4回表──阿部隆也の本塁打から始まった苦しい局面も、寺門の登板、そして一塁に入った吾郎のファインプレーによって切り抜けることができた。
「よーし、この回またトシからだ。おまえが出て、キャプテンも出て、オレのホームランで同点まではもってける。そっから一気に逆転だ!」
吾郎の言葉に、皆の心は奮い立った。──次の回になれば、吾郎が登板する。勝利の芽は、いくらでもあるように思われたのだ。
ただ、
「別に、きみが打たなくても逆転くらいするさ」
「えっ……」
「と、トシ?」
「そうじゃなきゃ、アメリカまで行った意味がないだろ?」
そう言って、寿也は笑った。
*
果たして打席に立った寿也は、有言実行とばかりに三橋の球を狙い打った。今度は速球を避けて変化球中心で来たが、何球か粘れば組み立ても球筋も読めてくる。
ここと決めに来たタイミングで、球を大きく打ち上げたのだ。
「おお、2発目……!」
「な、ナイスホームラン、佐藤!」
ダイヤモンドを回って早々に帰ってくる寿也に、皆が称賛の言葉をかける。先ほどの勝ち気なやりとりもあってか、吾郎だけは「ちぇ、オレの見せ場が薄くなっちまうじゃんか」と口を尖らせぎみだったが。
『5番、セカンド国分、くん』
2打席目──それも寿也が二度目の本塁打を決めたあとだということで、さらに気合が入る国分。
(さっきは敬遠食らったけど……次が本田になった今、向こうも僕で勝負してくるはずだ)
吾郎はこの試合初打席となるが、先ほどのプレーを見れば、バッティングも警戒するだろう。少なくとも、自分ならそうする。
実際、阿部の意識は既に"次"へと向けられていた。
(新しい6番は100パーセント危険だ。ここは、絶対切るぞ)
阿部の意図を読み取り、三橋は複雑な心境に陥りながらも頷いた。彼にだって投手としてのプライドはある──あるけれど、
(実際、4番の人には、打たれた。このチームには、一流の人が、いる……)
そして一流の相手には、自分の球は通用しない。阿部がいるからこそ自分はマウンドに立てていると考える三橋には、その事実を受け入れるよりほかになくて。
一方でその自信のなさが、彼のある意味でのタフさにも繋がっていた。たとえどれだけ打たれようとも折れない、投球が崩れることもない。
「ッ!」
「ストライク!」
初球から果敢にスイングを仕掛ける国分だが、うまく避けられ空振りをとられてしまう。2球目はボールぎみのカーブだったが、これも手を出しカウントノーツー。
「ボール!」
「………」
3球目のウエストは流石に見送りつつ、国分は考える。どうすれば三橋の不思議な球と、阿部の巧みなリードを攻略できるか。
(……あのストレートに、ヤマを張るしかない!)
出した結論はそれだった。難しい球だが、だからこそ決め球として使ってくる可能性は十分に考えられる。国分はふたたび気合を入れ、バットを握り直した。
「頼むぜキャプテン、塁埋めてくれ!!」
背後からネクストバッターの声が響く。彼としてみれば、自分が本塁打を放って1点ではおもしろくないというところも多分にあるのだろう。2ランなら同点打になる、というのは大前提として。
(わかってる。次で絶対、打つ!)
そして三橋が、いよいよ区切りとなる4球目を投じる。意気込む国分だったが、すぐに異変に気付かされた。
(ボール球!?いや、ち、違う!)
咄嗟にスイングを修正する国分。果たして命中はしたが、軽くボールを弾くだけの当たりに終わってしまう。それも、一塁方向に。
「沖!──三橋、カバー入れ!」
狙い澄ましたかのような阿部の指示が飛ぶ。果たしてサウスポーの一塁手・沖が転がってきたボールを手に、ともかくも走るしかない国分をタッチアウトにする。結果的には必要なかったが、三橋もきっちりカバーに入っている。
(ッ、くそ、うまくハメられた……!それにしても、よく統制がとれてる……)
1年生だけのチームにもかかわらず、その点においては今まで戦ってきたどのチームよりも優れていると感じた。指揮官たる阿部にしても、三橋以外とまで事実上の主従関係を築いているわけではあるまい。
自分たちに比べると、主張の強い選手がいないというのもあるだろう。いちばん個性的なキャラクターである田島悠一郎にしても、協調性には問題ないようであるし。
(羨まし……いやいやいや!)
浮かびかけた"隣の芝生は青い"的な思考を、国分は慌てて振り払った。自分たちのチームだって、決してしっちゃかめっちゃかに荒れているわけではない。そして強烈な個性をもつぶん、実力も規格外なエースがこちらにはいるのだ。
「ちぇっ……なんだよ打てよなー。ランナー動かせねえんじゃ、面白さ半減じゃん」
待ち構えていたネクストバッター兼エースは、憚ることなくこのようなことをのたまってくれるのだが。
「……おまえはいいよな、悩みとかなさそうで」
「はぁ?」
主将として正しい態度かはともかくも、ひと言くらいは言ってやりたい気分だった。
『6番、ファースト本田くん』
「っしゃあぁ!!」
会釈というより殆ど威圧に近い掛け声とともに、打席へ入る吾郎。皮肉にも国分の言葉通り、あれこれ深く考えるつもりは
(さあ来い……!ホームランにしてやるぜ)
これでもかと気合の入った吾郎。たとえソロでも、1点差までは詰めることができる。──まだ4回、確実に逆転できる。
しかし熱量も実力も十二分にある打者を、阿部は最初(ハナ)から相手にするつもりなどなかった。
──す、
「!?」
「なぁ……っ!?」
呆気にとられる吾郎を一顧だにもせず、阿部は堂々と立ち上がったのだ。三橋は一瞬どきりとしたようだったが、声のひとつも出さずにミットへボール球を投げ込みはじめた。
「ま、また敬遠……!?」
「本田の実力も見ずにか……」
練習試合ゆえ、打たれても経験を優先する──夢島側の方針とは対照的だが、相手チームのことだ。誰にも口出しする権利はない。
「〜〜ッ、オマエなァ!男なら、初っ端くらい勝負しようって気ィねーのかよ!!」
「……は?」
色々な意味で声の大きい吾郎を、阿部は臆することなくじろりと睨み返した。
「アンタに三橋の球が
「ッ、だったらその4番を敬遠すりゃいいだろーが!」
「それでアンタと勝負したら2ラン喰らうかもしんねーだろ。少しは頭使ったらどうすか?」
「こ、このヤロ……っ!」
「ゴロー!」
ぴしゃりと、審判役の涼子の声が響く。
「
流石にバットを持っている状況で、阿部に殴りかかるほど吾郎は猪ではない。ないけれど、そもそも口論だってご法度だ。ひとつ舌打ちをこぼしつつ、吾郎は不承不承前方に視線を戻した。
「──フォアボール!」
「……っ」
結局、そのまま阿部のつくった流れに身を任せるほかなく、吾郎は一塁へと押し出されていった。
「……覚えてろよ?」
「!」
すれ違いざま、そんな言葉を残して。
普段は相手の揺さぶりに動じることなどない阿部だが、一瞬、ぞくりと背筋が寒くなったのは認めざるをえない事実だった。何か仕掛けてくるというのか?しかし塁に出た走者にできることは、盗塁とリードでこちらをかき乱すことくらいである。だからこそその正体がわからず、なおさらもやもやとさせられるのだった。
*
続く寺門の打席。出塁した以上はとばかり、吾郎はさっそく動いた。
「──ッ!」
幾度とない牽制にもめげず、大ぶりなリードから盗塁を仕掛ける。読むまでもなく明らかな動き、阿部も三橋も当然刺そうと準備していたのだが、
「セーフ!」
「……っしゃあ!」
堂々と二塁上でガッツポーズする吾郎。さらにどうだまいったかとばかりの視線を向けられると、阿部でなくとも苛立ちを覚えざるをえない。
(あいつ……!これがあの言葉の意味だってか!?)
二盗を果たしたのがなんだというのか。本塁に生還できなければ、なんの意味もありはしない。
まあ、いい。下位打線の面々は、さほどの脅威ではない。あてが外れたという本田吾郎の顔を見るのも一興だ。
「く……っ!」
相手方の意図を薄々感じ取りつつ、それを打ち破ろうと果敢にスイングを仕掛ける寺門。追い込まれたところでようやく大きな当たりを飛ばすことには成功したが──
「ふ──っ!」
──パシッ、
「アウト!」
引っ張られた打球をうまく確保する花井。ほぼヒット性の当たりだったところ、ファインプレーといえた。
しかし、
「ナイス、寺門っ!」
「!」
二塁からタッチアップを仕掛ける吾郎。慌てて花井が投げようとするが、そのときにはもう既に彼は塁を踏んでいて。
田島が両腕でバツをつくるのを見て、花井はくっ、と歯を食いしばった。──阿部も。
(ちっ……転んでもただじゃ起きないってか。でもツーアウト、こっちだって意地でも還らせねえ)
次は8番レフト・丸山。送りバントやスクイズは得意とする彼だが、ツーアウトではとれる選択肢はない。
「〜ッ、うぅっ!」
それでも懸命にスイングを仕掛ける丸山だが──打球はあえなく、内野を力なく転がって終わった。
「……チェンジ!」
寿也によって1点は挙げたものの、結局この回も逆転できずに終わってしまう。涼子のそれを告げる声が、空々しく響いた。
「ご、ごめん本田くん、僕、打てなくて……」
ベンチに戻る途上、おずおずと謝罪する丸山。それに対する吾郎の反応は、実にさっぱりとしたもので。
「ま、いいさ。あのいけすかないキャッチャーの苛つく顔、見られたからな」
「ええ……」
「それに──こっからは、オレたちの時間だ」
*
『5回の表、西浦高校の攻撃──』
原稿に沿ってアナウンスを続ける美穂。しかしこの回、それまでと違うのは続くのが打者のコールではないことだった。
『あ……しゅ、守備の変更をお知らせします。ピッチャー、寺門くんに代わりまして──』
『──本田くん』
ざり、とマウンドを踏みしめる音が響く。
「さあ……本当の勝負は、ここからだぜ」
己がフィールドの支配者であると言わんばかり、彼は、不敵に笑った。