滑り込む水谷に、迎え撃つ寿也。果たして、涼子の判定は。
「……セーフ!」
「!!」
一瞬の逡巡は窺えたものの、凛とした声だった。「よっしゃぁ〜!」と、水谷が歓喜の声をあげる。
(っ、防げなかった……!)
歯噛みする寿也。今のは自分の失態──しかしマウンド上の後輩は、そうは思わない。呆然と立ち尽くしている。
「大河、ごめん!今のは僕が悪い!」
「!いや、でも……」
「気にしなくていいから、次で切ろう!」続けて、キャプテン。「皆も頼むよ!」
応、と野手たちから声がかかる。フィールドの中心に吾郎が立たない状況下では、どうしても皆のパフォーマンス維持に影響が出る。そこは主将である自分がカバーしなければ──と、国分は心を奮い立たせた。
*
打順がひと回りし、ふたたび1番センター・泉。今度こそはと大河の一球を捉えんとした彼だったが、またしても同じ姓の少年に阻まれアウトになってしまう。
(っ、またショートかよ……!)
泉孝介が地団駄を踏む一方で、
「な〜んか縁あるんちゃうかぁ、相手の1番」
「はぁ?」
「だって同じ名字やし、見た目もなんか似とるやん」
「………」
プレーの隙間とはいえ、気の抜けたことをのたまう関西人に閉口する泉。……まあ、体格や姿勢が似ているというのは否定できない。それゆえに、打球の予測もしやすいのだ。
ともあれ続く栄口もなんとか抑え、2失点で2度目のチェンジ。
「先手、打たれたな」
「失点は仕方ないにしても、あの投手の球相手に三者凡退だからな……」
今のところ、その秘密も明らかにできてはいない。さらに、2点の先制パンチ。
「佐藤。見極めは僕に任せて、取り返すほうに注力してほしい」
「!」
国分の言葉の意味するところを、寿也はすぐに理解した。三橋廉のストレートの見極めには、1打席を犠牲にする覚悟で臨まねばならない。ならば"取り返す"ために出さねばならない結果は、ひとつしかありえない。
「──任せて」
覚悟を込めて、寿也はそう応じた。
『──4番、キャッチャー……さ、佐藤、くん』
慣れてきたと思いきや、ふたたび吃りぎみになってしまったアナウンス。その理由を夢島ナインが知るのは、これより2ヶ月も後の話である。
ましてや西浦ナインなど、捕手とマネージャーの関係を邪推する余地すらない。今はただ、寿也の実力を推し量るだけだ。
(4番キャッチャー……ショートの泉と違って名前は聞いたことないが、どう考えても油断できる相手じゃない。公式試合なら四球覚悟で逃がしぎみに投げさせるところだ)
現実には、これは練習試合である。もちろん負けていいなどとは欠片も思わないが、三橋を臆病にしないためには必要な試練だ。
(初球、"まっすぐ"だ)
(!)
いきなり──面食らう三橋だったが、おずおずと頷いた。彼は阿部の指示に決して首を振らない。何も嫌々従わされているわけではなく、阿部が自らの力を引き出してくれると信じているからだ。
("まっすぐ"で、空振ら、せる……!)
その意志を汲み取り──三橋は、一球を投じる。傍目には気の抜けたような速さにしか見えないストレート。
(……とにかく、振ってみよう)
打ててしまえるならそれに越したことはないと、勢いよくスイングを仕掛ける寿也。タイミングは完璧──そう確信したのもつかの間、
「──ストライク!」
「……!?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。気づけばバットは空を切っていて、白球はミットへと納まっていたのだ。
(なんだ、今の……?ストレートなのは、間違いないはずなのに──)
やはり、何か秘密があるのだ。しかしこの遅さなら、手立てはある──自分なら。
続くはアウトコースに外したカーブ。3球目は──
(──とにかく、振り切るっ!)
ふたたびのまっすぐ──しかし、寿也のスイングは今度こそそれを捉えていた。鋭い打突音とともに、白球が高く翔んでゆく。
「!!」
弾かれるように振り向く三橋。ボールはそのまま、がしゃんと音をたててフェンスに跳ね返される。普通の球場とは異なるにせよ、その意味を理解できない者はいない。
──夢島ナイン、1点獲得。
*
「よく打ったな、佐藤。さっすが」
「ヒミツ、わかったんか?」
その問いに、寿也は小さくかぶりを振った。
「いや、今のはまぐれみたいなものだよ。反射で軌道を合わせただけ」
「だけ、って……」
それができるのとできないのとでは、打者としてのレベルは大きく異なる。リトルで今と同じ4番兼捕手だったとはいえ、5年もブランクがある中でこれである。既に彼が事実上チームのNo.2にのし上がっている事実を改めて思い知らされて、頼もしくも悔しく思う泉であった。
一方で、西浦ナインにしてみれば"まぐれ"で片付けるわけにはいかない。三橋のコンディションが乱れて炎上に陥らないよう、早急に態勢を立て直す必要があった。
「あの人よく打ったよな、三橋のまっすぐ……」
「秘密がバレた、か?」
「いや、そういう感じじゃなかった」
寿也のバッティングを間近で見ていた阿部が即座に否定する。
「ってことは、カンで打てるだけのパワーとテクがあるってことか……。羨ましー!」
体格があれば、それだけで有利に働く。テクニックと才能だけでやってきた田島にしてみれば、羨望の言葉が洩れてしまうのも無理からぬことだった。
「とにかく、4番の前にランナーをためないことだな。二巡目からは連中の目も慣れてくるだろうから──」
「オレたちの出番、ね。任せて!」
内野の中心である栄口が応じる。多少打たれても、
まだまだ、通用する。
「三橋、」
「!」
名指しすると、びくっと肩を跳ねさせる三橋。嫌われてはいない……と思うのだが、ついつい怒鳴ってしまうことばかり。その結果が二ヶ月弱経過してもこの反応だ。きっちり実力は引き出してやっているのだから、これで良い──そう自分に言い聞かせながらも、もやもやとした感情を捨てきれない阿部であった。
*
『5番、セカンド国分……くん』
「よーし……!」
以前はもっぱら3番を打っていたが、三宅に任せてからはいまいち打順が安定しないのが悩みのタネである我らが主将。今日は吾郎が控えに回っているおかげで、クリーンナップのトリを務めることになった。
(佐藤はしっかりホームランを打ってくれた……。次は僕が、三橋くんの球を見極める番だ)
しかし国分のその意図は、阿部に看破されていた。
(ホームランの次は、完全に読みに来てるな。それができるだけの選球眼も、こいつにはある……)
がっちりとはしているが、3年生にしては小柄な体躯。コンパクトな構えからしても、本来なら1・2番に置かれて然るべきタイプの打者だろう。より小柄でテクニックに秀でる泉と、とにかく俊足の草野が優先されたというところか。
それを差し引いてもクリーンナップの一角であるし、チームの主将だ。ここで、
「え……!?」
「!!」
呆気にとられる国分の眼前を、三橋の球がむなしく通過していく。──敬遠。ノーアウトでこの判断は、夢島の面々を驚かせた。
「なんや、ホームラン打たれてビビッたんかぁ?」
「ここで国分を
「……いや、少なくとも怖気づいてるわけじゃないと思うよ。彼はそんな、腰抜けのキャッチャーじゃない」
「うぉ……言うな佐藤」
三橋のまっすぐの秘密を、読みとらせまいとしている──得点を挙げられるリスクをとっても、その瞬間をできるだけ先延ばししたいのだろう。
(くーっ、オレが出てりゃ、ンな小手先の判断はさせねーのによっ)
攻撃回では三塁コーチャー専任となった吾郎が内心で毒づく。寿也がカンと腕力にモノを言わせて打ったのと同じことが、自分にだってできないはずがない。4・5番──いつもの打順なら──が連続で本塁打を狙ってくるとなれば、相手も投球の組み立てを変えねばならないはずだ。
(だいたいあのピッチャー、キャッチャーに対してビクビクオドオドしすぎなんだよ。サインに従うのはいいとして、いざってときは自分の意見がもてなきゃどうしようもねーだろ……!)
あれでチームの要たりえるのか。多くの投手を見てきた吾郎だが、三橋のようなタイプは初めてである。その投球スタイルも相俟って、苛立ちながらも評価に困る吾郎だった。
続く6番は──ピッチャー、清水大河。
「大河が6番か……。今さら言うのもナンだけど、まだ時期尚早なんじゃないか?」
「ピッチャーも兼ねとるワケやしなぁ」
"才能のある初心者"ゆえ、投手も含めポジションを模索中の大河。希望は内野手──特に遊撃手──ゆえバッティングもこなせねばならない。6番というのは、今後への期待も兼ねての選出だった。
(……っつっても、ここは送るしかねーっしょ)
ちらりと一塁を見る。コーチャーの泉に促され、国分はかなり大きくリードをしている。ここは二盗して、送って──寺門に打点をつけてやるのが定石だろう。
「リーリーリーリー、ほらもっと!」
(こ、これ以上は流石にヤバいよ泉……!)
これ以上リードしたら、牽制に対応できなくなる。三橋の球速の鈍さを考えれば盗塁はそう難しくないのだから、そんなリスクを冒さなくても──などと考えていた矢先、案の定牽制球が来た。
「っ!!」
慌てて一塁に飛び込む国分。判定は──間一髪、セーフ。
「あ、ぶなー……」
思わず声が洩れてしまう。にもかかわらず泉は涼しい表情で傍らに立っている。文句のひとつも言ってやりたいが、試合中である。
無論、泉も泉で考えがあった。大河がまだバントに不慣れである以上、少しでもピッチャーの気を散らせて成功率を上げねば、と。
ともあれ走者に果断な行動を求める泉の姿勢は、同じく経験者の三塁手・田島悠一郎には好ましく映った。
(あの人やるなー。オレも今度マネしよっと)
(それはそれとして、盗塁のあとはバントくるよな。こっち来たら……捕るぞぉ!)
大ぶりなリードと何度かの牽制を挟んで──見切りをつけた阿部が、投球に切り替えた。すかさず走る国分。
「ストライク!」
「っ、」
刺せればそれに越したことはない──が、阿部はそれよりもストライクカウントをとることを優先した。三橋の球速を考えれば、よほど鈍足の相手でない限りは刺せない。
(あれだけ大きなリードをさせられて、すかさず牽制に対応できるヤツだ。ここはバント失敗させて、確実にワンナウトとる)
その結論をもとに、サインを出す。阿部は自らがすべて差配するという強靭な意志をもとに動いているから、とにかく迷いがない。三橋を100パーセント従わせる以上は、当然のことだ。
(アウトロー、いっぱいに、カーブ……)
ツーストライクまではとる──阿部の意図を、三橋もきっちりと理解した。そしてその指示通り、投球に臨む。
対する大河は当然、バントの構えで応じようとするが、
「っ!?」
──こぉん、と音をたて、ボールが転がる……ただし、白線の枠外へ。
「ファール!」
「くっ……」
(今のに手を出してくるか。見送りたくなるような球を選んだつもりだったんだけどな。選球眼はちゃんとあるってことか)
歯噛みする大河を無感情な瞳で見上げつつ、分析する阿部。まだ素人臭さが抜けない少年だが、このまま促成栽培が続けば侮れない選手になるだろう。
(さあ、次で打ち上げさせるぞ!)
3球目──先ほどよりもわかりやすい球が、大河の眼前に迫る。
(っ、今度こそ!)
果敢にバットを突き出す。──こぉん、と音が響き、ボールがわずかに跳ね上がった。
(やばっ……でも、いけるか!?)
(っ、低い!)
三塁方向へわずかに寄った打球。処理に向かおうとする阿部だが、高度が足りない。間に合うか、どうか。
そのときだった。
「まーかせてーっ!」
「!」
飛びこんできたのは他でもない三塁手・田島だった。腹からスライディングしつつ、グラブを突き出す。
──そしてその掌が、白球を捉えた。
「アウト!」
「っ!?」
大河がアウトになるところまでは、率直に言ってしまえば予想の範疇。しかし殆どゴロ性の打球を、田島が奇跡的なダイビングキャッチで手にしてしまったというのが問題だった。──国分はほぼ、三塁付近まで走り込んでいたのだから。
「阿部!」
「っ、ああ!」
鼻白みつつも田島からボールを受け取り、二塁めがけて送球する阿部。それに対応する栄口。国分が慌てて戻るのと、どちらが早いか。
女神が微笑んだのは──前者だった。
「っ、くそ……!」
バント失敗からの、ダブルプレー。完全なる、阿部と田島の連携勝ちだった。