アーティスト:ポルノグラフィティ
作詞:アキヒト
作曲:シラタマ
JASRAC管理番号:079-0808-3
拙作のネイチャは、アプリ版の同級生や先輩後輩との絡み方から、トレーナーとの契約は中等部3年で結んだものと考えて設定しています。
そこを起点に話を書きましたので、もしかすると読者様のネイチャより年上になってるかも知れません。
先の有馬記念にて三年連続3着の偉業を成し遂げたウマ娘が、突如として行方を眩ました。
その事実にトレセン学園が俄に騒動に沸き始めた頃、騒ぎの火元であるナイスネイチャは相模湖畔に居た。
正確には、相模湖に沿って走るJR中央本線の車窓から所在なさげに外を眺めていた。
トレードマークのツインテールはバレッタで一つに纏められ、黒のロングコートにレザー調のトラベルバッグという出で立ちが、その所作を一際大人びたものにしていた。
早朝に栗東寮を抜け出した彼女は指導員室へ立ち寄った後、最寄りの府中本町駅から高尾方面の電車に乗車していた。
夢は覚めた。もうすぐ19歳になる。幸い幾らかの財も成すことが出来た。あとは母と、手の届く範囲で幸せを享受できればそれで良い。
中山のゴール板を駆け抜けて以来の自問自答の末、全てを置き去りにして帰ろうと決めた彼女は、在所の山梨県甲府市へと向かっていたのであった。
古い住宅と林の合間を、時おり極短いトンネルを潜り抜けながら電車は走っている。
ほぼ変わることなく繰り返される風景はお世辞にも面白味があるとは言い難く、彼女の心情に訴えかけるような何かがある筈も無かったが、
(あと一時間ちょっとで着くか)
と時間感覚を呼び戻す切っ掛けにはなっていた。
積み重ねてきたトレーニングの内容、当日のレース展開、次走の予定、将来の展望、トレーナーとの契約。
あらゆる事が頭の中を駆け巡り、レース後からほとんど睡眠を取れていなかった。少し赤く腫れぼったい瞼が、ファンデーションではいよいよ隠しきれなくなっていた。
それでも、目を閉じて真っ暗な中でグルグルと思考を巡らしてしまうぐらいなら、こうして無為に過ごしている方が幾らかでもましだった。
《次は、東山梨。東山梨です。お出口は左側…》
車内アナウンスに気がつくとトンネルと林ばかりの風景は過ぎ去って、甲府盆地の平野が視界に広がっていた。
雪の降った様子はないが、枯れ葉も落ちきった果樹園の遠景が、この町の寒さを思い起こさせた。
「…何もないし、いいか。」
思い立つなり荷物を纏めると、さらに一駅過ぎた山梨市駅で降車して、改札を抜けた。
車窓から故郷を眺めた瞬間、もう少し眺めていたいと思い立ったからだった。
もしかしたら、いまだ残るモヤモヤとした感情をどうにかしたかったのかも知れない。
─ 友の汽車われらの汽車と窓ならび暮れたる山に伝ふ別れかな
駅前の石碑に詠まれた歌が、何故だか妙に頭に残った。
JR山梨市駅から小一時間歩いたところに笛吹川フルーツ公園はあった。
最近アニメやドラマの舞台になったことで注目を集めていたが、彼女にとっては遠足やピクニックで馴染みが深い場所であった。
久しく訪れていなかったが、ガラス張りの大きなドーム型の建物を背にして半円形の展望広場があったはずだ。小学校の遠足では広場に友達とシートを並べ、心地のよいお日様の下でサンドイッチを食んだことを思い出した。
園内を少しばかり歩いて回ると、ガラスのドームと展望広場は当時の記憶と変わらずにそこにあった
ドーム内に設けられた、ちょっとした郷土資料館を眺めたあと、カフェスタンドで買ったシナモンたっぷりのホットチャイを片手に広場へ戻ると、そこから甲府盆地を一望できた。
大晦日も目前に迫った平日に訪れる客は彼女以外に居らず、聴こえてくるのは冬鳥の囀りと森の靡く音だけだ。
眼前には薄く雲のかかった空と、葉を散らした木々の茶色が、穏やかなコントラストを見せている。
ただ、そんな故郷の景色に寂しさを感じるのは単にこの寒空のせいなのか、それとも己の心境がそうさせるのか、それ以上を考える気にはなれなかった。
飲み物が冷めてしまった頃には、時計は12時を回ろうとしていた。
そろそろ家に向かおうかと考えた時に、駅前の石碑の歌を思い出した。
思い出は美しいまま捨て去って、新しい道を歩いていこう。そう思っていた筈だったが、奥底に残ってしまった惜別の情を暴かれてしまったように思えて、あの歌の前に戻ることが躊躇われてしまった。
仕方なく、スマートフォンの配車アプリでタクシーを呼び付けて自宅へ向かうことにした。
駅前に待機車両があったらしく、10分も経たずにやって来るらしい。
残っていたチャイを飲み干し、空ゴミを捨てたりと支度を整えたところで、ちょうどタクシーが駐車場に入ってきた。
「ご苦労様です。甲府駅の南口側までお願いできますか?」」
と後席に乗り込みながら運転手に伝えた。
運転手は恐らく還暦をとうに超えていそうで、柔和な面立ちと違わぬ朗らかなトーンではいと返してきたが、直後、
「お客さん、もしかして優子ちゃんけ?美幸さんとこの?」
と呼び掛けてきた。母の名が出るどころか、競技者名ではなく下の名で呼ばれるなど最近は滅多になかったので大変驚かされた。
「えっ、どちら様で!?お母さんとこのお客さんですか?」
「ってー、やっぱり優子ちゃんけ!ほうよ、美幸さんのお店に入り浸っとるおじさんよ。覚えちゃないかも知れんけんど、仲間でよっちゃばって飲みに行った時にビール出してくれたりお母さんを手んだっとったもんね。えらい賢い娘っ子が居るじゃんねえって、よう覚えとるよ。」
曲がりくねった道をゆったりと車を走らせながら、運転手は思い出話を語ってくれた。
確かに、トレセン学園へ入学するまでは暇潰しに母の店に度々顔を出していたし、給仕の真似事などもしたことがあった。
行けばお客さん達からチーママだと可愛がられたし、たまにお菓子を褒美に貰えたりしたことをよく覚えている。
さすがに相手の顔までは覚えていなかったが、言葉を交わした中で感じ取った雰囲気から、あの時お相手をした中の一人であったことは察しがついた。
「トレセン学園行ってレースん出るって聞いた時は、おんら飲み仲間もえらい誇らしかったもんね。おんらの優子ちゃんが、甲州代表のナイスネイチャになったずらって。ほんに美人さんになって…有馬記念も終わって、美幸さんとこに顔出しに来たんけ?」
「…そうだね、帰ってきたよ。」
「ほうけ。…そいじゃ、安全運転で走るっちゃ。」
その言葉のとおり、都内のドライバーと違って緩やかな操作で車は山道を下っていった。
体が左右に振られたり前後に揺さぶられるすることなく、水が流れるように滑らかな走り方だった。
窓の外に見える林は、枯れ枝の茶色以外にも黄色や赤色など展望広場からの景色よりもっと多彩な姿を見せている。
それに、先の有馬記念に何の関係もない、けれど縁のある誰かと全うに話しをしたのは、レース後から数えるとこれが初めてだった。
故郷の情景に、小気味良い車の振動、気を張らずに人と会話ができた解放感が、久々の睡眠を彼女にもたらしてくれた。
「ほれ、優子ちゃん。甲府ん着いたぞ。」
「…ぁあ、すみません。おもいっきり寝てたようで。甲府ですよね。」
運転手の声で目を覚ますと、そこは甲府駅から少し離れた中央商店街だった。それも母が商っている小さなバーから幾らも離れていない、むしろ店に入っていく路地の目の前だ。
料金メーターに付いた時計は14時を回ってしまっている。気付かないうちにかなり寝入り込んでしまったようだった。
そんな状況を全く気にも掛けない様子の運転手は、わざわざ車を降りて後席のドアを開け声を掛けてくれていた。
「ほでさら疲れとったんだろな、すぐ寝ちゃったじゃん。あんましすぐに起こすのもかえぇそうって、ドライブじゃあ思って暫く走っとった。」
「いやだからってこんな長いこと…それにここお店の側だし…。ごめんなさい、お金お幾らですか?」
「ドライブって言ったじゃん、今日はえぇや。レースお疲れ様って、ういからのご褒美と思っとけし。それに、ここん連れてきたんはういのお節介だもん。今の優子ちゃん、ただ疲れとるだけっちゃねえずら?あにょうかしたのか分からんけど、美幸さん、お母さんに相談ぶってみな。ぼちぼち店の支度始めとるはずっちゃあ。こんな時ゃ大人ん頼って、な?」
そう満面の笑顔で言うと、運転手はほれと降りるよう促した。断るほうが却って失礼なムードに、彼女も従うことにした。
深く礼をしてタクシーが走り去るのを見届けた後、母の店のある路地へと向き直った。
春日アベニューと名付けられたその通りは甲府市内随一の飲食店街で、流行りの居酒屋チェーンから昔ながらの居酒屋、オーセンティックなバーまで様々な店が軒を並べている。
通りのちょうど中間地点から西側にアーケード付きの商店街が延びていて、母の美幸が商う「Barチューリップ」は商店街の入り口に程近いビルに入居していた。
そこはバーとは言ったものの感覚的にはほぼスナックで、「地元のおいちゃん」達に古くから愛された老舗を美幸が引き継ぐ形で営業していた。
引き継ぎ以前の馴染みに加えて、気立ての良いウマ娘がカウンターに立つ店として商店街の常連客で話題になって以降、満席にはならないが常に誰かが席に着いている飲食店としては理想的な経営を続けていた。
田舎街ならではの「早退け早呑み」がそこそこにあるため、夕方17時に店を開けるのが常だった。そのため、運転手の言っていたように大抵15時頃には準備を始めているはずだった。
古い木製の扉の前に立つと、俄に低音がトントンと聴こえてきた。有線がかかっているということは、母は既に店に居るということだ。
慣れ親しんだ感覚だったが、何も告げずに黙って帰ってきたことに何と言われるか、もしかして運転手さんから先に聞いてたりするんじゃないかなどと考えると、却って不安を煽られるように聴こえた。
悪事を働いたわけではないと言えども気後れしてしまうのを、意を決して扉を開けた。
「どうもー、娘の優子が帰ってきま…」
「はい、ナイスネイチャさんいらっしゃいませ。」
まさかとは思っていたが、悪い予感が的中した。その途端、とてつもない気恥ずかしさが彼女を襲った。
「馬場さん、あんたが乗ってたタクシーの。あの人からさっき電話が掛かってきて、いま優子ちゃんを近くで下ろしたとか言うからビックリしたゃった。ただの帰省にしちゃ様子が変だから話聞いてやれとか言うし、何にも連絡しないで帰って来てるから心配したんだからね。
まぁ、何があったか知らないけど、性根腐りきったような顔にはなってないみたいだし、せっかく店に来たんだから上着と荷物おいて手伝ってちょうだい。忘年会だって珍しく夕方から予約入っちゃって、早めに準備始めてたけどちょうどよかったわ。」
矢継ぎ早に言うなり、てきぱきとカウンター内で準備を始める美幸に、抵抗するのはあまりに分が悪いため大人しく従うことにした。
開店を手伝うときは、彼女の仕事は客席の掃除と決まっていた。
まずはテーブルとカウンターから埃やゴミを払い落とし、床をくまなく箒で掃いて回り、最後にテーブルや調度品を布巾で拭き上げていく。
淡々と掃除を進める彼女も実のところ満更ではなく、むしろこの作業が好きだった。こうして拭き上げるごとにキラキラと店内の輝きが増していくと、まるで自分が童話の魔法使いにでもなったかのように思えたからだ。
「神は細部にこそ宿りたまう」という美幸の哲学に基づき、一人二人で店を回しつつも清潔な店構えにするために編み出されたテクニックは、娘にもしっかりと継承されていた。
話題作りのためであろうか。昨年の有馬記念でのウイニングライブ、初の重賞制覇となった小倉の表彰式、指導契約を交わした時に母と三人で撮った写真、そして入学式に正門を背景にした記念撮影と、節目ごとに納めた写真の幾つかが、カウンターから見て真正面の壁際に飾られている。
それら写真立ても拭き上げて店内の掃除を終え、店の外側まで綺麗に整えると丁度1時間が経とうとしていた。
店内の美幸も、つまみの小分けや氷の切り分けなど粗方の準備は片付いたようだった。
有線放送から流れるFMラジオがこぎみ良い音楽をかける中、美幸はカウンターの一席を引いて腰掛けるよう促した。
「はー、やっぱり二人で進めると仕事が捗るわ。帰ってきて早々、ありがとね。」
「いいよ、気にしないで。私こそ、何も言わずに帰ってきちゃって、びっくりさせてごめんね。」
「そうね、とりあえず無事に帰ってきたからそこは良いとして。まずは何があったか聞かせてもらいましょっか。だいぶ泣いたんでしょ。目、隠しきれてないわよ。」
「あちゃー…やっぱり、わかっちゃいます?」
「何年あんたの親やってると思ってるのよ、見りゃ分かります。それに私も泣いたら目元が腫れるたちだから、若い頃は隠すの大変だったんだから。さて、それだけ泣いて勝手に帰ってくるってことは、この間の有馬絡みのことかしら?」
美幸のずばり核心を突く問いに、言葉が淀んでしまった。
うっ、と呟いてから何やら口ごもった後、ようやく語り始めることができた。
「うーん…何から言っていいやら…。有馬でまた勝てなくて悔しかったというか、もうしんどくなったというか…あそこに居たくなかったというか…。えっとね…学校、辞めてきちゃった。」
「はぁっ!?辞めたって、退学届出しちゃったの!?」
「そうです…」
「そんな突然…辞めるとして、あんたこの後どうするつもりなの?」
「えっと…いやぁ、とりあえずこっち帰ってきて、梨大でも受けてみようかなあって。すぐ近くだし、学校で受けた模試でも射程圏内だったし…」
「はぁ~…あのね、そもそも願書出してるの?センター試験、いまは呼び方違うんだっけ?梨大ならそっちも要るでしょ?そもそも学校辞めてたら、受験自体できないんじゃないの?」
「えっ…あっ、と…その…。ごめんなさい…。」
呆れ顔で浴びせられた厳しい指摘に、返す言葉もなく謝ることしかできなかった。
ナイスネイチャとしての走りに限界を感じたこと、それを起点に本人なりに煮詰まった末の答えだったとは言えど、浅はかで急いたものであることは否めなかった。
尤も、三度目の挑戦にして三回目の3着、ましてやそれすら話題となり、フラストレーションを発散する間も無くその結果について取材を受けたのだから、事が落ち着いた瞬間にわっと溢れかえってしまうのも無理はなかった。
ラジオの番組から流れた一曲が終わるまでの僅かな時間だが、二人は思案するように沈黙していた。
「呆れた、もう辞めるってことしか頭になくなっちゃったんでしょ。どうしてそうなるかしらね…とにかく、ちょうど冬休みのタイミングだし私のとこにも連絡きてないから、学校を辞める辞めないは後にしましょ。」
「はい…」
「それより、もう走れないのほうが重症かしらね。ホントのところ、三回目の有馬記念ってどういう心持ちだったの?」
「心持ち、かぁ。…そうだね。やっぱり、どんなレースよりも華があって、今年一年の総決算って感じの大レースで。クラシックの後も、怪我から復帰した後も、そして今年も、そんな大舞台で戦えるってのは誇らしかったな。だから、去年一昨年と3着ってあと一歩の所まで行けたのが嬉しいようで悔しくて。今度こそ優勝トロフィーを掴んでやるって、ずっと考えてたんだ。」
用意してくれたコーヒーカップをスプーンで掻き回しながら、有馬記念に掛けていた思いをポツポツと語り始めた。
ただ、置き手紙の最後に、本当の意味での告白まで残してきたことだけは気恥ずかしさで言えなかった。
「それで、ここまで一緒にやってきたトレーナーさんにも申し訳が立たないなって思うと、これ以上走ってもお互いに何も結果を残せないんじゃないかって考え始めちゃって。とにかくそれが悔しいのと辛いのとで、ここに腐るぐらいなら辞めてしまえ!って出てきちゃったんです。」
「なるほどねぇ。立派なもんじゃない。私が走ってた時は、どうにか桜花賞に出られたのが精一杯。それだって後ろから3番目でさ、あとは結局ライブにも立てずに終わっちゃった。見てくれるファンの人もどんどん居なくなっちゃって、ちょうど年末のレースでひっそりと引退。その後は転校して女子高生らしく過ごして、そしてご覧のとおりってわけ。」
これまでも美幸の現役時代について触れる機会が無くはなかったが、改まって生々しい話を聞くのは始めてだった。
自身が三度挑んだグランプリレースという栄光の影には、彼女と同じくスポットを浴びる機会すら与えられないウマ娘達が数多いたことを今更だが身近に感じた瞬間だった。
「この店の名前ね、チューリップって、私が最後に勝ったチューリップ賞から貰って着けたの。グレードが付くような大きなレースじゃないけど、私の中で誇りだった。いつまでしがみついてるんだって言われちゃうかも知れないけど、ね。それからしたら、しっかり重賞も勝って、グランプリで3回もライブに立った優子は、名前のとおりに優れた資質を示してきてきれたって思っちゃうな。ちょっと親ばかが過ぎるかしら?」
「あはは…さすがにちょっとむず痒いかも…そういえば、お母さんはどうして競技者名を名乗らずにいたの?私の回りだと聞かない話だし。」
「私の母さん、おばあちゃんからはね、ダンスが上手いんだからナイスダンサーなんてどうだ色々言われてたんだけどねぇ。でも私は、どうあろうと浦河美幸でありたいって、自分ののまま走りたいって思ったから、本名で登録しちゃったのよ。」
本名のまま走るウマ娘も稀に居ないでもないが、中央の選手としては少ないケースだ。
それでもなおウラカワミユキとして走る事を選んだ心情を聞くのは始めてだったし、思うままに走りたいという理由が、今の彼女にはとても眩しく思えた。
「自分であるために、か…。」
小さく呟いて、少し考え込んだ。昨晩までは学園から去ることが自分の持ち得る最適解だと考えてたいたし、その答えに従った結果、こうして母の店でカウンターに腰掛けている。
しかし、こうして母と言葉を交わしたことで、自分の選択が正しかったのかよく分からなくなってきていた。
母の美幸も思うところがあるのか、席を立ってカウンターの中へと入って行った。
各々が思案に更ける中、ただラジオの音声だけは変わらず淡々と時を進めていく。
《…なんの捻りもない直球勝負のタイトルなんですが、メジャーデビューから22年を振り返って改めて彼らの名曲を発掘しようというコーナーも、今週で10回目。本日はポルノグラフィティ最初期の作品にして現在も不動のトップセールスを誇る大ヒット作、サウダージ。から、カップリング曲に注目してみたいと思います。…》
「はぁ。しっくりくる答えはこれしかないか。」
唐突に美幸が口を開いた。
「どうしたの急に、何がしっくりくるって。」
そう答えたものの、内心はざわついていた。またしても悪い予感が当たるのではないか。
「あんた、トレーナーさんに心底惚れてるんでしょ。」
容赦なく図星を突かれ恥ずかしさに目を白黒させるのも構わず、美幸は続けた。
「あれだけ有馬記念に勝つことに執着してるのに妙にスパッと辞めるなんて言い出して、そのくせ最後の辞めた理由がトレーナーさんに申し訳ないだとか、ちょっと不自然と思ったのよ。で、いまラジオでサウダージって聞こえて、ピンときたわ。ホントのところ、ずっと一緒に走ってきたトレーナーさんと、三度目の挑戦も叶わなかった悔しさともどかしさに居づらくなって泣いて出てきちゃった。それを尤もらしい言い訳をするのに辞めてきちゃった。そうでしょ?」
顔から火が出るという慣用句のとおり、顔が真っ赤に染まっていくのが自身でもはっきり分かっていた。
それは親に恋路を探り当てられた恥ずかしさからと同時に、自身の考えの浅はかさを客観視させられた歯がゆさからでもあった。
「お願い…参りましたからそれ以上は言わないで…。」
「言ったでしょ、何年あんたの親やってんのって。まぁ、そこまで思い悩むほどレースにも真剣だったことは分かるし、戦績もそれを証明してる。とにかく、今はちょっと頭を冷やして、学園に戻るか戻らないか、レースを辞めるか辞めないか、冬休みだしよく考えてみなさい。」
親として、鋭くも優しい指摘だった。
「私は掠りもしなかったけど、似たような経験がないと言えば嘘になるし。血は争えないわね。ちょうど良いわ。次の曲、今のあなたにピッタリだから聴いてみなさい。」
と言うと、客のタバコを買ってくるからと美幸は外へ出掛けていってしまった。
ひとり店内に取り残された彼女も、何をするわけにもいかず、美幸の言うことに従うよりなかった。
薦められた曲はロックバラード、簡単なアルペジオのギターリフが耳に残る曲だった
─ 僕ら二人だけで温めたストーリー 3年8ヶ月で幕は降りてしまう
─ もうこれ以上は何も続かない 救われないのなら全て消し去ってしまいたい
3年8ヶ月とは、自分とトレーナーが契約を交わして丁度それぐらいが経つ頃だった。
ハッと息を呑みながら壁際の写真立てを裏返すと「2018. 04. 28 トレーナー契約調印」と裏書きされている。
この曲と同じ年月が過ぎようという日に、もう叶わないならと全てを捨て去ろうとしてしまったのだと気付いた時、彼女の目から再び涙が溢れた。
トレーナーのことを好いていた気持ちは間違いではない。しかしそれだけではなく、母の言うとおり真剣にレースに挑んだことも本当だ。
そしてまたしても壁に阻まれた結果、競技者としての夢に、女としての恋心に突き付けられた絶望感もまた真実だった。
あんな思いをするぐらいなら、全てを置き去りにしてやり直したほうがよっぽど良いはずだった。
けれど、もしかしたら自分は、一時の感情に任せて自分が自分であるための何かまで捨ててしまったのではないか。
そしてそれが、ナイスネイチャとして積み上げたキャリアだったのか、浦河優子としての心だったのか、まだ整理がついていなかった。
「ただいま。どう、良い曲だった…って聞くまでもないわね。」
ドアを開けた美幸が入ってくるなり声をかける。もしかしたら、こうして一人になる時間をくれたのかも知れなかった。
「お母さん、私、どうすればよかったんだろう?私、本当に大事なものまで捨てちゃったんじゃないかな?」
啜り泣くことも泣きわめくこともなく、ただ静かに涙する娘の姿は年相応のようでもあり、却って大人びても見えた。
「まだ若いんだから、どうにでもできるわ。だけどどうすれば良いかはよく考えて、自分で決めてみなさい。大丈夫、女は泣いて強くなるもんよ。」
あと数時間もすれば「3年8ヶ月」が過ぎってしまう、年の瀬のバーカウンター。
母として、女として、そして競技者として語られた優しさが、彼女の心にそっと響いた。
アプリ本編で語られるネイチャの故郷
・母親が旅行で都内まで来る
・商店街があって、小さなバーがある
・下町らしい砕けたパーソナリティ
これらを満たして、かつ田舎過ぎない場所を考えた結果、山梨県甲府市にスポットが当たりました。
何度か夜の商店街も歩きましたが、美味しいお店がコンパクトにまとまっている良い呑屋街です。
もしも甲府を訪れたときに、「もしかしたら美幸さんが居るかも」なんてこの話を思い出して頂けたら嬉しいです。
前章のトレーナー編のほうが湿っぽいのですが、仮にも大人の恋愛観?と未成年のそれが一緒というのも可笑しな話なので、思春期の恋慕を思い出しながら書くのが思った以上に難しかったです。
でも、私の中のネイチャは、こうやって母にアドバイスを請うことで前に進んでいけるような、加湿も除湿も自分でできる女の子であってほしいと思ってます。