないが、真島はそんな事しなくてもリアルタイムで常に正確な周囲の状況を読み取っている。単純にどこに誰が居て何が在るというだけでなく、音が描く物体の「像」を読み取ってその正確な大きさや形状も把握してしまうレーダーセンスという表現が近いか。
エコーロケーション対決では勝負にならない。王利絵はまず舌打ちするなどして音を出さねばならないから常にワンテンポ遅れるし、真島相手ではたきなが最初にしようとした暗闇の中でライトを照らして敵を探そうとする行為と大差は無い。
勿論、王利絵とて相手の長所で対抗する気などさらさら無い。相手の土俵に乗らず、敵の得意技を封じて、自分の得意技で戦う事こそが勝負の鉄則だ。
素早く手元のトランクを開けると、中から取り出した物を、王利絵は放り投げる。
ゴトン、ゴトン、ゴトン……
いくつかの、何か重くて固い物が落ちた音。
「「!!」」
真島とたきな、エコーロケーションを使えるかどうかの違いはあるが、この時は音を聞いた二人の行動は敵味方の立場を超えて同じだった。
即ち、物陰に身を隠す。どちらも王利絵が手榴弾を投げたと思ったのだ。
爆発音が立て続けに鳴り響いて、想像していた破片の雨は襲ってこなかった。
代わりに、三カ所で炎が燃え上がった。
通常の破片手榴弾とは違う、内部に充填された白燐が自然発火する事を利用した白燐手榴弾だったのだ。
『そうか、この炎で……』
部屋の照明のスイッチを入れに行こうとすれば、その動きこそが真島の思う壺。奴もその位置は事前に把握しているだろうから、ノコノコとそこへ行こうとした所を狙い撃ちにされるだろう。
故に王利絵は自ら火を起こして、それで視界を確保しようという作戦に出たのだろう。
「これで……!!」
「そりゃ悪手だろ、リコリス」
炎で僅かながら視界が開けた所で、たきなが物陰から飛び出して真島を撃とうとするが……
プシューッ……
何かが吹き出す時に特有の音と共に、上からガスが吹き出てくる。
「!!」
たきなは素早く取り出したハンカチで口を覆った。
だがすぐにこのガスは有毒性のものではなく、消火用のハロンガスだと分かった。こんな閉め切った室内で炎を焚いたものだから、この延空木の防火設備が作動したのだろう。みるみる、王利絵が燃え上がらせた火が小さくなって、消えていく。必然の流れで、火が小さくなるにつれて光も弱くなって視界が再び暗く戻っていく。
「王利絵さん……!!」
完全にブラックアウトする寸前に、一瞬だけセカンドリコリス二人の目が合って……
再び、視界が全て真っ黒になる。
しかも今回はただの闇ではなく、見えないがハロンガスの煙幕で二重に見えなくなっているのだ。真島の言った通り、ただでさえ見えないのに余計に見えなくしてしまって、事態は好転するどころか悪化してしまっている。
そして……
「おらぁ!!」
「ぐっ!! このっ……がっ!!」
揉み合うような音と打撃音が聞こえてきて……
「あうっ!!」
十秒ほどして次に聞こえてきたのは誰かが倒れたような音と短い悲鳴、銃を突き付ける作動音。
倒れたのは、たきなではなかった。彼女は今、フリーだ。
揉み合って格闘戦になっていたのは、王利絵と真島。
倒れて組み伏せられたのは、悲鳴からして王利絵の方だ。
「惜しかったな、リコリス」
エコーロケーションを使えるから、暗闇の中でそれを使おうというのは良い発想だったが、真島が同じ技能を持っている事は計算に入っていなかったのであろう。そもそも、どうして真島が暗闇の状況を作り出したのかを考える姿勢が王利絵には欠けていた。
そして王利絵さえ仕留めてしまえば、たきなはエコーロケーションを使えないから後はもう煮て食おうが焼いて食おうが真島にとっては赤子の手を捻るようなもの。
その王利絵も、今やこうして組み伏せてしまって、頭に銃を突き付けている。
王手詰み、チェックメイトだ。
真島の愛銃の引き金に力が入って……
「やはり、ですね……」
「え?」
倒れたままの王利絵が発した、あまりにも落ち着いた声でそれが止まった。
「いくら耳が良くてもパッシブのエコーロケーションが出来ても、聞こえた事、音が物体の像を描いた事を認識するのはあくまで頭。取っ組み合いをやっている間だけは、そっちに気が行っていて認識が出来ないと、そう思っていました」
「……何言って……」
言葉の意味が分からず、一秒にも満たない時間だけ真島の動きが止まる。
組み伏せられ、成人男性の真島に上に乗られてしかも関節を決められている王利絵は動けない。
ならば、この状況を打破するのは……
「はっ……」
ピンと、頭の中で全ての線が繋がった感覚が走る。
たきなの位置を探る為に聴覚に意識を向けるが……
「遅いですよ」
たきなの声が、黒一色の視界から聞こえてくる。
そして、下からも。
「お前の負けだ、テロリスト」
勝ちを確信した、王利絵の声。
「正気かよ、お前ら……!!」
もう、真島は引き金を引く事を考えなかった。
それよりもとにかく何かを掴もうと、文字通り闇雲に手を伸ばして……
カチッ……
何かの、スイッチを押す音がやけに大きく、聞こえる。
一瞬の更に半分かそれより短いタイムラグの後、
くぐもった光と、空間の空気全てが揺さぶられるような爆音と衝撃が襲ってきて、闇が差し込んできた日光によって破られる。
たきなは、真島と王利絵が格闘していた十秒間の間に、持っていたありったけの爆薬をシャッターの一角に仕掛け……そして今、起爆させたのだ。
間髪入れず、三人は急激な浮遊感に襲われる。
爆発によって開いた「穴」に、風呂桶の栓が抜けてそこに水が流れ出すように、この空間の全てが吸い込まれようとしているのだ。
王利絵が白燐手榴弾によって火を起こした事で消火設備が作動し、部屋には消火用の高圧ハロンガスが充満した状態になった。そこで、たきながシャッターを爆破して密閉空間を破った為に、外気の数倍の圧に達していた部屋の大気が、気圧差によって一気に外へ向けて吹き出したのだ。
王利絵が火を焚いたのは視界を確保する為に非ず。本当の狙いは、この作戦の為の布石であった。そしてたきなは火が消える前の一瞬のアイコンタクトで狙いを読んで、爆薬を仕掛けていたのだ。
視界が再び閉ざされた時、真島がまず王利絵を襲ってくるだろう事も計算の内。真島からすれば闇の中で盲目状態になるたきなよりは、自分に比べれば精度や機能に劣って不完全ながらもエコーロケーションを使える王利絵の方が脅威。故にそれを先に排除しようというのは理屈の上でも感情の上でも自然で、セオリー通りの行動だった。
まず、一番シャッターに空いた穴に近いたきな。次に真島が空気の流れに乗って外に吐き出された。
最後に吸い出された王利絵は、外に出た瞬間にさっと右手をかざす。
プシュッと気が抜ける音と共にそこから鉤爪付きのワイヤーが飛び出して、延空木の外壁に引っ掛かり、王利絵の体の動きがそこで止まる。
「よしっ……!!」
だがワイヤーを巻き取ろうとした所で、鉤爪が外れてしまう。
「なにっ!!」
ここで吸い出す勢いの空気の力も消えて、襲ってくる重力。
王利絵、たきな、真島。
3人とも地上600メートル以上の空中に放り出されたのだ。