6回裏──"Yumeshima"と書かれたスコアボードに、"4"が描かれた。それは明確な勝利への突破口にほかならない。
喜びと達成感を胸にダイヤモンドをまわる4人の走者たち。その中心に立ち尽くしながら、アランは天を仰いでいた。
『……アラン、』
呼び声に我に返ると、内野陣が集まってきている。リックがタイムを要求したことにも気づかないとは。アランは自嘲めいた笑みを浮かべた。
『ごめん……皆。やっぱり強いや、ゴローは』
『……そうだな』
傍らのJr.が、アランの肩をぽんと叩く。
『あとは俺たちに任せろ、アラン』
『……ああ』
言葉少なに首肯いて、アランはマウンドを降りた。その頬に、ひとすじの光るものを残しながら。
程なくして、選手の交代を知らせるメリッサのアナウンスがグラウンドに響く。今まで主審を務めていたジェシーが投手……ではなく、三塁手に入る。
そしてリリーフとしてマウンドに立ったのは他でもない、ジョー・ギブソンJr.だった。
「じゅ、Jr.が登板……!?」
「あいつ、ピッチャーできたんかいな!?」
驚愕に包まれる夢島一同。その思いは吾郎も同じだった。尤も彼の場合、Jr.が投手もできること自体は知ってはいたが。
(……I see.
これはまだまだ油断できない。すっかり乱れてしまった息を整えながら、吾郎は不敵に笑った。
肩慣らしの投球練習を経て、試合は再開された。
(ギブソンJr.……どんなピッチングをするんだ?)
父親があれほど高名な投手なのだ。その才能を受け継いでいる──と、考えるべきなのだろう。少なくともこの場においては。
図らずも吾郎の満塁本塁打によって、走者は一掃されている。なんの気兼ねもなく、Jr.はワインドアップの姿勢から投球へ臨まんとした。
──そして、初球。
スパアァン!という小気味良い炸裂音とともに、Jr.の放った球はキャッチャーミットに吸い込まれていた。
「Striike!!」
「っ、」
速い──寿也は瞬時にそう思った。流石に吾郎に比べれば……というところだが、それでも150キロは出ているのではないか。そして、ただ速いだけではない。旋風を巻き起こし、砂塵を纏うような球威がある。
(今のはど真ん中に近い……コントロールは未知数だな。ヘタに手を出しても詰まらされるだけだし、見ていかないと)
続く二球目は、大きく外れてボール。三球目、やや高めに浮いたストレート。
(これなら触れる!とりあえず、振ってみるか)
思考と同時に、スイングにかかる寿也。覚悟はしていたことだが、ボールがバットに触れた瞬間凄まじい重圧が寿也の腕を襲った。半年前に比べれば筋肉もついたとはいえ、高校球児のものとしてはまだまだ足りない。今の寿也をクラッチヒッターたらしめているのは、天性のセンス一点だった。
「Foul Ball!」
(危なかった……)
「いいぜトシー!ピッチャーノーコンよ、どんどんカットしてけー!!」
吾郎の日本語での煽りに、Jr.は盛大に顔を顰めた。
(あの野郎、俺が日本語わかるって知っててわざとだな)
父親は爽やかで好感のもてる男だというのに、なぜああなのか。まあ自分も他人のことは言えないがと思い直しつつ、四球目を投げる。ボールツー。
「………」
そろそろ勝負どきか、と互いに思う。果たして、五球目。
(またこのコース……!いける!)
確信とともに、力強くバットを振る寿也。内野、三遊間を抜ける当たりとなるところまでイメージはできていた。
しかし、ボールはイメージとはまったく異なる動きをした。打者の射程に入ってきたところで、外角に向かって大きく湾曲したのだ。
「な……!?」
『………』
紛うことなき空振りだった。ストライクカウント3つ目──寿也はそのまま、打席を去るしかなかった。
「珍しいな。投手が代わって初打席とはいえ、きみが三振とは」
ベンチに引き揚げる途上、ネクストバッターの草野がそう声をかけてくる。厭味でもなんでもなく、純然たる客観的評価だろう。先立っての厚木戦、それ以前、助っ人時代から、ほぼバットには当ててきた寿也である。
「そうだね……。間違いなく豪速球といえるストレートと、なかなかのカーブを持ってることだけはわかったよ」
「そうか……わかった」
まだ投手としてのJr.の全貌はわかっていない。寿也に続き、できるだけ手の内を明かさせるのが自分の役割か。
ただそれも、考えるほど簡単ではない。なんとかファールで粘ろうと試みた草野だったが四球で追い込まれ、破れかぶれのスリーバントもうまくいかずアウトとなった。
『ナ〜イスピッチ、Jr.!』
『この調子でノーノーに抑え……ても勝てないんだよなぁ、オレら』
その通りだ、よくわかっているではないか。勝つために必要なのはひとつ、点を獲ること。それに尽きる。
『ジェシー、ロディ。単打でいいから塁に出ろ。意味は解るな?』
『!』
『……お、まだまだやる気だねェ』
『おまえは違うのか?』
Jr.の問いに、ロディは猛禽類のような目をして答えた。──「
*
『9バン、サードベースマン。ジェシー!』
コールされた途中参戦のジェシー。ギリシャ系の彫りの深い顔立ちが特徴の内野手、ここまでは控えに回っていたが果たして。
「──Strike!」
一球目は、特に波風も起きずキャッチャーミットに納まった。続いて二球目、これも見送ってストライク。
傍目には簡単に追い込んだように思われる光景だったが、直接球を受ける寿也の所感は違っていた。
(要求したコースと微妙にズレがある……。やっぱり、さっきの打席が影響してるのか)
試合自体、もう後半戦である。ただでさえそれなりにヒットを打たれて投げ込まされているところに、打者としても全力投球──この場合、紛らわしい比喩であるが──している。いくら無尽蔵のスタミナを誇る吾郎といえど、流石に息切れしてもしかたがない。
ただ、吾郎の消耗がチームにとって致命的であるのもまた事実。──彼は絶対にして唯一の、エースなのだから。
(次はボール球になってもいい、低めのクサいところに投げて……)
サインに頷く吾郎だったが、やはり微妙にずれてボール。
この事態に、バッテリーは努めてポーカーフェイスを保とうとしていた。吾郎は現状、明らかな大暴投をしてしまっているわけではない。相手に悟られさえしなければ、吾郎の速球は変わらず強力な武器であり続ける。
しかし初対面の相手ならいざ知らず、此度の打者は吾郎をよく知る男だった。その表情の微妙な揺らぎを認めて、密かにほくそ笑む。
(疲れてるな、ゴロー。オレを誤魔化そうたってそうはいかないぜ)
控えと言っても、そこは強豪ヴァルカンズのベンチメンバーだった男である。バッティングには一家言あったし、具体的には吾郎の全力投球を安打にしたことだってある。──今の吾郎の球なら、打てる。
果たして、分水嶺となりやすい四球目。狙いをつけたジェシーは、一塁方向に流すつもりでバットを振った。
「っ!」
ファールラインぎりぎりの打球に、足の遅い寺門は手を伸ばしきれなかった。そのままグラウンドの端まで勢いよく転がっていくボールを児玉が追いかけているうちに、ジェシーは一塁を蹴り、二塁へ駆け抜けていた。
「Safe!」
「っ……すまん!」
寺門の謝罪に、吾郎はグラブを掲げて応じた。やや甘い球が入ってしまったことは否めない以上、彼を責める権利はない。
続くはロディだが、果たして。
「Ball!」「Strike!」「Ball Two!」「Ball Three!」「Strike Two!」「Foul Ball!」「Foul Ball!」「Foul Ball!」──
「Ball Four!」
うまく選ばれ、ロディをも出塁させてしまった。ちっと舌打ちをこぼしつつ、汗を拭う吾郎。彼にボールを投げかえしつつ、寿也は危機感を募らせた。
(まずいな……吾郎くんの四球は、疲れてますって合図みたいなものだ。しかも次は、Jr.……)
この状況を打開するには──思考を巡らせる寿也。まずもって浮かぶのは、敬遠にしてゲッツーシフトを敷くという選択肢。しかし今の吾郎に、クリーンナップを打ち取れる保証はない。
何より、
(ここで安易に逃げてたら、勝負なんてできない。……逃げないのが、本田吾郎っていう男なんだ)
もしここで、本塁打を打たれたとしても。決意とともに、寿也はミットを構え直した。
(敬遠する気はないってか。……ま、ゴローと組むなら最低限それくらいでなくっちゃな)
吾郎の最初の野球友だちというだけあって、身体はまだまだひょろいが度胸は据わっているようだ。
──真正面から、それを打ち砕く。
「──ぉおおおおおッッ!!」
寿也の想いに応え、全身全霊で投球に臨む吾郎。
Jr.はそれを、フルスイングで迎え撃った。
「!────」
「あ……!」
高く高く飛んでいく。射程圏内の草野と児玉が追いすがる。届……かない。
──ボールはフェンスを越え、グラウンドの外に転がった。
3ランホームラン。ギブソンJr.率いるヴァルカンズが、先ごろの雪辱を果たした瞬間だった。