静寂の中に、銃声が反響する。
ライフルの銃声が、山の中でこだまとなって消えていく。
その弾は木に命中し、その隣に居た鹿はビクッと飛び跳ねて視界の彼方へと消えていった。
「はぁ・・・」
カレンは白いため息を吐きながら銃を下ろす。
今回もダメだった。
この10年間。私は1度も"ターゲット"に弾を命中させていない。
なのに、地縛霊のように暇があればこの山を訪れ、そしてまた獲物を逃す。
いつになったら、私の頭の"もや"は晴れるのか。
6年の学生生活を終えた祝いに、父親が狩りを教えてくれた。
彼はしゃがんで銃を持つ私の横から優しい口調で語りかける。
「いいか、獲物を狙う時は両目を開けるんだ」
「銃身をターゲットに合わせてゆっくり動かせ」
「呼吸を整えろ。さもなければ下か奥に当たって終わりだ」
父は信じられないほど温厚だった。
私が家で暖炉に火を付けようとしてマッチを擦った時、うっかりテーブルの布に火が付いて火事をおこしかけた時も「おいおい大丈夫か?もっとしっかり気を持てよ」と笑うような。絶対に怒ったり支配をしようとしたりしない父だった。
どんなミスをしても怒らない。そんな彼のスタンスは自罰的になりやすい私の性根を理解しての事だったのかもしれない。
そんな父の言葉は、臆病で自分が存在する意味なんか無いと思ってた私の心の居場所だった。
その日、テントで眠っていると、突然謎の叫び声が山の中に響き渡った。
猫の威嚇とクマの咆哮と人間の叫びが混じったような。そんな音だった。
父は「ここを動くな。俺がなんとかする」と口にすると、テントから外に出た。
それから1発の銃声と、引き裂かれるような父の悲鳴が聴こえて。
何が起こったのかを理解した私はたまらなくなって泣きながらテントから出た時には、父の息はもう止まっていた。
それは村の伝承に伝わる謎の怪物だった事が、後から村人の証言からわかった。
父が死んだ後、母は私から銃を奪った。
こんなものを持つからこんな事になったんだ。と私を殴った。
でも、私は母が毎晩自分の部屋で目が赤くなる程泣いていたのを知っていたから、抵抗はしなかった。
私のせいだ。
私に力が無かったから。
それから私は、敵討ちのために母に隠れて銃の練習をした。
だが、獲物を撃とうとするたびに心がざわつく。
「お前なんか。お前なんかにできるわけがない」
そんな言葉が、いざ撃とうとするその時になってフラッシュバックする。
その声は、誰のものでもない、私自身の言葉だった。
そうして1体も獲物を狩れないまま、10年が経とうとしていた。
ここか・・・
カレンは山中の簡素な木の十字架の前にたどり着いた。
十字架の前の花束は枯れていた。
もう、あの時には戻れない。
わかってはいる。だが、ここに来るたびに、戻れるような気がしてしまう。
ごめんなさい。と墓の前でささやいて、自分の家へと帰ろうとする。
その時"あの"絶叫が聴こえた。
ヤツだ。
全身の毛が逆立ち、足から熱が消えていく。
体は動かない。その理由が恐怖なのか、緊張なのかも私にはわからなかった。
立ち止まっていると、木の奥から、熊のような茶色い毛がびっしりと生えた、チーターの体型の赤く光る目を持った怪物が現れた。
私は脊髄反射で銃を構える。
失敗をしなければ、敵を討てる。
間違えば、私のライフシグナルは一瞬で消えるだろう。
トリガーに手をかける。
だが、母親の怒りの目。父親の引き裂かれた腹。様々なトラウマが脳の視覚野の中で乱反射するように映り込む。
銃を持つ手がぐらつく。
「お願いだから銃を持たないで」
今度は母親の声がリフレインされる。カセットテープの繰り返し再生のように止まらない言葉の反芻が、心から正気を奪っていく。
「お願いだから・・・」
「夫と同じにだけはならないで・・・」
その声が脳内で再生された瞬間、私の目からは、一切の意図の無い一筋の涙がこぼれていた。
ごめん。母さん。でも、私はやるの。
やれる。やれるはずだから。
父親のあの時の声をリフレインさせる。
「いいか、獲物を狙う時は両目を開けるんだ」
両目を開け、右目を銃身の上に乗せる。
「銃身をターゲットに合わせてゆっくり動かせ」
構えた手を、ただゆっくりと動かす。
「呼吸を整えろ。さもなければ下か奥に当たって終わりだ」
息を整える。
怪物がこちらに走る。私の脳がスパークする。そのスパークは集中から来るモノだった。
「撃て」
父の声と父の姿が一瞬幻覚として映ったような感覚と共に、ライフルから弾は放たれた。
その弾は怪物の眉間を綺麗に直撃させ、その鉄の回転エネルギーを貫通させていった。
怪物はそれから倒れた後、山全体に響く程の絶叫をあげた。
犬。猫。馬。牛。熊。ありとあらゆる生命の断末魔を足して同時再生したような声。その中には多くの人間の声も混ざっていた。
私は絶叫に耐えられずに耳を塞いでいると、その怪物はそれから跡形もなく消えてしまった。毛も血も、1滴残らず完全に蒸発した。
倒すことが、できた。
私はその場にへたりこみ、笑っていた。
あはは、あはははは。と笑いながらも、その声は次第に震えていき、目から出された雫は雪をわずかながらに溶かした。
敵を討てば、乗り越えられる。父が存在していたという時間軸から先に進めるはずだった。
でも、そうはならなかった。心の時間は動かなかった。
この10年間の中で訪れた待望の復讐。
産まれるのは、喜びと開放のはずだった。
それから私は、何事も無かったように帰路に帰る。
絶対に父は帰ってこない。
ただ、銃を握る手は、もう震える事は無かった。
これからもずっと、父とは会えない。
そのことをずっと抱えたまま、私は生きていく。
自分の口から出る白い息を上に向けながら、空を見つめた。
その時、空の美しさに始めて気づいた。
理想の人間がいない世界の空を美しく感じる自分の感性に気づきながら、私は家路へと着くのであった。