陽炎教官達二水戦首脳部が立ち去ると食堂内は活気を取り戻しました。
「いや〜失敗失敗。まさか私の完璧な作戦が見破られるなんて思わなかったよ」
カラカラと何も懲りてなさそうな様子で敷波が言いました。陽炎教官から灸を据えられて多少は大人しくなるかと思ったのですが…
「誰でもみればわかるっぽい」
「そうですね。あまりに露骨、浅はかすぎてドン引きします」
「巻雲もああいうのは良くないと思います」
私達3人に次々と責められて流石の敷波も表情が曇りました。
「そんなに責めなくてもいいじゃんか」
「裏切り者の敷波にかける情けはないですよ〜」
巻雲からすれば途中まで隣にいたのにいつのまにか私の横に移動していて相当驚いたでしょうね。いつの間に移動したのかまるで忍者みたいでした。
「コロコロ自分の立場を変えるのは艦娘らしくないっぽい」
「艦娘らしくないってなんだよ」
「艦娘らしくないは言い過ぎですけど駆逐艦娘らしくはないですね。ああ言うのは寧ろ空母や戦艦のやる事です」
最前線で堂々と戦う駆逐艦があんな小細工をするのはあまりにも情けない。
「雪風教官の顔を見たらあんな風に意見を変えたくもなるよ」
「巻雲は意見を変えませんでしたけどね〜」
巻雲らしくない含みのある言い方ですね。もしかして怒っているのでしょうか。
「……巻雲実は怒ってたりする?」
「別にそんな事ないですよぉ。実力的には巻雲よりもよっぽど二水戦に相応しいのに精神的には巻雲の方が二水戦らしいなんて全然思ってないですよ〜」
うわぁ、絶対怒ってるじゃないですか。
「悪かったよ。もうこんな事ないからそんなに怒らないでよ」
降参と言わんばかりに両手を上げる敷波に巻雲は疑うような視線を向けた後言いました。
「次こんな事したら舌を引っこ抜いてあげます」
「やだなぁ。もうしないよ」
意志が強い、頑固、言い方は色々有りますけど吐いた唾を飲み込まないのが巻雲です。やると言えば必ずやる。単純な実力で敷波には敵わなくとも寝込みを襲うなりなんなりして必ず敷波の舌を奪うでしょう。敷波もそれがわかっているから表情が強張っています。
「しないでくださいね」
もう一度巻雲が念を押すと敷波が凄い勢いで首を縦に降りました。
当然ですね。なんせ私達の中で怒らすと一番怖いのが巻雲ですから。
「巻雲にこれだけ念を押されたら敷波は二度と同じ事をできないっぽい」
「巻雲はそんなに怖くありませんよぅ」
訓練学校は横須賀、佐世保、桂島、大湊の5つがありそれぞれ開始時期は違いますけど6ヶ月の訓練を受けた後正式に艦娘として軍に任官します。私達4人はそれぞれ事情は違いますけど皆12歳になってすぐに志願して艦娘になりました。誕生日の関係で訓練学校は別ですが学年は同じ、同期の間柄です。
凡そ四万隻いる現役駆逐艦娘のうち実戦に耐えうるのは四千隻弱、駆逐艦全体の1割弱となります。同世代の艦娘となれば更に数は絞られ色々な噂を聞くようになります。例えば夕立は歳の割に指揮能力も夕立自身の実力も高く同世代でトップクラスの実力だと言われています。敷波は実力もさることながら搦手を得意としていて模擬戦をしたくない相手として有名でした。教導隊に入る前に一度模擬戦をする機会がありましたが正直二度としたくないです。
では巻雲はどうかと言うと実力面では私達の中ではワンランク下がります。しかし時折見せる苛烈な性格と容赦のなさが彼女を有名にしていました。
「味方殺しの巻雲がよく言うよ」
「敷波は何か言いましたか?巻雲よく聞こえなかったからもう一度行ってほしいです」
「イヤイヤイヤ!なんでもない!!」
厳密には殺したのではなく退役に追い込んだり後送させたってだけですけどその数が尋常ではありません。艦娘の中でも一際血の気の多い駆逐艦はある程度の実力があれば喧嘩で1人や2人、後送させる事はざらにあります。私もやんちゃしすぎて2人ほど本土の病院に後送させた事がありますけど巻雲は私の比ではありません。噂では四肢の欠損で退役したのが2人、それ以外の怪我で後送させられたのが10人以上と尋常な数ではありません。それでも巻雲が処分されないのは基本的には彼女が被害者である事と証拠が無いことにあります。
「リンガ泊地でセクハラしてきた提督を半殺しにしたとか、顔に煙草の煙吹きかけてきた伊勢の腕を切り落としたとか色々聞いてますけど殺してはいないですね」
セクハラは勿論だが煙草の煙を吹きかけた後、巻雲が上手く挑発して伊勢に刀を抜かせたから巻雲にお咎めはなかったらしいですけどそれでも恐ろしいことに変わりはありません。
「巻雲は被害者ですよ〜」
「仮にそうだとしてもやり過ぎです」
「狭霧だって人のこと言えないくせに」
確かに私は巻雲にとやかく言う権利はないかもしれません。しかし私にだって言いたい事はあります。
「私はごく常識的な範囲でしか手を出してません。置き物連中が何人後送されようとも深海棲艦との戦いに大きな影響はないんですから」
巻雲が腕を切り落とした伊勢は航空戦艦に改装されるくらい練度が高かったのに対して私は陸、空軍への出向組ですからその差は歴然です。
「そういえば狭霧はどうしてそんな事したったぽい?」
巻雲が追及しようとするのを夕立が遮って尋ねてきましたけど正直この問答を続けると私が不利になる気がしていたので助かりました。
「夕立はサンドバックを殴るのに理由が必要なんですか?」
とまぁ冗談のつもりでそう言うと何故か夕立は納得したように頷きました。
「なんとなくサンドバッグを殴りたくなるのはよくわかるっぽい」
「え?」
敷波と巻雲がドン引きしていますがそれはこの際無視していいでしょう。
「今度からサンドバッグが近くになかったら置き物に手を出すっぽい」
私の冗談のせいで罪の無い艦娘が犯罪者になるかもしれないのは嫌です。
「冗談ですよ。理由もないのに殴ったりしませんよ」
そう言うと夕立は心底驚いたような顔をし敷波と巻雲は安心したように息を吐きしました。
「え、冗談だったぽい?」
「当たり前じゃ無いですか。そんな事したら確実に何かしらの処分が降ります。海軍にとっては置き物でも陸軍や空軍にとっては大事な戦力なんですから」
あんな艦娘と呼ぶのも烏滸がましい人達が実戦で役に立つとも思えませんけど。
「けど夕立達のお陰で給料を貰えてるようなものだから少しくらいサンドバッグにした所で文句を言う権利はないっぽい」
「私もそう思わないでも無いですが軍規を破るわけにはいきませんよ」
私達海軍の艦娘が戦果を上げれば自然と艦娘全体の評価が上がります。たとえ自分達が戦果を上げずとも艦娘と言うだけで尊敬の対象になります。私達海軍の艦娘としては面白く無い話です。多少見返りがあってもおかしくは無いと考えるのは当然のことでしょう。
「けど何もしたないくせに大きな顔して煙草をぷかぷか吹かしているのを見るとムカつきますよー。やっぱり一発くらい殴っていい気がします」
私が冗談を言った時はドン引きしていたくせに急に物騒な事を言い始めましたね。
「巻雲、煙草嫌いっぽい?」
そう言えば巻雲のエピソードには大抵煙草の話が絡んでいますね。
「嫌いというより何もしたないくせに偉そうに踏ん反り返ってタバコを吸ってる置き物達の気がしれないだけですよ〜」
「置き物に限った話じゃないけど煙草を吸う艦娘ってどういう気持ちで吸ってるんだろうね」
「自ら不健康であろうとする艦娘の気持ちなんてわかりませんよ」
煙草ほど艦娘の体を害するものはない。麻薬とかの方が害にはなりますが合法的に艦娘が摂取できるものは酒と煙草です。艦娘になった事の副作用で一般人よりも酒や煙草、麻薬の悪影響は少ないとはいえそれらが害あるものには変わりありません。
「酒は飲むのによく言うよ」
「煙草よりはマシでしょう。あれは体力の低下など致命的な健康問題巻き起こします。戦いを生業とする艦娘が体力を自ら失うことほど馬鹿な話はないでしょう」
「まぁ、それは確かにそうだけどさ」
「その点ここはいいですね。第四艦隊と東洋艦隊の方針で基地は全面禁煙ですから副流煙を吸って受動喫煙をする心配もないですし」
潜水艦や海防艦を除く陸海空の艦娘全体の喫煙率は約30%と日本人の喫煙率よりも少し高いくらいです。しかしその殆どは戦艦や空母に集中していて主力の駆逐艦娘と軽巡艦娘で見ると1割ほど喫煙率が下がる。もっと言うと前線かどうか、番号付き艦隊所属か否かでもそれぞれ割合は変わってくる。例えば制海権が取れた安全な海域を担当している艦娘は喫煙率が高くなる傾向にあり前線に出る艦娘は下がる傾向にあります。
「まぁ、そもそもインド洋の対深海棲艦戦の最前線であるスリランカで禁煙なんて処置が必要とは思えませんけど。そんな事言われるまでもなく生き残るためには煙草を吸わない方がその確率が上がると皆わかっているでしょうから」
実際のところ、毎日一箱吸うようなヘビースモーカーならともかく1本や2本吸った所で健康に大きな害が有るとは考えにくいです。しかし前線に出る艦娘は頑なに吸おうとしない事には理由があります。
初期艦唯一の生き残り、連合艦隊旗艦が他の初期艦と違い煙草を1本も吸ったことがないと言う話からゲン担ぎをしているんです。
「ただのゲン担ぎでしか無いと分かっていてもあやかろうとするのは人として当然の話だよね」
「そうでなくても本来煙草は未成年である私達が吸うのは違法です。艦娘であるから許されてはいますけどまともな倫理観していたら煙草を吸おうとしないでしょう」
「それ電教官相手にも言えるの?あの人現役の頃から吸ってたらしいけど」
「いくら二水戦でも引退した電教官に今更とやかく言う必要はないでしょう」
そんな恐ろしい事一体誰ができると言うのでしょうか。私はまだ死にたくありません。
「そう言えば二水戦にも1日1箱以上吸うっていう噂の艦娘がいるんですけど知ってますか?」
「よりにもよってこの二水戦にそんな馬鹿な艦娘がいるんですか?」
誇り高い二水戦が煙草だなんて……
「一体どこの隊の誰なんだよ」
「ヒントはツインテールの艦娘ですよ」
ツインテールの艦娘は何人もいますが二水戦いるツインテールの艦娘は3人。陽炎教官と村雨、朝雲の3人です。珍しい事にツインテールの駆逐艦娘全員が所属しています。陽炎教官は除外するとして村雨か朝雲か。
「村雨も朝雲も煙草を吸う姿が想像できませんね」
「そうですか?巻雲がいたリンガ泊地の村雨はキセルを吸ってましたよ」
「まぁ、煙草を吸う吸わないは艦娘個人の性格にもよるしね」
たしかに元々の性格が私みたいに真面目だったら吸わないでしょうしそうでない不良気質なら喜んで吸うでしょうね。
「因みにヒントは教導隊の喫煙所でよく電教官と煙草を吸ってた人ですよ〜」
「電教官と?どちらも仲が良さそうには見えませんでしたけど」
「…陽炎教官っぽい」
よく聞こえませんでしたけど夕立が何か言ったような……
「夕立何かいいましたか?」
「なんでもないっぽい」
「それで、正解はどっちなんだよ」
痺れを切らした敷波が苛立たしげに尋ねました。聞けばすぐにでも説教をかましに行きそうな勢いです。
「正解は陽炎教官ですよー」
「「………」」
まずいですね。散々貶してしまいましたけど私達以外誰も聞いてないですよね。
「巻雲。さっきの話は……」
「安心していいですよ〜。狭霧達が何も悪い事をしなければ何処かにこの話が漏れる事はないですから」
つまり巻雲に都合が悪い事をすれば話すという事ですよね。
「敷波も安心していいですよ〜」
「あははは、ありがとう」
敷波も苦笑いを浮かべています。
「夕立は……」
「夕立は何も言ってないっぽい」
そう言われてみれば煙草について貶していたのは私と敷波だけでしたね。
「そういえばそうでしたね。ならいいですよ〜」
……今後巻雲には逆らわないようにしましょう。