ぴりり、と空気の張り詰める音が聞こえるぐらいに、学園内の雰囲気は張り詰めていた。
理由は単純明快。このトレセン学園において選抜レースとは、新入生達にとっては自らの実力を遺憾なく発揮できる最初のレースであると共に、在校生にとっても自らの進路を決める重要な場でもあるからだ。
デビュー前の新星達に目を付けるために、手段を選ばぬトレーナーは数知れず、だからこそこうして早朝にも関わらず、多くのトレーナー達が既に観客席を埋め尽くしていた。
最初の選抜レースから数ヶ月立った今、それでもなお立ち見が目立つのだから、いかにこの選抜レースという催しが重要視されているのかがよく分かるだろう。
「うわー、いっぱいいるねぇ……」
控え室にて待機しながら、ファルコンが感嘆の声をあげる。
当然だが、観客の多くは学園の関係者であり、トレーナー達である。すでに専属契約を行い、二人目の担当を探すもの。チームの新しい風を見つけに来たもの。はたまた、自身の専属を結ぶパートナーに出会いに来たもの。
――そして、未来のライバルの様子を確かめる、すでにデビューし煌めく実績を収めたウマ娘達。
いずれも、このレースを真剣に見定める者達だ。
「はい。皆様注目のレースとなりますから。けれど、これはあくまで前哨戦のようなものですから、本番のレースではさらに多くの方が足を運びますよ」
そう語るフラッシュの言葉には一切の迷いがない。
その堂々とした態度の彼女はそのどれでもなく、本格化を待っているまだ選抜レースには出場しないウマ娘。今回は、ファルコンの応援に来てくれただけだ。
けれど、既にデビューまでのスケジューリングは済んでいるのだろう。だからこそ、落ち着いていられるのだ。
「……あー、ファル子もいつかあんな風にスカウトされるのかなぁ……」
観覧席でトレーナーの隣に佇むウマ娘たちの顔を画面越しに眺めながら、思わず声に出してしまう。
沢山のスカウトの声を貰うスターウマ娘とは違って、ファル子は声の一つもない今の今までおちこぼれウマ娘だけど、それでも。
――夢見ることぐらいは許されるはず。
「……きっと、なれます。ファルコンさんの走りはとても素晴らしいものです。だから……きっと」
「ありがとう、フラッシュさん☆ ……そろそろ出走だ! 行ってくるね!」
分かっている、フラッシュの言葉が気休めであることも。でも、その言葉がすっごく嬉しいことも。だから、せめて笑顔で応えよう。
☆
『さぁ、いよいよ始まりました!! 第5回トレセン学園・選抜レース!』
実況者の声が会場中に響き渡る。
それはまるで、これから行われるレースへの興奮を代弁するかの如く。
選抜レースは賞金もなく、トゥインクルシリーズでもない。けれども学内だけの催しだとしても、実戦に限りなく近づけるためにこうして賑やかなやりとりが放映されている。ここ、控室までも。
「さて、今回の目玉はなんといってもこの二人でしょう!!」
解説の男性が、画面に映し出された二人のウマ娘の映像を差して言う。
「一人はウオッカ。入学前から既に注目を集めていた期待の新入生ですね」
「もう一人も同じく、入学試験では圧倒的な成績を残しています。この二人ではどちらが上になるでしょうか?」
「さすがに今回は一番人気は彼女になりそうだが、やはり注目すべきはもうひとりの方だろうな。この子も入学時から注目されている子だ。名前はダイワスカーレット」
「ほう、 いや、どちらも有力株であることに変わりはありませんね」
「しかし、ウオッカか……。確かに良い脚を持っている。彼女の強みの爆発力がうまく活かせれば、負けはありえないだろうな」
「ダイワスカーレットの逃げ足、そして闘争心も素晴らしいものです。いつかは同じレースで……楽しみですね」
そんな解説を聞き流しながら、ファルコンはスタートラインに立つ。
この選抜レース、ルールはシンプル。
だから勝利条件はたった一つ。
『最後まで先頭でいること』
それだけだ。
「ファル子、頑張るぞ……」
小さく呟く。
スカーレットさんにウオッカさん。確かに比べ物にならないぐらい強い。けれど、今回は別のレースを走っているはず。
チャンスが無いわけじゃない。自分に言い聞かせる。
目の前に広がるのは――芝、2000m。
――ガシャンッ ゲートが開かれる。
「……よしっ!」
ファルコンは勢いよく飛び出した。そのまま先頭に立ち、リードを広げる。
(序盤はこのままペースをキープする……)
ファルコンの脚質は『逃げ』。故に、最初の1000mでペースメイクするように立ち回って、なんとか周りを自分のペースに引きずり込まないといけない。
まだ、レースはまだ始まったばかり。
「ふぅ……ふぅ……」
なのに、次第に呼吸が激しくなっていく。
まだ最初のコーナーだというのに、早くも息が上がり始めていた。
芝のコースは足が取られ、もつれ、どうにも走りにくい。それでも気力だけで足を進め、先頭をキープする。
(今度こそ、負けられない! 勝つんだ、勝たないと、トゥインクルシリーズで走れない!)
キラキラのウマドルになって、世界一素敵な夢を叶えるんだ!
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
けれど、どれだけ必死になっても、身体は正直だった。
第3コーナーを過ぎたあたりでスタミナが切れたのか、徐々にスピードが落ちていく。
後続との差が縮まり、ついには追い抜かれてしまう。
「嫌なのにッ……!」
☆
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
ゴール板を通り抜け、息を整える。
結果は13着。
途中までは良かったのだが、最後で力尽きてしまった。
(やっぱり……やっぱり、芝じゃだめなのかな)
悔しさに唇を噛む。今の私は、きっとウマドルらしくないのだろう。
スカウトは受けていない。それは嘘ではないが、正しくない。
……ダートのレース。ファルコンの本来の適性はそちらで、その才能はむしろ類稀なるものだ。
けれど、彼女には叶えたい、ウマドルと同じぐらい大事な夢があった。それは……ダートでは、どうしても達成できないものだ。
妥協は一切したくない。けれど、現実は非情だ。
それでも前を向かないといけない。向いていたいから。次の選抜レースへの出走登録をしようと、立ち上がったその時。
「あ、あの! スマートファルコンさんですか?」
ファルコンの行く先に立つ、一人の女性の姿があった。
紫の髪をポニーテールに結い上げ、ビジネスカジュアルに身を包んだ、綺麗な女性。胸に輝くトレーナーバッジ。
彼女はファルコンを真っ直ぐに見て、そして手を差し出した。
「貴方をスカウトさせて欲しいんです。わ、私と……G1レースを勝ちませんか!」
「……へ?」