アーティスト:ポルノグラフィティ
作詞:アキヒト
作曲:シラタマ
拙作「ミュージック・アワー ~3年8ヶ月~」は、上記の作品をモチーフとして書き上げております。
名曲「サウダージ」のカップリング曲でありながら、それ以上の世界観を持った素晴らしい作品ですので
ぜひ一度お聴きいただけると古いファンとして嬉しく思います。
また拙作では、レースを駆けるウマ娘は本来の氏名とは別に競争者名を掲げるものとしています。
それこそがナイスネイチャやトウカイテイオーといった名となるわけですが、この名を降ろすことはレース会からの身を引くことを意味しています。
そうして競技から去ったウマ娘達は、ある者は一介の市民として、またある者はURAやトレセン学園職員として我々人間と変わらぬ生活をしています。
そのように考えていただき、お読みいただければ幸いです。
トーカイテイオーが一年ぶりのレース復帰にも関わらず奇跡の優勝を果たした有馬記念から二日後、東京都府中市の日本ウマ娘トレーニングセンター学園にて事件が起きた。
先の有馬記念にて三年連続3着という偉業を達成したウマ娘ナイスネイチャが、栗東寮の居室から突如姿を消した。
事態に気付いた寮生の曰く、部屋に残された私物は悉く整理されていたという。
先週から冬休みに入ったことで帰省を選ぶ生徒もいたが、そのような申請は彼女からは提出されていなかった。
この報せを受けた彼女のトレーナーは、急ぎ教務課室へと駆け込んだ。
状況からして事件に巻き込まれた可能性は低いと考えられたが、それでも仔細を明らかにしなければならないからだ。
「おはよう、君もやはり教務課へと来たな。今回の事、私も理事長職に就いて以来初めてのケースだぞ。」
同じように駆けつけたのであろう、本学の理事長 秋川やよいが教務課にて彼を出迎えた。
「おはようございます、理事長。何が起きたのか既にご承知という口ぶりのようですが。」
「うむ、我が愛しの生徒諸君には出来る限り目を配って回っているからな。」
「指導員の私の方が遅くなってしまい申し訳ありません。今朝ほど私が指導担当のウマ娘、ナイスネイチャが、栗東寮から居なくなったと連絡がありまして此方に参りました。」
「凡その事態は把握している。これまでも脱走の如く寮生が抜け出したり無断外泊をしてしまうケースは幾度かあったが、そのような問題を起こすのは決まって素行に問題があるか、競走成績の振るわないか…つまり何らかフラストレーションを抱えてしまった者達だった。
しかし、彼女ほどの傑物が逐電してしまうというのは、少なくとも私は聞いたことがない。」
そう答えた秋川の言葉は生徒を案じる教育者のそれであったが、どこか由有り気なものを感じさせる表情だった。
「質問!彼女は先の有馬記念にも出走していたはずだが、今回で何度目の出走だったかな?」
「三年連続、三回目ですね。」
理事長と前置きして、隣に控えていた補佐役の駿川たづなが言い添えた。
「三度続けての出走、何れも3着という大偉業でした。」
「そのとおり、素晴らしい戦績だ。年の瀬のウイニングライブに三度続けて上がるなど、並大抵のウマ娘には成し得ない大記録である。」
グランプリレースほどの大レースとなれば、学園関係者はもちろんURAの重鎮も臨席する大舞台だ。
トレセン学園理事長たる秋川が先のレースの結果を知らないはずはなかったが、駿川と共に含みのある言い方で確認した。
「理事長、たずなさん。仰るように彼女の、ナイスネイチャの戦績はURA始まって以来の快挙。テレビや新聞でも、トーカイテイオーらに引けを取ることなく称賛を得ています。それほどの実力者がどうしてこんな、私にも寮生らにも何も言わずに姿を消したのかが分かりません。
状況的に何か犯罪に巻き込まれた可能性は低そうですが、携帯もご実家の連絡先にも電話が繋がらないため事実確認すらままなりません。ですので教務課に何か届けは出てないだろうがと思ったのですが、何かご存じではないでしょうか?」
「肯定。まさに讃えられるべき偉業である。故に、なぜ身をくらませる必要があるのか見当がつかないのだろう?…実は、教務課のポストに彼女の名で封書が投函されていた。教務課担当者宛としか記されていなかったので、僭越だが先に内容を確認させてもらった。」
そう告げられて渡された三つ折の上質紙は、本学エンブレムが透かし刷りされた学校指定書式だった。
退学届。
一身上の理由によりとだけ記されたそれには、本日12月28日の日付と彼女の署名…ナイスネイチャという競技者名ではなく、浦河優子と本名で認められていた。
「筆跡からしてナイスネイチャさんの自筆に間違いなさそうです。何らか思うところがあって、これを書いたのだろうと推測します。まして学内書式をご自身の氏名で出されるなんて、余程の考えでないと…」
呆然とするトレーナーに駿川が言った。
「見過ごせないと言ったのは正にそこ。知っての通り、ウマ娘が競技者としての名を降ろすとは、即ちレースの世界との決別を意味する。燦然たる戦績を誇るウマ娘が、人知れずその名を捨てて学園を去ろうなどと、このような事例は過去に例がない。
…しかしな、真に競技に駆けた者であればこそ、半端な思いで名を降ろすことなど出来やしない。同時に、これも若さ故の早まった考えではないかと思う。そこでこの書面は私の判断で受理を保留し、ナイス…いや、この件では浦河女史と呼ぶべきか。
とにかく、彼女には学園としての正式回答はしないこととした。またそれ故に…君が本件のために彼女にコンタクトを取ることを禁ずる。彼女が自分の意思のみで連絡を寄越してきたのちに、この届け出の処理を進めるものとする。」
追い討ちをかけるように、予想もしない内容が秋川から告げられた。
「何故です!?これだけの大記録を成し遂げた彼女がなぜ黙って去ろうとするのか、ただ成り行きを見ていろと言うのですか!?」
「そうだ。」
「理事長のご判断です。そして私も補佐役として、同様の対応を提言しました。」
「納得できません!今からでも直談判に」
「命令!…いま言ったはずだぞ。今は彼女にコンタクトするなと。」
間髪を入れずに秋川は彼を一喝した。その小さな体躯に似つかわしくない声量に、教務課室の時が止まったように思えた。
「長年トレーナーとして傍で支えてきた君の気持ちは十分理解できる。ましてや、彼女ほどの実力者が何も言わずに辞めようというのは、無念にも勝ち上がれず学園を去るのと全く別次元のことだとも。しかしな、彼女が真の強者だからこそ、そして私たちの立場だからこそ、浦河女史の気持ちが痛いほどに解るんだよ。」
「そんな…頭ごなしに言われても理解ができません。何もするなと言うことなのですか。」
「残念ですが、今はトレーナーの貴方であっても、何もできる事はないと思います。」
「しかし!」
「ここから先は駆け事、真の競技者たるウマ娘だけが立ち入れる聖域だ。共に歩むべき指導員であっても、彼女のそれに踏み込むことは許さん。」
「っ…!」
「…今は、
「競技者としての名を捨てようというほどの思いなのです。冷たい言い方になって申し訳ありませんが、どういう結果にしろ浦河さんからご連絡があるまでは、そっとしておいてあげて頂けませんか?」
憤怒とも怨嗟ともつかぬ表情を彼は浮かべたが、何一つ言い返すことができなかった。
この瞬間、彼の眼前に居たのはノーザンテーストとトキノミノル…一世を風靡した偉大な競技者として発せられた言葉には、それだけの説得力と異を認めぬ圧力が同居していた。
「彼女には幸い足がある。君もこれまでの歩みを振り返ってみると良い。」
そう言い渡すと二人は引き戸を開け放って立ち去っていった。
ただ立ち尽くすしかなかった彼も周囲の目線に居たたまれなくなり、とぼとぼと教務課を後にした。
カラカラと閉じられた引き戸が、最後にパタと小さく響いた。
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思考の纏まらぬまま、然りとてナイスネイチャと連絡を取ることも出来ない彼は、学園内を方々歩き回って結局は自分達の指導員室に辿り着いた。
扉はまだ施錠されたまま、やはりナイスネイチャが訪れた様子は無かった。
寒さで冷たくなってしまった指先で、カチャカチャと鍵穴を探った。
引き戸を開けると廊下よりも少し暖かい空気に混じって、シナモンとオレンジをキーにした香りが漂ってきた。クリスマスに合わせて彼女が選んできたルームフレグランスだ。
「Alex、おはよう。」
普段に倣いスマートスピーカーに呼び掛けると、連動して照明が点った。
続けてラジオアプリが立ち上がると、がらんとした指導員室に幾らかの彩りを添えてくれた。
置き手紙でも無いものかと思ったが、特に変わったところは見当たらない。
これまで歩き詰めだった事を思い出した彼は、デスクに腰掛けてレース後からの様子を辿っていった。
大舞台の翌日ということもあって、昨日は午前中にワイドショーの生放送、午後はトウカイテイオー、ビワハヤヒデらと共にスポーツ紙の合同取材と慌ただしい一日であった。
彼自身も共に付いて回っていたのだが、相手方への挨拶や移動手段の手配など専らマネージャー的な仕事に徹していたため、交わした言葉はそれ程多くなかった。
それでも、何か思い詰めているような素振りは感じられなかったし、何れの場でも堂々とした歴戦のアスリートたる受け答えであったと記憶している。
レース後のウイニングライブも、最高の出来映えであったことは言うまでもなかった。
(一体何がどうなってるんだ…なぜあの娘がやめる必要がある…)
何か手掛かりが掴めれば良いのだが…と、彼の目線が指導員室を駆け巡っていった。
ホワイトボードに書いたメモ、鳴尾記念の優勝レイ、窓辺に提げた千羽鶴、追い切り走行の記録、折り紙のトロフィー。
それだけじゃない。この部屋に残された全ての物に彼女の思いが宿っていて、そして同時に、変わることなく在り続けていた。
有馬記念の前夜から凍りついてしまったこの部屋で、ただラジオの音声だけが時の流れを感じさせた。
《…リスナーの皆様いかがでしたでしょうか。ポルノグラフィティ51作目のシングルリリースを記念して始まったこの企画「ミュージック・アワー」。なんの捻りもない直球勝負のタイトルなんですが、メジャーデビューから22年を振り返って改めて彼らの名曲を発掘しようという…》
「振り返り、ね…」
秋川の言葉に従うようにあれこれ考えを巡らせてはいるが、未だ答えは得られていない。
纏まらない思考の片隅に、51作目という数字だけが残った。自分達に置き換えれば出走回数といったところだろうか。
そう思うなり座面を立つと、ガラス越しに折り紙のトロフィーが飾られた書類棚を開けた。
「こんなに走ってきたのにな…」
小倉記念、菊花賞、一度目の有馬記念…恥ずかしくも彼女が宝物と言ってくれた作品たちを、一つ一つ見返していった。
(これまでずっと一緒に走ってきて、あの娘が何を思ってきていたのか、未だ僕には理解してあげられなかったのだろうか…)
そして16個目。三回目の有馬記念を祝したトロフィーに手を掛けた瞬間、彼はハッと息を飲んだ。
このトロフィーを贈ったのはウイニングライブ閉幕後の控え室だ。その後は現在まで指導員室に来る機会はなかった。
行動を共にしていたナイスネイチャも同様だ。にも関わらず、ここにトロフィーはある。
彼女が学園を去ってしまう直前に、ここを訪れていた証拠だった。
「まさか!」
少しくたびれたトロフィーの折り目を開くと、裏側に小さな文字が連ねられていた。
トレーナーさんへと書き出されたそれは、彼に宛てられたメッセージだった。
「トレーナーさんへ。何も言えないまま辞めてしまうこと、本当にごめんなさい。どうしても最後は貴方に会いたくなくて、けど伝えたい事は沢山あって、とにかく、このもやもやした思いをトロフィーと一緒に置いていくことにしました。
これを読んでくれるのがいつになるのか分からないけれど、私からの告白だと思って読んでほしい。」
どうして手紙なんかで…ナイスネイチャの真意は測りかねたが、読まない訳にはいかなかった。
「私はね、悔しかった。今回こそ勝ちたかった、やれるはずだった、やっと掴めると思ってた。だけど、勝てなかった。テイオーの復活と優勝は素直に嬉しかったけど、本当は堪らなく辛かった。どうして私は毎度、あと一歩が届かないのか。何が足りなかったんだろうか。何をすれば良かったんだろうかって、ゴール板を過ぎた時からずっと考えてた。
トレーナーさんを責めたいんじゃないよ。怪我で半年休んだ時、良いリハビリの仕方を教えてくれたから、休み明けでも複勝圏内に入り続けられた。負担の少ないフォームを考えてくれたから、連戦しても怪我しなかった。そうして貴方が支えてくれたおかげで、今年は2つも重賞に勝った。今の勢いなら、三度目の正直でグランプリを取れると思ってた。
でもね、やっぱり手が届かなかった。有馬だけじゃない。天皇賞も、マイルチャンピオンシップも、ジャパンカップも、結局G1だけはずっと残念賞だった。」
小倉記念で重賞初勝利を挙げた後、初めて折り紙のトロフィーを贈った時の会話を思い出していた。
(君の自信に繋げたくて…)
などと言った自分に満更でもない様子で、
(そこまで言うなら貰ってあげましょう)
と小生意気に応えてくれたのが始まりだった。
子ども騙しも甚だしい、稚拙なアイデアだったかも知れない。
それでもあの日を境に、自身を卑下するよう態度は少なくなったのは間違いない。
以後現在まで続いた二人だけ表彰式は、勝っても負けてもその思いを素直に受け止められるよう彼女の成長の糧になっていたと、これまで彼はそう思っていた。
現実は、ナイスネイチャ本人も気づかないほどの小さな感情の淀みが、重なりあって巨大な渦となり、とうとう彼女自身を呑み込んでしまったのだった。
「グランプリに三年連続出場、そして三年連続3着。多くのウマ娘達の中で、私がどれだけ恵まれているか分かっているし、これだって大事な記録だって理解してる。
だけど、私が本当に欲しかったのは、こんなものじゃなかった。今度こそ私が勝者だって胸を張って言いたかった。今度こそ貴方のトロフィーを、ありがとうという気持ちだけで受け取りたかった。」
涙が溢れて視界が曇った。
なぜ彼女の苦悩に気が付けなかったのか。どうして自身に打ち明けてくれなかったのか。
彼女の自尊心を支えるつもりが、ただジワジワと枯らしたに過ぎなかったのではないか。
敢闘を称えるよりも、ただ悔しさに寄り添うほうが良かったのではないか。
そうした後悔と、年端もいかぬ少女になんと大きなものを背負わせていたのかという罪悪感が、彼をもまた呑み込んでいった。
「何も考えることなく、ただおめでとうって褒められて、キラキラした主人公になりたかった。でも三回目の有馬でも、私の願いは救われなくて、神様はなんて残酷なんだと思うと、もう走れない。貴方にも何と言えばいいのか、分からない。
一緒に走ってきて3年以上、無駄だったなんて思わないし言いたくない。だけどこんな悔しさが、また何処かであふれてしまうぐらいなら、もう全部捨ててしまいたいって思った。だからこのトロフィーも、今までの何もかも、ここに置いて帰ることに決めたんだ。自分勝手で本当にごめんなさい。
最後に、こんな私のトレーナーさんになってくれたこと、心の底から感謝してる。ありがとう、楽しかったよ。
そして、大好きでした。
浦河優子」
誰よりも栄光に焦がれ、誰よりも勝利を渇望した者の独白と、別れの言葉だった。
残されたトレーナーの慟哭が、ラジオ番組から流れる音楽と交差していた。
偶然か、勝利の女神の悪戯か。
「冷たい手―3年8ヶ月―」
本日は12月28日。彼らが指導契約を結んでから、奇しくも曲名と同じ月日が経とうとしていた。