【完結】夢島ナイン   作:たあたん

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Scarlet Leopardess

 

 突如現れた吾郎のガールフレンド・川瀬涼子。彼女は宵闇の中、夢島ナインに対決を申し込んだ。

 

「……一体どういうつもりなんだろうな、彼女は」

 

 寺門の言葉に、皆がうんうんと頷く。実力を見たいと言うからてっきり練習でも見学するつもりなのかと思ったら、なんと彼女は自らマウンドに立ったのだ。今は吾郎と肩慣らしのキャッチボールを行っているが。

 

「まぁでも、今どき野球やってる女の子も珍しくないし。本場でやってたって言うんだから、自信はあるんじゃない?」

「……ところで泉、帰らなくて大丈夫?」

「あんまり大丈夫じゃないけど、気になるし」

 

 男子たちがそんなやりとりをしている間に、肩慣らしも終わったようだ。吾郎が大きく手を振りながら「トシ〜!」と呼びかける。

 

「受けてやってくれ!あと、打ちたいヤツいるか〜!?」

「ハイハ〜イ、ワイ立候補しま〜す!」

 

 寿也とともに揚々と出てくる三宅。正直言って、彼は涼子を侮っていた。三宅だけではない、自信はあるんだろうと発言した泉も含めたこの場にいる全員が。子供ならともかく、肉体的には全盛期に近いハイティーンの男女には、拭いがたい運動能力の差がある。女子の投球などたかが知れているだろう、と。

 なんならカッコいいとこ見せて、自分に惚れさせたる──三宅の態度からそんな思考を見てとって、吾郎は密かに唇を歪めた。

 

「じゃあ、いいかしら?」

「いつでもええでー、涼子ちゃ〜ん」

「……三宅くん、年上だよ」

 

 小声で咎めつつ、ミットを構える寿也。涼子は彼らより二歳も年長なのだ。化粧っ気はあまりないが、それでもなお大人っぽく見える。

 ひとつ深呼吸をしてから、涼子は投球動作に入った。両腕を高く掲げたかと思うと、右脚を抱え込むように折り曲げる。独特のフォームだ。

 

「──っ!」

 

 そして、一球が投げ込まれた。

 

──スパァン!

 

「え……?」

「──!」

 

 三宅はバットを振ることすらしなかった。いや、できなかったのだ。それを企図したときにはもう、ボールはキャッチャーミットに納まっていたのだから。

 

「は、速くなかったか……?」

「う、うん……」

 

 流石に吾郎のそれに比べれば常識の範疇ではあるが、高校野球でなら十二分に通用するストレートだった。それに、あの投球フォーム。

 

「速ぇに決まってんだろ」戻ってきた吾郎が言う。「涼子ちゃんはリトルからずっと男に混じってエース張ってきたんだぜ。お前らに早々打たれやしねぇよ」

「む……」

 

 吾郎が自分たちの闘争心を煽ろうとしていることくらいは流石にわかるようになった一同だが、それでも悔しいものは悔しい。意を決した国分がふたたびバットを拾い上げた。

 

「三宅、交代!」

「なっ……ちょ、もうちょいやらせてーや!」

 

 そう言っても三宅は既に三振していた。試合なら問答無用でバッターアウトだ。不承不承ながら退いた彼に代わり、国分が打席に立つ。

 

「あら、So cute!」

「っ、バカにしないでください!」

 

 人並み程度にしか英会話のできない国分だが、軽く見られていることはわかる。身長と童顔のためなのも理解しているが、彼にも主将(キャプテン)としてのプライドがあった。

 

「Sorry、じゃあいくわよ──!」

 

 そう言って、先ほどと同じフォームで一球を投じる。速い、コントロールも正確だ。しかし吾郎の球を三ヶ月も見てきたのだ、これくらい──!

 

「っ!」

 

 初球から、命中をとった。ボールはそのまま一・二塁間を水平に飛んでいく。誰も野手についていないからそのまま外野まで伸びたが、本来ならセカンドライナーだ。

 それでも涼子は、目を丸くして感心したようだった。

 

「へぇ、やるわね」

「………」

 

 次こそはと気合を入れ直す国分。その様子を見て、涼子の笑みが消えた。──以前、吾郎が転入してきたときと同じ。見かけは可憐だが、ガールフレンドに収まるだけあってひと皮剥いたところは吾郎とそっくりなのだろう。ならば彼女の"本気"が、次の投球で形となって現れるはず。

 

 そして、涼子が渾身の一球を投げ込んだ──

 

「──!?」

 

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。内角ぎりぎり、それこそ死球コースに投げ込まれたように見えた白球が、流麗な弧を描いて外角に吸い込まれていったのだ。あわや寿也も取りそこねるところだった。

 

「い、今のって……」

「スライダー、だよな?帝仁の葦原が使ってた……」

「でも、なんて変化量だ……」

 

 葦原のそれを遥かに凌ぐ湾曲。なんだかんだ吾郎に次ぐバッティングセンスをもつ国分が盛大に空振ってしまうのも、無理からぬことだった。

 

「あれを普段から見ていたから、葦原のスライダーをホームランにできたってわけか」

「そーゆーこと♪」

 

 川瀬涼子──米学生野球界において"Scarlet Leopardess(緋色の雌豹)"と呼ばれる、美貌の女傑であった。

 

 

 *

 

 

 

「今のふたりがあなたたちの代表ってことでよろしいのかしら?……はっきり言わせてもらうけど、ゴローのチームメイトとして合格点はあげられないわ」

「……っ」

 

 涼子の柔らかいが容赦のない言葉に、誰も反駁することができない。国分はともかく三宅が夢島ナインの代表といえるかは議論の余地が大いにあるとしても、他の面々にも涼子のスライダーを打てる気はしなかったのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ涼子ちゃん」彼にしてはしどろもどろで間に入る吾郎。「こいつらはついこの前までドーコーカイ……正式なチームじゃなかったんだって。それを今、日本一になるために頑張ってるとこなの!」

「……Are you serious?」

「Of course!」

 

 ビッと親指を立てる吾郎をじっと見つめたあと、涼子は深々とため息をついた。

 

(こうやって大変なほうへ行きたがるのよね、昔から……)

 

 見守る方の身にもなってほしい──と、涼子は思う。少女時代の彼女はそれを面白がって、積極的にけしかけることもあったのだが、過去は過去である。

 ただ現在も、そんな彼を制止するつもりは毛頭なかった。

 

「……わかった。でもいくらなんでも今の体制じゃ不可能(インクレディブル)よ。コーチャーもいないみたいだし」

「………」

 

「──私がやってあげてもいいわよ、コーチャー」

「……はっ!?」

 

 思いもよらぬ言葉に目を剥く吾郎。彼のチームメイトたちもまた、一様に呆気にとられていて。

 そんな少年たちに、雌豹は少女のように無邪気な笑みを浮かべてみせた。

 

 

 *

 

 

 

 その夜、涼子は本田家を訪れていた。吾郎の家族とともに相伴に預かるのはもう、少女時代から幾度となく繰り返してきたことだ。今さら遠慮も何もない。

 

「まさか日本で涼子ちゃんに会えるなんて思ってなかったわよ〜。でも来るなら事前に連絡しておいてくれればよかったのに。茂治さんだって会いたがってたのよ?」

「ふふ、ごめんなさい。でも、どうしてもゴローをびっくりさせたくて」

「……いきなり来たのも驚いたけど、問題はその後だよ。本気かよ、うちのチームのコーチャーやるなんて」

「本気よ」即答する。「ゴローにはいつだって頂点(トップ)に立っていてほしいの。チームメイトが弱くて負けましたなんて、笑い話にもなりゃしないわ」

 

 容赦のない物言いをするのは日本語だろうと英語だろうと変わらない。内に秘めてはいても吾郎以上に激しい闘争心こそが、彼女が男社会でエースたり続けた源泉なのだ。

 

「ま……助かるけどさ。そのほうが俺も練習に集中できるし」

 

 努めて素っ気なく言うと、向かいに座る母がにやにやと揶揄うような笑みを浮かべた。

 

「ふふ、吾郎ってば相変わらずよねぇ。素直に嬉しいって言ったらいいのに」

「なっ……!?べべべ、別に喜んじゃいねーよ!!」

「うわぁ、にいちゃん顔真っ赤〜」弟の真吾が追撃する。

「うるせえな!!──ごっそさん、素振りしてくる!」

 

 ドスドスと足音を立ててダイニングを出ていく吾郎は、どこにでもいる多感な時期の少年そのものである。子供なんだから、と笑う桃子(小学生の真吾も)に対し、涼子はどこか愁いを帯びた瞳で彼の逞しい背中を見つめていたのだった。

 

 

 *

 

 

 

 夜のマンションの裏庭は、人気もなく実に静かだ。敷地全体がオートロックの門に囲われているから、関係者以外が入ってくる心配もない。夜に素振りをするには、格好のスポットであった。

 

「……っ、……っ!」

 

 風を薙ぐ激しい音が断続的に響く。いったんは冷えた身体が少しずつ温まり、一筋の汗が頬を流れた。引っ越してきた当初はすぐに滝のような汗が出ていたことを考えると、随分と気候も変わったものだと思う。気づけば三ヶ月も経過しているのだから、当然といえば当然であるが。

 

 目の前に投手の存在をイメージしつつ、ひたすらにバットを振り続ける。抽象的だったその姿が次第に今まで立ちはだかってきた相手投手(ライバル)たちに変わっていく。その中には当然、かの"緋色の雌豹"の姿もあって──

 

「──投げてあげようか、ゴロー?」

「!」

 

 手を止めて振り向けば、そこには涼子の姿。申し訳程度の街灯の下でも、纏うジャンパーが鮮烈な緋色を発している。

 

「涼子ちゃん……──ダメダメ、万が一人に当たったり、ものぶっ壊したりしたら大変だろ」

「ふふ、そういうところ、昔からマジメよね」

「ルールをちゃんと守んなきゃ試合になんねーだろ、野球以外でもそれは同じだぜ?」

「ふぅん。それならお勉強もさぞかし頑張ってるんでしょうね〜」

「うぐっ……」

 

 やはりこちらでも勉強は不得手らしいと知って、涼子はくすくす笑った。尤も彼は幼年時での移住だったとはいえネイティブスピーカー並に流暢な英語を話せるし、試合時の頭の回転も極めて速い。要するにやる気がないだけなのだ。

 

「冗談よ。ゴローは昔から野球のことしか頭にない野球馬鹿(baseballaholic)だもの」

「……否定はしねーけど、涼子ちゃんにだけは言われたかねーよ。覚えてる?まだ会って間もない頃、一番すげぇのはおとさんかギブソンかで大喧嘩したの」

「忘れるわけないわよ。絶対この子とは仲良くなれない!って思ったもん」

 

 ギブソン──ジョー・ギブソン。来日をきっかけに、吾郎の父・茂治の終生のライバルとなった男。涼子は彼に強い憧れを抱いていた。その独特の投球フォームだって、元はギブソンを真似たものなのだ。

 

「それが俺らのコーチャーしてくれるってんだから、変われば変わるもんだよな」

「………」

「なぁ涼子ちゃん。……アメリカは、もういいのか?」

 

 彼らを深く知らない者からすれば首を捻りたくなるような抽象的な問いかけだったが、涼子には十分だった。

 

「……むしろ高校(ハイスクール)までよくやれたって思ってる。あなたみたいなすごい男の子たちを押しのけてトップに立つのは、たぶんもう無理」

 

 ため息とともに、涼子は自嘲めいた笑みを浮かべた。

 

「はぁ〜、男の子に生まれたかったなぁ!そうすればゴローと一生張り合ってられたのに!」

「……別に張り合ってりゃいいじゃねえか。野球、やめちまうわけじゃねえんだろ?」

「……Of course」頷き、「来年の春、日本(こっち)の大学に入るわ。女子野球部がある大学にね」

「女子野球、か」

「そう。……幻滅した?」

 

 涼子の瞳が揺れる。そこに彼女の本心を見てとった吾郎は、小さく笑いながらかぶりを振った。

 

「いいんじゃねえの。自分がその場所で、心から野球を楽しめると思うんなら。トップ目指す前に、野球を嫌いになっちまったら意味ねえもんな」

「ゴロー……」

「──頑張れよ。涼子ちゃんが俺を助けてくれるのに負けないくらい、俺も応援してるから」

 

 吾郎の混じりけのない善意が、涼子の心を打った。──やはり彼は、出会った頃から変わらない。いつだって真っ直ぐで、野球馬鹿で、純粋な心の持ち主なのだ。

 刹那、彼女は吾郎に駆け寄っていた。そして──その少しかさついた唇に、噛みつくような口づけをしたのだった。

 

 

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