その問題が提起されたのは呉の空襲があった翌日の夕方、救助活動と瓦礫の撤去が一通り済み第二艦隊の主要メンバーで会議をした時の事だった。
「Hey 陽炎。私はそこの不知火が信用できないですネ」
金剛は椅子代わりの瓦礫から立ち上がって不知火を指差した。当の不知火は少し金剛に視線を向けただけですぐに元の姿勢に戻って目を閉じた。
「元一水戦だから裏切るのではないかってこと?」
「そうですネ。漣から送り込まれたスパイの可能性がありマース」
正直に言うとその可能性を考えなかったわけじゃない。
いくら不知火との付き合いが長いとは言えその大部分は文通だけで実際に会っていたわけじゃない。不知火の全てを知っていると断言できるほど私達の関係性は深くない。だけど私個人としては不知火を信頼したいと思っている。
「それについては俺が事情聴取をしておいた。不知火がスパイである可能性は低い」
「根拠を提示するデース」
珍しく司令に食い下がる金剛に私は思わずため息を吐いた。
「……あまり意味のある事とは思えないわね」
「意味!? 意味ならありマス。コイツが裏切り者なら私達の勝率を上げる事ができますネ!!」
「それが意味ないって言ってるのよ。それで上がるのは精々数パーセント、私は不知火が抜ける事で下がる勝率の方が大きいと思うわ。なんせ私達には指揮艦が少ないんだから」
それだけでなく不知火はなんだかんだ二水戦の子達に慕われている。不知火が仮定の話で作戦から外される様なことがあれば士気に関わる。
「私だって指揮艦デスネ」
「私と役割被るでしょうが」
複数艦種の入り乱れる艦隊戦は水雷戦隊単体での戦いとは大きく異なる。最後方に予備戦力の大型艦と水雷中隊を配置して敵と直接交戦する前線には水雷中隊と巡洋艦の戦隊からなる部隊を複数配置する。
今の第二艦隊には私含め指揮艦が4隻だけど金剛は私と一緒に後方に予備戦力として控える事になる。敵の規模からして前線の部隊は最低でも2つ、できれば中央と両翼の3部隊欲しいから他にもう1隻くらい指揮艦が欲しい。そうすれば中央突破からの背面展開や両翼包囲と言った少し複雑な作戦を使えるかもしれない。
「陽炎が一部隊率いて前線に出ればいいデース」
「そんな事したら指揮系統メチャクチャになるでしょうが」
艦隊戦において旗艦は予備戦力とともに後方に控えるのが定石だ。偵察機よりもたらされる情報を整理して適宜予備戦力を投入、敵を効果的に撃破しなければならないからだ。もっとも第二艦隊みたいに水雷戦隊の旗艦が艦隊旗艦の場合は最終局面で指揮艦先頭の精神で陣頭指揮を取ることも珍しくない。だけどそれはあくまでも最終局面での話だ。
「私が第二艦隊の旗艦である以上部下の統率は私の義務よ」
余計な首を突っ込むなという思いを込めて睨みつけると金剛は肩をすくめた。
「軽いJokeデース。本気にしないでくださいネ」
飄々とした金剛に思わず舌打ちをして私は司令に向き直った。
「不知火の件は司令を信用して指揮艦として部隊を率いてもらうわ」
私は第二艦隊の旗艦。いくら不知火の事を信頼していても個人の感情で動くわけにはいかない。対外的には司令と言う上官の調査を信用していると言う形を取らないと下に示しがつかない。まだ私に直接何か言ってきた子はいないけど二水戦の中にも不知火の事を疑っている子もいるだろうしこのスタンスを崩すわけにはいかない、と思っていたのだけど……
「まさか二水戦の誰一人として不知火の事を疑ってないなんてねぇ」
会議が終わった後、不知火の処遇に関して二水戦のメンバーに告げたら二水戦からは驚きの声が上がった。
曰く第二水雷戦隊ともあろうものが仲間を疑うなど言語道断。第二水雷戦隊と同じ第二艦隊に所属している癖にそんな事もわからない金剛は今すぐ血祭りにあげよう。不知火を参加させることについて文句が出るならともかくまさかその逆、疑うと言う発想すらないなんて思いもしなかったしましてやそんな過激な意見が飛び出すなんて思わなくて宥めるのに苦労した。
仲間思いなのはいい事だけど少しくらい疑うと言う事を知らないといつか痛い目を見る事になるんじゃないかしら。教導隊の訓練に頭脳面での訓練も追加すべきかもしれないわね。
「ありがたい話です。不知火は仲間に恵まれました」
なんて表情一つ変えずに語る不知火に私は胡乱げな視線を向けた。
「本当に裏切ってないのよね」
「心外です。まさか陽炎から疑われるなんて」
「私個人としては信用しているわよ。だけど不知火の事を疑うのは第二艦隊の旗艦として部下の生命を守るための最低限の義務よ」
表情が変化しないからわからないけど多分これは不知火流の冗談だろう。だからほんの少しだけ私も本音を話す。
「それよりいいの? アンタの元仲間と戦うことになるけど」
「……思うに私は最初から彼女達にとって不知火は仲間じゃなかったんだと思います」
不知火の言葉に困惑しながらも私は無言で続きを促した。
「一水戦の関係者が漣が緊密な関係を築いていた事は話しましたよね?」
不知火の問いかけに前に聞いた一水戦の内情を思い出しながら頷いた。
「不知火含め幾人かの艦娘は一度か二度の食事でその後仕事以外で関わることがありませんでした。そしてそれは一水戦内でのグループ分けが済んだ事を意味します」
「漣の味方かどうかって言う事?」
「今にしてみれば漣の味方ではないと判断された艦娘は不知火みたいになんらかの事情で一水戦を離れる事が多かったです。きっと味方を増やすためだったんでしょうね」
「だけどそれが不知火を漣のスパイでないと言う証拠にはならないわ。この戦いが終わるまで、私は貴女を草疑い続けなければならない」
友達を疑うなんて不愉快な話だわ。それもこれも全部漣のせいよ。
「個人的には残念ではありますけどそれでいいと思います。陽炎は第二艦隊の旗艦ですから個人の感情でリスク管理を怠るなんてあってはなりませんから」
「まぁ、疑ったところでなにかが変わるわけでもないんだけどね」
戦闘中に裏切られでもしたら私ができる事なんて予備戦力を送り込んで部隊の崩壊を防ぐくらいだけどそんなの焼け石に水だ。
「ですが警戒対象を不知火だけに絞ると思わぬところで足をすくわれることになりかねませんよ」
「わかっているわよ。第二艦隊内に一水戦と関わりのある艦娘がいないとは限らないし警戒はするつもりよ」
調査の方は司令がしてくれるみたいだけど物資の手配他色々することがあるからあまり期待できないかもしれない。
なにより漣が簡単な調査でバレる様なスパイを送り込んでいるとも思えない。
「だけどスパイがいるかもしれないと思わせる事で第二艦隊を疑心暗鬼に陥らせて十分な力を発揮させない事ができるだけで漣の目的は達しているとも言えるわ」
「厄介な話ですね」
苦々しげに呟く不知火に私は溜息を返した。
「だけど幸いな事に二水戦のみんなはスパイなんて存在しないと思っているわ。それどころか仲間を疑う金剛は敵だと言わんばかりの勢いよ」
「仲間を信じる強い心の持ち主達です。不知火は良い仲間に恵まれました」
不知火自身もあまりよくない傾向だと思っているのだろう、気まずげに私から目を逸らした。
「親潮と雪風まで一緒になって金剛を血祭りに上げようとするのはダメでしょ」
新人連中がそう言うならともかく中隊の副隊長を務める2人がそっちに回るのは流石に予想外だった。
「これで黒潮まで向こうに回ってたらストレスで医務室に駆け込んでいたでしょうね」
「面白い冗談ですね」
「なによ。私って意外と繊細なのよ」
今でさえ胃がキリキリ痛んでいるのにこれ以上私の負担を重くしないでほしい。
「いえ、そうではなく医務室は爆破されているのにどこに駆け込むのかって話です」
そういえばそうだったわね。空爆の被害にあった人のために救護所を設けてはいるけど医務室は今存在しなかったわね。
「それに陽炎の場合ストレスの原因は雪風達ではなく煙草が吸えていないことが原因ですよね」
「アンタ人のことなんだと思ってるのよ」
いくらなんでもほんの数日煙草を吸えなかったくらいで胃痛がくるわけないじゃない。
「実は瓦礫をどかしている時に煙草を一箱見つけたんですがそう言うのならこれは司令官に渡してきますね」
「貰ったところで火をつけるものがないから別にいいわよ」
手元にあるのに吸えないとなれば余計にストレスが溜まりそうだ。
「そうですか」
不知火がつまらなさそうに口を尖らせた。
「そういえばさっきの会議では特に言及がありませんでしたけど援軍の件ってどうなったんでしょうか」
現在の第二艦隊は第一艦隊の半分程度の数しかないから司令が要請したと言う援軍の存在は私達が勝利するためには絶対に必要な存在だ。
「私も特に聞いてないわね。元々あんまり期待してないけど」
「陽炎は司令官が嘘をついていると思っているんですか?」
「司令を信じてないわけじゃないけど援軍で数は第一艦隊と同等になっても質の面では期待できないと思うのよね」
それにその援軍にスパイがいないとも限らないし。今になってあの時司令の言う事を聞いたのを後悔している。すぐに出撃して奇襲を仕掛けた方が勝率は高かったんじゃないかと言う思いがどうしても拭えない。
「佐世保の第三艦隊あたりが来てくれたら安心ですけどどうでしょうね」
「それは無理でしょ」
日本海の入り口を守る第三艦隊はどんな非常事態でも絶対に動かせない。もし動かしたタイミングで深海棲艦がくれば日本の資源地帯を脅かされ優位に推移している深海棲艦との戦いが一気に劣勢になるからだ。
「動かせる艦隊がないなら必然的に援軍は東南アジアあたりの暇な泊地から戦力を抽出する事になるけどそんなの二線級の艦娘ばっかりじゃない。期待するだけ無駄よ」
「少しは司令官を信用してあげたらどうですか?」
「信用してるわよ。だけど今回ばかりはこれが限界じゃない?」
私の問いかけに不知火は答えなかった。不知火自身もこの戦いに勝機を見出せないでいるのだろう。
だけど幸いな事に二水戦の士気は高く局地的、あるいは一時的にであれば優位に立つことも可能かもしれない。それを希望に一種の隙をついて漣を倒す。第一艦隊は止まらずとも漣を慕って集まった艦娘は解散を余儀なくされるんじゃないか。根拠なんてないけどそれを信じて決戦に臨むしかない。