初回2打席目、初球からの本塁打。
厚木学園との試合を経てなお、吾郎の速球に神話めいた信頼を置いていたチームメイトらにとって信じがたい、悪夢のような出来事であった。
「──タイム!」
片手を挙げて要求する寿也。審判役のヴァルカンズメンバーが了承したところで、マウンドへ走っていく。内野手四人も集まったところで、すっぱりと切り出した。
「今のが打たれたのはしかたがないよ」
「な……」
「何言うとんねん、佐藤!?」
厚木戦のように自責に駆られて身動きがとれなくなるのも考えものだが、これではまるで開き直っているようではないか。
むろんそうでないことは、相棒の投手がいちばんよくわかっていた。
「さっきの吾郎くんの球、トップスピードは出てなかった。せいぜい150キロ台前半だったんだ」
「……あー、まぁな。時差ボケでまだ本調子じゃねえのかも」
それにしたって、150キロはあるストレートを初球から本塁打にするのは化け物としか言いようがないのだが。
「つまり僕が言いたいのは、吾郎くんの本気が攻略されたわけじゃないってこと。過剰にビビる必要はないよ」
「佐藤……──そうだね、これ以上点をやらないようにきっちり抑えよう!」
「ライナーかゴロにしてくれれば俺らで処理するから、頼むよ本田」
「……チビ二人にそこまで言われちゃ、やるしかねえな!」
小さいながら野手組のリーダーを立派に務める二遊間の言葉に、吾郎も笑みを浮かべて頷いた。
*
有言実行、そこからの吾郎は着実に調子を上げていった。3・4番を抑え、塁に出すことなくチェンジに漕ぎつけたのだ。
「何とかなったな」
「いっときはどうなるかと思ったでぇ〜」
「悪かったな。ま、カンも戻ってきたし任しとけよ」
軽い調子で言う吾郎。ただ……あえてそうしているのだろうことは、寿也にはすぐわかった。打ち取ることはかなったが、結局誰ひとりとして三振にとることはできていない。あの吾郎の速球が、である。
(油断すれば……いや、油断しなくてももう1、2点は簡単にとられかねない。あとはこっちがどれだけヒットを飛ばせるか──)
むろん、それも簡単な話ではない。
*
「1バン、ショートストップ。ユーイチ〜」
(名前呼びかよ……そうだろうとは思ってたけど)
内心突っ込みを入れつつ、リードオフマンを任された泉が打席に立つ。相手を知り尽くしている吾郎が、この試合における最適な打順を考えた結果だ。久しぶりの1番打者ということで、彼は彼なりに緊張していた。
それを解すように、相手捕手のリックが声をかけてきた。
「Hey.Shorty,relax!」
「!」
リラックスしろよ、と声をかけられていることはわかった。"shorty"という呼びかけは、ポジションから来ているのだろうか?
まあ、考えてもしかたがない。あとで本田にでも聞いてみようと思いつつ、泉はマウンドを睨んだ。
相手投手はアランという、ひょろっと背の高い青年だ。内野は遊撃手のロディのほか、一塁手のマシューに二塁手のショーン、そして三塁にジョー・ギブソンJr.皆、とにかく体格が良い。180cmはある吾郎も、この中に混じってはちょうど平均かどうかといったところだろう。外野にはアジア系の選手もいるが、人種の差というものをひしひしと感じざるをえない。
淡々とした表情のまま、アランは一球目を投じる。初球ということもあって見送ったが、普通のストレートがキャッチャーミットに納まった。
(140キロそこそこってところか……?)
速いことは速いが、吾郎の球に慣れてしまった身からすると常識的な範疇だ。味方ベンチで三宅が「決めてまえ泉〜!」といつも通り騒いでいる。
ただ、アランの持ち味が速球でないことは、吾郎から既に聞かされている。吾郎とは好対照な、軟投派の
ボール球を挟んで、三球目。先ほどより球速が遅い。と、いうことは。
(何でくる?フォークか?カーブ、スライダー?それとも……)
ボールの軌道がわずかに湾曲する。それを認めた泉は、挙げた中で二つ目だと判断してバットを振った。
しかし、
「──Strike!」
「っ!?」
ボールはバットにかすりもせず、キャッチャーミットに納まっていた。猫のような目を見開き、思わず振り返る。
彼の驚愕は、夢島ベンチにも伝播していた。
「な、なんやあの球!?」
「カーブ……だよな?しかしあの軌道は……」
「いや……ただのカーブじゃないよ」
そう声をあげたのは他でもない、寿也だった。
「あれはたぶん、ナックルカーブだ」
「ナックル……カーブ?」
通常のカーブより、縦に大きく曲がる変化球。別種の変化球・ナックルのような握り方をするからナックルカーブ……と、云われている。
「お、勉強してんじゃんトシく〜ん。さっすが優等生」笑いながら、吾郎。「結構扱いは難しいらしいんだけどな。そのぶんマスターすりゃ強力だぜ」
事実、あれをまともに捉えられた打者は記憶している限り存在しない。空振りか、詰まらされて終わりだ。
四球目。今度は通常のフォークだったが、尋常でない落ち方をする。なんとかバットには当てた泉だったが飛距離は出ず、三塁側に転がったものをJr.は一塁に送球した。
「Out!」
「……っ」
せめてもう少し粘りたかったが、しかたがない。渋い表情のまま、泉は
「ドンマイ、泉」
「……ああ。見ててわかったと思うけど、変化量が尋常じゃない。多少ボール球でも、ストレートは見逃さないほうがいいと思う」
「わかった」
そのままバッターボックスに入る国分。その後ろ姿を見て、リックがぽつりと呟いた。
『まァた"shorty"かよ……』
「えっ?」思わず振り向く国分。
『失敬、なんでもない』
解せないものを覚えつつ、マウンドに集中する国分。アラン、一球目。
「Ball!」
(ボール先行か……)
またストレートから入ればフルスイングで捉えるつもりだったが、あてが外れた。
二球目はチェンジアップ。明らかにストライクゾーンだったがうまく捌けず、ファール。三球目、ふたたびボール球。
そして、四球目。
(──来た!)
ややストライクゾーンから外れた速球だったが、泉のアドバイスどおり国分は力強くバットを振った。捕球しようと飛び込む遊撃手・ロディだったが手が届かず、ボールは外野へ抜けていく。国分は敏捷に駆け抜け、余裕をもって一塁に到達した。
「よっしゃあ、ヒットだ!」
「ナイスキャプテーン!!」
ベンチからの歓声に、片手を挙げて応える国分。続いて3番サード・三宅が打席に入ろうとする。
(ワイが3番……トリプルスリーの三宅や……)
冗談のようなことを考えているが、これでも彼は緊張していた。何しろ、強豪との試合でクリーンナップに指定されるのは初めてのことだった。
「三宅!」
「!」
そのとき、ネクストバッターズサークルに入った吾郎に呼び止められる。彼はそのまま駆け寄ってくると、こそこそと耳打ちした。
「一球目は振るな。国分が盗塁したら、バントだ」
「ば、バント?ワイ3番やで?」
「3番でも4番でも関係ねーよ。この回、確実に1点返す」
吾郎の目には気迫がこもっていた。──予期したことであっても、やはり悔しかったのだ。初回で本塁打を打たれたことは。
「送りでもいいけど、できるだけ走ってくれ。おまえが出てくれたほうが助かる」
「……わかった。任せとき!」
力強く頷くと、三宅は今度こそ「しゃーっス!」と会釈をして打席に入った。リックは吾郎が何か耳打ちをしたことには気づいていたが、どのような策を弄してくるつもりかはわからない。考えるだけ無駄とも思っていた。
(三振させればいいだけの話さ。アラン、おまえの意地を見せてやれ)
アランの調子も整ってきたことだろう。リックは初球からストライク先行の変化球を要求した。
果たしてアランがボールを投じた瞬間、国分が塁を離れて走り出した。草野ほど速くないとはいえ、盗塁には十分な脚力。捕球したリックがすかさず二塁手のショーンにボールを送るが、間一髪、スライディングした彼の足が塁に接した。
「ナイススチール!」
「ワンナウト二塁、得点圏だぞー!!」
夢島ベンチから声援が飛ぶ。リックは眉を顰めたが、さほど気にはしなかった。今いる打者を抑えればツーアウトだ。吾郎に最低限ツーベースヒットを打たせなければ、夢島チームの得点はない。そう考えた。
アランは表情を変えぬまま、続けて投球に臨む。こういう寡黙なところも、何かと騒がしい吾郎とは対照的だ。友だちとして付き合っていて楽しいのは吾郎だったが、リックとしては、彼と組むほうがやりやすかった。
「Ball!」
「………」
バットを短く持ったまま、ボールを見送る。そのときまで、こちらの意図を悟られてはならない。三宅とてその程度のことは理解している。幸い、相手は何かと派手なバッティングが好きなアメリカンチームだ。そしてこちらは3番打者。彼らは長打警戒の布陣を敷いている。
そして──決め球、ナックルカーブ。
(これや!!)
すかさずバットを水平に倒す三宅。背後で目を見開くリックの姿は当然、目に入っていない。ボールはうまく三塁と投手の間に転がり、三宅は一塁へ走った。
『アラン拾え、一塁だ!』
『っ、』
Jr.の指示でボールを拾いに走るアランだが、バント処理に慣れていなかったことが災いした。彼がもたついている間に、三宅は全力で走る。ワンナウトのまま吾郎に繋げれば、彼のとれる選択肢はさらに増えるのだ。
──結果としてワンナウト一・三塁。三宅はセーフティバントに成功したのだった。
「ナイス三宅!!」
「本田、3ランかましてやれー!!」
「ゲッツーないぞー!」
歓声を横に聞きながら、ネクストバッターズサークルに向かう寿也。ふと、吾郎がこちらを見たような気がした。悪戯を思いついた子どものような表情が、一瞬よぎる。
(吾郎くん、どうする気なんだ?)
普段の吾郎なら、自身の打撃力にまかせて本塁打を狙っていくところだろうが、何か別の意図があるようにもみえる。
(……まさか、)
寿也がその可能性に思い至るのと、打席に立った吾郎がバットを構えるのが同時だった。
「Hey,come on!」
「………」
(ゴロー相手じゃ、マジでホームランにされかねないな。多少ボール気味でいいから、クサいところに投げろ)
最悪塁を埋め、次の打者を詰まらせて併殺を狙うのも手。四球でもいいと思えば、アランの気も楽になる。
一球目、微妙に逸れてボール。それだけで相手の出方を察した吾郎は、ふんと鼻を鳴らした。
『相変わらず慎重だねェ、リック』
『!……おまえが大胆すぎるんだよ、ゴロー』
元バッテリーの言葉と視線とが交錯する。多感な少年期を一緒に駆け抜けて、互いの深淵までを知り尽くした仲だけれど、今だけは考えを悟られるわけにはいかなかった。
(ま、今はそのほうが助かるけどな)
ニヤリと笑い、バットを構え直す吾郎。──彼が右手からわずかに力を抜いたことに、リックもアランも気づけなかった。
そして投じられた、二球目。
──吾郎は、バットを水平に倒した。