さて──いつまでも駄弁っていては時間が勿体ないということで、早々に試合開始の運びとなった。
先攻は西浦ナイン。守備につく夢島ナインであるが……その中心に、いちばん目立つあの男の姿はなくて。
「……まーた俺はここかよ……」
ベンチを広々と寡占しつつ、ぼやく吾郎。すっかりここが定位置になりつつある──アメリカで実力者達と競っていたときのほうが、余程マウンドに立てていたのはどういうことなのか。これは一考の価値があるのではないかとさえ思った。
「今日は中盤から出してあげるって言ったでしょう。Be quiet!」
「へいへーい……」
まあ、1年生チームに吾郎の100マイル・ジャイロをぶつけるのは荷が重いのは確かだ。それでも中盤からは、と涼子が言うのは、相手チームに弱小とは違う何かを見出しているからだろう。
ならばそれに期待させてもらおうじゃないかと、吾郎は息を吐いた。
『い、1回の表、西浦高校のこ、攻撃は……1番、センター、泉くん……』
たどたどしいアナウンス。生まれて初めてのそれを終えて、夢島の新人マネージャーはほっと胸を撫で下ろした。
「い、いいのかな……こんな感じで」
「うん、上手だったよ!」
そんな彼女を隣で励ますのは、西浦の同じくマネージャー、篠岡千代である。明るく屈託ない性格が外見にも滲み出ているような少女ゆえ、出会って早々に和香……もとい美穂とも意気投合したようだった。
「私もこの前、初めての練習試合でやらされちゃって……最初は緊張したなあ」
「そ、そうなんだ……やっぱり。でも、経験者がいてくれて良かったぁ……」
そうこうしているうちに、西浦側の泉──泉孝介はマウンドに立つ大河の球をバットに命中させていた。様子見のスイングだったためか、低く地を這うような打球は夢島側の泉に捉えられてしまったが。
『に…2番、セカンド──えぐちくん?』
『小野寺さん、さかえぐち!』
『え、あっ、ごめんなさい!さ、栄口くん!』
「たはは……」
しっかり間違えられ、力なく笑う
(栄口のやつ、ホント人が良いよなぁ)
感心半分、呆れ半分に仲間を評しつつ、仮ベンチに戻る泉孝介。チャンスメイクというリードオフマン最大の任務は果たせなかったが、必要最小限のことはできた。
「おー、お疲れ泉。惜しかったな」
「おー……。きっちり捉えたつもりだったんだけど、ショートが堅かった。内野抜くならもっと三塁に寄せるか、ライト方向に引っ張るほうが良さそうだな」
「だろうな。あっちの泉は、オレの記憶が確かならシニアの出だ」
「!知ってんの、阿部?」
「まあ、名前だけだけど」
自らもシニア出とはいえ、2つ年上の相手……何より県境を接していない神奈川の選手のことまで知っているとは。ボーイズリーグ出身の田島のことも知っていたくらいだとはいえ、流石の情報通ぶりだと舌を巻く一同。
その田島はというと、投手の一点に絞って観察を続けていた。
「泉さ……あのピッチャー、どう思った?」
「ん、そうだな……球はフツーっつーか──でも、マウンド慣れしてねー感じがしたかも」
「だよな!あいつ、ピッチャーどころか野球始めて間もないよ、たぶん。付け入る隙がいくらでもありそうなんだよなー」
田島は既に、大河の球を攻略するイメージを固めていた。それにいちいち口には出さないが、どうせ打つなら打点もほしい。自分の打った球で走者が還っていくさまを見るのは、いつだって愉快なものだ。
果たして彼の願いはかなえられ──栄口の球は詰まってセカンドゴロに終わったものの、続く3番遊撃手・巣山がツーストライクから二塁打を放ち、三者凡退寸前のところをぎりぎり踏みとどまった。
『4番、サード、た、田島くん』
「来た来たっ、しゃース!」
意気揚々と打席に馳せる、西浦の攻撃の要。チーム一小柄な体躯は言動も相俟って中学生のようで、とても4番が適任とは思えないが。
(でもあの女性監督が、あえてそこを任せているんだ。少なくとも、バッティングセンスはあるとみて間違いないはず)
幼なじみのエースが控えに回っていようと、不動の捕手である寿也が思考を巡らせる。相手の実力はまったく未知数──慎重には行きたいところだが、慎重すぎて押し出すのはまだ早い。
「ストライク!」
「!………」
審判役の涼子の、鈴の鳴るような声が響く。それを心地よく聴きつつ、田島は(お、)と思った。
(ちゃんと勝負してくれんのか。なら悪ぃーけど、さっそく先制点貰うぜ!)
内野は堅い。なら、外野に落とすのが一手。このグラウンドの広さなら自分の体格でも本塁打にできるかもしれないし、やはりここは長打を狙いたいところだった。
彼のそんな意図を推し量りつつ──2球目。
「──っ!」
やや甘く入ったカーブを、田島は目論見通りに捉えてみせた。高く翔んだ打球が、弧を描くようにして右中間の際に落下する。
「うわっ……」
「いい、中継頼む!」
俊足の草野がすかさず駆け寄り、児玉を介して
「な……っ!?」
「!!」
突撃しようとしていた巣山だったが、あの遠距離からのバックホームに鼻白むよりほかになかった。とはいえ既にゴールは目前、今さら戻れはしないとそのまま身体を差し出したのだが。
「──アウト!!」
自らのチームだからといって、贔屓など一切ない。純然たる、攻撃側の敗退に他ならなかった。
「あぁっ、くっそー。行けたと思ったんだけどなー……」
「悪い、オレも突っ込みすぎた。センターの足とライトの肩、かなりのもんだぞ」
そんなやりとりをしながらベンチへ戻ると、
「敗因を分析できたなら、それも十分な成果だよ」
「!」
華やぐような明るい声がかかる。他でもない、彼らが畏敬を抱く女監督からだ。
「せっかく神奈川まで来たんだから、どんどん挑戦して、どんどん失敗していこう。相手も結構、おもしろいチームかもしれないよ」
「う、うっす!!」
さて、攻守交代である。攻撃面ではよく言えば堅実、有り体に言ってしまえばまだまだ地味な西浦ナイン。しかし、守備においては。
「行くぞ、三橋」
「!」
「オマエの実力、相手に見せつけてやれ」
女房役たる阿部隆也の言葉に、三橋は相変わらず吃りながらも「う、うんっ!」と頷いたのだった。
*
『……1回の裏、夢島学園高校の攻撃。1番、センター草野……くん』
普段から接している相手ということもあり、今度は殆どつっかえずに言えた。普段は"先輩"と呼んでいるところ、"くん"付けでアナウンスするのは、それがルールとはいえ抵抗もあったが。
「ようやく見られるな、向こうのピッチャーの実力」
「……さっきの投球練習見る限りやと、あんま期待できひん感じやったで?」
「まぁ……あれが本気とは限らんだろう」
いや……本気であることに違いはなかった。三橋廉──彼の投じる球の速度は、吾郎のような怪物どころか、平凡な投手にすら到底及ばぬものだったのだ。
「ストライク!」
「………」
(変化球のキレはなかなかだけど……如何せん、遅いな)
今まで対戦してきた弱小校の投手たちも、ここまで球が遅い者はいなかったように思う。正直、陸上部上がり……というか兼部の自分が投げてもまだましなのではなかろうか。
にもかかわらずこの三橋廉という少年、一応は西浦ナインのエースとして皆に認められているらしい。ならば球速以外の何か、投手として秀でているものがあるはずだ。それを見極めなければ。
2球目──ボールからストライクゾーンへ切り込んでくるシュート。すかさず手を出した草野だったが、咄嗟のスイングだったためにファールボールで終わった。
続く3球目は、ウエスト。4球目──そろそろ決めにくるだろうか。草野としても、それは望むところだった。
その背中をちらりと見遣りつつ、西浦の捕手は相棒に指示を出す。
(さっきのプレーからして、こいつは相当な俊足とみて間違いない。チャンスメイクさせるなよ、三橋)
(か、空振り、とる、んだね……。わかった、よ、阿部くん)
たとえ後にリスクを送ることになっても、必ず。
「──っ!」
果たして三橋が投じたのは……
(ストレート……!だが、こんな遅い球なら!)
捉えた!そんな確信とともに、草野はバットを振るう。タイミングもコースも、完璧に計算できたはずだった。
──にもかかわらず、
「……ッ!?」
かのボールは、気づけば阿部のミットに納まっていて。
「……ストライク、バッターアウト!」
何が起こったのかもわからないままに、草野の初打席は文字通りの空振りに終わった。
「どうしたんだ草野、おまえらしくない三振だったぞ」
ベンチに戻って早々そう言葉をかけられ、草野は渋面をつくった。そんなこと、言われなくても自覚している。
とはいえ、何故そうなってしまったかの分析は必須である。そのための試合なのだから。
「タイミングが合わなかった?」
「いや、完璧に捉えたつもりだったんだが……。すまん……まだ読み切れていない」
「じゃ、泉に期待……だな」
2番ショート、泉。シニアで将来を嘱望されながらもそこで一度退いた人間だが、仲間に情報通と評される阿部貴也は彼のことを知っていた。
(泉祐一……横須賀シニアじゃ1番だったっけか。タイプ的にはウチの泉と同じだけど、流石に中坊の上澄みにいた奴だ)
三橋の"まっすぐ"の秘密も、早速看破されてしまうかもしれない。ならばここは、徹底的に煙に巻くのが上策か。
(インハイぎりぎりにカーブだ。……当てるなよ、三橋)
小さく頷く三橋。──来る。
「──!」
すかさず泉はそれを背後へと打ち飛ばした。ファール、と、涼子の声が響き渡る。
(っぶねー……ぎりぎり攻めすぎだろ。おどおどしてるくせに妙な度胸のあるピッチャーだな……)
度胸もそうだが、コントロールの良さもある。狙ってあの位置に入れてくるのは、それを前提にしなければ不可能だ。
(変化球の精度も1年にしちゃ大したもんだけど、魔球って程じゃないしな。それに草野が外したのは、ストレートだった)
ならば自分が狙うのも、ストレート一択。あとはどちらの意図が勝るか、それだけだ。
しかし夢島随一のアベレージヒッターである泉に対して、三橋・阿部バッテリーも一歩も引かない。徹底的な変化球攻めで、泉から凡打を引き出そうとしている。
「……粘りますね、あいつら」
「そうだね。しかも、さっきのストレートを1球も使ってこない」
やはり、あの直球に何か秘訣があるのだろう。選球眼にすぐれた泉に対して、それを見せたくないというところだろうか。
(シークレットひとつバレたら通用しねえってんじゃ、大したことねーな)
そんなことを内心毒づく、ベースコーチの吾郎。序盤は控えということで、これくらいしか仕事がないのが残念なところである。自分ならあの程度の球、秘密を看破するまでもなく本塁打にだってできるのに──
──とはいえ、試合は始まったばかり。吾郎と異なり──本人がそれを望んでいないというのもあるが──大事に扱われている西浦のエース、三橋。
彼の真髄が発揮されるのは、まだこれからだった。
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