雪風が狭霧を殴ろうとしたその日のうちに40隻ばかりの候補生が脱隊を決めた。殆どは訓練についていけない事を理由にして辞めたけど一部は雪風の件が原因だった。
ただ、意外なことにその原因である雪風に殴られそうになった狭霧はその中にはいなかった。
正直予想外だったけど、あれで辞めないなら意外といい根性しているんじゃないかしら。そんな事を思いながら消灯時間前に候補生の滞在する宿舎を見回っているととんでもない大声が宿舎内にこだました。
「ふっざけんなよ!あんの腐れビッチが!!×××と××に61センチ酸素魚雷ぶち込んで二度と使いもんにならなくしてやる!!!」
あまりに品のない言葉に一瞬唖然として立ち尽くしてしまった。
室内にも声が聞こえたのだろう俄に宿舎内が騒がしくなり扉を開けて廊下を覗き込んで私に気付いて慌てて敬礼する艦娘がチラホラいた。
「ちょっ!狭霧声が大きいって!雪風教官に聞かれたらどうするの!?」
狭霧と言うと基本的に礼儀正しい清楚な子が多いイメージがあるだけに私は驚いた。周りの候補生達もそうだったのだろう、声の主が狭霧だと判明して驚いた表情を浮かべたものが多い。
「敷波アンタなにビビってんの!?ここから教員寮まで聞こえるわけないじゃない!」
とはいえいつまでも驚いてはいられない。宿舎の風紀が乱れる。
「うるさいわよアンタ達!廊下まで聞こえてんのよ!」
それまでの喧騒が嘘のように2人は喋るのを辞め背筋を真っ直ぐに伸ばして敬礼をした。それに少し遅れて同室の夕立と巻雲も立ち上がり敬礼をした。
「申し訳ありません陽炎教官!雷撃に関する意見の相違からつい大声での議論に加熱してしまいました!」
いけしゃあしゃあと狭霧は言った。
「……そう、夕立と巻雲は楽にしなさい。私は狭霧と敷波に用があるわ。2人は廊下に出なさい」
私の言葉に敷波は顔を真っ青にし、狭霧はマジメ腐った顔でお供しますなんて言って来やがった。
「どうして私が2人だけ廊下に出したのかわかる?」
「消灯前に大声をだして他の候補生の方々に迷惑をかけたからです」
あくまで嘘を貫き通そうとする狭霧に敷波はますます顔を青くした。
「そう、他になにか言う事は?」
「煩くしてしまい申し訳ありませんでした!自主的に罰を受けようと思います!」
「そう、それはいい心掛けなね」
「お褒めに預かり光栄です!」
いい根性というよりイイ性格というべきかもしれないわね。呆れを通り越してむしろ感心するわ。
「敷波はどう?」
「えっと……さぎ痛っ!」
「どうしたの?」
本当、イイ性格した狭霧ね。私の意識が敷波に向いていたからバレないと判断して思いっきり足を踏んで余計な事を喋らないように牽制するなんて。
「い、いえ!なんでもありません。狭霧に同意見です!」
痛みから目元に涙を浮かべて敷波は言った。
「……狭霧は雪風に何か言いたい事があるみたいね。ここに呼んできましょうか?」
その根性に免じて今は見逃そう。雪風への罵倒について追及しないといけないしね。
「いえ、尊敬する雪風教官に進言するような事など存在しません!」
尊敬、尊敬ときたか。図太い神経してるわね。心臓に毛でも生えてるんじゃないの。
「安心していいのよ。二水戦はたとえ部下の言うことでも正しいと思えば受け入れる度量があるわ」
これは事実だ。常日頃から戦術、戦略、訓練方法を議論しあいお互いに切磋琢磨する。二水戦に所属している時点で敬意を払う対象たりえるからこそできた事だった。
「私も貴女みたいに昔中隊長だった神通に鬼とか悪魔とか色々悪口を言った事があるわ」
「……どうなったんですか?」
「ニコニコしながら話を聞いてくれたわよ。陰口を言うよりよほどいいとも言ってたわね」
私の答えに狭霧は驚いたようだった。
「意外?」
「はい。てっきり上下関係が厳しいものだと思っていました」
「二水戦に所属する以上お互いに一定の敬意を払うわ。たとえただの罵倒だとしても仲間からのものであれば反論せずに最後まで聞くのが二水戦よ。だから遠慮せず言いなさい」
厳密にはこれは私の中隊長だった神通さんの話だけどね。多分他の中隊長も似たようなものだろう。
「……では遠慮なく」
狭霧スッと息を吸い込むと大きな声で叫んだ。
「よくも衆目の中でこの私に恥を書かせてくれたわねこの腐れビッチ!お前なんか61センチ酸素魚雷でミンチにして深海棲艦の餌にしてやるわ!」
いや、ほんとに遠慮ないわねこの子。正直多少自重するものだと思っていたのだけど。隣の敷波なんか自分が言ったわけでもないのに顔を真っ白にして泡吹いてるのに。
「スッキリした狭霧?」
「はい、とても」
それはよかったわ。こっちとしても手間が省けたし。
「じゃあ腕立て500、スクワット500、グランドランニング20周。これを3セット。敷波は一セットね」
「はぁ!?二水戦はただの罵倒でも最後まで聞くんじゃなかったんですか!?」
「そうね、だから最後まで聞いたわ。けどここは二水戦じゃなくて教導隊なの。罰は受けてもらうわ」
「こ、この
私まで口汚く罵ろうとする狭霧を手をかざして宥めるとさらに言った。
「ちなみに、二水戦だと最後まで聞いた後に半殺しにするまでがワンセットよ」
あの時はニッコリ笑った神通さんに片手で後頭部を掴まれてそのままもう片方の手に持った訓練用の魚雷に顔面をぶつけられたわ。訓練用とはいえ緊張感を持つために少量の爆薬が入った魚雷を使ってたから私は大破して入渠することになったわ。ただ何故か魚雷を持っていた神通さんは無傷だったのよね。
「それと今のでもう一セット追加ね」
さ、早くやりなさいと言ってやると物凄い顔で狭霧が睨んできた。
「あ、そうだ忘れてたわ。敷波は狭霧を庇ってたからもう一セット追加、狭霧も敷波に暴力をふるってたからもう一セット追加ね」
「……気付いてたんですか」
「当然よ」
甘く見ないでほしいわね。
「それと、消灯時間を過ぎたら罰則があるからそれまでに終わらしなさいよ」
「あの、罰則ですからせめてそれくらいは多めにみたりは…」
舐めたことを言った敷波を睨みつけてやると肩を縮こまらせた。
「罰則を受けることになったのは誰のせいかしら敷波?」
「狭霧のせいです」
「そうねあなたが……ってはい?」
「狭霧が雪風教官の悪口を言ったせいです。私はそれを止めようと大声を出してしまっただけです」
…この敷波は敷波でいい根性してるわね。
「貴女狭霧を庇ったわよね」
「庇ったんじゃありません。脅されて仕方なく嘘を言ったんです」
まぁそうなんだけどさ。
「貴女は教官と仲間を天秤にかけて仲間をとった。たとえ脅されようがその事実は変わらない」
「二水戦の候補生として仲間を売るような真似はできません!」
いや今思いっきり売ってるじゃない。
「今売ってるじゃないですか……」
狭霧も同じ事を思ったのだろうボソリと小さな声で呟いた。
「あんたねぇ、やってる事と言ってる事がチグハグすぎるわよ」
なんかもう疲れてきたから適当に脅して切り上げようかな。
そう思って敷波にもう一セット追加を告げようとしたらスピーカーから親潮が消灯を告げる声が流れた。
「陽炎教官、どうやら消灯時間になってしまったみたいですが罰則はどうすればいいでしょうか!」
敷波が元気よく尋ねた。
消灯前に行わせていた罰則が消灯後にも継続するのと消灯後に罰則を与えるのは大きな違ってくる。教導隊の規則では消灯前に行っていた罰則が消灯後に継続するのは構わない(消灯後は罰則を終了するよう推奨されている)が消灯後に罰則を与える事は翌日の訓練に差し障るとして禁止されている。
それをわかっていてわざと敷波は話を引き延ばしたわけだ。してやられたわね。
「……罰則はなしよ」
私の言葉に2人は今日一番の敬礼を返した。
たかだか候補生如きに最後までいいようにされるわけにはいかない。私は無言で2人の後頭部を掴むと2人を向かい合わせ勢いよく額をぶつけ合わせた。
「これで手打ちにしてあげるわ」
2人は今日一番最悪な敬礼を見せると真っ赤な額を抑えながらヨロヨロと部屋に戻って行った。
次回は電ちゃんさんがご出演なさります