消灯前の自由時間中、トレーニングルームで偶然彼女を見つけて私は初めて彼女がこの第二水雷戦隊教導隊の候補生にいる事に気付いた。現在彼女は第二水雷戦隊と並んで日本の精鋭部隊と呼ばれた事もあった第一水雷戦隊に所属していた。二水戦を除いた各部隊から精鋭の駆逐艦と巡洋艦を徴用した日本本土を守る為の要の部隊だったのが第一水雷戦隊だった。
「久しぶりね不知火。直接会うのは訓練学校の時以来かしら?」
彼女は私と訓練学校が同期で部屋も一緒、歳も同じで一番仲が良かった艦娘だった。だから所属が違ってもメールでだけはずっとやりとりをしていた。
「てっきり貴女は早々に死んでいる者と思っていました。よく生きていましたね陽炎」
「私がそう簡単に死ぬはずないじゃない」
いつも通りの軽口に私は笑いながらそう返した。
「で、どうして不知火はここに?一水戦を追い出されるにはまだ早いでしょう?」
一水戦は10年前の事件の影響で階級ごとにつける役職が厳格に決められ、任期3年で一水戦から別の部隊に移動するよう制度化されている。まだ2年目の不知火が移動するには早すぎた。
「珍しく一水戦が参加する任務があったんです。それで少佐に階級が上がってしまって……」
「枠がなくて追い出されたと」
一水戦が任務に着くのは珍しい。と言うのも一水戦が所属する第一艦隊、その所属艦娘の内およそ3分の2が引退前の艦娘のために用意されるポストとなっていて実戦に耐えうる艦娘はそう多くない。第一水雷戦隊では旗艦と第一から第三中隊がそれにあたり不知火はたしか第五中隊の第十一駆逐隊司令を務めていたはずだ。それで枠がないとなると中隊長はみんな少佐なのね。
「そうです」
家族を養うために軍に入った不知火にとっては他の部隊と比べて給料がよくておまけに生存率が高い一水戦は都合のいい部隊だったはずだからこの昇格は痛手だったのかもしれない。なぜなら艦娘の給料は番号付きの艦隊に所属しているかどうかでかなり給料が変わるからだ。特に第一、第二、第三艦隊に所属していればニ、三階級分くらいは給料が違ってくるのだからチマチマ階級を上げるのが馬鹿らしくなる。
「だからと言って今のタイミングで二水戦に来る必要はなかったんじゃない?三水戦でも多少給料は落ちるかもしれないけど給料面はともかく他はウチよりマシでしょう?」
一番給料がいいのは各地を転戦する第二艦隊、次に本土防衛の第一艦隊、台湾から九州にかけて日本海への入り口を守る第三艦隊と続く。第二艦隊は第一艦隊と艦隊所属による昇給額は変わらないけど危険手当が高い分少し給料がいい。三水戦の所属する第三艦隊は任務の重要性からこの二つの艦隊に続いて給料が良く、第四艦隊以降の艦隊とは給与額に大きな差があった。番号付きの艦隊所属の艦娘など駆逐艦だと全体の0.7%程度、簡単になれるものでは無いが一水戦に現役で所属できるほどの実力者なら枠さえあれば二水戦以外なら簡単に所属できたはずだ。
「三水戦はちょっと…」
不知火は露骨に顔を顰めた。
「まぁ、そうよね。佐世保か高雄ならいいけど那覇泊地に派遣になったら最悪だものね」
重巡洋艦や戦艦、空母よりも前線で頻繁に運用される駆逐艦、軽巡洋艦の立場は高い。戦争初期は大型艦こそ正義という風潮があったけど戦争中期からは大型艦の運用方法が陸上の航空基地や移動砲台と言った防衛寄りの運用をされる事が増えその地位は一気に下がった。いくら遠距離攻撃ができようがいくら火力が高かろうが防衛が主体である以上戦果を上げようがなく、戦果を上げない者は尊敬の対象たり得ないからだ。そんな中、戦果を上げていなかろうが全艦娘が頭が上がらない艦種がいる。
潜水艦だ。艦娘が使う艤装は深海棲艦が集めた資源や深海棲艦の死骸から剥ぎ取った武装から作られる。深海棲艦が資源を集める習性を利用して人為的に数を調整し安定的に資源を得ることができるようにした深海棲艦の資源集積地が東シナ海にはあった。そこの深海棲艦は対潜装備を持っていないため潜水艦であれば無傷で資源を持ち帰る事ができた。運用初期には潜水艦達が一切の戦闘をせずまるで旅行に行って帰ってくるような様子から“沖縄旅行ルート”と呼ばれるていた。現在ではオリョクルと呼ばれ全潜水艦の内約9割がこの任務に従事していると言われている。
何故オリョクルと呼ばれるようになったのかは諸説あるが、外交官だった父によると日本の政治家が外交の折
「輸送艦隊所属じゃないとはいえ同じ泊地にいたらあのでち公に何言われるかわかったもんじゃないですから」
「少なくとも口癖の“感謝するでち”は言われるわね」
でち公は沖縄県那覇泊地に本拠地を置く日本最大の艦隊、潜水艦隊旗艦の伊58の事で戦争初期から軍に所属している古株だ。オリョクルは轟沈する危険が無いに等しいから本来なら引退しているような艦娘も多数所属していて大先輩だらけなせいもあって潜水艦隊に逆らえる艦娘なんて殆どいない。いい人ばっかりなんだけどでち公は例外で第一と第二艦隊以外には廊下とかで会えば必ず道を開けて頭を下げろとか土下座しろとか言ってくる。伊58特有のでちという口癖から親愛と揶揄いを込めて“でち公”の愛称で親しまれている。
「二水戦ならアレと関わらずに済みますし仮に関わる事があっても被害はないですからね」
一番初めに作られた常設艦隊が第一艦隊と第二艦隊だった事もあるのだろう一定の敬意を払っているみたいで昔那覇泊地に立ち寄った時はお茶とお菓子を出して普通に歓迎してくれた。
2、3時間の滞在だったのに感謝しろでちは30回くらい言われたけど。いや、もっと言われたかしら。
「流石に日本を数多の深海棲艦から救ってきた第一と第二にはデカい顔できないんでしょうね」
他の艦隊とは比べ物にならない功績があるもの。
「それは違うと思ます」
「違うの?」
また聞きになりますが、と不知火は前置きしてからいった。
「昔一、二水戦の初代旗艦に対して“土下座して感謝しろでち”って言ったらボコボコにされたらしいですよ」
「すごい度胸してるわね」
それでこそでち公ね。人によって態度を変えるとからしくないわ。
「初期艦のお二人にそんなこと言えるのはあの人だけでしょうね。で、その時お二人はでち公に“一、二水戦だけじゃなく第一艦隊も第二艦隊も共に戦う仲間だから上下などない”と説いたそうです」
「へ〜、流石は初期艦いいこと言うわね」
初期艦は最初に艦娘になった5人の艦娘を指し、それぞれ一水戦と二水戦の旗艦、第一、第二艦隊、連合艦隊の初代旗艦などを務めた。
「そうですね。ですがそこはでち公、どう曲解したのか第一と第二だけが共に戦う仲間であってそれ以外は下だと思っているみたいです。当時はまだ第三以降の艦隊はありませんでしたからお二人が言及しないのは当然なんですが…」
「自分のいいように解釈するなんて流石でち公ね」
自分に都合の悪い事からは目を逸らす。それでこそでち公ね。
「……この辺にしましょうか。あの人だっていいところはあるんですし」
「そのいいところに目を向けても普段の言動がアレじゃあね」
私達みたいな未成年の間から軍に入った艦娘からしたら感謝しても仕切れない存在ではあるのだけど……。
「一度会う機会があって未成年艦娘保護について感謝を伝えたら“一生下僕でいるでち”なんて言われましたからね」
「まぁ、アレがいなけりゃ未成年艦娘は酷使されてたでしょうし私らからしたら感謝するのは当然なんだけど……」
今から13、4年前、政府は艦娘の志願年齢をそれまでの18歳から12歳まで一気に引き下げた。オリョクルが軌道に乗り艤装の生産数が上がった事と年齢が若い方が艦娘に適合しやすい事が原因だった。賛否両論あったけど深海棲艦に海上で対抗できるのが艦娘しかいないことからこの法案は可決された。
ただ一つ問題があった。未成年の深夜労働にあたるとして未成年艦娘の夜戦や一日がかりの任務などにおいては午後10時から午前5時までの間は給金、各種手当、そして轟沈した際の見舞金などが当該時間中は一切出ないことになった。しかも悪い事に軍上層部はそれを艦娘やその家族に説明せずに出撃させあまつさえ政治家もそれを容認した。それが表面化したのは制度が確立されて一年ほど経った時だった。オリョクルで集められた資材を本土に輸送していた駆逐艦が深海棲艦の奇襲を受けて轟沈した際、本来支払われるはずだった見舞金が支払われずそれを知ったでち公が政府に圧力をかけた。その圧力のかけ方が酷かったから当時の関係者は艦娘と聞くだけでいまだに震え上がるなんて話もある。
まずオリョクルをボイコットし軍上層部に圧をかけると当時第一艦隊旗艦だった初期艦に要請し第一艦隊を訓練と称して横須賀から出航、東京湾に集結させた。砲門は全て首相官邸や国会議事堂、海軍省に向けられていたから軍と政府は相当慌てたらしい。俗に艦娘首都砲撃未遂事件なんて言われている。噂じゃ本当に撃ったなんて話もあるけど…。
「実は私、第一艦隊が東京湾に集まっているのをお台場から見たんですよ」
「そうなの?私は確か……そうイギリスにいたわ。だから全部終わった後になってその事件を知ったのよ」
当時父が駐英大使館の一等書記官をしてたからそれについて行ってたのよね。父の同僚だった駐在武官の子供によく遊んでもらったっけ。あの頃は私が艦娘になるなんて想像もつかなかったわ。
「結局あれって本当に撃ったの?」
詳しそうな人に聞いてもみんな話をはぐらかすのよね。
「……あの日の空は雲一つなく澄み渡っていました。それなのにどこかで落雷が落ちたようなみたいな大きな音がしたような覚えがあります。
それと空母から艦載機は発艦しなかったと報告されていますけど私は当時艦載機の大編隊が上空を飛んでいるのを見て随分はしゃいだ記憶があります。今にして思えばあの艦娘の数、明らかに第一艦隊だけじゃなかった気がしますね」
いや、それ笑い話で済まないんじゃ…。
「流石に冗談よね?」
私の問いかけに気まずそうに不知火は視線を逸らした。マジか。
「…結局あの人それまでの未成年轟沈艦娘の見舞金と遅れた分の慰謝料を軍と政府から出させた上に個人的にいくらか包んだみたいですよ」
「あのでち公がお金出したの?いいとこあるじゃない」
「ただなにかにつけて感謝するでちを言ったせいで最後は遺族からも鬱陶しがられたみたいですけど。もしかしたらあの人なりの照れ隠しなのかもしれませんね」
「照れ隠しねぇ」
アレに限ってそれは無いと思うけど。だって他にも色々やらかしてるし。
「今度会う事があったら照れ隠しか聞いてやろうかしら。もし本当にそうなら揶揄ういい材料ができるし」
面と向かってでち公とかでっちって言ってもその場でちょっと怒るだけだし多少揶揄うくらい大丈夫でしょ。
「ほどほどにしてくださいね。あんなのでも尊敬してる人は多いですし私も別に嫌いなわけじゃ無いんですから」
「私だって嫌いってわけじゃ無いわ。ただ長時間相手するのが面倒臭いのよね」
「それは否定しません」