『3番、キャッチャー小森くん。背番号、2』
「お願いします、」
礼儀正しく述べて、打席に立つ小森。吾郎が闘志を燃やして彼を迎える一方で、寿也は冷静にその一挙一動を観察していた。
(小森……走者が
彼以上の強打者がいる厚木でなければ、4番も打てる逸材だろう。それも才能より、努力で培われたものだからなおさら隙がない。苦手コースはいちおう分析してあるが、本当に苦手と言えるのかどうか。
──その迷いは、ピッチャーにも伝わるよ。
半年前の練習試合のとき、かけられた言葉をふと思い出す。吾郎は表向きワンマンのようでいて、投球の差配の大部分を自分に託してくれている。その信頼に応えるために、自分も同じだけ強気であり続けなければ。
(さっきと同じアウトローだ。捉えられても内野を抜けなければ、アウトにできる)
(オーケー。ま、三振とっちまうけど……なっ!)
球速とキレにおいて世界最高峰と言っても過言ではない吾郎の弾丸ジャイロが放たれ──刹那の間に、キャッチャーミットへと突き刺さる。
「ストライィク!」
「………」
流石に初球には手が出ないようだった。(やっぱり速い、)──初めて彼の球を見たときと変わらない、率直な感想だった。
お互い、ここは様子見も同然だった。続く二球目は、
「っ!」
「ストライィク、ツー!」
今度は振りにいった小森だったが、タイミングが合わず空振り。とはいえ、その結果も想定の範疇ではあったが。
(追い込まれた。次は当てていかないと)
(次は間違いなく当てにくる。初回だし、まだゴリ押しする局面でもない。一回ウエストで、ペースを外してみよう)
三球三振を好む吾郎だが、特段の理由がなければ指示に首を振ることは少ない。今回も歓迎というふうではないが頷き、高め外側に外した球を投げる。
「ボール!」
やはり、これに逸って手を出すような相手ではない。しかし吾郎が初回から四死球を与えるような投手でない以上、この一球が藪蛇になることもないはずだ。
(もう一球、同じコースだ!)
今度こそと、勝負を決めにかかる。しかしそれを察して何もしないほど、小森は腰が引けてはいなかった。
「ふ──っ!」
──かぁんっ!
ついに小森のバットが、吾郎のボールを捉えた。尤も軌道は御しきれず、大きく切れてファールとなったのだが。
(ちぇ……もう当ててきやがった。コースは?どうする?)
(大丈夫。迂闊にずらしたら、それこそ思う壺だ)
続けて、同じコースにもう一球。わずかに身じろぎした小森だったが、今度は力強く引っ張ってみせた。フェアになる!──そう判断して咄嗟に走った児玉だったが、幸いにしてぎりぎりファールゾーンに落ちた。
(今の、入ってたら危なかったぞ……)
ほ、と息をつく国分。児玉も守備で早々エラーはしないが、守備位置の関係上、純粋に足が追いつかないというところもある。小森が打球をコントロールできるようになれば、確実にこちらの穴を突いてくる。
「ライトもっと端に寄って!センターもっと右に、ショートも下がって!」
その穴を可能な限り埋めようと、寿也が指示を飛ばす。草野の脚でできるだけ右翼側をカバーする。その分、左中間は泉に補ってもらう。なるほどセンターラインの信頼度を思えば、隙のない構成ではあると小森は思った。
(でも……薬師寺くんに、がらんとしたダイヤモンドで打たせるわけにはいかない!)
バットを短く持ち直す小森。当てる、必ず。
果たして次の球──ストライクゾーンからわずかに外れてはいたが、制御圏内だ。構わずバットを振った。
──かあぁんっ!
「!」
小森の狙いは、三塁沿いの内側。三宅が咄嗟に振り向くが、手を伸ばすにはわずかに足りない。泉が飛び込むが、これも寸分届かずポテンヒットになった。
「っ、三宅!」
「お、おぅ!」
ボールを拾い上げた三宅が一塁へ送球する。小森が単に足の遅い走者であれば間に合ったかもしれないが、そこは厚木の
「……セーフっ!」
寸分の時を活かして駆け抜け、みごと出塁に成功する。寿也は歯噛みしたが、マスク越しにもわかるような露骨な反応は示さない。初回を三者凡退で終わらせるというのは目標
──そのために、次は紛うことなき正念場だ。4番、サード薬師寺。プロの強打者たちとも遜色ないパワーとミート力を誇る、厚木学園随一のスラッガーである。
(来やがったな、色男……。おまえに初っ端打たれたツーベース、よぉく覚えてるぜ)
あのときはコースこそど真ん中だったとはいえ、それゆえ当時では最高クラスの球速・球威だったのだ。薬師寺はそれを、あと一歩で本塁打という打球にしてみせた。
既に完成形に近しかった吾郎の直球は、流石にあのときから大きく進歩しているわけではない。果たして、どこまで通用するか。
──初球、
「ッ!」
鋭い打突音とともに、打球が大きく飛んでいく。思わず腰を浮かせかけた寿也だったが、ボールは切れて観客席へ落下した。
「ファール!」
「………」
眉ひとつ動かさぬまま、バットを握り直す薬師寺。その、なんの過不足もないと言わんばかりの涼しい表情が、吾郎の癇に障った。
(くっそー……100マイル打って当たり前ですみてーな顔しやがって。ぜってー三振とってやる!)
燃える吾郎。あまり頭に血が上るようなら声をかけるべきかと寿也は思案したが、冷や水は浴びせすぎるとチーム全体の不協和音に繋がりかねない。ここは、様子を見るべきか。
吾郎の発奮は、決して悪い方向には作用しなかった。むしろ、球速もキレもここまでの3打席より増したくらいだ。
しかしそれでもなお、薬師寺は抜け目なく白球を捉えていく。それも一球ごとに、確実に精度を増していく──苦手なはずのコースを狙ってもなお、結果は同じで。
(てめぇのストレートは見切った、)
ならば
薬師寺の狙いは、寿也も悟っていた。
(やっぱりこの人、打てないじゃなくて打たないんだ。ジャイロフォーク狙いか……)
もちろん、この対厚木戦において切り札となる武器として習得したもの──それがジャイロフォークであることに間違いはない。
だが、だからこそ安易に濫用はしたくなかった。相手が慣れ、打たれるようになったら数少ないアドバンテージ──投手が相手のエースと同格──が失われてしまう。それゆえ、最低でも一巡目までは直球一本で乗り切る──それが目標のふたつ目であった。
ジャイロフォークを打たせたい
(次でこの回15球目……)
延長を戦う可能性もある以上、球数を重ねたくはない。それでも寿也は頑なだったし、吾郎もまたそれに追随していた。
やがて堪えきれなくなったのは、薬師寺のほうだった。先ほどまでよりやや真ん中に寄ったストレート、失投というほどではないが、コントロールが甘くなったように見えた。
(打てる、)
打者としての本能が、薬師寺に力強くバットを振らせた。彼の超高校級の腕力に弾き飛ばされたボールが、センターオーバーのクリーンヒットとなった。
「っ!」
それでも草野の反応は素早かった。持ち前の脚力ですかさずボールに駆け寄り拾い上げると、追いかけてきていた児玉にパスしたのだ。
「バックホーム!」
「っ、おぉ!!」
投手として鍛えた持ち前の肩力により、中継なしでホームに向かって送球する児玉。ここがまごつくようならと生還も狙っていた小森だったが、その困難を悟って三塁で止まった。
(よし……想定内だ。これで無得点に抑えられる)
小森と薬師寺──ツーアウトの状況下である以上、このふたりで得点に至らなかったのは大きな収穫だった。そこまで計算に入れて、寿也は賭けに出た。そして、勝った。尤も打たれた吾郎は、二塁を気にするふりをして薬師寺と睨みあっていたのだが。
「ドンマイ吾郎くん、ツーアウトツーアウト!!」
だからこそ既に過去となったことは置いて、次の打席に集中してもらわなければ。5番・大場とて、油断していい相手では決してないのだ。
寿也の声かけが功を奏してか、吾郎はきっちり切り替えて次に臨んだ。粘ろうとした大場を飛球に抑え、チェンジを勝ち取るのだった。
「ナイピー本田!」
「クリーンナップまで終わって無得点だったんだ、流石だよ!」
口々に称賛の言葉がかかるが、吾郎は拗ねたような表情を浮かべたままで。
「ちぇっ、どこがナイピーだよ。連続ヒット浴びたんだぞ、しかもツーアウトじゃなきゃ犠牲フライで1点とられてたしよ」
「おいおい……」
「相手はニッポン最高峰やでぇ?」
「それでもヤなもんはヤなの!」
子どもの癇癪のようである。みな閉口したが、彼のそういう性質にはこの一年間でさんざん触れてきた。本心では常にノーノーで完勝したいのだろう、寿也の計画に乗っている以上それを口にしない程度の分別は持っているというだけで。
一方、塁上からベンチへと駆け戻る小森と薬師寺。さっそく吾郎からヒットを打ったふたりだったが、その表情に得意さは微塵も浮かんではいなかった。
「引っ掛けられたね。ツーアウトならツーベースまでは構わないって判断だったんだろう」
小森の冷静な分析に、薬師寺はひとつ舌打ちした。
「……ああ。結局、例の変化球は引き出せなかった」
「付け入る隙を与えたのは僕らだ、仕方ない。切り替えて、ちゃんと守ろう」
打てねば、勝てない。しかし守りきれば、敗けることもない。攻守いずれにも手を抜かないのが厚木学園高校の野球だと、敵に思い知らせるべきときだ。
小森の想いに応えるように、投手が意気揚々と彼を待ち構えていた。