山荘を起点とし、山道の途中にある道の駅までの片道12キロ。素人には決して短いとはいえないこの往路が、この合宿の鏑矢たるマラソンのルートだった。
「途中歩いてもいいし、休憩も自由よ。ただ、必ず日暮れまでには帰ってくること」
「もし間に合わなかったら……?」
「しばらく私特製の体力増強スペシャルメニューをこなしてもらうわね♪」
悪戯っぽい笑みとともに放たれた涼子の言葉は、皆を震撼させた。
*
──よーい、スタート!
号令とともに、夢島ナインは走り出した。
「わりぃけど先行くぜ!!」
開幕ペースを上げる吾郎。おっかなびっくり走り出す他の面々を一気に突き放していく。体力差を考えれば当然のことなのだが、それを見て気短を起こす者もいるわけで。
「なっ、このヤロ……!」
頭から湯気を出しながらそれを追おうとする児玉。何だかんだ彼が当初より抱いていた対抗心は消えていないのだ。ただ、それにまかせていては身体がついていかない。
「わぁ、ちょっ、ダメだよ児玉!!」
「ンだよ放せ!!」
「本田のペースに合わせてたらすぐにバテるぞ」
「ぐう゛ぅぅぅ……!」
「……まったく、余計な体力を使わせないでほしいね」
「なんだと草野てめえ!」
「初っ端から何やっとんねん……」
「先が思いやられるな……」
塊がわあわあと騒がしい中で、丸山だけは沈黙を貫いていた。いや、喋る余裕がないというべきか。
「丸山くん、大丈夫?」
「あ……佐藤くん」
「無理しないで、ゆっくり行こう。多少休んでも、日没までには十分間に合うはずだよ」
「あ、ありがとう……」
車酔いを引きずっているのか、丸山の体調がすぐれないことは明らかだった。そうでなくても彼は元々文化系で、チームの中でもとりわけ体力には欠けているのだ。
そんな彼らの背中を見送りながら、南雲はぐうっと伸びをした。
「は〜行った行った、ちょっと昼寝してから見回り行くかね」
「ずっと運転でしたものね、お疲れ様でした」
「ど〜いたしまして。涼子ちゃんそろそろ入試だろ、勉強しなくていいの?」
「え、えへへ……じゃあ私もちょっとだけ……」
奥へ引っ込んでいく大人(?)組であった。
*
スタートから一時間半が経過した。ある程度ペースを節制していても、素人組の体力ではそろそろきつい局面である。
「ふ、ふ、はぁ……っ」
呼吸を整えながら、なんとか走り続ける一同。しかし流石に限界を迎えたのか、三宅がついに足を止めた。
「も、もうあかんわ、ちょっと休憩……」
「休憩はいいけど、足は止めないほうがいいよ」
「わーっとるわい……」
「流石にこれは、堪えるな……」
汗を拭いつつ、寺門が背後を見遣った。
「佐藤と丸山、見えなくなってしまったな……」
「佐藤はペース合わせてあげてるんだろうけど、丸山は……」
いつも控えめで気弱ながら、丸山は練習がハードになっても文句ひとつ言わずについて来ていた。そういうタイプだからこそ、その限界を越えれば潰れてしまうのではないか。
「………」
彼らより十数メートル前方で、同じことをより深く憂慮している者がいた。
「はぁ、はぁ……くそっ、本田のヤローはどんだけ先に行っちまったんだ……」
「………」
「……国分、どうしたよ?」
誰より後方を気にし続けていた国分が、ついにその足を止めた。
「──僕、ちょっと見てくる」
「!!」
そのまま踵を返して、元きた道を走り出す。「国分!」とチームメイトたちが口々に呼びかけるが、彼は左手を挙げるだけで応えた。
心配された通り──彼らより遥か後方にいた丸山は、既に走るどころではなくなっていた。
「丸山くん、大丈夫?」
「は、はぁ、は……っ」
道端に座り込んだまま、浅い呼吸を繰り返す丸山。心配そうに見下ろす寿也だが、彼にしてやれることはそう多くはない。
「ご、めん……迷惑かけて……」
「迷惑だなんて。チームなんだから、困ったときはお互い様だよ」
そう言って励ます寿也だが、丸山の表情は晴れない。困ったときはお互い様──それは美しい言葉だが、自分に返せるものがあるかどうか。
「……佐藤くん……僕は大丈夫だから、先に行っていいよ……」
「何言ってるんだよ、こんな状態で置いていけるわけないじゃないか!」
「僕のせいで間に合わなかったら……佐藤くんまで、特別メニューさせられちゃう……。そうしたら、本田くんの球は誰が捕るの……?」
「丸山くん……!」
「だから、お願い……先に……」
寿也の心に一瞬、迷いが生まれた。遅れている者に合わせることがチームワークの在り方なのか。たった二年でも名門チームに在籍していた寿也は、落伍者が容赦なく切り捨てられる光景を何度も目にしてきた。
夢島野球部も、勝利を志向するチームであることに違いはない。幼なじみがそう変えたのだ。それでも──
「いいよ」
「!?」
「一緒にやろう、特別メニュー」
寿也自身、横浜リトルにいた頃を考えれば随分身体が鈍ってしまっているのだ。──体力増強に励むのも、悪くない。
「だから立って、丸山くん。最後まであきらめちゃダメだ」
手を差し伸べる寿也。吾郎が……皆が先へ行ってしまうのだとしても、自分は最後の砦であり続ける。今この瞬間、そう決めたのだ。
寿也の覚悟を感じとったのか──表情を引き締めた丸山は、小さく頷いた。そしてその手を取り、立ち上がる。
「体力が回復するまで、歩いて行こう。大丈夫、まだ間に合うさ」
「うん……!」
そうしてふたりが歩き出そうとしたときだった。
「佐藤、丸山〜!」
「!」
向かいから手を振りながら駆け寄ってくるユニフォーム姿。まさかと思うまでもなく、その人物が我らが主将であることはすぐに明らかとなった。
「国分くん!なんで……?」
「主将が仲間を置いていくわけにはいかないからね。僕も一緒に行くよ」
「そんな、それじゃ余計に……」
「僕は皆より体力あるから、ちょうどいいハンデだよ。さ、行こう!」
丸山を囲むようにして、ともに歩き出す。ひとり増えたところで、肉体的な負荷が変わらないのは言うまでもない。しかし彼らが自分を見捨てずにいてくれるという事実は、丸山の心を奮起させたのだった。
*
一方、後方の状況などつゆ知らぬ絶対的エースは、既に折返し地点である道の駅に差し掛かっていた。
「ふぃ〜、ようやく半分……。時間あるしおやつでも食っちまうかな〜っと……」
帰国してからというもの、ほとんど学校と家との往復生活を送っている吾郎である。コンビニなどでは見かけない土産物の菓子類など、すべてが新鮮に映った。問題は、ことごとくきちんとした箱に包まれていることだったが。
「なんだよもう……ソフトクリームでいいか」
渋々売店へ向かおうとしていると、ちょうど目前のスペースにそこそこ立派なバスが駐車した。別段珍しいものではないのだが、なんとなく気になって眺めていると、降りてきたのは制服の一団で。
(高校生か?俺らと同じ……)
個人差はあれど皆体格が良いし、自分たちと同じこの辺りで合宿する運動部だろうか。そんなことを考えていると、彼らはユニフォーム姿の吾郎に一瞬気をやるような様子を見せた。とはいえ声をかけられるでもなく、そのまま会釈して横を素通りしていったのだが。
「……?」
首をひねる吾郎だったが、彼らの正体はすぐにわかった。
バスの側面にあしらわれた校名──"Atsugi Gakuen High School"。
(厚木学園……!?)
神奈川屈指の名門中の名門。甲子園常連校──否、常勝校と言うべきか。全国優勝の栄冠を掴むためには最大の障壁となりうる存在が、今、目の前に現れたのだ。
「……こりゃあ、呑気にソフトクリーム食ってる場合じゃねえな」
今まで強敵とは幾らでもぶつかってきた。しかしチームとしての地力に圧倒的な差が生まれているのは初めてのこと。無論望んだのは自分だ。ただ吾郎の胸は、帰国以来及ぶものがないほどにざわめいていた。