「俺は自分の力でこの国の頂点を穫る。──そのために、ここに来たんだ」
転入生の思いもよらぬ宣言に、同好会の面々は呆気にとられて言葉もなかった。長い長い沈黙のあとにそれを絞り出したのは、彼の幼なじみだった少年で。
「……吾郎くん……この国の頂点って──」
「ジャパニーズハイスクールで頂点っつったら、ひとつしかねーだろ」
──甲子園。高校球児ならば誰もがそこに立ちたいと願い、日々の厳しい練習の糧とする夢の舞台にほかならない。
しかしそれは、正式な部として公式試合にも出られるようなチームに所属している場合の話である。人数不足で、練習も週に数回という同好会の面々には、到底当てはまる話ではなかった。
「ほ、本気で言うとるんか……?」
「たりめーだろ。冷やかしで100マイルの
100マイル──時速160キロ、超。プロでだって、そうお目にかかることはない球速である。加えてその球威。吾郎が当初から絶対の自信を覗かせていたのは当然の帰結であった。むしろ、児玉を形ばかりでも褒めていただけ謙虚だったと言えるかもしれない。
「つーわけで……俺と一緒に目指そうぜ、甲子園!」
「吾郎く──」
寿也が反応しようとしたときだった。
「──断る!!」
上擦った声でそう叫んだのはほかでもない、このチームともいえない集団の主将を務める少年だった。
「うちは同好会なんだ……!試合で勝つとか、まして全国制覇だとか、そういう目的で野球やってるチームじゃないんだよ!甲子園に出たいなら、よそに行けばいいだろ!?」
一年半をともに過ごした仲間たちでさえも、見たことがないような剣幕だった。「僕はおまえの参加を認めない」──主将という立場上実効性のあるひと言を吐き捨てると、国分は用具を担いで去っていく。残る面々の中にも、白けた雰囲気ばかりが漂っていた。
「ふん、勝手なことばっか言いやがって。ざまみろ転入生!」
「………」
これでもかと嘲笑を浮かべながら──どことなく引き攣っているが──そう言い放つと、児玉は国分のあとを追っていった。それを皮切りに、他の面々も続いていく。
少し思案した末、寿也も歩きだそうとしたのだが、
「あ、おい……寿クン?」
幼なじみにまで袖にされるのは流石に予想外だったのか、やや狼狽えた声で吾郎が呼びかけてくる。ため息をつきつつ、寿也は渋々ながら立ち止まった。
「……言っておくけど、僕も国分くんと同意見だからね」
「!、………」
吾郎が息を呑むのを認めつつ、続ける。
「野球は好きだけど勝ち負けよりのんびり楽しみたい人、国分くんの人柄に惹かれた人……野球より優先しなきゃならない事情がある人。うちの同好会はそういう集まりなんだよ」
「……おまえも、そうなのかよ?」
「そうだよ」断言する。「今さら本気で野球に打ち込めるほど、僕の人生にゆとりはない。──きみのように好きなことに全力投球できる情熱と環境を、誰もが持ち合わせているわけじゃないんだ」
「………」
反論の言葉もなく、袖を掴んでいた手が離れていく。思えば出逢ったときも、腕をとられて強引に連れ出されたのだ。それを思えば、彼も少しは大人になったと言えるのか、どうか。
(でも、根っこは全然変わっちゃいない)
強引に、他人を己のペースに巻き込む。尤もそれに絆されなければ、十二年経った今、自分がかりそめとはいえグラブを身に着けていることはなかっただろうけれど。
しかしもう、誰も彼も子供ではないのだ。それぞれ生きてきた人生の積み重ねがあって、人格や価値観というものを創り出している。吾郎の熱意がどれほどのものか知ったことではないが、一過性の嵐にすらなるかどうか。
いずれにせよ今の自分には関係のない話だと、寿也は目を伏せた。
*
翌朝。登校した野球同好会主将を、校門で待ち構えている者があった。
「よ、よォ〜、国分キャプテン!」
「!、………」
親しげに声をかけてくる転入生──本田吾郎。どこかわざとらしいその笑みを一瞬じろりと睨めつけたものの、国分は彼の横を素通りした。
「あ、おい、待ってくれよ!き、昨日は悪かったって!」
「………」
「ち〜っと先走りすぎたっつーか……クウキ?読めてなかったっつーか?甲子園はおいといてさ、とりあえず俺をチームに入れてくれよ。なっ?」
(くそっ、なんで俺がクウキヨムとかいうジャパニーズルールに縛られなきゃなんねーんだ……)
下手に出る吾郎だったが、心にもないことを言っているのは明らかだった。──昨夜家族に愚痴を零したところ、逆に自分が叱られてしまったのだ。アメリカで、志を同じくしている者たちと切磋琢磨していたときとは違う。アプローチの仕方を考えろ、と。
ひと晩考えた末の今この瞬間なわけだが、付け焼き刃のおべっかに乗せられるほど国分は単純ではなかった。
「……バカにしてるの?」
「へ!?いやそんなこたぁまったくもって!ナッシング!オールライト!」
慌てて否定するが、国分はますます眉間の皺を深くしただけだった。
「悪いけど、チームの和を乱すやつはいらない。上辺だけ取り繕われたって、みんな迷惑するだけだよ!」
「んなっ……」
色を失いかけた吾郎だったが、ギリリと歯を食いしばって耐えた。既に地の底にまで下がったこの主将からの評価がさらに奈落へ陥ってしまえば、甲子園どころではなくなってしまう。かといって彼の言うような別の野球部に行くという選択肢は、ある理由から吾郎の頭にはなかった。
「話はそれだけ?僕、もう行くから」
「……ッ、」
足早に去っていく国分を、これ以上引き留めるすべもない。立ち尽くした吾郎は、はあぁと深いため息をついた。経験上他人とぶつかることには慣れているのだが、完全に拒絶されるとなると話は違ってくる。
「ったく……どうしろってんだよ……」
そのときだった。不意に背後から迫ってきた人影が、吾郎に引っ付いてきたのは。
「うおっ!?」
「なーに朝っぱらからしょぼくれとんねん、転入生?」
「あっ、おまえ……なんやったっけ名前……」
「〜〜っ、三宅や!み・や・け!!昨日自己紹介したやろがい!!ちゅ〜かなんで大阪弁パクっとんねん!!」
「う、うおぅ……」
怒涛の総ツッコミに吾郎が気圧されていると、三宅は一転してへらっと笑みを浮かべた。
「国分の説得、苦労しとるみたいやのぉ。ま、あいつをオトさんことには入会もできひんからなぁ」
「……見てたのかよ?」
「まぁな……って、そないな軽蔑の眼差し投げかけんでもええやん!せっかく耳寄りな情報教えたろ思うてんのに」
「耳寄り?」
「おー」ニヤリと笑い、「国分がなんであんなジブンのこと拒絶しとんのか、知りたないか?」
「!」
そんなこと──知りたいに決まっている。しかし国分の側の人間であろう彼が、なぜそんなことを?
吾郎は良くも悪くも正直だし、物事をはっきりさせないと気が済まない人間だった。ゆえにその疑問を率直にぶつけることにしたのだが、返ってきたのは思いがけぬ答で。
「だっておもろいやん、ジブン」
「は?おもろい??」
「そ。今どきドラマでもおらんて。そないな実力ひっさげて、弱小野球部……部どころか、同好会で甲子園目指そうなんて本気でのたまうヤツ」
「ワイはなぁ、平凡な日常には飽き飽きしとったんや。ジブンが
「……おまえ、」
軽薄な印象ばかりが際立つ三宅だが、今この瞬間だけは真剣な目をしていた。面白そうなことには人生をかけてでも首を突っ込まずにはいられない──でなければ、野球同好会に入ることもなかっただろう。
「せやから、ジブンのこと助けたる。国分のこと教えんのも、その一環ちゅーわけや」
*
教室に入った国分は、自席に着くなり深々とため息をついた。眉間に皺が寄りっぱなしだったせいか、ここに来るまでにすれ違った他の生徒たちには怯えた様子で避けられてしまっている。ただでさえ力強い太眉にさらに力が入ってしまっているとなかなかに迫力があるのだ。
尤も彼と親しい人間は、そんなことはお構いなしに話しかけてくるのだが。
「よぉ国分、ご機嫌ななめみてーだな。挨拶もナシなんてよ」
「あ、児玉……ごめん」
「別にいーよ、原因はわかってっから。な、草野?」
「ん?……あぁ、そうだね」
草野が児玉の言葉に同意するのは極めて珍しいことだった。──不仲の者同士が手を結ぶのは、外敵が出現したときと古今東西相場が決まっている。
「ったくあの転入生、なに考えてんだかな。迷惑なヤローだぜ」
「国分、これからどうするつもりだ?あの男、一度や二度であきらめるとは思えないけど」
草野の問いかけに、国分は努めて笑みを浮かべて応じた。「心配ないよ」と。
「何度来たって追い返すだけだから。どうせ、あいつの言葉に耳を貸すやつなんていないだろうし……」
「………」
「ん?……なんだ丸山、なんか言いたいことでもあんのかよ?」
視線に気づいた児玉がそう声をかけると、丸山少年はヒッと肩を揺らした。しかしそんな状態でも、彼なりに思うところがあって話を聞いていたのだ。
「ぼ、僕は……ちょっとだけ、いいかもって……思った、かもしれない……」
「!」
「はぁ!?」
思わず立ち上がる児玉。国分は腰を上げこそしなかったものの、元々大きな目を見開いて丸山を見つめている。
「てめえ、あの転入生の言うことに賛成だっつーのか!?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「……丸山。もし本気で甲子園を目指すなら、毎日遅くまで、今の比じゃない量の練習をしなきゃならないんだよ。それについてこれる奴が、うちに何人いると思う?」
「少なくとも僕は無理だ」草野が続ける。「陸上部の練習がある。共通する基礎的なことなら多少、融通は効くけど」
「あ……」
確かに、そうだ。草野のように野球のみに集中することが物理的に困難な者もいる。丸山自身は特別何かあるわけではないけれど、両親から名門大学への進学を強く期待されている。気弱な性格である彼に、家族を説得できる自信などあるはずもなかった。
黙り込む丸山を見て、国分は改めて思う。やはり、駄目なのだ。チームは全員の意志で動く。誰かひとりの意志を強引に貫き通せば、待っているのは瓦解しかないのだと。
(そんなのは……もう、嫌だ)
それでも拳に力がこもるのは、本田吾郎への怒りだけではなかった。