「おはようございます」
「おっ、たきな~。おはよっ」
「──
カランカランと鈴の音を奏でて開かれた扉の外から、黒髪を伸ばした紺色の制服の少女が入ってくる。少女──井ノ上たきなは、椅子に座って携帯の画面を眺めている同業者を見つけた。
「何って……写真見てただけだよ?」
「写真、ですか」
「そそ。見てみる?」
「はい」
ぽんと手渡された携帯を持ち直して、たきなは赤い和服に身を包んでいる同業者──
「この男性は誰なんですか?」
「んー? 私のダーリン」
「…………?」
「ちょーちょちょちょっおでこに手を当てるな熱を測るな真面目な顔で病気を疑うな!」
訝しむような表情で額に手を当てるたきなに、千束はうがーと威嚇しながらその手を払う。
「まったく失礼な子だよあんたは」
「なら冗談も程々にしてください」
「──まあ、冗談だけどさ。向こうがどう思ってるかなんて知らないし? あんなやつ別に好きじゃねーし? むしろあいつの方が私にメロメロだったし!? しぃ!?」
「とりあえず落ち着いてください」
混乱が極まる千束を前にして、たきなが窘めながら携帯を返してそう言った。
千束は画面を見ると、懐かしいものを見るような顔で目尻を緩める。それからぽつりと、たきなに質問を投げ掛けた。
「……たきなは『逃がし屋』って知ってる?」
「知ってるもなにも、DAが毛嫌いしている組織ですよ。依頼を受けて対象の国外逃亡などを手伝う組織──その対象は有名人から犯罪者まで多岐に渡り、金さえ払えば誰でも逃がすという」
「たまにDAが消すつもりだった奴とかも逃がすからねえ、そりゃ毛嫌いされるか」
あはは、と乾いた笑い声を上げる千束に、たきなは話の流れから確信して口を開く。
「……まさか、その男も逃がし屋なんですか」
「うーん……そう、なんだけどぉ……この件を一言で説明するのは難しいな」
「いったい何が──」
「まあ簡単に言うと、2年前──15の時に、あいつと依頼がバッティングした」
「────」
困惑と驚愕、疑問の混ざった表情であんぐりと口を開けるたきなに、千束は携帯の検索画面を開いてとあるニュースを見せる。
「2年前に起きた村雨ビルのテロ立て籠り&爆破事件、知ってるよね」
「はい。確か海外に向けて携帯やパソコンの部品を製造している大企業の社長──
「そうだね。で、そこに私と逃がし屋も居た」
あっけらかんと言い放つ千束。彼女はそのままたきなに言葉を続ける。
「テロリストの乱入は本当にあったよ、死者0人も
「──では、バッティングした、というのは……その妹さんを逃がす逃がし屋と同じ依頼内容で呼ばれたから?」
「うん。いやあ、まさか逃がし屋とうちにダブルブッキングしてたとは思わなかったよね。妹さんもかなり切羽詰まってたんだろうけどさ」
やれやれと言わんばかりに首を左右に振る千束は、それから間を置いて、当時何が起きたのかを少しずつたきなに説明し始めた。
──ビジネスホテルの一室で、変装のために生やしていた髭を剃った男が、携帯の向こうにいる組織の
「おい、この土壇場で協力者を増やすってのはどういう了見だ」
『そう声を荒らげるな。依頼主のお嬢さんは心配性のようでな、不安に思ってしまった女性の願いは無下には出来まい。人手を増やしてほしいと頼まれたから、こちらで一人追加したわけだ』
飄々とした態度で苛立ちを受け流され、男は癖になりつつある舌打ちをする。
「……ちっ。それで、そのもう一人の協力者とやらはどこの誰なんだ? 俺たちの組織でないなら別の派閥の逃がし屋か?」
『それについての情報は残念ながら時間が無いため送れない。だが安心して欲しい、腕は確かだ。最低でもお前三人分の強さは保証する』
「いやそこを心配してる訳じゃねえよ」
報連相が……と呟く男に、老いながらも衰えを見せないボスが低い声で捨て台詞のようにまくしたてると、そのまま通話を打ち切った。
『では頼むぞ、
「おい! ……ちっ、クソジジイ……」
思わず壁に投げつけそうになった携帯に、新たに通知が来た。
『大変なことになったなぁ』
「まったくだ」
『お前が
「ああ。そもそも伏せる意味がわからん、うちの派閥は基本的に『不殺主義』だ。大抵の組織とはまず馬も反りも合わねえってのに」
潜入に利用した清掃員の服や偽装IDをゴミ袋に入れてベッドに放ると、男はスーツに着替え、別のスーツを入れたガーメントバッグを背負う。携帯片手に部屋から出る際、ちょうど入れ違いで入ってきた作業着の二人組に顔を向けた。
「ベッドの上に置いた袋の処分を頼む」
「……まいど」
「……どうも」
無愛想な二人が会釈してから部屋に入るのを見送って、男は扉を閉じて廊下を歩く。
「──協力者、ねぇ。まあ、
『うわあひっでぇ』
「おあいにく様、俺が仲間だと思ってるのは大枚叩いて前払いで雇ってるお前だけだ」
『うわあ嬉しい』
まったく同じトーンで適当に返す通話越しの相手は、続けて男に自慢気に返す。
『お前は金払いが良いからな。このナッツ様が全力で手助けしてやるよっ』
「期待してるぞ、お前は中身はともかくハッキングの腕はいいからな」
『はぁ~? 僕は聖人がごとき人間性を携えたパーフェクトヒューマンなんだが』
「顔合わせたことすらないのにどうやってそれを確かめろってんだよアホ」
『じゃあ仕事終わったらオフ会でもすっか?』
「ふっ……まあ、考えとく」
そう言って通話を切ると、男は通話アプリと小型のインカムを同期させ、それを左耳の奥に隠すように入れる。それから任務先のビルに向かうべく、ホテルの駐車場に歩を進めていた。
──全40階建ての高層ビルに到着した男は、入って直ぐにスタッフから金属探知機での検査を受けさせられる。おおよそ普通ではない厳重さを前に、男は
「……今日は最悪の場合戦闘が起きる。パーティーが始まる前にビルから出ろ」
「パーティー当日に辞めるスタッフとか疑ってくれって言ってるようなもんだろ」
「嫁が産気付いたとでも言ってさっさと帰ればいい。それでも止めようとするほど日本人は鬼畜ではないさ。……多分な」
「多分かよ」
男が持ってきていたバッグに対して
「俺以外に協力者が来る話は聞いたか?」
「……? いいや、知らないが……?」
「そうか、わかった」
「おう、達者でな。──はいお次のお客様~」
パッと意識を切り替えて営業スマイルを男の後ろの客に向けるスタッフは、もう男のことを気にしていない。プロだなと呟いて、そのまま1階受付で予約通りに個室のカードキーを受け取る。
客人用のホテルとなっている5階にエレベーターで向かった男は途中で一度トイレに寄り、一番端の個室に入ってバッグから拳銃を抜き取って懐に仕舞い、それから改めて予約していた自身の部屋に向かう。すると──くだんの部屋の前で立ち往生している、
「……おい小娘、そこは俺が予約してる部屋だ。なにか用か?」
「え? あれっ、ここって505号室ですよね?」
鞄をランドセルのように背負う白みがかった金髪の少女が振り返ると、キョトンとした顔で首を傾げる。それを見下ろしながら、男は視線を横に向けてそちらに意識を誘導させながら言った。
「いや506号室だ。505はひとつ左」
「あっほんとだ~、てっきりここが505だとばかり。いやいやすみませんでした」
男は少女に苦笑を浮かべてから、ポケットのカードキーを扉のオートロックにかざす。
「ここは扉ごとにIDが違うんだ、そりゃあ何回かざしても開くことはないだろうな。しかも日毎にそのIDも書き換えられるそうだ」
「へぇ~……
「──ああ、俺はここに来るのは2度目だからな。お前こそ今日は……パーティーに参加するのか? 親はどうした?」
少女の問いに眉ひとつ動かさず、頭の中に用意したテンプレートから無難な返しをしつつ、男もまた少女に質問を返すとこう言われた。
「
「そうか。……女子供が一人で、か。何かあったら警備員を呼べよ、ここはビル内限定だが、
「──わかりました~」
ガチャリと扉を開ける男を見て、それから隣の部屋に向かう少女。
「────」
『それ』に対する僅かな違和感がおもむろに男の脳裏を掠め、もしかしたらと考えさせ、部屋に入ろうとした足を止めさせる。
すると、インカム越しに会話を聞いていたナッツが、男の耳にボイスチェンジャーを通した男とも女ともわからない声を響かせた。
『ジョン』
「……
『今調べたが、505号室に予約した客は
「……ちっ、
ナッツことナッツクラッカーのその言葉を聞き終えるや否や、男は舌を打ち、今まさに505号室の扉を開けた少女に声を荒らげる。
「おい!」
「……はい?」
「俺の記憶が正しければ、その部屋は誰も予約していない。お前、誰だ?」
男──ジョンの怒号に肩を跳ねさせた少女はそう問われると、一拍間を置いてから、あまりにも不自然なほど
「実は予約したのはつい昨日で──」
「このビルでパーティーがある時の宿泊予約は当日の二日前に終わる。昨日は無理だぞ」
「────」
扉を開けたままの姿勢で顔だけをジョンに向ける少女は、微笑を固めた表情で彼を見る。
「きっとお兄さんの記憶違いですよ」
「そうか。……かもな。だといいが」
「ですよー」
ふふふ、と笑う少女の和やかさに、ジョンは一瞬絆されそうになる。しかしこれだけはと、最後の確認として念のためにと口を開く。
「変なことを聞いて悪かったな。ああそうだ、変なことついでにもうひとつ質問いいか」
「なんですか?」
「
ジョンの言葉に、少女は目を見開き、左右に揺らし、冷静に返そうとして、彼が着ているコートの裏にある僅かな膨らみを見て──
「っ」
「……ちっ」
少女は開けた505号室に逃げるように入った。ジョンはそのままコートの裏から拳銃を抜こうとして、監視カメラの存在を思い出して踏み留まり、自然に506号室の扉を閉めて少女を追う。
「協力者がもう一人来るって聞いてたのにガキが居るからもしやと思ってカマかけたらリコリス本人とか、最悪じゃねえか……!」
『直近の映像を消して誰も映ってない部分をループさせといた、銃抜いていいぞ』
ジョンは何度目かの舌打ちを隠さずに、苛立たしげにナッツクラッカーに問う。
「おいナッツ、ここにリコリスが来てるってことは、今回の依頼の協力者とやらはあいつに消されてるってことでいいんだよな?」
『だろうな。
「どっから嗅ぎ付けたんだか」
つい先程まで普通に話していた少女が
『にしてもジョン。お前、もしあのリコリスが「リコリス? なんですかそれ?」とか言ってとぼけたらどうするつもりだったんだよ』
「そう返されないように、疑いの目を向けたりして平静さを崩すように問い詰めたんだ。それに向こうも恐らく、俺がカタギの人間じゃないことは一目で見抜いてた」
『案外、今回の仲間がリコリスだったりして』
「鉄砲玉が人間と組むわけないだろ。何回依頼先であのガキ共に襲われたと思ってんだ」
という裏の人間の
「……しかし、白い制服のリコリスには嫌ってほど行く先々で銃をぶっ放されたが……」
『赤い制服のリコリスなんているんだな。ついでに三色増やすか?』
「最悪の冗談はやめろ」
まるでちょっとした狭いアパート並の広さをした室内を慎重に歩くジョンは、不意に気配を感じ取り、部屋の隅に置かれた化粧台に視線を向ける。引き金に指を置いて、弓を引き絞るが如く徐々に力を加えて行き──刹那、影が飛び出す。
赤い影──否、
「──!」
少女が居た場所をなぞるようにして壁に着弾し、赤い煙を立てる光景を尻目に、少女は中腰のまま隣の寝室に逃げ込んだ。
「ちっ」
それを追いかけたジョンが少女の背中を狙うが、少女はそのままベッドを跳び箱のように飛び越えて、ついでとばかりに片手で掛け布団を捲り上げる。反射的に2発発砲するも、サイレンサーで速度が減衰した
──その直後、ガタンと音が鳴り、ジョンの意識がそちらに逸れる。
壁に投げ付けられていた鞄が床に落ちたのを見て、慌てて元の方向に顔を向けるが遅く、ベッドを足場にした少女の膝蹴りが腹にめり込む。
「お、ぐっ」
たたらを踏んで後退り、思わず片膝を突くジョン。そんな彼の額に、鞄から引き抜いていた拳銃──デトニクスコンバットマスターの先端に取り付けたサイレンサーを押し付けると、少女は躊躇いなく引き金に添えた指の力を入れる。
「──シィッ!」
ジョンは咄嗟に頭突きでサイレンサーを叩いて横に逸らし、額への着弾を防ぐ。
耳の真横でパシュッと炭酸が抜けるような間抜けな音が響き、インカムの向こうでナッツクラッカーが『うおっ』と驚いた。
ジョンが返す刀で銃口を向けて1発撃つ頃には少女は射線上から逃れ、5発目が壁に当たった。立ち上がった彼の後ろに回り込んで背中にデトニクスを向ける少女が発砲する前に、ジョンは横に飛び退くようにして2発をなんとか避ける。
「ク、ソ、ガ、キ……っ!」
「…………!」
避けられることを前提としつつ振り向きざまに6、7発目を撃ち、想定通りに避けられながらも肉薄し、互いに胸元で祈るような手の形を作り、拳銃を斜めに構えて発砲。
「────ぇっ」
──しかしジョンもまた、少女の
「くっ……」
少女は僅かに余裕そうだった表情を崩し、続けて発砲。だが肘で銃口を逸らされ、ジョンはグロック30をお返しとばかりに向ける。
それに対して少女も同じように、体を射線の反対に反らしながら銃口を自身の拳銃の銃身で横に向けさせて着弾を防いだ。
もはや拳銃での鍔迫り合いであり、少しでも当たると判断されれば発砲され、それを銃身を銃身で押し退けることで防ぐことを繰り返す。
パス、パシュッ、と間抜けな銃声が寝室に数回響き、脇腹や肩を掠めて壁やベッドに着弾。その直後に──少女の拳銃のスライドが下がったまま戻らなくなっていた。
「っ」
グロック30の装填出来る弾薬は10発だが、デトニクスコンバットマスターは6発。
ジョンの手の中にあるグロックにはまだ1発残っているにも関わらず、少女の方は、一手早く弾切れを起こしてしまっていた。
「安心しろ、死ぬほど痛いが死にはしない」
「────」
ピクリと眉を潜めた少女は、とどめを刺すべく引き金に力を入れたジョンの顔を見上げる。
その表情は「やっぱり」とでも言いたそうに柔らかく、それから妙案を思い付いたかのようにニヤリと笑みを浮かべると、刹那の内にジョンの手元に片手を滑り込ませて、ガチリとスライドを思い切り引いた。
「は?」
思わずすっとんきょうな声を出したジョンの視界に映るのは、
「──ちぃっ……!」
その行動の真意を理解して、ジョンは拳銃を足元に捨てるように手放してから、流れで空中を舞う弾薬をパシッと手の甲で叩く。
くるくると回りながら天井へと飛んで行く弾薬から少女に視線を戻し、もはや女子供だからと手加減できる場面ではないと、握り拳を作って殴りかかる構えを取るが──少女は同時にジョンへと飛びかかる。
「なんっ──うお!?」
膝を足場にして垂直に
フランケンシュタイナーを思わせる投げ技で床にドン! と背中から叩きつけると、マウントを取ったまま、少女はデトニクスのチャンバーに直接弾薬を捩じ込んでスライドの位置を戻す。
「ぐぉ、っ……!」
──それから少女がデトニクスの銃口を改めて突きつけるのと、左手首をスナップさせて袖の中から小型の銃を取り出したジョンが
「……はあ、はぁ……」
「──ちっ」
呼吸を整えながらも、少女はジョンを見下ろしながらデトニクスを握る手の力は緩めない。
腰に横合いから押し当てられた
「私以外で非殺傷弾を使ってる人、初めて見たかも。お兄さん……何者?」
「俺もリコリスのクセに非殺傷弾を使ってる奴は初めて見たな」
「……じゃあ、私に押し付けてる奴は?」
「こっちは実弾だ。殺しはしないが──脊髄に当てれば足を奪えるぞ」
少女とジョンは顔を見合わせ、室内に緊張が走る。一拍置いて苛立たしげに口を開くジョンに、少女もまた言葉を返した。
「……ったく、協力者は居ないしよりにもよってリコリスは現れるし、今日は散々だ」
「む。私だって仕事仲間が居るって言うからとりあえず滑り込みでなんとか予約できた部屋に行こうとしたのに、なんかお兄さんには疑われるしで、散々なんだけど?」
「──あ?」
「──ん?」
二人は銃を押し付け合いながら、互いの言葉に疑問を持つ。こうしてみると、何かがおかしい──と、それぞれの言葉の意味を探る。
そうして、ふと、ジョンはナッツクラッカーの冗談めかした発言を思い出す。
『案外、今回の仲間がリコリスだったりして』
……まさかな。と小声で呟いて、ジョンはとりあえずと、確認のために問いかけた。
「おい、一度しか聞かねえぞ」
「ん?」
「──『真上に撃った銃弾は』?」
「はい???」
唐突に謎の質問をされ、少女はすっとんきょうな声を上げる。
問いかけの答えを待つジョンにサイレンサーの先端を突きつけたまま、少女はその意図を探ろうとし──ふと、ビルに来る数日前、仕事を依頼してきた老人に、仲間同士でのみ伝わるようにと合言葉を伝えられていたことを想起した。
「えっと……『明日の自分に落ちる』?」
「────」
こう聞かれたら、こう返せ。常々そう言われてきたジョンは、自分を押し倒しマウントを取っている少女を見上げて、重いため息をつく。
「よりにもよってお前かよ……」
「……まさか、貴方が──!?」
「そういうことだ。あの野郎……協力者がリコリスだと分かっててなにも言わなかったな」
呟くようにしてだらりと左手を下ろし、デリンジャーを床に落とすジョン。
それから仕方ないとばかりに、唯一自由に動かせるその左手を再度持ち上げて、少女の持つ銃に当たらないように伸ばす。
「俺は
「────マジで?」
「マジマジ」
気だるげに言うジョンの手は、口角をひくつかせてぎこちなく笑みを作る少女の左手に握り返される。少女──錦木千束は、とんでもない事態に巻き込まれたのではないかと悟っていた。
次→来週