【完結】夢島ナイン   作:たあたん

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宿命

 

 薬師寺の3ランに続く、小森の2ラン。

 これにより一時6点を追う展開となっていた厚木ナインは、最終回にして試合を振り出しに戻してみせたのだった。

 

「ようやくね。延長になればこちらが圧倒的に有利だわ」

「……させないわ、延長戦なんて」

 

 すげなく答える静香の瞳には、複雑な感情が宿っていた。

 

 

 一方の夢島ナインは……程度の差はあれ一同、各々の持ち場で呆然と立ち尽くしていた。

 

(追い、つかれちまった)

 

 ここ一番というところで。その原因は明らかで……だからこそ、彼らには如何ともしがたかった。

 

 と、彼らの劣勢を具象化するがごとく、ある程度の節度は保って降り続いていた雨がにわかに激しくなった。一寸先もが雨粒に埋もれる有様ともなれば、如何に最終盤とはいえ試合を強行するわけにもいかない。運営判断により一時中断となり──暫く、様子を見るということになったのだった。

 

 

 *

 

 

 

「やだ、試合中止になっちゃうの?この場合、どうなるのかしら……?」

「明日以降、継続試合になります。9回から……って言うのは、そうそうないとは思いますけど」

 

 桃子の疑問に淀みなく答える涼子。ただ彼女たちは、試合のゆくえ以上にマウンドに立ついち個人を心配していた。

 

「でも……どのみち吾郎は、もう……」

「………」

 

 信じるしか、ない。しかしコーチャーでありながら、ここで見守ることしかできない自分がいつにも増して歯痒かった。

 

 

 *

 

 

 

 一方、待機状態の夢島ベンチ。未だ同点とはいえ、拮抗が続いているのと後半で一気に追いつかれたのとではその感触はまったく異なる。──まして要の男が、脂汗を浮かべながら肘を冷やしている状況では。

 

「どうして言わなかったんだよ、本田……。肘を痛めたなんて、一大事じゃないか」

 

 気づいてやれなかったほうにも責任はある、ゆえに責めるに責められない。しかし感情は別で──複雑に過ぎる感情が、国分にこのような言葉を吐き出させていた。

 対する吾郎は、

 

「……言ってどうなるってんだよ。俺が降りて、他のヤツに抑えられるのか?」

「それは……!」

「──ムリっすね、間違いなく」遮るように、断言する大河。「ボクらの球じゃ、全員にホームラン打たれたっておかしくない」

 

 元が人数不足の同好会なのだ──吾郎と同等と言わないまでも、継投にふさわしいレベルの投手がいないという問題はどこまでも付きまとう。

 

「俺が投げるっきゃねーんだ。……たとえ、延長になったって」

「本田……」

 

 皆が彼を気遣いながら……その判断に異を唱えることもできずにいる中、顧問の南雲に歩み寄っていく者があった。

 

「先生、」

「……佐藤?」

 

「もし試合続行になったら──選手交代、連絡してください」

「えっ!?」

「な……!?」

 

 皆が唖然とする中、請われた南雲だけは「……そうだな、」と小さく頷いた。顧問と言っても、大人でないとできない仕事を細々とやる庶務のようなものだ。それゆえ彼らの方針には口出ししてこなかったし、するつもりもない。しかし大人として、最低限譲ってはいけないラインがあることもわきまえていた。

 

「な、何言ってんだトシ!ティーチャーも……!オレが投げなきゃ、この試合は──」

「敗ける公算が大だね」事もなげに言う。「それでも、ヘロヘロの棒球やなんちゃってフォークしか投げられない今のきみなら、大河に全力投球してもらったほうがまだ望みはあるよ」

「──っ!」

 

 女房役とは思えない言葉に皆が絶句する。──刹那吾郎は、痛みも忘れて彼に掴みかかっていた。

 

「寿也、てめえ……!」

「本田っ!」

 

 国分の制止も、今の吾郎には届かない。胸ぐらを掴む右手。しかし力が入りきらず、ぶるぶると震えている。

 寿也はその手を、そっと包み込んだ。

 

「……この腕は、吾郎くんにとって命より大事なものだろ」

「!」

「気づくべきだった……いや、本当は気づいてたんだ。ジャイロフォークは、安易に多用していい球じゃなかった……!」

 

 強力なジャイロ回転をかけ、速球クラスのスピードを保持しながら一気に落ちるジャイロフォークは、通常のフォークに輪をかけて負担がかかると言っても過言ではない。たとえ速球を打たれても、要所のみで使っていくべきだったのだ。──相手の市原が、そうして失点を抑えているように。

 

「このまま投げ続けたら、いよいよきみの腕は壊れてしまうかもしれない……!そんな状態で勝ったって、僕は何も嬉しくなんかない!!甲子園行きたかったなって一生悔しがりながら……どこかで活躍してるきみを見てるほうが、よっぽど良いよ……っ」

「トシ、おまえ……」

 

 その言葉を、誰も否定などできはしなかった。吾郎の野球人生とこの一戦での勝利、どちらが大切か。……いや、寿也の言った通り、吾郎が投げ続けたとて後者を成し遂げられる可能性もおぼつかないのだ。

 

「本田……佐藤の言う通りにしよう」

「……これ以上おまえのバック、守りきれねーよ」

「国分、泉……」

 

 降りしきる雨の中、沈黙の帳がベンチに降りる。もはや彼らの心に、一筋の希望の光すらも垣間見えることはない。

 そう思われた、矢先。

 

「はは……ははは……っ」

「!!」

 

 寿也の胸元から力なく落ちた右手とは裏腹に、吾郎は喉を鳴らすように笑いはじめた。その意図するところが分からず、思わず顔を見合わせる一同。

 

「野手にんなこと言わせちまうようじゃ、エース失格だな……ほんと」

「………」

 

 複雑な表情を浮かべる泉。言うまでもないことだが、吾郎を傷つけたかったわけではない。寿也と同じ──そこまできっぱりと口にしなければ吾郎は止まってはくれないと、彼も理解していた。

 惜しむらくは……そこまで言ってもなお、吾郎は止まらない男だったということか。

 

「でも……オレ、降りねぇよ」

「なっ……!?」

「なんでだよ、本田!?」

 

 なんで、そこまで。一年間苦楽を共にしてきてもなお、仲間たちは吾郎の真意が理解できなかった。厚木ナインへの敵意?投手としてのプライド?無論、それもある。

 

「だってまだ、責任を果たしてねえ。オレの無謀な目標に付き合わせちまったお前らへの責任を、な」

「……!」

 

 吾郎は静かに顔を上げた。

 

「国分。中学のときのトラウマがあるってのに、おまえはまたキャプテンとして皆をひとつにしてくれた」

「本田……」

「泉は……弟の面倒みてて忙しいってのに、守備もバッティングもいいトコでいつも助けてくれたよな」

「……それが仕事だからね」

「三宅は、俺がチームに馴染む最初のきっかけをくれた。寺門は黙って俺を支えてくれた。草野、丸山……お前らも陸上とか勉強とか、他にやらなきゃなんねーことと折り合いつけて練習頑張ってくれたよな」

「………」

「大河も……俺の代わりにマウンド立たせて、しんどい思いさせた。でもトシが来るまでの間、全力で踏ん張ってくれた。あのときは、本当に助かったぜ」

「なんすか……今さら」

「美穂ちゃ……小野寺のおにぎりは、ほんと美味かった。これからも大河とか、次の代で入ってくる新入生に作ってやってくれ」

「は……はい」

「それから南雲ティーチャーも……なんだかんだ、最後までガキのわがままに付き合ってくれた。あんた実は、良いセンセーだよ」

「……実はじゃねーよ、俺は良いセンセーなの」

 

 ここにいる皆だけではない……コーチャーの涼子も、皆の家族も、学校関係者──それに、ここまで戦ってきた、夢島ナインの勝利の裏で涙を呑んだであろう好敵手たち。

 彼らに報いるためならば、まだ何ひとつ成し遂げていない本田吾郎の将来など、秤に掛ける価値すらない。

 

「だからトシ──ボールがおまえのミットに届く限り、俺は死んでもマウンドを降りねえ。それがお前らに……おまえにしてやれる、唯一のことだからな」

「吾郎、くん……」

 

 二の句が継げない寿也。その脳裏に、あらゆる言葉が駆け巡る。それは到底、口では言い表せないものばかりで──

 

──永遠とも思える沈黙が続く中で、気づけば雨が弱まっていたらしい。審判のひとりが、ベンチに駆け寄ってきた。

 

「夢島さん、試合再開します。速やかに守備についてください」

「!………」

「りょーかいす!皆、行こうぜ」

「っ、」

 

 ひとりひとりに掛けられた吾郎の言葉は、一度はその降板に傾きかけた皆の心に大いなる迷いを生じさせていた。そこまで強い想いを秘めていた吾郎を、それを曲げてまで止める権利が自分たちにあるのか、どうか。

 そうしているうちに、吾郎は真っ先に飛び出していってしまう。ぐずぐずしている暇はない。ひとり、またひとりとあとに続いていく中で、最後まで残ったのは。

 

「………」

「あー……児玉。おまえも納得いってねーだろうけど、とりあえず今は……」

「……いや、そういうわけじゃねーんすけど」

「?」

 

「オレ、呼ばれましたっけ……?」

「あ」

「あっ……」

 

 

 *

 

 

 

 一方、同じく試合再開を通告された厚木ベンチでは、女監督を前に円陣が組まれていた。

 

「この期に及んでようやく同点。醜態ね、はっきり言って」

「………」

 

 冷たい静香の言葉に、反論できる者は誰もいない。あえて戦犯を挙げるなら児玉相手にグランドスラムを喰らった阿久津だが、野球は攻守いずれかのみで語れるようなものではない。ここまで相手を攻略しきれなかったことは、紛れもない厚木ナイン全員の落ち度だった。

 

「でも……相手のエースくんはもう、満身創痍」引き継ぐように、マネージャーの泰造。「早くケリをつけてあげなさい。それがあなた達の将来のためにもなるはずよ」

 

 「はい!!」と、皆の声が揃って響く。言われるまでもなく、この9回で終わらせるつもりでいた。そのための好条件も、揃っている。

 

『4番、サード薬師寺くん。背番号、5』

「………」

 

 厚木No.1のスラッガー、薬師寺。今の吾郎が彼を抑えきれる可能性はもう、万に一つも残されてはいなかった。

 

 

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