5回裏──児玉の三振と三宅のスクイズ失敗によりツーアウトになるも、寿也が敬遠で出塁したことにより満塁のチャンスを得た夢島ナイン。
『5番セカンド、国分くん』
そこで出番となったのが──我らが、
くりくりとした大きな瞳と力強い太眉でキッと睨みつけられれば、三橋は竦みあがらずをえない。無論、国分の側にそのような意図は微塵もないのだけれど。
(つ、ツーアウト満塁……っ。こんなところで回ってくるなんて……!)
肩の力を抜こうとしても、視界にはことごとく埋まったダイヤモンドが映っている。ここで自分が外せばチャンスを完全にフイにしてしまうのだと思うと、胃がきりきりと痛むようだった。
(いや、何考えてんだ……!僕はキャプテンなんだぞ、こういう局面を引き受けるのが務めってもんだろ!)
小兵であることは自認している国分だが、腕力だって平均以上はあると思っている。ジャストミートできれば、本塁打だって狙えるはずだ。
(満塁ホームラン……!一気に、逆転!)
そのことに思い至れば、もうそれ以外の選択肢など消えてしまっていた。
「っ!」
「ストライク!」
初球、フルスイングは空振り。その後ろ姿を見遣りつつ、阿部はマスクの下でほくそ笑んだ。
(案の定だな。この状況なら、打てるやつなら誰だってホームランを打ちたくなる)
同じ小柄な選手といえど、2番の泉だったらそうはならなかっただろう。しかし国分は5番に回されていて、背丈の割にはがっちりとした体格をしている。チャンスがあれば長打だって狙ってくるのではないか──そんな推測が、綺麗に的中した形だ。
それに基づく阿部の指示も、三橋のコントロールも見事なものだった。凹凸コンビとしか言いようのないふたりだが、お互いの心がぴたりとはまればこれ以上ない推進力となる。そう──生半可な腕力と意志とでは、到底かなわないほどには。
「ストライク、ツー!」
「く……っ」
二球目も完全に裏をかかれる形となった。焦りがバッティングに出てしまっている──すぐ傍にいる涼子はそう確信したが、今の彼女は主審の役割を担っている。口出しは、仲間たちに託すほかない──
三球目はウエスト、典型的なパターンだ。ならば次は、間違いなく決めにくる。
(ダメだ、いいようにやられてる……っ。このチャンスを逃したら、もう次が巡ってくるかだってわからないのに……!)
それがこの試合の最終結果にだって、結びついてしまうかもしれない。いちど弱気になると、どんどんと悪い方向に思考が飛んでいってしまう。吾郎と出会ってから幾分かはマシになったものの、幼い頃から変わらぬ国分の悪癖だった。
その悪癖を緩和してくれた男が、もう我慢ならんとばかりに立ち上がった。
「こらぁ、キャプテン!!」
「!」
びくっと肩を引きつらせる国分──ついでに三橋も──。誰の声かは、振り向くまでもなくわかった。
「ホームラン打てんなら打ちゃいいさ!でもなぁ、おまえなら他にもできることがあるだろ!!」
「……!」
はっとする国分。──目の前の満塁という光景に惑わされて、ひとつの選択肢に囚われすぎていた。
だが自分は……相手によってはそれもできるというだけで、そういう役割を背負った打者ではない。己が出塁し、皆を走らせる。そういうバッティングが、
「………」
すぅ、はぁと呼吸を整え──国分は、バットを水平に倒した。
(バントだと……!?ツーアウト満塁だぞ、フルスイングがダメだからって極端なことやってくんな)
仮にうまく転がせたとしても、4人の走者全員が生き残れなければどのみち点には繋がらない。こうしてバントの構えを見せてしまっている以上、あまりにも成功率の低い賭けだと言わざるをえなかった。
(……まぁいい、転がしたきゃ転がさせてやる。ウチの内野連中なら、うまく処理できるはずだ)
三橋の"まっすぐ"なら、捉えやすいと思わせられるはずだ。そう考えて指示を出す阿部、頷く三橋。
果たして一寸もぶれずに投じられた球はのろのろと──もちろん速球にしてはだが──ミットに向かっていく。国分は一度も瞬きをせずにその到来を待ち受け、
そして、バットをスイング態勢に持ち替えた。
「!?」
(──バスター!?)
これには阿部も三橋も度肝を抜かれた。普通に打つのも難しい球をバスターなんて、正気の沙汰とは思えない。
確かにこれは、満塁でのセーフティバント以上の賭けには違いなかった。それでもこちらには、生まれつき勝利の女神に愛された男が突いているのだ。
──かぁんっ!
果たして女神は、彼にも微笑んでみせた。痛烈な当たりは二遊間を抜け、力強いバウンドを挟んで外野へと飛び出してゆく。内野手たちが間に合わなかったのはもちろんのこと、左中のふたりでさえ二の足を踏んでしまう。
「う、うわっ……」
「どいてろ水谷!」
それでも泉孝介がようやくボールを拾い上げたときには、まず草野が本塁に達していて。
(まず1点……!これなら、オレもっ!)
続いて泉が、三塁を躊躇なく踏み越えてひた走ってくる。次が吾郎であることを考えれば、無理をする必要はないかもしれない。それでもここは、一気に点を入れて自軍に勇気を、敵軍にプレッシャーを与えたかった。
一方で、
(こいつは刺せる……!)
いや、刺さねばならない。せっかく満塁継続という絶好機を捨てて突っ込んできてくれたのだ、それを正面から叩き潰さねば──あとは、追い詰められるだけ。
「「泉、急げ──っ!!」」
攻める側、守る側。双方の主役が奇しくも同じ名字をもっていたことで、一言一句と違わぬ叫びが場を支配することになった。
それでも勝利をもぎ取るのは、いずれか一方だけ。ボールを寸分早く得た阿部に対し、泉は身を捩らせて本塁へ飛び込む。
「………」
一瞬の、静寂。──判定は、
「……セーフっ!」
涼子の鈴の鳴るような声が、朗々と響き渡る。贔屓など微塵もないことは、その事実ひとつで明らかだった。
「っし!」
「ナイス泉!!」
「さっすが、ワイのマブダチやでぇ!!」
歓声を浴びつつ、ベンチへ戻っていく泉。ドライな彼は露骨に喜びを表したりはしないが、高校三年生にしては幼い顔立ちに確かな達成感が滲んでいる。
一方、同じく冷静な阿部は、悔し紛れに地面を叩いていた。
「っ、くそっ!」
今の勝負は、この試合におけるターニングポイントだったのだ。そこを守りきれなかった。
「あ、阿部、くん……」
そんな阿部の様子に、三橋もまた狼狽した。自分が至らないばかりに、彼にあんな振る舞いをさせてしまっている、と。
バッテリーの動揺はそのままフィールド全体へと拡大する。(まずいな、)と、女監督は危機感を覚えた。
(キャッチャーがそれはよろしくないね、阿部くん。三橋くんもつられちゃダメ……なんて、彼に限っては酷な話だし)
「西広くん、伝令」
「!は、はい!」
フィールドの建て直しは、自分がやるしかないか。そう判断して西広に使送させようとした矢先、
「つ、つ、ツーアウトー!」
「!」
吃りながらも、自ら声を張り上げたのは紛れもない、三橋廉その人だった。百枝はもちろんのこと──フィールド上にいる皆が一瞬、呆気にとられたのは言うまでもない。
「ツーアウト〜!」
真っ先に応じたのは、三橋と最も仲のいい田島だった。その声波は内野手たち、次いで外野手たちへと広がっていく。
(三橋……)
もとより突発的な感情の発露にとどめ、長く引きずるつもりはなかった阿部。しかし自分がフォローしなければどうしようもないと思っていた三橋が、自分より先に動いた。
「っ、ツーアウト!まだ勝ってんぞ!」
その事実に少なからず心を揺さぶられながらも、己に言い聞かすように叫ぶ阿部だった。
*
『6番、ピッチャー本田くん』
「っしゃあ、来い!」
この試合、二度目の打席となる吾郎。初回は敬遠。今度はどうくるか……は、空白となった一塁を見ればわかりきったことだった。
先ほどと変わらず、すっと立ち上がる阿部。高く掲げられたミットへ、三橋が球を投げ込みはじめる。
「だあぁ、やっぱ敬遠じゃねーか……!」
「一塁が空いたからな……。本田の長打力を警戒するなら、当然といえば当然じゃないか」
「でも泉先輩だって、それ織り込み済みで走ったんでしょ。取れる1点は取っておかないと、って」
吾郎の満塁ホームランに期待、というのはそれはそれで楽しいが、万一三振や凡打に終われば得点をみすみす逃すことになるのだから。
「ま、それだけでもないけどね」
「えっ……」
「相手が逃げ道できて安心してるところで色々ぶっ込んできてくれるから、本田吾郎ってヤツは」
「ボール、スリー!」
「………」
微動だにしないまま、つまらなさそうにボールを見送る吾郎。先ほどとの態度の違いに、阿部は不審を覚えていた。
(急に大人しくなりやがって……。口じゃ勝てないってわかったか?でも──)
まあ、考えても仕方がない。どのみちあと一球で押し出されていくのだ。満塁では、次の打者がヒットを打たない限り動きようもあるまい。
それは動かしようのない事実で──それゆえ阿部の心には、油断としか言いようのないものが生まれていた。
そして三橋が投げた、4球目。
「──ッ!」
それがミットへと入り込まんとする瞬間、吾郎はついに動いた。バットを持ち替え──身体を大きく傾けて、ボールめがけて突き出したのだ。
「なぁっ!?」
「え……っ!?」
思いもよらぬ行動に、阿部や三橋以下西浦ナインは度肝を抜かれた。一方で大河以外の夢島ナインにとっては、既視感のある行動だったが。
「うわ、またやった……!」
「1回反則とられてるのに、よーやるわ……」
「え、やったことあるんすか……あんなこと」
そう、ちょうど大河が入学する直前──アメリカ修行における、旧サンフランシスコ・ヴァルカンズチームとの試合において。敬遠球に対して強引なスクイズを仕掛けてみたものの、足が打席からはみ出したことで反則扱いとなってしまったことが確かにあったのだ。
無論、吾郎も同じ愚は犯さない。きっちりラインの内側で球を弾き──その勢いでもって、大きくバウンドさせることに成功した。
「っあ……!」
慌ててグラブを構えようとする三橋だったが、大きく跳ねた球は右肩の上をすり抜けてしまう。態勢を崩した吾郎だったが、それで勝利を確信した。
「よっしゃあ!トシ、国分、回れ回れ!」
言われるまでもないとばかり、ふたりは既に走り出していた。球がバウンドした時点で、彼らには進塁権が与えられる。あとは吾郎が捕まりさえしなければ──西浦側にしてみれば、吾郎さえ捕まえてしまえば。
「ショートっ、ファーストだ急げ!」
「くっ!」
遊撃手──巣山が三橋に代わってボールを拾い上げ、一塁へ送球する。しかし背中に目がついているかのように、その瞬間、吾郎は勢いよくダイブしていた。
「っ!」
その大柄な身体がスライドしたことで、膨大な砂塵が巻き起こる。それでもどうにか捕球には成功した沖だったが、バランスを崩してわずかに塁から足が離れてしまう。
──そうして夢島ナインは、同点という果実をもぎ取ることに成功したのだった。