妖怪と知り合い、幻想郷に流れ着いてから日が三度昇った真夏日の昼下り。博麗神社の母屋から庭を臨む縁側に座り、煙草をくわえる。山地であることもあり、湿度も高く、日差しの強さのわりに痛みを感じることはないが、汗が止まらない。先日、博麗霊夢に案内され、人間が多くすむという里に行ったが、ここは周りを山々に囲まれた盆地らしく熱がこもるようだ。九州の方がまだ過ごし易いくらいだ。
ふと胸元に目をやる。Yシャツが汗でへばり付き、肌の色がはっきりと見てとれる。神社には巫女以外もう何年も住んでいないらしく男物の着物はない。昼に着たものはローラー式の脱水機にかけ、なんとか翌日に間に合わせている。人目を気にする必要がないので、シワなんかはどうでもいいが、毎日同じ服だというのは衛生的にも気分的にもよくない。いつか人里に行かなければならない。そのようなことを考えていると神社の方から人の足音が聞こえる。毎日のように神社を訪ねている霧雨魔理沙という少女がいるが、彼女ではない。彼女は人里の方から飛んでくる。初めて見たときは腰を抜かしたが博麗霊夢いわく、「あちらでの常識がこちらの非常識であり、あちらの非常識がこちらの常識」らしくそれを聞いて、今では理解したつもりである。
「考えるのはいいですけど、悩まない程度にしてくださいね」
先程まで足音が聞こえていた方から人の声が聞こえる。考え事をする際に独り言を言う癖はないはずである。顔にでも出ていたのだろうか。それもないだろう。今まで他人から「顔に出ている」と言われたことは一度もない。
「悩みごとが増えた顔をしてますね。心配せずとも独り言は漏れてませんし、顔にも出ていませんよ。そして、私は心も読めません」
声の主を見ると、珍妙な格好をしていた。桃色の髪に赤く、中華風とも和風ともとれる服を着て、若草色のスカートを巻いている。博麗霊夢と同じ、コンセプトはなんとなくわかるが、そのコンセプトが本当に正しいか確信が持てない。なんとなく中国らしい雰囲気は感じとることができる。そして、服装がきらびやかなことからある程度高い位にいることがわかる。しかし、宝石や冠などの装飾がない。王家やその関係者ではないのだろう。小間使いにしては派手すぎる。
「宗教家か?」
「4分の1正解です」
「2分の1は埋まった」
「お聞きしましょう」
「仙人様」
宗教家、つまり特定の宗教を流布することが目的ではないが、宗教に関わることは当たっているということだろうか。ならば自らを高みにあげることを目的とする道教の仙人ということだろう。
「これで2分の1正解になりました」
「もう半分は埋まりそうにないな」
埋まらない、定積分をして積分定数を忘れるような単純なミスをしている。そう感じる。重要かつ、見落としがちな何か。ジグソーパズルの最後のピースを探したが見つからず、探しても見つからず、見つけた最後のピースが無色透明だったときのような虚無さ、無力さ、無意味さ見つからないときの一撮み程度の気持ちの高揚、見つけてしまったときの理不尽さに対するそれを凌駕する怒り。そのような感じがする。
「いつか埋めるさ」
そう呟き、ボックスから煙草を一本とりだし火を着ける。悩むことすら馬鹿らしい。ここではそう感じることができる。何かに追われることもなければ、何かに従わなければらないこともない。生きるに値するだけ働くものが生き残れる程度の運を併せ持つことでたまたま生き残ることができる。そんな場所。
「ところで名前は?」
桃色の仙人が尋ねる。
「相模友人。あんたは?」
「茨華仙と呼んでください」
本名ではなさそうだ。仙人としての名だろうか。
そのようなことを考え、ここでの考え方に毒されているのがわかる。妖怪がいて、魔法使いがいて、仙人がいることに疑問を持たなくなっている。そして、博麗霊夢が言うにはここから西に言った先に吸血鬼が住む館があるらしい。今はおとなしいが数年前にこの郷を追い込みかねないほどの大騒動を起こしたこともあるそうだ。
関わりたくないものである。
「ところで」
茨華仙の顔を仰ぐ。立ちっぱなしだが、その姿勢は崩れていない。
「ここの人間に用があるなら、明日出直した方がいいぞ。巫女様はお昼寝の真っ最中だからな」
朝、掃除をして疲れたと言っていた。働いたのだから休憩をもらって然るべきだろう。俺もこうして昼の休憩をとっている。人生何事もバランスである。仕事と休息、ストレスと快楽、運動量と摂取エネルギー。どちらかが崩れれば全てが崩れる。ヒトは生きるには弱い。餌を捕る術を忘れ、自然に生きる術をなくしている。だから外部から力をくわえることで無理矢理均衡を保とうとしている。
「ここの巫女と私はまだ知り合ってませんから、用事もないですよ」
「じゃあ何のために?」
「あなたのために」
間髪入れずに答えられる。まるで、筋書きがすでに決められているかのように。
それにしても、俺の交友関係はいつの間にここまで拡がってしまったのだろうか。妖怪に死なせるには惜しいと言われ、巫女と魔法使いに懐かれ、仙人に説教をされている。十年前の俺なら目を輝かせていただろうか。
「あの娘のことを知るものはあの娘が知っているものよりもはるかに多いです。そして、あの娘の今後を気にかけるものはあなたが思っているよりもはるかに多いです。巫女として、一人の少女として、そして何よりも幻想郷の均衡を保つひとつの要としてあの娘に妙な虫がつくことを嫌うものはここに住むものの大多数であると言っても過言ではありません」
「何が言いたい?」
「下手に手を出して殺されぬよう、節度ある行動をとってください」
「わかってるよ」
突きつけられた忠告に対し、大きく煙を吐き、左の掌を見せて答えた。