外野組も含め、全員がベンチに引っ込んだ夢島ナイン。
その時を待っていたかのように、泉が告げた。
「……国分にはもう、キャッチャーは無理だ」
見れば誰しもがわかること。しかし経験者である泉から冷静に宣告されれば、改めてその事実と向き合わざるをえない。
ここまで女房役を務めてくれた彼に対し、その怪我の原因をつくった投手は取り繕うこともなく頭を下げた。
「っ、国分……悪かった。こんなになるまで気づけなくて」
「いや、本田が悪いわけじゃ……」
否定しようとする国分だが、
「本当にどうしようもねえな。そんなんで一流気取ってんのか、てめぇ」
「!、児玉!」
咎めようとする国分だったが、痛みでそれ以上言葉が続かない。そして吾郎のほうも、彼に反論するつもりはなかった。常に向かい合っている女房役の不調に気づけないのであれば、舞い上がっていたと思われても仕方がない。
「……それより、どうするんだ?国分が出られないとなると、俺たちはもう──」
言うまでもなくチームはちょうど9人しかいない。いつもなら相手チームに頭を下げて人を借りるところだが、南雲の目がある以上それも不可能だろう。となると棄権しかない。しかしそうなれば当然──
「僕なら大丈夫だよ!キャッチャーは無理でも、外野に立ってるくらいは……!」
「……状況が状況だし、そうするしかないか」
「問題は誰がキャッチャーをやるか、か……」
あと経験者といえるのは泉くらいだが、彼を遊撃手から外すわけにはいかないし、国分より体格で劣る彼ではすぐにその二の舞いになってしまうだろう。
「………」
皆が悩む中、輪から少し外れたところで寿也は立ち尽くしていた。──自分は所詮、人数合わせの助っ人でしかない。自らその立場に甘んじていることもまた、事実で。
だから喉元まで出かかった言葉を、彼は懸命に飲み込んだ。しかし次の瞬間、吾郎の視線がこちらに向けられて。
(あ……)
10年前だ。10年も昔、野球とも到底いえないキャッチボールをしていた相手というだけだ。そんな自分に、彼は未だに何かを期待している。夢を、抱いている。あの頃とは違うのだと、再会したあの日にも伝えたはずなのに。
寿也の心を知ってか知らずか、吾郎が口を開こうとしたときだった。
「──オレがやる」
「!!」
誰もが驚愕した。それも無理はなかった。この場で最も吾郎に好意的でない男が、自ら名乗りを挙げたのだから。
「児玉……」
「……本気、なの?」
国分の問いかけに、児玉はきつい目で彼を見下ろした。
「……こいつのことは気に入らねえ。でもこのまま同好会潰されんのはもっと気に入らねえ、そんだけだ」
それに──口には出さないけれど、児玉は内野手としての練習を殆どしてこなかった。他の面子が抜けるよりは穴も小さいと考えたのだ。
「……あんがとよ、児玉」
「フン。国分、防具の着け方教えろ」
「えっ……あ、そ、そうだね!──佐藤、」
「!」
突然名を呼ばれ、はっと我に返る。
「僕がライトに入るから、セカンドお願いしたいんだけど……」
「あ、あぁ……うん。わかったよ」
これでポジションは固まった。しかしまだ、ひと安心というわけにはいかない。
──帝仁側の了解を得て、吾郎たちは試験投球の時間を貰った。キャッチャーミットを構える児玉めがけて、彼は思いきり白球を放る。
そして、
「ッ!?」
結果は惨憺たるものだった。弾丸のようなそれに無意識に腰が引けた児玉はまともに捕球することができず、大きく姿勢を崩して倒れ込んだ。
「大丈夫か、児玉!?」
「っ、くそぉ……っ」
悔しがる児玉だが、予想しえたことではあった。国分だって、吾郎の球を捕れるようになるには多少なりとも時間を要したのだ。
当然、今この場でそんな猶予はない。……ならば、とりうる選択肢はひとつ。
「児玉、ちょっと来い」
「!」
手招きする吾郎。不承不承それに従った児玉は、思いもよらぬ耳打ちを受けることになる。
「てめぇ、それ……」
「とにかくそれで凌ぐしかねえんだ。……頼むぜ」
「……ッ、」
*
3回裏、葦原の打席。ツーアウト、ワンボールワンストライクからゲームは再開された。
(頼むぞ、児玉……!)
痛みに耐えながらも国分が外野から見守る中、吾郎が再開後最初の一球を放った。
「──ッ、」
砂塵を巻き上げながら飛翔する白い砲弾は、一糸の乱れもない軌道を描いて児玉のミットに納まっていた。
「ストライ〜ク!!」
おぉ、と三宅が歓声をあげる。
「なんや捕れるやんけ、あいつ!」
「………」
(いや、今のコースは……)
三宅とは対照的に、泉の中には一抹の不安が芽生えていた。捕手としては素人の児玉、それに今のコース。考えたくはないが、あるいは。
同じことを、ボールを間近で見送った葦原も考えていた。
(どのみち追い込まれたんだ。……試してみるか)
ふたたび、投球。その軌道を目の当たりにして、葦原は予感を確信へと変えた。そして次の瞬間には、力いっぱいバットを振っていた。
「──!」
澄んだ音が響き渡る。真芯に捉えられた白球は、その重量感のために地を這うようにして二塁付近へ飛んでいった。
「佐藤!」
平凡なセカンドゴロだが、よりによって
結果的に、その必要はなかった。
「──ッ!」
素早くボールを拾い上げた寿也は、流れるような躊躇ない動作で一塁手めがけて送球したのだ。
「!!」
驚きながらもそれを捉える寺門。果たして葦原は勝負に出ることもできず、アウトとなってしまった。
「な、ナイス佐藤!」
「上手いじゃないか」
「……あ、うん。ありがとう」
称賛の言葉にも、寿也は言葉少なだった。いずれにせよ3回裏も切り抜けた。夢島側がベスト4相手にリードを保ったまま、試合は中盤戦に突入する。
しかし帝仁側は、次の攻撃に勝機を見いだしていた。
「蘭、気づいたか?……
戻ってきた葦原の言葉に、蘭は力強く頷いた。蘭だけではない。
「俺らだって打ちますよ」
「3番打者が三振なんて、シャレにもなんねぇからな」
「橘、麻柄……」
他の打者たちも──最後に防具を着けた柿本が、葦原の肩に手を置いた。
「向こうは下位打線だ。ぱぱっと片付けて、こいつらに頑張ってもらおうぜ」
「……ああ!」
*
「──アウト!スリーアウトチェンジ!!」
「ッ、あぁ……」
4回表の夢島側の攻撃は三者凡退に終わり、ふたたび帝仁側の攻撃。1番からはじまる好打順である。
ミットめがけて投球する吾郎。念には念をと一球見た蘭だったが、結果は同じ。ならば次は、黙ってバットを振るまでだ。
そして投じられた二球目。蘭は全力でバットを振りかぶった。
「──!?」
叩きつけられた白球が、弾丸のごとく二遊間を抜けていく。泉がスライディングキャッチを試みるが間に合わない。そのまま外野まで抜けていったボールを草野が取り上げたときには、打者は一塁に到達していた。
「っ、」
『2番セカンド、橘くん』
小柄な橘が打席に入る。似たタイプである泉や国分には彼がどういう手に出てくるか想像はついた。
「三宅、前進!」
「へ?あ、あぁ!」
慌てて三宅が打席に近づく。彼はその意味をよく理解していないだろうが、説明している時間はない。念の為二塁手も……と思って振り向くと、寿也は既に動いていた。
(……佐藤?)
先ほどといい、寿也は巧く立ち回っている。──素人とは思えないほどに。
疑念を抱いた泉だったが、考えている時間はなかった。吾郎が投球を仕掛けたのだ。
──
「〜〜ッ、させるかいぃ!!」
ボールはこちらに転がってきている。いける!三宅はそのままそれを拾い上げ、一塁手めがけて送球した。
「ッ、ぬぅ!」
「──、」
寺門が一塁を踏み、それと同時に橘がヘッドスライディングで滑り込んでくる。結果は、
「アウト!」
「っしゃあ!……あれ?」
喜ぶ三宅だったが、吾郎と泉の反応が芳しくないことに気づく。二塁方向を振り返って、ようやくその理由がわかった。
橘に気を取られている間に、蘭が進塁に成功していたのだ。
(バント……。やっぱりそういうタイプか……)
セーフティにならなかっただけ、マシか。しかし次からはクリーンナップだ。吾郎と児玉の急造バッテリーに抑えられるか、どうか。
結果は鮮烈だった。3番の麻柄にはツーベースヒットを放たれ、草野のバックホームによりかろうじて蘭の本塁への帰還は防いだものの、ワンナウト二・三塁に追い込まれる。
そして、4番ファーストの櫻内。
「………」
190センチ近い長身に、メジャーリーガー顔負けの体格。何より鋭い眼光は、投手をこれ以上なく威圧する。
(さっきはよくもやってくれたな、本田吾郎)
今の橘よろしく1年次からスタメン出場している櫻内だが、三振にとられたのは初めてのことだった。まぐれなどではない。見たことも聞いたこともない投手だが、そんなこととは関係なく、彼が一流であることを櫻内は認めていた。
だがそれも先ほどまでの話。
「────ッ!!」
プレッシャーを振り払うように、全力投球を仕掛ける吾郎。並の打者なら目で追うことも困難なストレート──しかし櫻内にはもう、
そして次の瞬間、響いた打撃音。反射的に振り返る吾郎。白昼の流星となったそれは、墜落の気配を見せぬままほぼ水平の弧を描いて飛んでいく。飛んでいく。外野手たちがそのあとを追うが、吾郎には本能的にわかった。この軌道はもう、手出しのしようがないのだと。
──ボールはスタンドに激突し、ようやくその動きを止めた。
「す、3ラン……」
「ホーム………ラン……」
素人だとしてもわかる、明朗な打者の勝利。それを見せつけられて呆然とする夢島ナインと対照的に、帝仁ベンチは歓声に湧いていた。
「うおおっ!!」
「さっすが、櫻内!!」
「是が非でもセーフティーにしときゃ良かったですね……」
「いいんだよ、結果オーライだ!」
(よくやった、櫻内)
エキサイトする部員たちの傍らで、満足げに頷く若松監督。櫻内はこと打撃に関しては、帝仁の永遠のライバルである甲子園常連校、厚木学園でもスタメンを張れるレベルの強打者である。実際そちらからも声はかかっていたらしいが、それを蹴ってあえて帝仁に来てくれたのだ。この秋からは立派に主将も務めてくれている。
このメンバーなら、来年こそは甲子園に行ける──そう信じている若松にとって、投手が強力なだけのワンマンチームに敗ける道理などありはしなかった。南雲が何を考えているかは知らないが、現実を思い知らせてやるという意味ではまったくそのつもりであった。