──1回裏、ワンナウト走者なし。打席で粘るは2番ショート、泉。
「っ!」
「……ファール!」
また、ファール。確実にカットし続けているように見えるけれども、涼しい表情の裏で泉は歯噛みしていた。
(くそっ、意地でもストレートは見せないってか。それで出塁させてくれるってんなら、御の字なんだけど)
ここまででひとつ、泉は確信したことがあった。この投手、異様なまでにコントロールが良い。その一点だけに絞れば、吾郎をも凌ぐとさえ言えるかもしれない。
何せ捕手が構えたところに、まるでミットに吸引されるかのようにするっと納まるのだ。
これは案外、油断ならない──泉が気を引き締めるのを、阿部は感じていた。
(ホント、粘るな……。まっすぐも見せたくないし、さりとて出塁させたくもない……ワンナウトだしな)
泉の足と三橋の球速を考えれば、ほぼ確実に二盗される。走者を得点圏に入れた状態でクリーンナップに回すのは、避けねばならない。
(ここは確実に、上げさせるぞ)
指示を受け、頷く三橋。(真ん中から外角寄りに、シュート)──きちんと己の中で復唱してから、投球動作に入る。
(!ストレ……いや違うっ!)
──かぁんっ!
うまく軌道修正してスイングをかけた泉だったが、その際の微妙なズレで完全に切れる位置に飛ばすことができなかった。狙い澄ましたかのように、西浦の左翼手が落下点に入る。
「オーライオ〜ライ、オ──」
──パシッ、
「アウト!」
「っ、」
捕られてしまった──あの打球になってしまった時点で、まともな外野手が相手ならそうなるのも当然だが。
「ふぅ……」
泉は気づかなかったものの、阿部はほっと胸を撫で下ろしていた。左翼手・水谷には前科があったのだ。春先の初めての練習試合で、平凡な飛球を取り落とすという前科が。
そんなことはすっかり忘れたかのように、水谷はボール片手にへらへらとした笑みを浮かべている。
(クソレフトめ、はしゃいでんじゃねーよ……)
どのみち苛立たされる阿部なのだった。
*
続く三宅は速球──速くないが──を織り交ぜた三橋本来の攻め口であっという間に打ち取られてしまい──夢島ナイン、三者凡退でこの回を終えることとなった。
「か〜っ、悔しー!あんな微妙な球空振ってまうなんてぇ!」
「それはいいから、ストレートの秘密なんかわかったかよ?」
「ん〜〜〜……」暫し考え込んだあと、「な〜んも、わからん!」
「オイ」
泉でなくとも、呆れるのは無理もないことだった。
「クリーンナップ、しっかりしろよ……」
「う、うへへへへ」
「……まぁ、不甲斐ない三宅くんの処遇はのちのち考えるとして。相手は5番スタートよ、ここはしっかり守りなさい。清水くんも、さっきの調子でね」
「……っす」
大河はこれが初めての先発だった。吾郎は置いておくにしても、児玉や寺門とは同列に扱われているのだ。
(まぁ……程々に、な)
意気には感じつつも、どこまでもクールな思考の大河だった。
*
『2回の表……西浦高校の攻撃。5番、ライト花井くん』
「しゃすっ!」
坊主頭で長身の花井キャプテン。容姿でいえば、彼のほうが4番に相応しくも思える。まあ、そこは内部事情が色々あるのだろう。自分たち夢島ナインがそうであるように、表層だけではわからないものが沢山あるのだから──と、寿也は考えた。
「──っ!」
「ストライク!」
初球は見送り、ストライク。打とうと思えば打てたかもしれないが、彼なりに先のことを考えての判断だった。
(流石にストレートは三橋より速いか……。でもせいぜい平凡レベルだし、変化球も大したことない。落ち着いてやれば、でかいの打てる!)
果たして有言──心の中だが──実行、花井は大河の球をセンター返しで捉えた。本塁打を狙ったつもり──だったが、寿也の配球によってジャストミートには至らず、センターオーバーにとどまったが。
「あ〜っ、惜しい……!」
「さっきの田島といい、微妙にハズしてんな……。球はフツーなのに」
「オレもだけど」と、拗ねたように呟く西浦の泉。隣に座る阿部は、その原因を既に掴んでいた。
「あのキャッチャーだな。ピッチャーの球の平凡さを、配球できっちりカバーしてる。それなりに実力はあるヤツなのは間違いない……打順も4番だし」
阿部も実力的には十分クリーンナップを担えるのだが、リードやフィールディングに専念するために打順を下げられている。捕手というのは実に多忙な職業なので、攻撃面でまで中核に配置するのは余程信頼されているか、人材がいないか、二つにひとつ。……まあ相手チームの場合、後者の可能性もまだ捨てきれないが。
一方三塁コーチャーに入った田島の意識は、マウンドのさらに向こう側へと向いていた。
(やっぱりあのピッチャー、本丸じゃなさそうだよな……。周り3年なのに、ひとりだけ1年だし。それに──あの控えの人)
ベンチで実に不遜な座りぶりを見せている吾郎の姿が、はっきりと視界に入る。体格といい態度といい、彼がただの補欠であるとは思えない。あるいは彼がエースなのではなかろうか。それも、相当に卓越した──
(……戦ってみてぇ!)
大河がマウンドにいるうちにできるだけ点を獲らねばだとか、考えるべきことは沢山あるのだけれども、この少年の思考回路がまず行き着くのはそこだった。
──ともあれ、西浦ナインは堅実さを重んじている。
「っ!」
6番ファースト・沖が送りバントを決め、得点圏に花井を送り込む。……問題は、ここから。
『7番、レフト水谷くん』
「しゃあっす!」
整った顔立ちに明るい性格が表れている水谷文貴。しかしその実力は……打順から言っても、推して知るべしと言うべきか。
(ここは切ろう。何としても)
大河としても、できるだけ得点を挙げさせずに試合を進めたい。下位打線の初打席なのだ。
「っ!」
そんな強い意志のもと投げる大河に対し、水谷も粘った。彼にだって初心者には負けたくないというプライドがある。初打席だからと気を抜くつもりは微塵もなかった。
「いいねぇ。あの7番、ヘッポコっぽい割にやる気満々じゃん」
ベンチの吾郎の言葉。すかさず南雲が眉を顰めて「他所様の生徒にヘッポコ言うな」と──珍しく教師らしく──注意する。
ともあれ、これは練習試合──大河が打たれてピンチに陥るなら、それはそれで皆にとって良い勉強になる。
そしてたとえどれほど追い込まれようとも、最後に勝つのは俺たち夢島ナインだ。──エースの実力が、段違いなのだから。
*
果たして吾郎の所感が影響してしまったのか、粘った水谷はうまく四球を選んで出塁してみせた。
続くは8番ピッチャー・三橋廉。吾郎のような典型的"エースで4番"を抱える夢島ナインには想像しづらいことだが、彼は彼で典型的"打てない投手"だった。
とはいえ、ワンナウト一・二塁であればできることがないわけではない。口をへの字にして、三橋はバントの構えをとった。
(やっぱり、バントか)
打力のない相手とわかっていれば、戦術の組み立てようもある。無論、今ここでは送らせないことが第一義ではあるが──まだ初心者の大河に、そこまで熱烈な期待はかけられない。
「っ!」
「ストライクツー!」
2発目までは失敗してしまう三橋。バントも特別巧いというわけではないのだ。
ただ彼の一見気弱そうな瞳は、恐ろしいまでの執念を宿していて。
(な、なんだよ……コイツ)
そのプレーにかける熱量に、大河は呑まれた。あるいは、チームに貢献したいという自己犠牲の精神かもしれない。……中学時代、彼には到底ひと言では語り尽くせないような試練があった。それを乗り越えた──とはまだ言い切れないけれど、だからこそ、今のチームへの愛着は人一倍強いのだ。
(お、オレ、打つぞ……!)
「っ、」
早くこいつをなんとかしなければ。そんな焦りが、投球に生まれてしまう。──結果、三橋のバットは白球を捉えた。
「!」
一塁方向へ転がっていく打球。やられた、と瞬時に寿也は思った。しかし手をこまねいているわけにはいかず、寺門に送球してアウトをとる。
「大河、ドンマイ!」
「!……っす」
小さく頷く大河。確かに、この程度のことで落ち込んでなどいられない。試合は、まだこれからなのだ。
『9番キャッチャー、阿部くん』
「しゃっす!」
打順のトリを飾る捕手、阿部隆也。夢島ナインにしてみれば、その実力は未知数である。この状況で、警戒は解けない。
(相手はキャッチャーだ。下位打線は、もう終わったと思ったほうがいい)
つまり──事実上の下位打線ふたりを、抑えきることができなかったということ。
静かなるピンチは、西浦ナインにとってのチャンスでもあった。二塁では水谷が、三塁では花井が、それぞれ本塁への帰還を心待ちにしている。
(花井を還すのは最低ラインだ。ここは水谷も還して、2点を狙う……!)
マウンドでしか役に立たない──あくまで阿部の評価である──三橋でさえ、必要なことをしっかりと成し遂げたのだ。ここは、必ず打つ!
(っ、そうそう打たれまくったら……面白くないっつの──!)
まだ野球を始めて間もないとはいえ、ここまでの伸びしろを評価されて先発を任されたのだ。そのプライドを込めた全力投球を仕掛ける大河。
しかしシニアで基礎を積んできた阿部には、その球は如何にも平凡に思えた。
(やっぱりリードは良いけどな……これなら、打てるっ!)
──かあぁんっ!!
「!!」
鋭い一発。寿也の配球をも読んだ、完璧な捕捉だった。
「ライト、バックホーム!!」
「〜〜っ、見りゃわかるけど、よぉっ!!」
先制阻止はもはや不可能。花井は既に本塁へ達し、「1、点っ!」と声を張り上げている。
問題は──続く、水谷。歯を食いしばり、特別速いわけではない脚を懸命に走らせている。
「──っ!!」
児玉から送られた球を左手に納め、滑り込む水谷を迎え撃つ寿也。刹那、ふたりの身体は大きくぶつかり合う。周囲の者たちにしてみれば、勝敗いずれともつかぬ光景。
──果たして、女審判の裁定は。