凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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1ヶ月以上空いていたのでなんとなしに投稿。


Diary3 愛の揺籃

 

 

世界の色は一変する。

私が見てきた色鮮やかな世界は既に、空虚と虚像と虚無が埋め尽くしてしまった。いつしか“あの人”が好きだった世界は私にとって何でもない、言うなれば、どうでもいい現実へと書き換わっていく。彼と見た景色は非常に色褪せ灰色が映るばかり。彼の見えていた世界は既に、私の目と心では感じられない。

 

歯車が動くように私も生活を続ける。

ループしてループしてループして、何度も既視感と同じ動作を繰り返し、生きていく。

しかし、歯車の欠けた私には以前と同じ動作も行動もとることは出来なかった。壊れた玩具が狂い始めるように私の心も壊れてしまったから。それにつられて私という世界の構築されている歯車も連動するように異常をきたし、自壊してゆく。

 

私に優しくしてくれる人はみんなそうだ。

同情する。何もわからないくせに……。

一夜にして全てを失った気持ちなんて誰にもわからないくせに。

 

夜になると、夢を見る。

昔の記憶。一番楽しかった思い出。一番私の心がときめいたとき。そして、最低な夢。

誠がお母さんを失って数年。お父さんが出ていって何ヶ月経過した……でも、これだけははっきり言えた。美海ちゃんのお母さんが死んだあと、実は知っていた。誠が独りぼっちになっていたことを。

私だけしか知らない事実。それを利用して誠と二人きりなんて通いつめて、それが嬉しくてたまらなくて。誠を独り占め出来ることが最高に気持ち良くて……。

そこで、自分と照らし合わせて気づいた時に夢が覚める。

 

――私は最低だった。

 

 

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

 

 

目が覚めるともう見慣れた光景が視界に入る。誠が使うはずだった部屋の天井。シミ一つない清潔で簡素な部屋。誠が使うことを想定してか医学系の文学書がずらりと並ぶ本棚。使い勝手の良さそうなデスク。それに合わせたデザインの椅子。何の用途か配置されたソファー。最新型のテレビ。パソコン。

 

誠が使うはずだったベッドの温もりに少しだけ誠の影を感じながら、彼が使っていないはずのベッドに誠の影を覚えて私は起き上がる。

時刻は――6:30。

時計が差す時間、もう起きないと学校に遅れる。

今日は始業式だから、昨日みたいにベッドの中に身を縮めて時を忘れて眠るなんて出来やしない。まずは階段を下りて洗面所に行き、顔を洗う。部屋に戻ってパジャマを制服に着替える。汐鹿生の学校の制服に身を通してから、壁に掛けてある鷲大師の制服をちらりと見た。

あぁ……あれは、誠のお父さんが私にと買ったものだ。誠に勝手ながら少しでも忘れられるようにと、配慮した結果なのだろう。そんな厚意すらも私には、余計に思える。

 

階段を下りてリビングへ。

すると、もうそこには美和さんと美空ちゃん、誠哉さんが食卓へとついていた。重なる情景に頭を振ることで無理やり思考から追い出すも、気分が悪くなる一方で、なおさら余計に不機嫌になる。

 

「……おはようございます」

 

「おはようございます、チサキさん」

 

「おはよう、チサキちゃん」

 

「待ってて、すぐ用意するから」

 

テーブルに着くと美和さんが朝食を全て運び終える。その光景から目を逸らした先には、瞳を覗き込むようにして私を見ている美空ちゃんがいた。

 

「今日は起きてきたんですね。起きなかったら、私が起こしに行っちゃうところでした」

 

「…うん」

 

「顔色が悪いですよ。どうしたんですか?」

 

目敏く私の様子に気づいた美空ちゃんは額を当てて熱を計るような仕草をする。誠の影がまた重なる。私は思わず身を仰け反り、椅子を引く。

 

「ううん……少しだけ、気分が悪いだけだから」

 

寝覚めは決まって悪い。

あの日、全部を失ってから――。

たいしたことでもないと虚勢を張る私に美空ちゃんは気にしながらも納得してくれたようだ。

出された朝食を気が進まないまでも半分食べ、私は席を立つ。学校のカバンを手に玄関へと向かう。

 

「あれ? もうそんな時間だっけ」

 

「……少しだけ、寄り道したいですから」

 

不思議そうに首を傾げる美和さんのいってらっしゃいを背に、早めに家を出た。

 

 

 

 

 

息苦しさから開放された私は海沿いの道を歩いていた。あの家にいると息苦しさと心に来る重苦しさで押し潰されそうだったから。

サヤマートを通り過ぎて、海を見渡せる歩道に向かう。そこから全てを失った“あの場所”――造船所の脇に辿り着くと海にもっとも近く、海のほとんどを見渡せる二階へと上った。

 

「あっ……」

 

あの頃の景色はもう見ることは無いのだろうか。

開いた窓から、凍りつく海が見える。流氷と海水と氷の地面が海を覆っている。その景色に私は胸からくる激情で声を出せなくなり、口を抑える。

 

「なんで…私だけ…!」

 

目の奥からくる熱を抑えながら、畳の上に転がる。

私もあの向こうにいたかった。温かいベッドで深い眠りについて、寝坊する私に誠が起こしに来る。もしくは、私が誠を起こしに行く。

 

――そんな未来が見たかった。

 

最愛の人に寝起きにキスされて、そのまま二人で眠りにつくのもいい。ただ一緒にいたい。そのまま雰囲気に酔って身を任せるのも……。

 

一通り泣いた後で、私は身をゆっくりと起こした。

誠の海の家から勝手に持ってきた腕時計。時刻を確認して着衣を正す。乱れた制服をシワのないように戻すと、腕時計をカバンに入れて立ち上がる。

部屋を出て階下に降りようとした時だった。

階段を小走りに駆け降りようとする音が聞こえて、私は反射的に名を呼ぶ。

 

「美空ちゃん」

 

「っ――!?」

 

階段に続く通路から、見慣れた幼くも綺麗で可愛い顔が恐る恐る覗き込んできた。

 

「えへへ……バレちゃいました?」

 

「こんなことするの、誠か美空ちゃんくらいだもん。でも誠なら声を掛けるから、美空ちゃんだろうって。やっぱり兄妹なんだね……」

 

「兄さんのことなんでも知ってるんですね」

 

「だって、幼馴染で大切な人だから……」

 

隠すこともないのでそう告げると、苦笑する美空ちゃんが申し訳程度に、

 

「私に兄さんのこといっぱい教えてください。学校に行く道すがらでいいので」

 

話題をふってきた。

仕方なく頷くと階段を降りる。造船所を後にして歩道に出たところで、静かについてきた美空ちゃんが口を開いた。

 

「兄さんって……すごいですよね」

 

「……うん」

 

心なく返事をしたところで、美空ちゃんは訊いていると理解したのか話を続けた。

 

「誰にもできないことをやってのけて、周りにも気配りができて勉強もできて運動もできて、容姿端麗でかっこいい上に優しくて……傍にいたら安心させてくれるし、傍にいたいと想わせてきちゃうんですから」

 

でもその実、と美空ちゃんは繋げる。

 

「自由奔放で自分のことには少しルーズで、誰かとの約束だけはちゃんと守るんです」

 

それはそう。

まるで、

 

「自分がどうなろうと構わないみたいな」

 

そんな危うさを持っている。

と、私は思わず口を開いた。

昔、塞ぎ込んでいた時も誠は食事に手をつける気すらなかった。世話をしないと食事すらろくに取らなかった。それくらい勉強に没頭していた。むしろ取り憑かれたと言ってもいいくらいに彼は自分の身を削っていた。

 

不意についた私の言葉に、美空ちゃんは首をかしげた。笑顔のまま私を見上げる。

だから、と私の言葉は気にした様子もないように彼女は言葉を続けた。

 

「兄さんは神様に抗っても……約束を守りますよ」

 

それだけ言うと美空ちゃんは小学校への別れ道へと小走りに去っていった。

 

 

 

 

 

十分くらい歩いた。学校への道のりは遠く、足は重く感じる。一分一秒が何時間にも感じられる。まばらに増えてきた同じ学校へ登校する人たちも足早に向かっているのに、どんどん追い抜かされてゆく。

 

私はどうしてこんなことをしているんだろう。

 

ふと思い立ち止まる。

そんな時、後ろからドンッと背中を叩かれる。

 

「よぉ! 比良平」

 

「おっす。比良平」

 

狭山くんと江川くんだった。あいも変わらず何かを企んでそうな笑みを浮かべる二人は連んでいるようだ。

不機嫌さを顔に表しながら、私は二人を睨みつける。

 

「……セクハラ」

 

「辛辣っ!?」

 

「くそっ、ボディタッチがセクハラ扱いとは俺達は手を握っただけで犯罪者じゃないかっ」

 

悲観に暮れる雄叫びを上げながら、狭山くんはちらりと視線を泳がせて、私の胸元を見る。

 

「変態」

 

さっと胸を隠すと今度は太ももに視線が向けられる。いったいこの行動のどこに変態ではないと言い切れる自信があるのだろうか。

悪びれた様子もなく、江川くんは相づちを打つ。

 

「仕方のないことなんだよ。男にとって……エロスは必要不可欠なんだ!」

 

「そう。誰だって可愛い女の子がいれば少しくらいはあんな期待をしちゃうんだ。人類にとっては子孫繁栄のため仕方ないことなのだ」

 

「……確かに誠も言ってたけど、私が好きなのは誠だから」

 

力説する二人をばっさり切って捨てる。

こんな人達放っておこうと立ち去ろうとする背中に、二人は小さく呟いた。

 

「……本当に一途だよな」

 

「まぁ、良かったんじゃね? あれから元気なかったし」

 

「だよな。まぁ、本当にそういうことしたら誠に殺されるじゃすまねぇや」

 

「だな」

 

風の音と周りの話す声に、霞んだ声は聞き取れなかった。

 

 

 

□■□

 

 

 

教室に入ると大多数の生徒は既に教室にいた。見慣れたクラスメイトの顔が私の方を向く。様々に表情を変えると私を認識してもの悲しげな表情になる。

 

「お、おはよう、チサキちゃん」

 

クラスメイトの一人の女子が会話をやめて、私に声をかけてくる。

 

「…おはよう」

 

「……えっと、最近寒くなってきたよね」

 

「別に気を使わなくていいから」

 

気を使われているのがわかった。余計に惨めだ。

いつも通り一人の席に座りながらカバンを下ろして、会話を蹴ると机に突っ伏する。

そんな私の前に、影が差す。それだけ確認すると頭を上げることもなく目を閉じる。私の態度に腹が立ったのか目の前の影は鼻息荒く、

 

「……お前、わかってる?」

 

憤慨したように怒気を孕ませた声で唸った。

 

「…何が?」

 

本気でわからないという私に影はついに爆発した。

 

「だからお前が暗いせいで教室の空気まで重くなってんだよ! 別にそれは構わねぇけど、さっきのにも言い方ってもんがあるだろ!」

 

「ちょっ、近藤くん……っ!?」

 

「うるさい黙ってろよ! だいたい死んだわけでもねぇのにうじうじして抱え込んで――」

 

反射的に椅子を立ち上がった。

椅子が反動で傾き、倒れる。ガンっという木材と鉄の独特な音を聞きながら私は怒鳴る。

 

「――あなたに何がわかるの!!」

 

一瞬、雲行きを見守っていたクラスメイト達の顔がひきつり焦りを見せる。心配そうな顔、驚愕に満ちた顔、何が起こったと不思議そうな顔、それを横目に私は歯を噛み締める。口を開けてあらん限りの声で叫ぶ。

 

「一日で私は全部失った、幼馴染も家族も全部! 独りきりになってどうしたらいいかわからなくて、部屋にこもってひたすら考えてもまだわかんなくて……っ」

 

机の上に置いてあったカバンを引っ掴み、影であった目の前の男子生徒に投げつけた。予想外だったのかこめかみに避ける間もなくヒットする。その拍子にバラバラと中身が零れ落ちて机と床に散乱した。

 

「大切な人も消えちゃって――」

 

手当り次第に投げ捨てる。

拾ったものを、目の前の男子生徒へ。

呆気にとられた男子生徒は抵抗もなく、飛んでくるものを手で防ぐだけで。

 

硬く冷たい金属質な何かを掴んだ瞬間、手に痛みが走る。尖った刃物が自分の手のひらを刺しているのがわかっても、今の私の頭では正常な判断を下すことは出来なかった。

 

再度、振り上げる。

クラスメイト達の驚愕した顔が、唖然、騒然としたものに変わっていく。

ただ、木原くんの顔だけは無表情なままで……。

少しだけ、口元を歪めて笑うのがわかった。

なにがおかしいのか。普段は表情一つ変えない木原くんの態度に私の頭に血が上り、手の中の武器を投げようとしたところで――。

 

パシリ、と手を優しく包み込まれ止められた。

刃物で傷つかないようにゆっくりと解かれる。そのあいだ無機質な金属は私の手を傷めなかった。アドレナリンや等々の成分もあるのだろう。興奮状態の私の頭に鎮静剤のような声が耳元から響く。

 

 

 

「――ダメだよ、チサキ」

 

 

 

懐かしい優しく子供を叱りつけるような声。後ろから抱きしめられ、体温が伝達する。

私の首に回された腕は少し傷だらけで、見慣れた傷もあった。朧げな映像が、光景が、フラッシュバックする。前にもこんなふうにあの人に抱きしめられたと。

 

振り向けば、壊れてしまいそうな。

消えてしまいそうな夢現に私は振り向けなくて、夢なら覚めて欲しくなくて。

でも、顔を見たくて、切なくて……涙が溢れ出てくる。顔を上げられない。身体が動かない。動けない私にここにいるよと安心させるように左手を握る男の人の手。少しだけ固くて温かい感触が、私を正面から抱きしめた。

 

「……ま、こと…?」

 

「他に誰がいるんだよ。あー、もうほら切れてる。鋏の刃先を手で握るから……せっかく綺麗なのに」

 

不意に顔を見あげた。

大好きな人の顔は優しい笑みを浮かべて、視線はさっきまで鋏を握っていた手のひらに向けられている。私の視線に気づくと誠は微笑み返して頭を撫でてくれた。

 

私の心のダムはここで決壊する。

 

「ひっく…ふぇ…ぐすっ……うわあぁぁぁん!」

 

「……もう消えたりしないから。独りにしないから。好きなだけ泣け」

 

優しく受け止めて、抱きとめて、幼子をあやすように誠は声をかけてくれる。私は必死でそんな誠の胸元にしがみつき、嗚咽を漏らして泣く。

そうして泣ききった私は大好きな人の腕の中で、泣き疲れた子供のように眠りに落ちた。

 

 

 




美海ルートはエンドを決めてからもう一度入る予定です。

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