特級呪術師である乙骨憂太はドイツにて、1級相当とされていたであろう特級呪霊と対峙していた。事前に聞いていた情報では術式を使うもののそこまで複雑なものではなく、乙骨一人で対処が可能な部類とされていた。しかし、何がきっかけかは不明だがこの呪霊は突然強くなり、特級相当に値する能力を得た。
今のところは拮抗している。しかし、ほぼ無尽蔵ともいえる膨大な呪力量を誇る乙骨の呪力を何らかの方法で制限しているのか、時間をかければかけるほどまずい状況になっていた。今はまだ致命的な一撃を貰うまでに至っていない。だが、それもいつまで持つか分からない。
特級と成った呪霊は黒い靄に包まれた生物を模した形を取っていた。それは乙骨の攻撃をすり抜け、同時に自らを通った瞬間に呪力を奪い取っていく。下手に攻撃すれば吸収され、しかし様子見しているだけでも削られていく。圧倒的に不利な状況に陥ってしまっていた。
『Blödsinn Widerstand macht keinen Sinn.』
「…悪いけど、ドイツ語はよく分からないんだ」
『Komisch, das war's dann auch schon.』
「(くそっ…相性が悪い…!術式もうまく動かない、呪力も強制的に制限されているせいで身体能力の維持で手詰まりだ)」
呪霊の術式によるものなのか、辺り一面にも呪霊と同じような靄が立ち込める。それは帳のように広がりながらドーム状に乙骨と呪霊を囲もうとしていく。
これ以上何かをされればまずい、そう判断した乙骨は「一時撤退」を選択する。呪霊からとにかく距離を取り、制限が解けたらもう一度祓いに来る。それが今の状況ではベストと考え、僅かに使える呪力を身体能力の強化に全振りする。
だが相手もそれを分かっていた。呪霊はクツクツと嘲笑いながらドーム状に展開しつつあった靄を一斉に動かし、追撃する。その速度は強化された乙骨よりも早く、それはあっという間に距離を詰めて迫りくる。
乙骨は予想以上の強さを隠していた呪霊に対し、唸りながらも靄を祓おうと刀を振る。しかしそれは実体を持たない靄には意味はなく、だが逆に靄は乙骨の足を確実に捉えた。
「しまっ…!」
『Ha-ha-ha-ha!』
呪霊が嗤う。そのまま捕らえた乙骨を地面に押さえつけ、抵抗する姿を見て楽しんでいるのかゆっくりと歩み寄っていく。呪霊は四つ足の肉食獣のような、それでいて頭が幾重にも別れた不気味な姿を象り、その口を開ける。呪力に制限を受け、しかも捕らえられたことでさらに呪力の流れに阻害も受けてしまった乙骨は、首を潰されないように抵抗するので精一杯だった。
呪霊があと少し、足から噛み千切って遊ぼうとしたその時、乙骨の視界に火の粉がちらついた。それは呪霊も気が付いたようで、食いつこうとしていた動きをやめて、頭の一つを巡らせる。
数の増してきた火の粉が呪霊に触れたその時、ゴウッと大きな音を立てて呪霊の一部が燃える。それは次々と降り注ぎ、乙骨を捕らえ押さえていた靄も食いつぶすように焼き払っていく。だがその炎は乙骨に触れても燃えず、むしろ暖かさを与え、阻害されていた呪力の流れと縛りを正常に戻していった。
「これ、は…!」
『Aaahhh!!!!』
「
突如として聞こえてきた第三者の声と共に羽ばたく巨大な炎の鳥が目に入る。それは呪霊「のみ」を燃やし、先ほどまで乙骨が手も足も出せなかった呪霊は金切り声をあげながら燃え広がっていく。
ザリッ、と地面を踏みしめる音と共に黒い大剣を持った緋色の髪の男が乙骨の後ろから現れ、叫び声を上げながら悶える呪霊を睨みつけている。
「
「えっと…ドイツ語…」
「…あぁ、日本人だったのか。大丈夫か?」
「げほっ…助かりました。アイツはどうも、相性がかなり悪くて」
首を抑え込まれ、少しばかり鈍くなった頭を振って乙骨も立て直す。燃え続けている呪霊は金切り声から怨嗟の声へと変わり、その主犯である男の方へとターゲットを変える。だが、男はそんなことを知ったものじゃないと言わんばかりに大剣に呪力を籠め、そして炎を纏った大剣を持って呪霊へと切り込む。物理的な攻撃手段は効かない、そう言おうとしたが纏った炎が呪霊を切り裂くのを見て乙骨は驚いた。
乙骨の術式に「模倣」がある。それ故に、今目の前にいる男が放っている炎は「副次的な現象」でしかないと理解した。目の前の男の術式は「根源から消し尽くす」もの、それで消えた結果が炎という物理的な現象となって見えているだけで、実質「消滅」させているといっても過言ではない。だが、条件として細かい対象指定をしなければならないという縛りがあるらしい。
それでも尚、強力な術式と炎は呪霊を一方的に切り裂き、燃やしていく。
「
『Ga…a…ah…』
最後に核を貫き、呪霊は祓われたのであった。
▽▽▽
乙骨の代わりに呪霊を祓ったドイツの呪術師、男は「ディルック」と名乗った。
元々この辺りには昔から有名な呪霊の溜まり場があったらしく、今回発生した呪霊は「対峙した相手によって強さが変わる」という性質を持っていたらしい。結果として特級だった乙骨の強さに当てられ、呪霊も強化。その際に上限が消えたことで相性の悪い方向に成長したのだろう、とディルックは言った。
ディルックが拠点にしている場所がそう遠くない、ということもあって乙骨は治療も兼ねてそこへと一緒に動いていた。ディルックは海外に行くことも多いらしく、いくつかの言語をマスターしていると言っていた。その中の一つに日本語も入っていたらしく、乙骨としても大変ありがたい事だった。
「そうか…日本では君のような子供にすら
「そうはいっても、人数が少ないならしょうがないと思います。それに、僕にもできることがあるなら、少しでもやれることをしたいです」
「…君の意思なら、僕も深くは追及しない。だが、流石に今回の件は危なかったはずだ。補佐役もつけずに一人で動いていたのか?」
「あー、いえ…巻き込まないように、って置いてきました」
「流石にそれはどうなんだ!?…失礼、だが、今回のような例もある。今後はやめておけ」
「そうします」
ディルックと共に歩くこと数分、たどり着いた先にあったのはごく一般的なバーのような場所だった。看板を見れば「エンジェルズシェア」と書かれており、入り口には「close」と掛かっていた。ディルックはその扉を迷うことなく開けて入っていく。それに困惑したのは乙骨だった。
「えっ、ここって今…」
「問題ない。ここは僕の店だからな」
呪術師兼バーのマスター。日本では少々在りえない立場にある男を乙骨は純粋な尊敬の目で見ていた。
扉をくぐった先、カウンター席に一人の眼帯をした青い髪の男が座っており、その姿を見たディルックはため息をついた。
「『ガイア、今は閉店時間なんだがどうしてここに居る?』」
「『いや何、旦那が珍しく武器を持って走っていくのが見えたから代わりに店番を、な?』」
「ディルックさん?」
「あぁ、すまない。コイツも僕たちと同じだからあまり気にしなくていい。僕の遠縁のガイアだ」
「なんだ、日本人の客人を連れてくるとは。珍しいこともあるもんだ」
「違う。例の場所で
乙骨に席に座るように促し、ディルックは慣れた様子でカウンターの中に入る。そのまま救急箱を取り出し、それをガイアに渡して首で治療を手伝うように促した。ちなみに、ガイアの手元には酒が入っているであろうグラスが置かれているので、恐らく酒代代わりにやれということなのだろう。
ガイアも分かっているのか肩をすくめて救急箱を受け取り、乙骨の手当てをする。呪霊の呪力に当てられた首が一番ひどいらしく、少々痣になっているとの事だった。
「ふむ…
「わかるんですか?」
「同類がそこにいるからな。まぁ、旦那の場合はまたちょっと違うんだろうが。…これで良し、1週間もすれば後も残らない」
「ありがとうございます」
箱をしまい、入れ替わりでバーのマスターとしての格好をしてきたディルックがやってくる。その手にはジュースらしきものが入ったグラスが握られており、ディルックはそれを乙骨に差し出した。
「僕の店で出してるワインと同じブドウで造ったジュースだ。これでも飲んで、少し休んでから自分の拠点に戻るといい」
「何から何まで、ありがとうございます。…わ、おいしい」
「そうか、よかった」
カウンターに戻ろうとしたディルックは、ふと何かを思ったのか乙骨の方へと再び振り返って、フッと微笑みながらマスターらしく振舞った。
「
ディルック
→ドイツの呪術師。階級は1級相当(日本式)
術式は「焼却」。指定したものを根源から焼き尽くす。今回指定したのは「特定の場所で発生した呪霊」。副次作用で焼却が発動成功すると炎として現れる。
呪術師兼バーのマスター兼ワイナリー社長。つまりテイワットと一緒。
ガイア
→今回は義兄弟じゃなくて遠縁として生まれてきた。眼帯しているのは術式の影響で片目が普通じゃないから。
ディルックと組むともう手が付かないくらいに相性がいいので特級が出たらこいつらを組ませて送って置けと言われるレベル。1級相当(日本式)