「陽炎はせっかちですね。もう少し私の話に付き合ってくださいよ」
こっちにはもう話したいことなんてないって言うのに……
「私の父は深海棲艦の研究者でした」
漣の父親の年代で深海棲艦の研究者と言うと下手をすれば深海棲艦発見当初からの相当な古株研究者、もし生きていればその道の権威となっていてもおかしくない。
けどこれまでとの話の関連性が無さすぎる。一体何を話したいのだろう。
「深海棲艦を研究していた父はその過程であるウィルスを発見します。名前をFBK-1、つまり吹雪型駆逐艦一番艦吹雪のウィルスでした。それから1週間程で数十種類の艦娘のウィルスが見つかりました。さてここで問題です。このウィルス、どこから見つかったと思いますか?」
艦娘になるためにはウィルスを注射する事は艦娘の間では周知の事実だけどその出所と言うのは知らないわね。
噂自体は色々ある。例えばイルカの体内から見つかったとか海鳥の体内から見つかったとか、変わり種だと元々人間が持つ常在菌だったとかだ。
「実の所このウィルス、海洋生物であれば持っている可能性は極めて高いんです。ですから父が見つけたウィルスの内一番最初のウィルス、つまり吹雪のウィルス以外は全て魚介類や海洋哺乳類から見つかっています」
へぇ、そうなんだ。なんらかの生物の体内から見つかったと言う噂は多くあったけどそこまでは幅広い生物から見つかったのならある意味全ての噂は事実だったわけだ。いや、人間は違うか。
「ですが吹雪だけは異質でした。後に他のモノも同じ場所から発見される事になりますけどこの吹雪のウィルスの出所は貴女も噂くらいは聞いた事はある場所です」
異質と言われてもこれに関しては候補が多すぎる。異質というからには多分海洋生物以外から出たのだろう。さっき言った以外にもゴキブリの体内からだとかドブネズミの体内からだとか、特に一番ひどい噂だと……
「海岸に深海棲艦の死骸、それが吹雪を見つけた場所でした。その後さらに調べると漣や電と言った駆逐艦のウィルスが複数その死骸から見つかっています」
「…うそでしょ……」
正直一番眉唾な噂だと思っていた。いや、眉唾と言うよりは信じたくない噂と言うべきか。だってそうじゃない。もし深海棲艦の中からこのウィルスが見つかったのであれば艦娘とは、深海棲艦とはなんなのか。
姿形が違うだけで本質的に艦娘とは深海棲艦と相違ないのではないか。そんな嫌な疑問が湧いてきてしまう。
「本当です。その後の研究で深海棲艦の多くは海洋性物達がこのウィルスに感染し変異したモノだと判明しています」
変異、私は違ったけど多くの艦娘はこのウィルスを注射されると姿形が変化する。深海棲艦が元々生物でウィルスが原因で変異したと言うのであればこれが深海棲艦から見つかったと言う説得力が増してくる。
「そして姫級や鬼級と言った深海棲艦の組織を調べた結果それらは人間由来な事も判明しています」
最悪の事実、艦娘によっては心を病みそうね。
「まぁ、そんなの調べるまでもなかったんですけどね。
なんせ艦娘を生み出す過程で何人も深海棲艦を作り出していますから」
なかなか驚愕の事実だけどその場合一つ疑問が残る。
「人間は姫級になるんでしょう、どうやって処理したの?」
「文字通りの意味で私は最初の艦娘なんですよ。
もちろん適性があるかパッチテストはしましたけどまさか自分の父があそこまで狂ってるとは思いませんでしたよ」
ケラケラと笑っているけど笑い事じゃない。
もし漣が艦娘になれていなければ全てが破綻して下手をすれば日本は、いや世界は滅んでいたかもしれない。
「幸運な事にウィルスを注射した人たちの多くは不完全な深海棲艦になりました。分かりやすく言うなら体の一部が深海棲艦のようになりつつもヒトとしての意識は残していたりですね。
しかしそう言った人達は時間経過と共に徐々にヒトとしての意識をなくしていきました」
幸か不幸か艦娘としてはおそらくまだ未熟だったであろう漣でも対処できるくらいにはそれらは人であったんでしょうね。お陰で日本はまだ存続している。
「100人ばかり実験体を始末した頃でしょうか、父は研究結果を国に売りました。その結果潤沢な研究資金と施設が用意され新たに4人の艦娘が誕生しました。吹雪、叢雲、電、五月雨の4人です。彼女達は皆自衛官でした」
「……実験体はどうやって用意したのよ」
「あの頃は皆飢えていましたからね。食料をやる、寝床をくれてやる、服をあげる、そう言えば皆ホイホイついてきましたよ」
口ぶりからして漣も協力していたんでしょうね。積極的だったのか、命じられてやったのかはわからないけど。
「政府が一枚噛む事でそんな事はなくなるかとも思いましたけど結局変わりませんでした。変わったとしたら実験体を孤児院や避難施設から直接手に入れられたので詐欺まがいなことをせずに済んだ事ですね」
自国民を害するなんて国としては最悪ね。当時の状況を考えれば言い訳はいくらでもできるけど守るべき国民を犠牲にした時点で非難されるべきだろう。
「その政府での実験終了後、資格のある自衛官20名対してウィルスを注射、結果生き残ったのはさっき言った4人だけと言うわけです」
成功率25%、今では成功率はほぼ100%でごく稀に起きる失敗も艦娘になれなかったと言うだけで死亡事例はない。
「この確率が劇的に改善するのはこれから約1年後のことですがそれまではこの危険度の高いウィルスを使い続けていました。因みに潜水艦娘も初期は危険度の高い方法でした。ゴーヤと自殺したイクもこっちのウィルスですね」
出所は知らなかったけど初期艦達の強さがウィルスの違いによる事は有名な話だ。初期のウィルスは死亡率の高さにさえ目を瞑れば現在使われているものよりも高い力を得る事ができる。
だから初期艦相手に現代艦娘が一対一で戦って勝てる可能性は殆どない。一水戦反乱の際に止めようとした潜水艦娘達が初期艦に全滅させられた最大の理由がこれだ。
「さて陽炎、実はこのウィルスは深海棲艦から採取したものとそうでないものでは毒性も効能も大きく異なるのを知っていますか?」
そんなの私が知るわけない。それを漣も分かっているから私の答えを聞かずに話を続けた。
「元々深海棲艦から採取したウィルスは海洋生物から採取した物よりも毒性が高くどれだけ毒性を落としても海洋生物産のウィルスの無毒化前よりもよっぽど強力なんです。
だから艦娘には通常、海洋生物から採取されたウィルスを無毒化したものを注射します」
深海棲艦から採取されたものが注射されていなくてよかったと喜ぶべきなのか、それとも深海棲艦になり得る物を注射されたと悲しむべきなのか……。いやそもそも私達と深海棲艦って何が違うの?だめだ、考えが纏まらない。
酒の席での与太話ならともかくこんなのとても素面で聞ける様な話ではない。酒とは言わないけどせめて煙草くらいは吸わないとこんなのまともに聞いてられやしない。
「ねぇ、私のスカートの左ポケットに煙草とマッチが入ってるから吸わせてくれない?」
私の言葉に漣は信じられないものを見るような眼差しを向けてきた。
「今このタイミングでそれを言いますか」
「こんな話を素面で聞けるほど私は図太くないのよ」
「……旗風、煙草を取ってあげてください」
私のポケットを弄って煙草を取り出すと旗風は漣に投げ渡した。
「ありがたいわ」
渡された漣は煙草を一本取り出すと私の口に咥えさせた。
「無毒化方法が確立される前の艦娘は基本的には海洋性物から採取したウィルスを培養した物を注射していました。初期艦の殆どもこの海洋生物由来の物を無毒化せずに打ち込みました。これでも今の艦娘よりもよっぽど強力な艦娘ができます」
「ちょっと、火をつけてよ」
まさかマッチの付け方がわからないわけじゃあるまいし咥えさせるだけと言うのはひどくないだろうか?
「煙草は体に悪いですよ。まだまだ若いんですからいい機会です、禁煙しなさい」
「はぁ!?こんなの生殺しもいいところじゃない!」
「五月蝿いですねぇ。旗風、猿轡かましといてください」
漣の命令に旗風は手際よく私の口から煙草を取り上げ何処からともなく取り出した布を口に押し込んだ。
「…どこまで話しましたっけ?」
「昔は海洋生物のウィルスを培養して注射しているところまでです」
「そうでした、ありがとう旗風」
疲れた様に溜息を吐くと漣は話を続けた。
「ほとんどの艦娘は海洋生物由来のウィルスでしたけど3人だけ、最初から深海棲艦由来のウィルスを注射された者がいました。1人は私、もう1人は吹雪、そして最後に名前も知らない1人の孤児です」
深海棲艦から取り出したウィルスを体内に入れるだなんてよくできるわ。悍ましくて私には到底できそうにない。
「私と吹雪はこの注射で他の艦娘よりも強力な力を得る事ができましたけどはっきり言って危険性から考えるとその強化具合は微々たる物、リスクを考えると性能としては海洋性物由来のもので十分でした。
両方のウィルスのメリットとして毒性を抑える前だと10年程度で起こる艦娘の弱体化はなく老化が極めて遅くなるというメリットがありますけど生き残りが私しかいませんしいつまでこれが続くのか詳細な研究結果はありません」
でち公に取り押さえられるくらいだからその強化率はお察しというものね。
不意をついたとか漣が正常な状態じゃなかったからとか色々事情がありそうではあるけどだとしても本来相性が良くかつ使われたウィルスの関係で地力が上の漣が負けている。その時点で使う価値はないウィルスと言える。
老化が抑えられるのだって深海棲艦との戦いを力が弱まるまでずっと続けなければならないという事だし人によってはデメリットにさえなり得るだろう。
「では2人が成功したのなら残りの1人はどうなったのか、結果は失敗し深海棲艦になりました」
憎むべき深海棲艦を倒すために艦娘になるはずが深海棲艦になるなんて酷い話もあったものね。
「幸いにも私含む当時の一水戦が待機していたので犠牲者は責任者だった私の父だけで済みました。いい気味です」
嘲笑を浮かべる漣に私は彼女が決して自ら好んで研究に協力していたわけではない事にようやく気がついた。
「アイツが死んだと知った時は精々しましたよ。ようやくこの馬鹿な研究も終わり犠牲者がいなくなる、そう思っていました」
これは嫌いというよりは憎んでいるとかそう言った感じなのかしら。そりゃそうか、いくら親でも殺人をさせるような奴を好きになるのそう多くはない。
「父が最後にしていた研究は深海棲艦由来のウィルスのリスクをどう軽減するかというものでした」
なるほど、リスクとリターンが釣り合わないから使用しないとなったけどそれが釣り合うのなら話は別という事か。
「知っての通りウィルスを適性のある少女に打ち込む事で少女は艦娘へと姿を変え、そしておよそ10年で耐性ができ艦娘は最終的に抗ウィルス薬を打つ事で完全に艦娘としての力を失います。
これは無毒化したウィルス特有の現象でして無毒化前だと私やゴーヤのように力が衰える事はありません。そこで考えられたのが引退が近い艦娘に対して無毒化前のウィルスを打ち込めば抗体ができている関係で私達のように強力な艦娘となるのではないかというものでした」
漣達と私達普通の艦娘の違いはわからないけど理屈としてはうまくいきそうな気がするわね。
インフルエンザとかはワクチンを打っていれば感染しても軽く済むっていうし艦娘でも同じ事が言えるかもしれない。
「父の死後もこれは研究され10年ほど前に実証実験がなされましたが失敗しました。ちなみにこの方法の生存率なんですけど0%、実験体は全て深海棲艦へと姿を変えたそうですよ」
志願したのか強要されたのか知らないけど実験体になった艦娘は可哀想ね。せっかく艦娘になったのに最後は自らが討伐される事になるなんて……
「陽炎、どうして私がこの話をしたと思いますか?」
冥土の土産という奴じゃないのかしら。
「ここに深海棲艦から採取し培養したJDDKG-1、つまり陽炎ウィルスがあります」
漣曰くポケットから取り出したアンプルは私が艦娘になる時に打ち込まれた奴のヤバいバージョンみたいだけど生憎それが本当か知る術はない。
知ったところでどういう反応をすればいいのかもわからないし。
「ふふふ、訳がわからないという顔ですね」
不気味な笑みを浮かべながらアンプルを折り中の薬剤を注射器に吸い出す様子はさながらマッドサイエンティストと言った様子だった。
「第二水雷戦隊第13代旗艦陽炎、貴女には私のためにここで深海棲艦となってもらいます」
その言葉に私は薬で体が上手く動かせないのも拘束されているのも忘れて逃げ出そうとした。身を捩ってソファから降り、数メートルを這って進んだけど旗風の手で床に押さえつけられた。
「流石の陽炎も深海棲艦になるとなれば慌てますか」
逃げられないのならせめて舌を噛み切ろう、そう思って口を動かすけど猿轡をされているからそれすらできない。
「陽炎なら自殺しかねないと思っていましだけど正解みたいですね」
この猿轡も私を拘束するためにわざわざ用意していたものというわけね。通りで手際がいいと思ったのよ。
「さらばです陽炎、次に会う時は敵同士ですね」
不気味な笑みを浮かべて漣は私の首に注射を刺し薬剤を注入した。
薬剤が注入される感覚と同時に首筋が熱を持ちそれが段々と身体全体へと広がっていく。体内をかき混ぜられるような、そんな気持ち悪い感覚と共に私の意識は混濁していった。
どこからともなく湧き上がる見覚えのない記憶、これが深海棲艦になるという事なの?
まるで身体が作り変えられていくかの様な気持ちの悪さを最後に私は完全に意識を失った。