厚木学園高校がエース投手を繰り出した5回裏、現在1点先行している
『8番レフト、丸山くん』
「丸山ぁ、さっそく一発かましたれー!!」
三宅のある意味常にフラットな声援を横に聞きながらも、吾郎の意識は眉村の投球に向いていた。相手は日本一のチームのエース……平易なイコールで結べば、日本一の投手ということである。率直に言って、丸山にいきなり打たれるようなへまはしないだろう。
冷たいようだが、それは客観的な分析でもあった。ワインドアップから放たれたストレートは、吾郎のそれに勝るとも劣らないような剛速球だったのだ。
「……っ!」
「ストライィク!!」
審判の確信のこもった声が響く中──グラウンドは、しんと静まり返っていた。
「な、なんだ今の球は……?」
「本田並、だったんじゃ……?」
速さだけではない。球威も……何よりその単語だけでは到底説明できないような、押し潰されそうな衝撃が、幾分かは離れたベンチまで伝わってきたのだ。
そしてそんなものを眼前に受けてしまった丸山は、もはや竦み上がって使いものにならない。それでもがむしゃらにバットを振り回しはしたものの、まぐれですら当たることはなく三振にとられてしまった。
『9番ライト、児玉くん』
「お、オレぁ丸山のようにはいかねーぞぉ!!」
気を吐く児玉だったが、明らかに声が震えている。結果は……言うまでもあるまい。
『1番センター、草野くん』
「………」
この試合、三度目の打席に立つ先頭打者・草野。渡嘉敷を相手取った二度とも凡打に終わっている。その表情には、相当に切羽詰まったものがあった。
(これ以上、何もできないまま終わるわけには……。でもこんな相手に、僕なんかが通用するのか……!?)
自分なりに時間をつくって練習や試合に参加しているとは言っても、陸上を優先している以上、皆に比べれば圧倒的に練習量が足りない。それでも自分にはセンスがあるからなんとかなると、どこか悠長に構えていた。
──その結果が、このざまだ。
「っ、く……!」
「ストライクツー!」
焦燥丸出しでむやみにバットを振る姿は、傍目にも滑稽と言うほかなかった。あるいは、先ほどの丸山や児玉よりずっと。
「何やっとんねん草野……全然ボール見とらんやんけ」
「コーチ、本田。何か指示を出したほうが……」
寺門が提言するが、ふたりは動かない。……そもそも草野はこちらを見てすらいないのだ。彼の視野は今、極めて狭まっている。その結果が何を齎すかは、想像に難くない。
「………」
名前に反して眉ひとつ動かさぬまま、眉村は三球目を投じる。ボール球を挟む気すらないのは、今までの投球から明らかだった。
(なら、せめてバットにくらいは……!)
草野はすかさずバントの構えをとった。ヒットを出すことはもちろん、相手投手へ揺さぶりをかけるとか、そういう戦術性もない。有り体に言ってしまえば、ただの破れかぶれ。
しかしこの鉄血投手──と、それをリードする捕手──は、そんなものに乗ってやるほど甘くはなかった。バットの寸前で、投じられたボールが大きく下へ軌道を変えたのだ。まるで生き物のように、自らミットへと納まっていく。
「あ……!」
「ストライーク!!」
スリーアウトチェンジ。三者三振──肩を落とした草野は、顔面蒼白のままベンチへ戻っていくしかなかった。
「あ……ど、ドンマイ草野!相手はプロ顔負けのピッチャーなんだ、初打席で打てないのはしょうがないよ……」
「それに、あのキャッチャーのリードもえげつないしね」
小兵ふたりが励ますが、草野の表情はいっこうに晴れない。──そもそも眉村から打てなかったことだけが消沈の原因ではないのだから、当然なのだが。
そして本場であらゆるピンチを体験してきた彼は、それを見抜いていた。
「──多少センスがあったって、二足の草鞋履いてるおまえに攻略される程度の相手なわけねーだろ」
「!!」
吾郎らしからぬ冷徹な言葉が、淡々とベンチに響きわたる。草野は思わず、言葉を失った。
「本田、そんな言い方……!草野は陸上で忙しいなりに、この合宿にも来てくれて……」
それを今さら責めるのは、お門違いにも程があるのではないか。国分の言葉は尤もだった。
むろん、吾郎とてそんなことはわかっている。
「別に掛け持ちが悪いってんじゃねーよ。ただ相手との実力差はキャッカンテキ?に見ろっつーことさ」
それだけ言うと吾郎はグローブを手に、先陣切ってベンチを出ていく。釈然としないものを感じながらも、野手たちはそれに続くしかない。
「──"
「!」
「攻撃で通用しなかったのは実力不足、今はどうしようもないわ。野球は攻撃だけじゃない、守備もある。あなた達の今すべき仕事を、しっかりとやりなさい」
*
6回表──つい先ほど夢島ナインに衝撃を与えた投手が、今度は打者として姿を現した。
『8番ピッチャー、眉村くん』
「………」
打席に立った眉村は、マウンド上と変わらぬ威圧感を放っている。俺と同じだ、と吾郎は直感的に思った。この男は投手としてだけでなく、打者としても──
一方の寿也は、先ほどの涼子の言葉を思い起こしていた。
(皆、このピッチャーにすっかり呑まれてしまってる……。でも現状、勝ってるのは僕らなんだ。このまま吾郎くんの球を打たれさえしなければ、僕らは勝てる)
そう──攻撃がだめでも、守備を完璧をこなしさえすれば。
(まずは……ストレート、低め、外角)
変化球を織り交ぜるようになったため、サインの種類は複雑化している。それでも迷わず、かつわかりやすく投手に伝えねばならない。それが捕手の役割だ。
目を細めた吾郎はひとつ頷くと、ワインドアップから勢いよく一球を投じた。間もなく終盤に差し掛かろうとしていても衰えることのない、
「ストライィク!」
「………」
眉村はボールの納まったキャッチャーミットを一瞥しただけだった。その表情は微塵も変わることがない。
(吾郎くんの速球を間近で見ても、動揺しないなんて)
肚が据わっているのは明らかだ。打者としても……いや、規格外の投手である吾郎なら必ず、打ち取れるはず。
(もう一度ストレートだ。追い込もう)
コースを微修正しながら、二球目。また見逃すかと思われた眉村だったが、今度は躊躇なくバットを振った。
「──!!」
右方向に押しやられるボール。フェンスを直撃したそれは、反動で跳ね返って地面に落下した。判定は、ファール。
(っ、完全に当ててきやがった……)
コースが甘かったらば、かなりいいところまで飛ばされていたかもしれない。やはりこの男、打者としても一流なのだ。
(……どうする、トシ?)
吾郎の視線に、寿也もまた視線で応える。
(一球、ボール球の変化球で様子を見よう)
改めて、サインでそのことを伝える。できれば三球で仕留めたい気持ちはあったが、捕手として誤った要求ではない。吾郎は頷くと、ボール気味のカーブを投じた。一瞬スイングのそぶりを見せた眉村だったが、すかさず手を止める。
(よし……。もう一球、ストレート)
今度は内角高めにストレート。眉村は敏くそれに反応し、バットを振った。ふたたび、ファール。
「楽しんでんじゃん、眉村のやつ」
出番はないだろうと踏みつつも、一応ユニフォームに着替えた阿久津がししし、と笑う。打者としての優秀さも併せ持つ眉村は、投球への影響を考慮して常に効率重視のバッティングを行う。つまるところ無駄に手は出さない、さっさとミートして出塁してしまうことが多い。
「程々にさせたほうがいいんじゃねえか、小森。あいつの球何度も手ぇ出してたら、いくら眉村でも投球に影響が出る」
「そうだね。でも待ってるんだ、眉村くんは」
「待ってる?」
小森は眉村を……自分を見出してくれた投手を、深く信頼していた。彼は常に先の先まで、試合全体を見据えながら行動している。1点ビハインドの局面、自分がノーヒットノーランを達成するだけでは勝てないと理解しているのだ。
(眉村くんがそうすると決めたなら、僕は彼を信じるだけだ)
ストレートを投じるたびに表情ひとつ変えず、ファールボールにしていく眉村。同時に、どんなに際どくともボール球には手を出さない選球眼もある。弱点などというものは、彼には存在しないのではないか。その鉄面皮といい、まるで精密機械のようだと寿也は思った。
(フルカウントになる前に決着をつけないと。だけどストレートはファールにされる。それなら……)
チェンジアップのサインを出す寿也。しかし吾郎は首を横に振った。──バッテリーを組むようになってから、初めての明確な拒否。
(!?……速球で三振か凡打を狙う気なのか?でも、この男がまぐれを起こす可能性なんて期待できないんだぞ……)
吾郎もそれくらいわかっているはずだ。ただ……彼がそう言うならと、速球を投じさせる。案の定、またファールにされてしまったが。
二球続けて同じ結果となり、痺れを切らした寿也はふたたびサインを出した。
(カットボール……これなら、裏をかけるはずだ)
それを受けた吾郎は一瞬迷いを覗かせたものの、一、二秒のうちに小さく頷いた。まだ3イニングあるのだ、このままでは徒に体力を消耗するだけだと判断した。
(次の手のウチ晒す以上は……絶ッ対、打ち取る!)
投じられた白球。もとより裏をかくための一球は、チェンジアップやカーブに比べてストレートと遜色ない球速を保っている。眉村が今までと同じ調子でバットを振れば、三振に打ち取れる──!
「……甘いよ」
そう呟いたのは、厚木ベンチの小森だった。それとまったく時を同じくして、眉村は力いっぱいバットを振っていて──
「……!!」
「え……?」
吾郎は目を見開いて後ろを振り返り、寿也は呆然としたまま動けなかった。ボールはそのまま、センター方向へ高く飛翔したのだ。はっとした草野が持ち前の俊足で追いかけていくが、その行為が文字通りの無駄足に終わるのは誰の目にも明らかだった。
ボールはフェンスを越え、そのまま向こう側へ落下したのだから。
──ホームラン、
帝仁戦のときとは違う。吾郎の曲りなりにも本気の投球が、完全に攻略された瞬間だった。