【完結】夢島ナイン   作:たあたん

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相談

 

 今にして思えば、甲子園の魔物に取り憑かれていたのだと思う。

 

 でなければ、吾郎がこのまま順当に自分と同じ道を歩んでくれるだなどと、盲信することもなかっただろう。

 

「卒業したら?アメリカ戻って、トライアウト受けるつもりだぜ」

 

 吾郎のその言葉に、雷に打たれたようなショックを受けた。そして、叫んだのだ。

 

「ふざけるなよ!!」

 

 吾郎はふざけてなどいない。いつだって真剣な……挑戦者(チャレンジャー)であり続けているのだと、頭ではわかっている。それでも、

 

「!」

 

 不意に響くクラクションの音に、思考の海に陥っていた寿也ははっと我に返った。ひとりきりの帰路、車の接近にも気がつかないほど考え込んでいたのか。

 思わず自嘲しかかる寿也だったが、眼前に停車した赤い外車は見覚えのあるもので。

 

 ウィンドウが開き、運転席から顔を覗かせたのもまた、寿也にとっては馴染みのある顔だった。

 

「Hello、よかったら乗っていかない?かわいいおぼっちゃん」

「……はは、」

 

 愛らしい顔立ちからこういう言葉が出るあたり、流石は吾郎のガールフレンドだと思った。

 

 

 *

 

 

 

「初めてだったかしらね、キミとふたりきりでドライブするの」

「そう、ですね」

「怒られちゃうかしら、ゴローに見られたら」

「やめてください……」

 

 たしかに今、吾郎に対して穏やかでない思いを抱えてはいるが──野球とは無関係な火種を生むことは、寿也にしても避けたかった。

 

「あの……何かご用ですか?大河たちの練習、見に来てくれたんじゃ?」

「ええそうよ。でもその前に、少しお話がしたいと思って」

「お話?」

 

「ゴローのことよ」

「………」

 

 そうだろうとは思っていた。女性らしい愛嬌は人並みにもっている涼子だが、よもやま話に時間を割くような性質ではない。こうして自らを車内に招待してまで話したいようなことは、それしか考えられない。

 

「何か、言ってましたか?」

「いいえ……そういうの、あの子は他人に相談しないから。悩みが深刻なら、深刻なほどにね」

 

 少年の頃から、吾郎はそういう男だった。肝心なことはひとりで背負い込んで……ひとりで、なんとかしようとする。涼子が気づいたときには、すべてが手遅れだったということも一度や二度ではない。

 

「念のために言っておくけれど、ゴローの肩を一方的に持つつもりはないわ。ゴローの悪い癖が招いたことだし。ただ……一緒にあそこまで戦い抜いたバッテリーがこんな形で終わってしまうのは、あまりにも寂しいから」

「……それは……僕だって……」

 

 寿也とて、吾郎との関係がこのまま途切れることなど望んではいないけれど。

 

「"裏切られた"──吾郎くんから卒業後のことを聞いたとき、そう思ってしまったんです」

 

 気づけば、そんな言葉が口から滑り出ていた。相手が吾郎と深い仲にある──彼の心の奥底にまで入り込める人間だからこそ、己の心情を吐露する気になったのかもしれない。

 

「もちろん、吾郎くんにそんなつもりがないことはわかってます。彼は僕との約束を、ちゃんと守ってくれた……両方とも」

 

 いつかバッテリーを組もうという幼い日の約束──そして、寿也を甲子園へ連れて行くという、1年前の約束。そのいずれも、吾郎はたがえることなく果たしてくれた。

 

「彼にはもう、僕に対して果たすべき責任はない。つまり、僕が彼の選んだ道に口を挟む権利もない──」

「………」

「それでも……どうしても受け入れられないんです。僕はこれからもずっと、吾郎くんと一緒に野球を続けたかっただけなのに、って……」

 

 寿也の独白めいた吐露が終わっても、涼子は暫く沈黙したままだった。程なく信号が赤へと変わり、車がゆっくりと停車する。

 

「勝手な期待ね、それは」

「!………」

 

 突き放すような言葉だったが──涼子のそれには、続きがあった。

 

「But……あれだけ他人を自分の夢に巻き込んできたんですもの、期待のひとつやふたつ、されて当然だわ。まして佐藤くん、あなたにはね」

「川瀬コーチ……」

「それでもきっと、ゴローは己の道を曲げることはない……。なら、あなたが一番に望むものはなんなのか──考えるべきは、それしかないんじゃないかしら」

 

 自分が、何を望むか。そんなものは決まっている。吾郎とともにプロになって──同じ球団に入れるかは別にしても──ともに切磋琢磨しながら、球界に名を残せるような選手になりたい。

 しかし吾郎が日本を離れるという以上、その夢は一方しか叶うことはなくて……。

 

(……一方、か)

 

 その言葉に閃いたのは、まさしく天啓のごとき考えだった。

 

 

 *

 

 

 

 涼子の言葉通り、本田吾郎の行く道は既に定まっていた。

 それでも彼が相棒の激情を前に何も感じない、躊躇わない人間であったなら、寿也も含めたチームメイトたちが彼についていくこともなかっただろう。

 

──つまるところ……彼は今、悩んでいた。

 

「"こっち"で会うのは日本に戻ってきたとき以来だな……おかさん」

 

 ごく一般的な、家名の刻まれた墓石を前に、吾郎は独りごちた。そこには彼の顔も知らない先祖とともに、あまりにも早すぎる旅立ちを迎えた、生みの母親が眠っている。彼女が亡くなったとき、吾郎はまだ3歳で──それでもその面影は、はっきりと記憶の中にあって。

 

「でも、暫くまた来られねえかも。……アメリカに戻ろうと思ってんだ、今度はひとりで」

 

 高校を卒業し、いよいよ独り立ちをしようというのだ。既に日本に拠るべきところを見つけている家族とは、別れ別れになるのも当然。まったく寂しくないと言えば嘘になるが、今生の離別というわけではない。己のすべきことを為して、また笑顔で逢えば良いだけのことだ。

 でも──寿也は家族と同じくらい大切な存在だけれども、家族そのものではない。吾郎の決断を手放しに──家族からもずいぶん小言を言われ、説得もされたが──認め、後押ししてくれるわけではないのだ。

 

「なぁおかさん……俺、寿也のこと傷つけちまったみたいだ」

 

 誰にも言えずに抱え込んでいた思いが、墓前では驚くほど素直に滑り出た。

 

「国分たち……友だちはさ、せめて事前に相談すりゃ良かったのにって言うんだ。でも……何を相談すりゃ良かったんだ?俺は全部、自分のやりたいことは自分で決めてきた。それに巻き込んじまった人たちがたくさんいるのもわかってる。でも、誰に反対されたって……俺は自分のやりたいことを曲げたことは一度だってなかったんだ」

 

 ならば結果は、同じだったのではないか。迷っているふりをして、少しずつ寿也を説得していけば良かったのだろうか。でもそれは寿也にも、自分自身にも嘘をつくことになりはしまいか。

 

「……やりたいようにやるだけじゃ、うまく行かねえってことなのかな」

 

 そんな言葉が、ぽつりと漏れ出したときだった。

 

「そういう話は、まず生きてる家族にしてもらいたいモンだな」

「!」

 

 振り向けばそこには、花束を持つ年嵩の男の姿。漆黒のスーツが、その体格の良さをより際立たせている。彼の職業を考えれば、正装自体が珍しいもので。

 

「聞いてたのか、父さん」

「そりゃ、墓の前で喋ってりゃな」

「……そう、か。母さんたちは?」

「水汲みに行ってる。じきに来るさ」

 

 吾郎はほっと胸を撫でおろした。育ての母に対し、何ひとつ含むところはない。どちらも大切な母親である。だからこそ、亡母への告解を聞かれるのは気が引けた。

 そんな吾郎の心情を知ってか知らずか、父──茂治は墓前にしゃがみ込み、花束から花を取り出し、瓶に植え替えている。年齢の割には若々しい父だが……若かりし頃のまま変わらぬ母と比べれば、確実に年齢を重ねている。尤も変化という面では、まだ幼児だった吾郎のそれはより明らかなものだったけれど。

 

「やりたいことをやりたいようにやる、か。口で言うのは簡単だけどな、実際にそんなふうに生きていける人間はひと握りしかいない。俺だって散々に折られて、どうにか立ち直ってなんとか球界に踏みとどまってる……まあ、おまえもよく知ってるだろうけどな」

「……ああ」

「おまえくらいの才能があれば、そうやって生きていくこともできるのかもしれない。でも、おまえがやろうとしてるのは野球だ。自分ひとりじゃ、何もできない」

「っ、わかってるよそんなこと!……トシがいなかったら、トシだけじゃない、あいつらが俺の夢に乗ってくれなけりゃ……俺は日本で、何もできなかった」

「わかってるなら、最後まで努力しろ。……あと半年、悔いのないようにな」

 

 そう言って、茂治は立ち上がった。そのまま瞑目し、静かに手を合わせる。日本独自……というわけでもないのだろうが、キリスト教徒の多いアメリカで育った吾郎には未だ慣れない行為だった。しかし日本で生きた生母のためにはこうするのが筋だろうと、吾郎も父に従って合掌する。

 そんな息子を、茂治は薄目を開けて見遣った。随分と強烈な性格に育ってしまった吾郎だが、こういう根が素直なところは幾つになっても変わらず、愛おしいと思う。

 

 それゆえに、名実ともにひとりの大人として送り出すのは寂しくもあった。彼を十数年ともに育ててくれた桃子とて、内心は同じ気持ちだろう。

 しかし……どれだけ離れようと、親子の絆は未来永劫揺るがない。彼が己の望む生き方を貫き通せることを、陰ながら願い続けよう。亡き妻の墓前で、茂治はそう誓うのだった。

 

 

 

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