横須賀にある海軍病院。そこには1人の艦娘が入院していた。艦娘は基本的にはドックに入渠すれば傷が治るけど引退するような年齢の艦娘だとその効力は無くなる傾向にある。たとえ一般人とかけ離れた力を持っていようと傷付けば病院に入院して治療を受けなければならなくなる。艦娘が年齢によって引退する理由の一つだ。
「お久しぶりです。お加減はいかがですか?」
その病室の主人は私の問いかけに不機嫌そうな表情を浮かべた。
「これが良さそうに見えますか?」
「よくは見えませんね」
彼女、神通さんは身体中に包帯を巻いて不機嫌そうな様子だった。
「だけど漣と戦ってその程度の怪我で済んだんだからよかったじゃないですか」
「いいわけないでしょう! 漣に負けて早々に脱落した私は、手の空いていた潜水艦に護衛されて泊地に帰還。お陰で戦闘には一切参加できず、以来ずっとベッドの住人ですよ!!」
神通さんは漣が艦隊にいるか確認するために教導隊を率いて一撃離脱を前提とした突撃を仕掛けた。それによる漣側の被害はなかったみたいだけど逆に教導隊側も被害なく離脱できる寸前まではいった。けどそのギリギリのところで神通さんが漣の挑発に乗って反転、叢雲の制止を無視して攻撃を仕掛けた。結果返り討ちにあって教導隊は漣の本隊から軽い追撃を受け、神通さんは大破した。だけどそれ以外は被害を出す事なく離脱に成功した。
「引退して随分経つのに無茶するからですよ」
「それを言ったら教導隊には私よりも軍歴の長い艦娘はいますしなんなら私の指揮下で漣と戦いました」
「駆逐艦と軽巡洋艦を比べないでください。元々小型艦の方が能力の減衰は小さい傾向にありますし神通さんの方が衰えているのは当然ですよ」
何故かは知らないけど傾向として大型艦になればなるほど早く力を失う傾向にある。もっとも、それは個人差が大きくて小型艦でなくても長い間力を失わずに戦い続けることができる大型艦も存在する。
「まさか漣に一撃たりとも浴びせる事ができずにおめおめと逃げ帰ることになるなんて思いませんでした」
あの漣相手にそれだけの傷を負って逃げられただけでも十分だと思うけど神通さんにとって、それは不本意な結果だったのだろう。
「追撃が苛烈でなかったのも癇に障ります。漣達の物資がそれほど多くなかったとしてもその程度の相手と認識されたのは元二水戦として許し難い侮辱です」
少なくとも漣の本隊においては十分な物資を確保した上で攻勢に出ていると私達は思っていた。だけどそれは間違いだった。漣達は元々それほど多くの物資を備蓄しておらず、水と食料は精々1個艦隊が2ヶ月程度活動可能な程度。燃料はそこそこ豊富だったみたいだけど、弾薬に関しては私達と戦うだけで精一杯。仮に私達を撃破したとしても泊地を奪取できるほどの物資は残らなかったと判明している。だから神通さん達への追撃も最小限だったし第四艦隊と中央での攻防もそれほど苛烈なものにならなかった。事実、私達に降伏した後の第一艦隊には私達の半分以下の弾薬しか残っていなかった。
「ですけどそのおかげでこうして話す事ができているわけですし……」
「敵に侮られた私のプライドはどうなるんですか!」
その気持ちが分からないわけではない。だけど指揮艦として第二艦隊を率いた経験からプライドよりも優先すべき事があることもわかっている。だから神通さんの言葉に今は簡単に頷く事ができない。
「指揮艦にはプライドよりも優先しなければならないこともあります」
私の言葉に神通さんは驚いた様子を見せた。神通さんは数少ない二水戦の旗艦数少ない生き残りではあるけど彼女が旗艦だった期間は極めて短い。神通さんは第二水雷戦隊旗艦ではあったけど第二艦隊の旗艦は兼任していないしなんなら戦隊を率いて戦ったこともない。神通さんは引退する直前に旗艦が戦死したから一時的に二水戦の旗艦を務めたけど本来は旗艦を務める人材じゃなかった。私も二水戦が全滅しなければどんなに頑張っても中隊長が関の山だった。漣からはなぜか高く評価されていたけど私自身は未だに旗艦というものに自分が向いているとは思えないけどそれでもこの職責についた以上は相応しい立ち振る舞いをしなければならないと思っている。神通さんはその自覚ができる前に旗艦の座を退くことになってしまったんじゃないだろうか。昔はそんなこと思わなかったけど今はそう思う。
「二水戦の旗艦なら時にはプライドを優先しなければならない時もあります」
「神通さん、二水戦だろうと指揮艦であることは変わりません。指揮艦ならそれにふさわしい行動をしなければなりません。最優先は任務の達成。次にいかに被害を少なくして部下を連れ帰るか。任務の達成がもちろん一番重要ですけど任務の重要度によっては被害を少なくするために失敗することを覚悟して諦めるのも時には重要なことです」
私にとって二水戦はたとえどんな危機にあろうとも任務を達成する武闘派集団だった。だけど漣との戦いが終わってから改めてこれまでの記録を読み返すと中隊長クラスはともかく戦隊旗艦ともなれば時折苦渋の思いで部隊を維持するために撤退を選択することもあった。もちろん戦術的、戦略的にそれができないこともあったみたいだけど戦隊旗艦に限ってはその選択を間違えた事は殆どない。二水戦が最強と言われたその一端を、私は漣との戦いが終わってようやく理解する事ができた。
「陽炎、貴女がそんなにも弱気になったのは黒潮が死んだからですか?」
「神通さん」
努めて平静に私は彼女の名前を呼んだ。だけどそれは私が思っているほど平静ではなかったのだろう彼女の顔が強張った。
「あまり舐めないでください。確かに貴女は二水戦の先達で戦隊旗艦を務めた実力者でもあります。ですがすでにその在籍期間では私が抜き去りそれどころか第二艦隊旗艦を務め、今は連合艦隊旗艦の座さえ視野に入っています」
教導隊時代お世話になった人にこんなことを言うのは気が引けるけど世間では現役最強なんて言われる私がここまで舐められた態度を取られるのも問題だろう。
「実績なき旗艦の分際であまり調子に乗らないでください。中隊規模ならその考えでも良かったのかもしれません。しかし戦隊、艦隊と率いる規模が大きくなれば戦局全体に及ぼします。それほどの規模の部隊を率いた事があればプライドを優先するなどと軽々しく言えるはずがありません」
「……言ってくれますね」
「事実です。そして私はこれまでの二水戦ではダメだと感じたから生粋の二水戦ではない不知火にその座を譲ったんです」
不知火が二水戦旗艦になると聞いた神通さんは連日病院から抗議の手紙を送り続けてきた。神通さん以外にも元二水戦からはいくらか反対の手紙やメールが届いたけどその悉くを無視して私は不知火を旗艦の座につけた。だいぶ薄れていたとはいえ一水戦の良さも二水戦の良さも知る不知火なら次の時代に相応しい最強の二水戦を作り上げてくれると確信していたからだ。本当は私自身でそれを成し遂げたかったけど連合艦隊旗艦代理、第一艦隊旗艦と言った職責からそれは難しい。
それにそろそろ二水戦は、いや日本は変わるべきなのかもしれない。漣という古い時代の艦娘が死に彼女と共に戦った上層部の連中も今回の件で一掃される。
「これから艦娘は変わります。漣という先の時代の艦娘が死に私という新しい時代の艦娘が最強の座に座った以上は必ず変えます」
「そんな事をしてなんになるというのですか」
「それはまだわかりません。だけど艦娘に変革をもたらすのは漣を倒した者としての義務だと思います」
漣は変革を望んで反乱を起こした。彼女の主張だけを聞けばそれほど悪いものには思えなかった。だけどそれは正当な手段によってなされるべきだった。そしてそれを潰したのは他でもない私だ。彼女の主義主張を潰した以上は彼女のしてきた事全てに対して私なりの答えを出して変革する義務がある。
「漣の反乱で海軍内にも第三者委員会を作り彼女の証言が事実かどうか調査するという動きがあると聞きましたよ。それで変革など自動的に進むでしょう」
「確かに話は持ち上がりました。だけどそんなのすぐに立ち消えましたよ。どうやら余程探られたくないみたいです」
海軍上層部は一掃された。私が使う事の出来る全ての手段を使って調べた感じだとおそらく根っこは政治家連中だ。深海棲艦との戦いが始まってすでに26年になる。それだけの期間があれば当時の大物議員はすでにいないけどその下についていた中堅、若手議員は大物と呼ばれるまでになっている。多分その連中だろう。
「……そうですか」
こうなった以上漣の死に意味は無くなった。彼女が死ぬ事で艦娘について新たな議論が巻き起こるだろうと思っていた。だけど結局は現状維持に留まった。
これでもまだマシな方だと思う。多分、私以外が漣を倒していたら艦娘は今までよりも悪い方向に向かっただろう。私の一族が強大だった事と私自身が漣以上の実力を見せた事で御し難いと思われたからか、議員連中は接触すらしてこなかった。
「それで、貴女が第二の漣にならないという保証は?」
「漣も最初から反乱を起こそうとしていたわけではないでしょう。それと同じように仲間がいるうちは私もそんなことしませんよ」
「ではいなくなればそうなると?」
「そんな事その時にならなければわかりません。それにあくまでも私の目標は深海棲艦の駆逐です。そのついでに深海棲艦を倒しやすいように組織を改革しよう、それくらいの気持ちでしかないんですよ。私に漣ほどの熱意はありません」
あくまでも私が漣に変わって艦娘を変革しようというのは漣の意見を真っ向から叩き潰した事から来る義務感からだ。わざわざ自ら国と敵対してまで変革をしようという気力はない。それに彼女の死に際に放った言葉がどうしても引っかかる。
「そうですか。ならば私のような艦娘はもう用済みなのでしょうね」
漣との戦いが終結して私が連合艦隊旗艦代理に就任してから私は神通さんと今日まで会う事がなかった。
いくつか理由はあったけど一番の理由は艦娘全体を変革するにあたり私がまず手をつけるべきは日本の艦娘の代表たる二水戦であるべきだと考えていたからだ。
「沈黙は肯定とみなしますよ。貴女は二水戦が変わるべきだと言った。そして日本の艦娘も変わると。ならばその二水戦を育て上げる教導隊は、多くの駆逐艦娘が目標とする第二水雷戦隊教導隊の校長である私は、改革の障害に他ならないでしょう」
「……そうですね。だけどそれだけが理由じゃありません。神通さんはあまりにも衰えすぎました。いくら漣相手とはいえ軽巡洋艦が駆逐艦相手に大破するなんてあってはならない事です。潮時ですよ」
「……そうですか。いえ、確かにそうなのかもしれませんね」
神通さんは私の言葉を噛み締めるように目を瞑って頷いた。
「わかりました。後ほど正式な書類を作成して辞意を表明させてもらいます」
「ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
「少し疲れました。今日はもう帰ってくれますか?」
神通さんの言葉に私はもう一度頭を下げて病室を後にした。