※らーぜ:西浦ナインの愛称。キャプテン花井が掛け声で「にしうらーぜ(西浦勢)」と呼称したのが由来。
時は甲子園大会の終了から、およそ3ヶ月前に遡る。夏大開始を控え、高校球児たちが着実に研鑽を重ねている初夏の候。
夢島ナインもその一角であることに間違いはない。しかし新設校でありながら超高校級の怪物エースを抱えているという、ある種のねじれを抱えている彼らにはひとつ、如何ともしがたい問題があって。
「ちぇっ、まーた外野かよ。たまにはマウンド上がらせてくんねーと、なまっちまうんですけどー?」
そのエースによる不平不満の嵐に、失笑を洩らす仲間たち。投球中毒ともいえる彼の性格を鑑みれば、致し方ないことではあるのだけれど。
「しょうがないだろ……。本田に喰らいつけるような打者がいる高校、早々ないんだから」
「ウチみたいな新設校なんぞ、名門強豪は歯牙にもかけない、ってね」
ものを見切ったような泉の発言にも、もうすっかり慣れた吾郎である。とはいえ提示された事実が腹立たしいものであることに変わりはなくて。
「あーもうっ、どうにかなんねーのかよ!泉ぃ、おまえシニアいたんだからあんだろ、コネクションがさ」
「そんなのあったら苦労しないっての……」
「でも実際、吾郎くんに投げてもらう機会は作りたいよね」助け舟を出すように、寿也。「どうにかならないでしょうか、川瀬コーチ?」
矛先を向けられた涼子はというと、
「
「……ルー大柴やんけ」
「何か?」
「イッイエ、ナンデモ!」
「……まあ私はともかくとして、ミスター南雲が良い相手を見つけたそうよ。埼玉のハイスクールで、今年発足したばかりらしいけれど」
「さ、埼玉ぁ?」
それはまた、なんとも剛毅である。埼玉と言っても群馬寄りから東京寄りまで広いので、後者であれば非現実的な距離ではないけれど。
「今年発足したばかりか……。でもわざわざ埼玉から見つけてきたってことは、目玉があるんだろうな」
「向こうも怪物投手がいるんちゃう?175キロでノビAのストレート投げるとかさあ」
「パワプロじゃないんだよ」
「と、ところでコーチ、そこはなんて高校なんですか?」
「確か……ゥラ……ニシウラ、だったかしら」
「ニシウラ……西浦?んー……」
「どうしたの、泉?」
「いや、なんか聞いたことあるような気が……」
*
埼玉の
「──つーわけで、本日は西浦高校さんご一行がはるばるこの神奈川まで来てくださる予定だ。1年生だらけのチームだからって、くれぐれも先輩風吹かせたりだとか失礼のないようになー」
相変わらずひと言余計な顧問である。とはいえその1年生たちというのがどれほどのものなのか、率直に言って未知数なのは確かだった。泉の記憶に西浦の名が引っ掛かっている理由も、今までのところはわからずじまいである。
「ってか結局どういうコネなんすか、南雲センセイ?」
「ああ、それはだな──」
そのときだった。フェンスの向こう側──つまりグラウンドの外から、「あった!ここだここ!」という元気の良い声が聞こえてきたのは。
「どこだー入口?スンマセーン夢島の人たち、どっから入ったらいいですか〜っ!?」
「な、なんだぁあのチビ?」
「チビゆーても泉と同じくらィぐほォ゙!?」
「口を慎め関西人。……あれ、西浦の奴なんじゃない?」
「そ、そうだねユニフォーム着てるし。とりあえず、案内してくるよ」
国分が駆け寄っていくのと、「こら田島ぁ!」と別の少年の声が響くのが同時。──次いで現れたのは、田島と呼ばれた少年とは対照的な、上背のある坊主頭の少年で。
「おまえな、勝手に先陣切って行くなよ!車に轢かれたらどーすんだ」
「クルマにって……小学生じゃねーんだからさー」
「はしゃいでるときのおまえは小学生並みなの!……あ、すいません、夢島高校の方っすよね?オレ、西浦高校野球部キャプテンの花井って言います。今日は練習試合、よろしくお願いしますっ!」
ぺこりと礼儀正しく一礼する花井と名乗った少年。身長は国分よりひと回りも高そうだが、顔立ちは幼く、線もまだ細い。事前に聞いていた通り、1年生だというのは間違いないようだ。
「夢島高校野球部キャプテンの国分です。こちらこそ、今日は遠くまでありがとう」
「どーもっす!で、入口どこっすか!?」
「おまえは黙ってろ田島!す、すいません、こいつ騒がしくって……」
見るからに凹凸コンビといった様相。まあ、元気があるのは悪いことではない。新設校だからこそエネルギーに満ちあふれているという意味では、自分たちと通ずるものがあると国分は感じた。
ただ、夢島ナインにとってその源泉となっているのは揺るがぬ大エース・本田吾郎である。彼が提示した途方のない夢が、自分たちをも突き動かして今があるのだ。
──
そんな想像と期待は、程なく裏切られることとなった、ある意味。
*
「いや、お久しぶりですね南雲先生。合同研修でお会いして以来ですか?」
「そうだっけか?しかし、お互いなんの縁もゆかりもない野球部の顧問になるとはなー、数奇な運命だよなあ」
「ははは……」
南雲に絡まれて苦笑いを浮かべる眼鏡の男性。お互い野球部の顧問に、との言葉通り、彼が西浦野球部の引率者であった。本名の志賀からとって、"シガポ"と呼ばれている──と言うのは、彼より先陣切ってやってきた田島悠一郎が教えてくれたことだった。
「なんか先輩後輩らしいスね、あのふたり」
「そうみたいだね……」
「志賀先生が新任のとき、面倒見てやったとか自称してたけど」
「俺たちには先輩風吹かせるなとか言っておいて、あれは……」
呆れる少年たち。しかも志賀は南雲よりよほど部員たちのケアに気を配っているようだ。まあ、指導に関しては優秀な
その指導者同士はというと、むさ苦しい顧問らの傍らで華やかに握手をかわしていた。
「プライベートコーチャーの川瀬涼子です、Nice to meet you.」
「監督の百枝まりあです。失礼ですけど、若いわねぇ。おいくつ?」
「今年でハタチになります。そちらは?」
「こう見えてあなたと3つしか違わないの、ふふっ」
いずれも男所帯の野球部には無縁に思える、実に見目麗しい女性たちである。隣の芝生は青いとばかり、お互いがお互いの指導者を羨むくらいには。
ただ……彼女らに従う球児たちにしてみれば、そうだろうそうだろうと胸を張ってもいられないわけで。
「見かけはあんなっすけど……鬼スパルタっすよ」
「あと、ミカン握りつぶすし」
「うちも……ああ見えて去年までアメリカでバリバリやってた二つ名持ちだったりして」
「えげつないスライダー投げてきよるで……」
女性に管理され、支配される──将来を暗示するかのような状況に置かれている男たちは、出会って数分で理解り合った。
「そんなことよりさァ、」それを容赦なく切って捨てるホスト側の大エースである。「結局誰なんだよ、そっちのエースは?」
「……吾郎くん、」
やんわりと嗜める寿也だが、彼も含めて皆の最大の関心事はそこだった。新顔チームとはいえ、わざわざ埼玉から呼び寄せるだけの特徴、そして特長があるはずなのだ。エースにそれを求めてしまうのは、やはり彼ら夢島ナインが本田吾郎を戴いているせいもあるが。
「あー……」
「うちのエース、は……」
どういうわけか、途端に歯切れの悪くなる西浦一行。その視線は概して、彼らの背後へと向けられていて。
「ほら……呼ばれてんぞ、三橋」
「ぅ、あ、ぇ……っ」
そうして押し出されてきたのは、茶色がかった髪の小柄な少年。1年生だから致し方ない部分もあるが、他のチームメイトと比べても随分と華奢で幼く見える。
しかし容姿など問題にならないほどに、吾郎を困惑させたのは彼の態度だった。大きな目を魚のように泳がせながら、隙あらばチームメイトの背中に隠れようとしている。
「コイツ、ウチのエースっす!ほら三橋、自己紹介しろ〜」
「じ、じ、自己紹介、って」
「名前とポジション言っときゃいいんだよ、とりあえず」
「ほら、」とチームメイトに促され、少年は「み、三橋、廉……ぴ、ピッチャー、です……」と吃りがちに名乗った。消え入りそうな声で。
「……き、緊張してるのかな?ホームグラウンドだと思って、伸び伸びやってくれていいからね!」
夢島側に広がる当惑の空気を誤魔化そうとするように国分がそうフォローする。それを有難いとは受け止めつつも。
(ホームでも……)
(これなんだよなぁ……)
野球部が発足して2ヶ月弱──未だエースが皆と打ち解けきれていないというのは、西浦ナインの悩みの種であった。