作者素人につき、誤りがあったらご指摘ください。
※スマホで見ると多分ずれます。
型通りの挨拶とグラウンドの整備が終われば、厚木の面々はまるで何事もなかったかのように引き上げていく。
その中で、眉村と小森のバッテリーは女監督に呼び止められていた。正確には眉村が呼び止められたところに、小森もついていったと言うべきか。
「達成できなかったわね、ノーヒットノーラン」
「申し訳ありません」
表情ひとつ変えぬまま、謝罪の弁を述べる眉村。隣に立つ小森のほうが、よほど申し訳なさそうな顔をしていた。
「どんな罰でも受ける所存です」
「あら、そう。……小森くん、どんなのがいいと思う?」
「えっ、僕……ですか?」
一瞬、困惑した小森だったが……まじめな顔をした早乙女の瞳の奥に悪戯めいた感情を読み取って、彼女の意図を理解した。
「じゃあ明日の二軍との試合、眉村くんを先発から外して阿久津くんに代えるというのはどうでしょう」
「そうね……そんなところかしらね、眉村くん?」
「自分は、異存ありません」
そう答えつつ、眉村はちらりと小森を見下ろした。そんな彼に笑みを浮かべて応じる。エースの眉村を主戦力から完全に外すような処置は現実的ではないし、彼は吾郎から二打席二安打(うち一本は本塁打)という成績を残している。一本ヒットを打たれた程度、帳消しにして余りある成果だ。
「そういうわけだから、明日はベンチでゆっくり休んでちょうだい」
そう言うと、早乙女は相手校顧問のもとへ駆け寄った。
「おまたせしました。──本日はどうもありがとう。なかなか良い試合でしたよ」
「いえ、こちらこそわざわざお時間作っていただき……さすが厚木学園さん、お強いですねぇ」
でれでれと社交辞令を述べる南雲より、早乙女の関心はその背後にいる涼子に移っていた。
「──あなた、あのエースくんとどういう関係?」
「!」
目を見開く涼子。程なくその表情に敵愾心めいたものが滲むのを認めて、早乙女は己の女の勘が正しいことを確信した。
「……プライベートなことを、あなたにお話しする義務はないと思いますけど」
「ちょっ、こら、涼子ちゃん……」
「──ええ、プライベートなことに関知するつもりはないわ」遮るように、静香。「私が言いたいのはただひとつ。……あのエースくんを、潰さないようにね」
呆気にとられる南雲と涼子にウインクすると、早乙女は颯爽と去っていった。
*
「さて、と!お前ら今日は日本一相手によくやった!負けたとはいえ大健闘だったじゃないか、だからそう落ち込むな。な?」
「………」
気休めめいた言葉をかけられても、夢島ナインの反応は芳しいものではない。確かに結果だけ見れば大健闘だったかもしれない。しかし皆それぞれに、あのときああしていればという後悔が残されたのだ。打てていれば、走れていれば、守れていれば──
「あなたたちに何が足りないか、それがよくわかる試合だったんじゃないかしら」
そういう意味では、涼子の言葉のほうがよほど重みがあった。
「結局、試合は勝てなければ意味がない。──勝つために残された課題を、ひとつひとつクリアしていくしかないわ」
「……そうだな」そう首肯いて、吾郎は笑みを浮かべた。「そうと決まりゃお前ら、あの夕日に向かってダッシュだ!」
「夕日に向かってって……60年代かオノレは」
三宅のツッコミにもいつものような覇気はないが、それでも多少は空気が解れたのも事実だ。クールダウンも兼ねて、彼らは合宿所までの道を走り出した。
*
苦いものが尾を引く結果となったのは、勝者たちにとっても同じだった。当初は本格的な布陣ではなかったとはいえ、眉村の登板までは勝ち越され、最終的にも2点差から拡げられずに試合が終わってしまったのだ。今年発足したばかりの新興野球部に対して、あってはならない結果である。
むろん、その原因ははっきりしている。総監督への報告は実に容易いのだ。ゆえに早乙女静香が気にかけているのは、チームの監督としてより静香個人のポリシーに関わることだった。
(兄さん……)
過去の追憶に浸っていると、不意に居室の扉がノックされた。
「入るわよ、静香」
「あぁ……泰造兄さん」
「姉さんよ」
すかさずそう応じるのは、マッシブな体格とは裏腹に茶色く染めた髪を首元まで伸ばし、顔にもしっかりメイクを施した大男だった。名も早乙女泰造と言い、れっきとした静香の兄である──生物学的には。
「観終わったわよ、今日の試合のビデオ」
「ありがとう。……どうだった?」
「どうもこうも、あのピッチャーくんでしょう。球速ももちろんだけど、9イニングほぼ全力投球で投げ抜くなんて尋常なスタミナじゃないわ。流石に終盤は息切れしてたようだけどね」
それだって球速は最低でも150キロ台前半は出ていたし、まともに打つことができたのは薬師寺と小森、そして眉村くらいだ。チームに目配りもしているし、完全無欠の素晴らしい投手に見える──表向きには。
「お気に召さないようね、静香?」
「……別に、そんなんじゃないわ。ただいくらエースががんばったって、他が足を引っ張るようじゃ到底上にはあがれないのよ」
そう──皆、新興野球部にしては頑張ってはいたけれど、それだけだ。静香に言わせれば及第点にすら達していない。渡嘉敷からだけでなく、眉村からもあと一歩で本塁打を放とうとしていたあの容姿の整った捕手だけは光るものもあったけれど。
「静香、あんたの本音を当ててあげましょうか」
「……何よ」
「あのピッチャーくんが、まるで
「………」
否定も肯定もせず、静香は視線を端末に戻した。投球に臨む吾郎の姿は確かに、懐かしい兄そのものだった。
──今はもう、何処にもいない。
*
「じゃ、かいさーん。合宿は家に帰るまでが合宿だからな、今日は寄り道せずに帰れよー」
明らかに芳しくない部員の反応に、南雲は肩をすくめた。
「……お前らさァ、落ち込むなとは言わんけど切り替えろよ?来週から野球部以前に高校生として大事な大事な、学年末テストが待ってるんだからな」
「うげっ……」
蛙の潰れたような声を揃って発したのは三宅と児玉だった。野球部の中にも成績較差は厳然と存在していて、彼らは通称レッドポイント組と呼ばれるグループ?だった。
「へへん、大変だなお前ら」
「本田は他人のこと言えないだろ……」
「おまえ、英語以外ヤバかったからな」
皆のしらっとした視線を浴びて、吾郎は空々しい口笛を吹いた。夢島学園が今どきの進学校らしく英語重視でなければ、編入試験も通らなかっただろう。
「ウチは進級できなかったら部活も無期限出席停止だからね、甲子園どころじゃなくなるよ」
「Oh,my gosh……と、トシくんこのあとヒマー?ボクにお勉強教えてプリーズ……」
「え、う、うん……いいけど……」
「おいコラ、寄り道すんなっつっとるそばから……」
まあトラブルの種にならなければ構わないというよく言えば柔軟、有り体に言ってしまえばやる気のない南雲先生である。ため息をつきながらもそれ以上咎めなければ、もう話は決まったも同然だった。
「よっしゃそうと決まれば善は急げだ、行こうぜトシ!」
「あ、ゴロー!」
逸る吾郎を呼び止めたのは、彼のガールフレンド兼コーチャーだった。
「……自主練は、私が渡したメニュー通りにね」
「ん、おぉ。わかってるよ、進級できなきゃシャレになんねーしな。暫くはおベンキョーに集中だ」
「そう……わかってるならいいわ」
「……どしたィ、涼子ちゃん。なんかナーバスになってねえか?」
「!そんなこと……」
涼子の脳裏に燻るのは、厚木の女監督からかけられた言葉だった。──"吾郎を潰さないように"。
その言わんとすることは、長らく投手を続けてきた涼子にはよくわかる。絶対的エースとして独り投げ抜いてきた者ほど、途中で肩なり肘なりを壊して脱落していった。メジャーリーガーとなった父親による指導でそんな素振りもなくここまで生き残ってきた吾郎だけれど、弱小チームに知識のない大人がついている現況では、いつそれが彼の身に起こっても不思議ではないのだ。
そんな恋人の憂慮など思いもよらず、吾郎はお気楽な声をあげた。
「あーそっか、涼子ちゃん今週末が入試だもんな。流石にナーバスにもなるか」
「………」
「俺が言うのもナンだけど、頑張れよ。そんじゃな、皆も!」
寿也を半ば引きずるようにして去っていく吾郎。いつも通り、明るく振る舞ってはいるけれど──
(本田は……このまま何事もなかったように振る舞うつもりなんだろうか)
誰より高い志をもっているのは言うまでもなく吾郎なのだ。此度の敗北を甘んじて受け入れようとする男ではないだろうと、国分は思った。
*
「たっだいまー!カワイイ長男坊のお帰りだぜ〜」
思春期の高校生としては些かファンシーすぎる台詞を吐きながら、吾郎は玄関の扉を開けた。寿也も遠慮がちにそれに続く。
と、早速吾郎の若母が迎えに出てきた。
「おかえりー……──あぁ、トシくん!」
「ご、ご無沙汰してます」
「やだーもう、すっかり美男子になっちゃって!おばさん一瞬誰かわかんなかったわよー」
「連れて来るって連絡したろ……」
「わかっててもびっくりしちゃったの!」
きゃっきゃとはしゃぐ本田桃子は、容姿はともかく中身は完全にミーハーなおば様そのものである。吾郎との仲も──子が思春期の親子にしては──良好なようだ。彼らの過去の経緯を知る寿也には、微笑ましい光景でもあった。
「真吾と千春は?」
「真吾は友だちのお誕生日会に行ってる。千春はお昼寝中だから、あまり騒がないようにね」
「りょーかい。じゃ、俺の部屋こいよトシ」
「あ、うん。じゃあすみません、お邪魔します」
「どうぞー、ごゆっくり!」
明るく手を振る桃子は、本当に幸せそうに寿也には見えた。保育士と保護者という関係からスタートした大恋愛の末に本田茂治と結ばれ、メジャーリーガーの妻で三児の母として充実した日々を送ってきたことは想像に難くない。
(羨ましい、)
幸福に育てられた吾郎にそんな感情を懐いてしまう自分が、情けなかった。
*
吾郎の部屋に遊びにくるのは生まれて初めてのことだった。親しくしていた幼少の頃ももっぱら外で遊んでいて、彼の当時住んでいたというアパートを訪れたことはなかったのだ。
吾郎の部屋は一般的な男子高校生としてはややゆとりがあるという程度のものだが、随所に野球への造詣が感じられるという点において彼らしさが光っている。参考書や漫画本の類いより、野球関連の蔵書──しかもアメリカから持ってきたのか、英語で記されていると思しき──が沢山あるのも。
「おとさんがうるせーんだよな、野生の勘にばっか頼ってないでちゃんと理論を勉強しろってさ」
寿也の視線に気づいたのか、言い訳めいた物言いをしつつ吾郎が椅子に座る。寿也は勧められるまま、遠慮がちにベッドの端に座った。
「さーてーとー、なーに教えてもらおっかなー」
「……あのさ、吾郎くん」
「んー?」
教科書を物色する吾郎の背中に、おずおずと声をかける。
「本当は勉強より、僕に話したいことがあるんじゃないの?」
吾郎がぴたりと本棚を探る手を止める。ああ、やっぱりかと寿也は思った。傍目には自然な流れで自分を誘い出した吾郎だが、バッテリーを組んでいるおかげだろうか、なんとなくその意識するところが伝わってきたのだ。
「……さっすが、マイワイフにはわかっちまうか」
「女房役でしょ、それを言うなら」
「そーか。……そうだな」
吾郎が笑みを消した。真剣な表情を向けられ、寿也は思わず居住まいを正す。
「……一昨日の試合やってみて、はっきりわかった。今のままじゃ、俺らは到底日本一にはなれねえって」
「っ、………」
反論の余地など、ありはしなかった。逆転されたからではない。眉村がマウンドに上がってから、得点どころか吾郎を除いてはヒットすら打つことができなかった。──厚木の本気に、夢島は及ばない。
「まだ俺には、眉村に及ばねえ部分がある。だから──」
「──アメリカに、戻ろうと思う」
「えっ……」
目の前が真っ暗になるような衝撃が、寿也を襲った。
夢島学園高校vs厚木学園高校 試合結果
1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
厚木 0 1 0 0 0 2 0 0 1 4 7 0
夢島 0 1 0 1 0 0 0 0 0 2 6 0
厚木 打数 安打 打点 本塁打 打率
(右)矢尾板 4 1 0 0 .250
(遊)関 4 1 0 0 .250
(補)米倉 2 0 0 0 .000
[捕]小森 2 2 1 0 1.000
(三)薬師寺 3 1 0 0 .333
(一)大場 3 0 1 0 .000
(左)石松 3 0 1 0 .000
(中)原田 4 0 0 0 .000
(二)西城 1 0 0 0 .000
[投]眉村 2 2 1 1 1.000
(投)[二]渡嘉敷 2 0 0 0 .000
30 7 4 1 .233
夢島
(中)草野 4 0 0 0 .000
(遊)泉 4 1 0 0 .250
(二)国分 3 0 0 0 .000
(投)本田 4 3 0 0 .750
(補)佐藤 4 1 1 1 .250
(三)三宅 1 0 1 0 .000
(一)寺門 3 1 0 0 .333
(左)丸山 2 0 0 0 .000
(右)児玉 3 0 0 0 .000
28 6 2 1 .214
厚木
(右)矢尾板 ↓1三振 ・ 三振 ・ 三安 ・ 補邪
(遊)関 補ゴ ・↓4二ゴ ・ 三安 ・ 三振
(補)米倉 二飛 ・ 右飛
[捕]小森 捕安①・↓9中3
(三)薬師寺 ↓2右2 ・ 二直 ・ 遊直 ・ 四球
(一)大場 二ゴ ・↓5右飛 ・↓7遊飛 ・ 中犠①
(左)石松 一犠①・ 三振 ・ 三振 ・ 三振
(中)原田 三振 ・ 三振 ・ 三振 ・ 三振
(二)西城 ↓3三振 ・
[投]眉村 ↓6中本①・↓8中2
(投)[二]渡嘉敷 遊飛 ・ 二ゴ ・ 一犠
夢島※/以降は対眉村
(中)草野 ↓1三振 ・↓3二ゴ / 三振 ・ 遊ゴ
(遊)泉 左安 ・ 左飛 /↓6三振 ・↓9遊ゴ
(二)国分 一犠 ・ 三振 / 左飛 ・ 三直
(投)本田 中2 ・↓4中2 / 投直 ・ 左安
(補)佐藤 ↓2中本①・ 二ゴ /↓7二飛 ・ 右飛
(三)三宅 四球 ・ 投犠①/ 三振
(一)寺門 二安 ・ 三振 / 三振
(左)丸山 捕犠 /↓5三振 ・↓8三振
(右)児玉 一併 / 三振 ・ 三振
投手 回 打 振 球 責
厚木 渡嘉敷 4 16 3 1 2
眉村 5 16 8 0 0
夢島 本田 9 34 11 1 4