「かんぱ〜い!!」
主将の音頭とともに、少年たちはグラスを合わせた。中身は当然、ソフトドリンクである。
「しかし急転直下だったな。まさかあの先生が顧問になってくれるとはね」
草野の言葉に、皆がうんうんと頷く。しかしながら期せずして功を挙げた少年は、どういうわけか所在なさげにしていた。
事情を知る三宅が、にやにやと言い募る。
「それがまさか本田のおかんのおかげとはなぁ。まーえらいべっぴんさんやったし、無理あらへんけど」
「言うな!すげぇ複雑なんだよ……」
「ま、まあ元気出しなよ吾郎くん。先生だってまさか本気で口説こうなんて思ってないって」
そういう問題ではないのだが。寿也は容姿が非常に整っているうえ、できないことはないと言っても過言ではない秀才なわけだが、こと男女の機微に関しては吾郎以上に鈍いのではないかと思われるときがある。家庭環境の影響もあるのかもしれないが、やはり一番は当人の元々の性格だろう。
「あとは練習場所の確保か……」
「それもなんとかしてくれるって話だよ」
「……ほんと、突然協力的だな」
何もなくこんなころっと態度が変わろうものなら、なんらかの罠ではないかとさえ勘繰りたくなってしまうところである。ただクラス担任として半年の付き合いがある寿也たちにとっては、南雲が良くも悪くもそんな腹芸はできない人間であることは明らかなのだった。
*
ささやかな祝賀会から数日が経った放課後、夢島高校野球同好会改め新生野球部の面々は顧問である南雲教諭に率いられ、学校沿いの通りを歩かされていた。
「どこへ向かってるんだろう……?」
「さあ……?」
よもやここまで来て謀られるということもないだろうが。そうしてぞろぞろと並び歩くことおよそ十分、彼らが辿り着いたのは雑草の生い茂る広大な空き地だった。
「よーし、ついたぞー」
「あの先生、ここは……?」
期待と不安が入り混じった問いを発する国分に対し、南雲は揚々と答えた。
「うちの旧校舎跡地。使い道もないし維持管理費用ばっかかかるからって間もなく売りに出す予定だったのを、野球部用のグラウンドとして使わせてもらえることになったのさ」
「グラウンドって……これが?」
「原野やん……」
三宅の言い得て妙な呟きに、南雲がぎろりと目玉を動かした。
「なんか文句あんのか?」
「!い、いえ全然!スンバラしー開放的空間!」
「いいじゃねえか」心の底からそう言うのはエース様である。「イチからのスタート、最高に燃えるってもんだぜ」
「……ふふ、吾郎くんらしいね」
「そうだね、本田の言う通りだ」主将もそれに乗る。「僕らの手で、ここを最高のグラウンドにしよう!」
その言葉で、彼らのすべきことは定まった。
*
グラウンド整備が始まった。
生い茂る雑草を皆で手分けして毟り、一ヶ所に集めていく。それがある程度溜まったところで南雲の借りてきた軽トラックで運んでもらう、その繰り返し。一応草刈り機もやはり南雲が持ってきたものがひとつだけあるのだが、生徒の使用は安全面を考慮して禁止とされてしまったので、実質的には殆ど御役御免の状態だった。
「よいしょ、っと……!」
「泉〜、そんな一気に担いでヘーキなんかぁ?持ったろか〜?」
「うるさい、自分の仕事しろ」
「オラ競争だ、丸山!」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ児玉くん……!」
わいわい騒ぎながら、毎日暗くなるまで作業を続ける高校生たち。泉や草野など各々の事情で毎日参加できないメンバーもいたが、来る日も来る日もひたすらにそれを繰り返していれば、荒れ放題だった空き地からは目に見えて緑が減っていった。
「だいぶグラウンドらしくなってきたね……」
「ああ。しかし良い筋力トレーニングになったな」
二の腕を叩く寺門。毎日肉体労働に励んでいたのだ、身体を鍛えるには十分な作業だったことは言うまでもない。
「あとはモノが揃えば……あ、噂をすれば」
敷地内に大型トラックが複数台、入ってくる。バックネットなど、野球場には必要な物を運んできたのだ。流石に学校側も、土地だけ与えて放置するほどには冷たくはなかったらしい。むろん純粋な厚意ではなく、帝仁に勝利したという結果を評価してのことなのだろうが、重要なのはバックアップがあるという事実だ。
*
それから、さらに一週間。いよいよ秋が終わろうというところで、グラウンドは完成に至った。
「できた!僕らの専用グラウンド……!」
今にも泣き出さんばかりの表情で、そう呟く国分。帝仁との試合の時といい、実に彼はよく泣く。しかしそれを揶揄う者など誰もいないくらいには、皆、達成感に浸っていた。
「へへっ、これで毎日練習できるっちゅーわけや!」
「そうだね……ふふふ」
「!?……お、お手柔らかに頼むで泉……」
「っし、受けてくれトシ!」
「いきなりだね……そうくるとは思ってたけど」
自宅で投げ込みくらいはしていたのだろうけれど、本格的な投球練習は久しぶりなのだ。吾郎が逸るのも無理はないと寿也は思った。
「よし、僕らも早速──」
国分が練習開始を告げようとしたときだった。
「皆、集合〜」
手を叩いてそう号令をかけたのは、遅れてやって来た南雲である。顧問の指示となれば、よほど理不尽なものでない限り従わざるをえない。不承不承ながら──とりわけ吾郎は渋ったが──、グラウンドの中央に集まった。
「なんだよティーチャー、俺ら早く練習してぇんだけど」
「ふふん、そう焦らなくてもグラウンドは逃げねぇぞ」
「……時間は逃げるけどね」
「しっ、泉……!」
泉の毒舌は聞こえなかったのか、南雲は得意げに続けた。
「ゴホン!……えー、まずはグラウンド完成おめでとう。君らは栄えある夢島学園高校新生野球部として、今日から本格始動することになる!目標に向けてぜひとも頑張ってくれたまえ」
「………」
「私も顧問として粉骨砕身努力させていただくつもりだが、如何せん野球のことはよくわからん。まぁ指導のことは追々考えるとして、今は自分なりにできることをさせてもらおうと思う」
「……できること?」
南雲は頷き、怪訝な表情を浮かべる生徒たちを見渡して告げた。
「今週末、練習試合を組ませてもらった。場所は勿論、ここでだ!」
「れ、練習試合ですか?また……」
「そう、オープン記念だ」
「喫茶店ですかここは……」
「で?相手はどこよ?」
ぞんざいな口調で問いかける吾郎。彼としては横浜帝仁のような強豪相手でも望むところなのだが。
「それはだな、なんと……私立江良高校だ!」
「……エラ?」
吾郎が首を傾げるのは当然として、
「……聞いたことあるか?」
「さぁ?」
「あの先生、そこの公式戦での成績は──」
「ん?向こう十年一回戦負けだけど?」
がくっと脱力する一同。
「……あのなぁお前ら、ついこの前まで同好会だったような連中と帝仁レベルの強豪校が試合してくれるわけないだろ?とにかく組んでやったんだから、ありがたく思え」
「そ、それは……」
正直、ありがた迷惑な気もしなくもないのだが。
「弱小相手じゃ、本田の球は……」
「誰にも打てない……だろうね」
「打てないっちゅーことは……」
「練習にならない、な……」
「ま、あとのことはお前らで相談してくれ。じゃ、練習開始〜」
微妙な反応を示す部員たちに肩をすくめつつ、南雲は端末を小脇に抱えてベンチに引っ込んでいった。
*
というわけで迎えた週末。先攻の江良高校を迎え撃つべく守備につく夢島高校であったが……マウンドに立つのは、吾郎ではなかった。
「………」
逸っているせいかやや動きの硬い児玉の球を受けながら、寿也はマウンドの遥か後方に目を遣った。
(ゴネてたなぁ、吾郎くん……)
無理もないかと嘆息する。投手であることにプライドをもつ彼が、先発からライトに立たされているのだ。そればかりか、打順も今日は9番まで下げられている。尤もこれは経験者組全員がそうで、経験の浅い面子を鍛えるための措置に相違ないのだが。
(ハンデ付きの練習試合で、この前みたいなペナルティもないとはいえ負けたくはないよな。僕がしっかりリードしないと)
というわけで始まった練習試合。児玉の投球は絶好調で吾郎にもひけをとらない活躍を……とはならなかった、残念ながら。如何に無名弱小校といえども、相手は毎日白球を追いかけてがんばっている球児たちである。児玉の放つ球はことごとく打ち込まれ、そこかしこに飛んでいく。
とはいえそこは、寿也の天性の好リードが光った。彼の配球によって打たれる方向がある程度予測でき、野手たちも迅速に動くことができたのだ。そのためヒット、出塁数は最小限に抑えることができていた。
一方、夢島側の攻撃。前回と変らず1番を任された草野が初回からツーベースヒットを放ち、以下、上位打線の初心者組も次々に出塁していく。その様子をリアルタイムで目の当たりにして、江良高校の監督はただただ唖然としていた。
「……な、なんでついこの前まで同好会だったような連中に、ここまで打たれるんだ……?」
投手を替えているとはいえ、夢島ナインが横浜帝仁にも勝利していることを、彼らは知らなかった。
『6番キャッチャー、佐藤く〜ん』
いまいちやる気の感じられない南雲のアナウンスとともに、寿也が打席に立つ。ブランクがあるため流石に吾郎には劣るが、横浜リトルで4番を打っていた才能は伊達ではない。クラッチヒッターとしての能力を、彼は仲間たちに期待されていた。
(とはいえ、せっかく塁が埋まったんだ。ここは……)
相手投手が一球を投じる。こう言っては申し訳ないが、コントロールも甘いし球速も大したことはない。帝仁の葦原と対峙し、何より吾郎の球を見慣れつつある寿也にとっては、すべてが絶好球としか思えなかった。
──かあぁんっ
胸をすくような音が響く。……真新しいフェンスが、さっそくその役割を果たした。
「ま、満塁ホームランだ……!」
「……へへっ、やるじゃねえかトシ」
「こりゃ負けてらんねえな」と、吾郎。打者のトリとして打席に立った彼もまた、3ランホームランを放つことになる。
5回までが終了したところで、江良側の申し出により試合はコールドゲームとなった。結果は21vs3。弱小相手とはいえ夢島高校野球部、幸先の良いスタートとなったのだった。
*
新東京国際空港に、ひとりの女性が降り立っていた。赤いチェスターコートを纏い、やはりルージュカラーのキャリーケースを引いている。その美貌と相俟って、まるで海外旅行帰りの芸能人のようである。実際そうと勘違いして、振り向いてしまう者もいないではなかった。
「日本も久しぶりね……」
そんな呟きを零す彼女が想うのは、ただひとりのこと。
「元気にしてるかしら、──ゴロー」
艷やかな唇が、ほのかに弧を描いた。