『ピッチャー、寺門くんに代わりまして──本田くん』
いよいよ絶対的エースが、マウンドに立つときが来た。
「じゃあ……あとは頼むぞ、本田」
「ああ、任せとけ。寺門も
「うわ、あの人マジでマウンド立ったよ……」
「な、オレの言ったとおりだったろ」
言葉とは裏腹に、さしたる感慨もなさそうな阿部。相手が少なくとも実力者であることは、彼には予測がついていた。
ただ実力を認めることと、人間としての好き嫌いはまったくの別問題である。その背中から漂う不機嫌を感じ取って、三橋はまた怯えた。
*
さて──吾郎と相対する最初の打者はクリーンナップのトリを務める西浦の主将、花井梓。
(3人目のピッチャーか……なんか、満を持してって感じだよな)
試合は彼らの3点先行──しかし三橋の球の性質を考えると、ここから抑えきれる保証はどこにもない。さらに得点を重ねて、三橋が多少打たれても逃げ切れるようにしなければ。
一方の吾郎は何度かロージンバッグをはたくと、ふいに笑みを消した。その真剣な表情を前に、花井は一瞬呑まれ、圧倒される。
(!……しっかりしろ、キャプテンだぞオレは!)
田島ばかりを活躍させてはいられない。ここはきっちり成果を残して、相手の出鼻を挫くべし。
主将を務めるだけあって聡い花井だが──その思慮を現実に為すには、吾郎はあまりにも規格外すぎた。
(まずは──ど真ん中っ!)
振りかぶって、投げる。そうして放たれた球は、いつもながら弾丸のごときもので。
「ッ!?」
「ストライク!」
軌道は明らか。なんの捻りもなく、まっすぐストライクゾーンの真ん中に入ってきた。──そうとわかっていても、まったく手が出なかったのだ。
「な、なんだ、今の球……!?」
「は、速……速ぇ!?」
ベンチで見守る西浦ナインも、これにはただただ驚くほかなかった。普段は冷静沈着な
(い、今の、すごい……。何キロ、出てた?)
生でどころか、プロ野球の中継などでもお目にかかったことのないような速球。球の遅さがコンプレックスの三橋にしてみれば、130キロだって憧れの先の先だ。それが、こんな──
「っうぅ!」
「ストライク、バッターアウト!」
腰が引けながらもスイングを仕掛ける花井だったが、狙いも定まらない状態で吾郎の100マイル・ジャイロを捉えられるはずがない。
「さあ、次だ次!」
「ゴロー!シャラップ!」
「……アイムソーリー」
審判役のガールフレンド……もとい女コーチにぴしゃりと叱られるひと幕もありつつ。
「ストライク!」
「っ!」
「ストライク、アウト!」
「っ、ああ……!」
続く沖、水谷と、どうにもできず打ち取られていく。下位打線に連なる水谷に至っては、手を出すことすらできずに終わってしまった。
「っしゃあ、三球三振!!」
「………」
もはや涼子も何も言わなかった。──ともあれ、これは夢島ナインにとっては予想しえた当然の結果。
彼らにとって真に重要なのは、裏の攻撃であることは言うまでもなかった。
*
『9番ライト、児玉くん』
「っしゃああ、来いィ!!」
威勢の良さだけは現エースに負けていない元エース。元、と言っても同好会時代の話で、西浦ナインには信じがたい話である──とは、言うまでもないことだが。
「アレは……」
「……アレだな」
生温かい空気に覆われる夢島ベンチ。そして程なく、彼らの期待を裏切らない光景が訪れる。
「ぬあぁっ!!……っあ?」
「……ストライク、バッターアウト!」
吾郎の登板で気合が入りすぎてしまったか、扇風機のごとくブン回して文字通りの手玉にとられてしまった。上級生としても、あまりに情けない光景である。
「あっれぇー……っかしーなぁ」
「……まったく」
ワンナウトというハンディキャップを背負わされつつ、3度目の打席に立つリードオフマン。先ほどの打席は、どうにかセーフティバントで出塁することができた。しかし今回は完全に警戒されていて──自分の足をもってしても、成功させられるかどうか。
(……打つしかないよな、ここは)
いくら"出塁"以外の1番らしい役割を泉が担ってくれているといっても。現実に"1番"を課せられている以上、やらねばならぬときだってある。
「──っ!」
三橋は初球から"まっすぐ"を投じてきた。やはり、球速は遅い。球が浮くような感覚だ。
(……浮く?──っ!)
咄嗟にバットを振る。良い当たりとはいえなかったが、かろうじてファールボールで逃げることはできた。
(ふぅ……なるほど。少しわかってきた気がするな)
自分の得た感触が本物ならば──次は、打てる。
続く2球目は際どいシュート、3球目は完全にボールになるコースでスライダー。対する草野の対応は2度目のファール、見逃し──カウントは完全に、相手の意中の通りになってしまっているが。
(大丈夫、変化球なら問題ない。ストレートでも……!)
相手が決めにくるだろうことは予測がついている。──三橋……正確には阿部が選ぶのは、どちらか。
投じられたボールはふわりと浮きつつ……まっすぐ、飛んできた。
(ストレート……!なら、上を叩くっ!)
躊躇っても仕方がない。草野は力強くバットを振った。
──かぁんっ!
(よし抜けたっ!)
三遊間を抜け、外野へ転がっていくボール。自分の脚なら、二塁までいける!
「──っ!」
若干危ないところだったが、目算通り二塁まで駆け抜けることができた。相手の守備の手堅さは、今後のためにも頭に入れておかなくてはならない。
(俺が打てたんだ。おまえなら行ける、泉!)
続く泉──彼が打てば、ほぼ確実に得点へと繋がる。
(……大丈夫、俺を敬遠ってことはない。三宅が送れば二・三塁、そのあとで佐藤と勝負するにしても敬遠するにしても、リスクが大きすぎる)
ならばここで自分を打ち取ってしまえば、この回は逃げ切れる──そう考えるほうが妥当だ。
(なら俺も、草野に倣って──打つ!)
泉もまた、既に三橋の球の秘密を看破していた。するりとバットを上振らせ、外野の隙間にヒットを飛ばす。
「っ、ワンナウト!」
澱みはじめたフィールドの空気を押し飛ばすように、阿部が声を張り上げる。三橋もそれに応じて「ワンナウトー!」と。こう言ってはナンだが、中学時代からさんざん打たれてきている。結果、文字通り打たれ強くなっている──この程度では、動揺することはない。
「……ッ」
尤もそれは投球面での話で、あちこち視線が泳いでしまうのはもう性格の問題としか言いようがない。めんどくせえ、と思いつつも、打たれるのは自分の責任に因るところが大きいのは自覚している阿部。ここは、なんとかしなければ。
『3番、サード三宅くん』
「っしゃあす!」
打つぞ打つぞというそぶりを見せる三宅。彼なりの
(スクイズだな、こりゃ……)
初球──内角に入ると見せかけてボールになるカーブ。案の定というべきか、三宅は嬉々としてスクイズの構えをとった。
「うぉっ!?」
「……ボール!」
すかさず引っ込めたことで、かろうじてストライクカウントをとられることは避けられた。その反射神経のよさは一応評価しつつ、
(わっかりやす……。ま、バントが巧いってワケじゃなさそうだし、ここはしっかり打ち上げさせるぞ)
そのためには球速よりコントロールが求められる。三橋がその点優れていることは、今さら言うまでもないことだ。
「っ!」
──こぉんっ!
渋い音とともに命中させた……は良いが、案の定打ち上げてしまう三宅。そのまま阿部にキャッチされ、彼のスクイズは失敗に終わった。
「な、なんやねんもうイイトコなしやんけぇ〜……!」
せっかく3番が定着しつつあるというのに!ただ技巧派の極みのような西浦のバッテリーを前にしては、彼のバッティングスキルはまだまだ及ばないのが現実だった。
「ツーアウト!」
「つ、ツーアウト……!」
阿部が先陣を切り、三橋が応え、仲間たちが口々にそれに続く。
(良いチームだな……ほんとに)
出塁しているがゆえに、その渦中にいる泉は心の底からそう思った。ナイン全員──監督や控えも含めて、皆でチームを盛り上げようという積極性が窺える。無論、自分たちだって負けているとは思わないが──いずれにせよこういうのは、新設チームの数少ない利点だ。
『4番、キャッチャー佐藤……くん』
ここでふたたび、三橋から連続本塁打を放った"彼"の出番が来た。とはいえツーアウト──守備側の選択肢はひとつしかない。
「ああ、やっぱり敬遠……」
「そりゃ、ここでもホームラン食らったら一気に3点だからな……」
ここで塁を埋めておけば、次でアウトをとりやすくなるという利点もある。総合的に考えて、誰がキャッチャーでもそうするだろう。
それがわかっているから、寿也も特段の感慨は見せない。ただ──
「──きみ、確実に勝てる戦しかしないタイプ?」
「!」
「戦術としては間違っちゃいないけど……打ちのめされたままのピッチャーの気持ちは、どうなるんだろうね」
少なくとも吾郎なら、二度も本塁打を打たれた相手とは絶対に勝負をしたがるだろう。状況にもよるが──逃げ腰の指示を出したら、叱咤されてしまうかもしれない。
性格も捕手との関係性も真逆のようだが、きっと三橋も同じタイプだ。マウンドに立つことに執着し、どんなに打たれようとも決して折れない。──敬遠を厭わないのは、それを是としていることとイコールではないはずなのだ。
「………」
対する阿部は、寿也の囁きを黙殺することに決めたようだった。少なくともフィールド上において、敵と議論するつもりはないという腹なのだろう。ここで迷わず敬遠を選べる捕手だ、冷静な振る舞いはお手の物というところか。
「ボール、フォア!」
阿部はまったく迷うことなく、三橋にボール球を完投させた。その結果を受け入れつつも、
「後悔するよ。僕らのキャプテンはダテじゃない、それに──」
「──吾郎くんに、
少なくともそれだけは、明確な忠告のつもりだった。