ツーストライクからのスクイズ。Jr.はそこまで読んでいた。大きく軌道を逸らされたボール球にいちかばちか、吾郎は手を出した──
鈍い金属音が、周囲に響き渡る。地面に叩きつけられたボールは大きくバウンドし、マウンドと一塁の中間地点へと転がっていった。
「っしゃあ!」
拾いに走るJr.。ホームを見るが、泉は既にベースに爪先を触れさせんとしている。今投げても間に合わない、やむなく一塁へと送球し、吾郎をアウトにした。
「おぉ──っ!」
「っしゃあ、また勝ち越しだぁ!!」
歓喜に湧く夢島ベンチ。Jr.には策を見破られてしまっていたが、吾郎の強引さで突破してしまった。流石だ、と思ったのもつかの間、審判を務めるアランが何やら大声をあげた。
「なんだ……?本田に何か言ってる」
「ダメだ……わからない」
もっと真面目に英語を勉強しようと思う国分たちであった。ただ、審判が目立つ場面というのは良い報せでないことは明らかで。
『今の反則打球だぞ、ゴロー』
『は!?なんで……』
『右足が打席からはみ出してた』
『あ……』
恐る恐るJr.とリックに『……マジ?』と確認する吾郎。ふたりは視線を交わし合うと、小さく頷いた。
『まぁな。公式試合じゃないし、アランが何も言わなきゃそれでいいとも思ったが』
『……なんかごめんな、ゴロー』
謝られると逆に居た堪れない吾郎である。──結局彼は、先発投手兼主審の裁定を受け入れざるをえなかった。
と、いうわけで。
「……わりィ皆、アウトになっちまった」
「あ、ああ……」
なんと声をかけていいかわからない国分たちである。吾郎が無茶だったのは事実だが、国分の作戦を採用した以上はああするよりほかに道はなかったのだから。
「とにかくもうスクイズは使えない、か……」
「……俺がこんなこと言うのもどうかと思うけど、」前置きしつつ、「打ってくれるさ、トシなら」
すべては、我らが捕手に託された。
「5バンキャッチャー、トシヤ〜!」
「………」
決然とした面持ちで打席に立つ寿也。ここで自分が打てなければ、後がない。Jr.は本職でないとはいえ立派に一線級の投手である。下位打線の面々だけでは、得点に繋げるのは厳しいだろう。
(トシヤ、か。さっきは様子見で三振してたけど、アラン相手には全打席全安打だ。油断はできないぞ)
一球目、外しぎみのストレート。微妙なラインだったが寿也は振らずに見送り、
互いに表情を変えぬまま、二球目。いちど三振をとった決め手のカーブに、寿也は躊躇なく手を出した。
「Foul Ball!」
(合わせに来た……)
先ほどの打席から一巡する間に、寿也はJr.の球筋をおおかた見切っていた。未だ隠し球があれば別だが……いや、だとしても。
(一応、もう一球ボール球を挟んでおこう)
サイン通り、スローカーブを外して一球。途中でスイングを止めた寿也だったが、タイミングを狂わされたと感じていた。
(ここでスローカーブ……。次はどう来る?)
三球目は──ストレート。低めに入ったことでボール球と判断した寿也だったが、
「Strike Two!」
「……!?」
アランの目を疑うつもりはない。ぎりぎりのラインだったが、ストライクゾーンに入っていたのだ。
(追い込んだ……!一気に決めるぞ、Jr.!)
頷くJr.。彼の決め球が何かは、リックもよく知っている。全力、100パーセントのストレート──父と、同じ。
走者を気にせず──二・三塁なので走られる心配がほぼないと言うのもあるが──、大きく振りかぶっての、一球。
(打てるもんなら打ってみろ、ゴローの幼なじみ!!)
幼なじみ──そして、最初の野球仲間。その称号に、Jr.は心のどこかで嫉妬めいたものを抱え続けていた。いくら自分がライバルとして、仲間として傍にあり続けても、彼の中には"トシくん"がいた。
それはきっと、未来永劫変わらぬものなのだろう。ならば今、今この瞬間だけは。
(──勝つ!!)
ふたりの心が重なるのに併せるように──バットが、ボールを捉えた。
──かあぁんっ!
弾き飛ばされたボールが、外野側のフェンスに突き刺さる。金網を突き破ったそれは落下してくる様子もない。──つまり、
「ホームラン、だ……!」
その事実が歓喜となって伝播するまでに、時間はかからない。──勝ったのだ、寿也は。
『………』
『……Jr、』
立ち尽くすJr.のもとに、駆け寄るリック。試合の趨勢に文字通りの決定打を与えたこの一瞬に、少なからずショックを受けているだろうと思ったのだ。
しかし、
『……とんでもないのをこの世界に引きずり込んだもんだな、ゴローのヤツ』
半ばハグに近い形で寿也に纏わりつく吾郎を見つめながら、Jr.は笑った。
*
そのまま3点差で迎えた9回表。4番以降の打者らに出塁を許し満塁に追い込まれながらも、アウトふたつをもぎ取った夢島ナイン。
続く9番ジェシー、彼を最終打者とできるか、否か。
「──Foul Ball!」
「……っ、」
放った渾身のストレートをことごとく捉えられ、吾郎はぎりりと歯を噛み締めた。カウントはツーストライクだが、三振をとれる気がしない。むしろ一球ごとに、確実にタイミングを合わせてきている。
(ホームランを打たれたら逆転される……。しかも上位打線に回ったら、さらに大量得点なんてことになりかねない)
1番のロディは初打席以外確実に出塁してきているし、Jr.は言わずもがなだ。対する
結論。ここで競り勝って、試合を終えるしかないのだ。しかし吾郎の疲労は、危険域に達しつつあって──
「っ!」
「Ball Three!」
大きく上方に逸れたボール。危うく捕逸するところだった。ほ、と寿也は息を吐きつつ、吾郎に返球する。
(ツースリー……吾郎くんの疲労を考えると、これ以上粘るのは無理だ。決着をつけないと、でも──)
際どいコースで見逃しかスイングアウトを狙う……というのは、今の吾郎の様子を考えるとリスクが高すぎる。四球で押し出し一点──それでは安打を打たれるのと変わらない。
(どこだ?今の吾郎くんが、いちばん力を発揮できるコース──)
ふたたび思考の沼に嵌りかけた寿也だったが──不意に、ある考えが降ってきた。まるで天啓のように。
それもまた、不発の代償は大きくなることだろう。いちか、ばちか。
決心した寿也は、ミットの下でそのサインを出した。案の定、瞠目する吾郎。咄嗟に首を振るところまで含め、想定内だ。
だから寿也は首を振り返し、同じサインを出してみせた。
(ホンキかよトシ!?俺より強気じゃんか……)
でもその強気は、即ち本田吾郎という投手に対する信頼の証明でもある。それに応えられないようでは、日本一の投手などになれるはずがない。
(わかったよ……。なら俺も、これが
全身全霊、最後の力を振り絞って。ワインドアップから──投げ込む!
(……ど真ん中、だと!?)
疲れを意識させない、ど真ん中直球勢い全開。ついに自棄になったかとさえジェシーは思った。ならば遠慮はいらない、全力で打ち抜くのみ。
「────ッ!!」
ボールが射程に入った瞬間、全力で振り切るジェシー。刹那、彼は目を見開いていた。
(な、なんて……重さだ……!)
先ほどまでを凌ぐ、強烈なスピン。腕に鉛が乗ったかのような重圧に襲われ、ジェシーはそのまま後方へ吹き飛ばされるような錯覚を味わった。コントロールを意識していないぶん、リソースが球の速さ……もとい、"強さ"に注ぎ込まれている。
それでもジェシーは、意地でボールをかっ飛ばした。
「っ!!」
もはや身体ごと振り向く余力もなく、吾郎は虚空を睨みつけるようにして首だけを傾けた。飛翔するボール。あの勢いなら、グラウンド外にまでは飛ばない──
「──草野、とれえぇっ!!」
そう叫んだのは寿也だった。一言一句たがわず同じ言葉を発しようとした吾郎だったけれど、疲労からか声がうまく出なかったのだ。そんな己の魂が乗り移ったかのような叫びだった。
全速力で走る草野。彼だって長丁場となった試合に疲れているだろうに、短距離走者らしい獅子のごとき疾走を見せている。そして落下してきたボールめがけて、グラブを突きだす──
半ば飛び込むようにした彼は勢い余ってそのまま地面を転がり、強かにフェンスへ叩きつけられた。
「草野っ!」
「だ、大丈夫!?草野くん……」
駆け寄る外野仲間たち。捕球云々以前に、草野の身体が心配だった。怪我をしていないか──
「っ、………」
しかし彼らの心配をよそに、よろよろと身を起こした草野は右手を掲げた。填めたグラブは──がっちりと、ボールを掴んでいた。
「──Out!」
ゲーム、セット。勝敗が決したことを告げる宣言を聞いて、心配はたちまち歓喜と称賛へと変わった。
「うおぉぉぉぉ!!やったじゃねえか草野ぉぉぉ!!」
「す、すごかったよ草野くん……!」
「……痛い。離れろ児玉」
「なんで俺だけ!?」
外野組がそんなやりとりをしている一方で、
「──吾郎くんっ!」
「うぉ……トシ、」
疲労困憊の吾郎のもとへ駆け寄る寿也。内野手の面々もそれに続く。とりわけ国分などは、またしても涙ぐんでいて。
「僕らが……本田の昔のチームメイトにい゛ぃぃぃ……!」
「うわ、いつ以来それ?」
「ホンマよぉ泣くキャプテンやで……」
むろん、課題は沢山ある。これが真なる目標のための、通過点のひとつに過ぎないことも。
それでも今は、勝利の喜びに浸る夢島ナイン。そんな彼らを、Jr.はじっと見つめていた。
*
「──ゴウカクだ」
試合を終えてひと言、Jr.は日本語でそう告げた。呆気にとられる夢島一同。とはいえその言葉の意味は、はっきりしていた。
『"ゴウカク"……負けたオレらが言うのもカッコつかないけどなぁ』
『黙ってろロディ。……ん、』
右手を差し出すJr.。その矛先が向いたのは、
「えっ、僕……?」
吾郎とは今さらそんな格式張ったことをする関係でないにしても、ここは主将の国分が皆を代表すべきではないのか。そう思った寿也だったが、他ならぬその主将と、吾郎に次いで仲の良い友人が彼の背中を押した。
「佐藤、応えないのは失礼だよ」
「そうそう、いちばん評価されてんだからさ」
「……うん」
小さく頷き、寿也は一歩を踏み出した。そしてJr.と、固い握手を交わしあうのだった。
夢島学園高校野球部vs旧サンフランシスコ・ヴァルカンズ 試合結果
1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ヴァ 1 1 2 0 0 0 4 1 0 9 14 0
夢島 1 2 0 0 2 4 0 3 × 12 16 2
ヴァルカンズ 打数 安打 打点 本塁打 打率
(遊)ロディ 4 3 0 0 .750
(三)[投]ギブソンJr. 5 3 6 2 .600
(中)サム 5 1 1 0 .200
(右)ステフ 4 2 0 0 .500
(一)マシュー 5 3 1 0 .600
(二)ショーン 5 1 0 0 .200
(補)リック 4 0 1 0 .000
(左)ヤン 4 0 0 0 .000
(投)アラン 2 0 0 0 .000
[三]ジェシー 3 1 0 0 .333
41 14 9 2 .341
夢島
(遊)泉 5 4 1 0 .800
(二)国分 3 2 1 1 .667
(三)三宅 4 2 0 0 .500
(投)本田 4 3 5 1 .750
(補)佐藤 5 4 3 1 .800
(中)草野 3 0 1 0 .000
(一)寺門 3 1 1 0 .333
(左)丸山 3 0 0 0 .000
(右)児玉 3 0 0 0 .000
33 16 12 3 .516
ヴァルカンズ
(遊)ロディ ↓1右飛 ・↓3左2 ・↓5投安 ・ 四球 ・ 中安
(三)[投]ギブソンJr. 中本①・ 右失①・ 中安 ・ 中本③・ 中失①
(中)サム 遊直 ・ 二ゴ①・ 三振 ・ 右2 ・ 中飛
(右)ステフ 二ゴ ・ 中安 ・ 三直 ・ 右犠 ・↓9左安
(一)マシュー ↓2左安 ・ 一直 ・ 二ゴ ・ 中安①・ 右安
(二)ショーン 右安 ・ 左飛 ・↓6遊ゴ ・ 二直 ・ 二ゴ
(補)リック 右犠①・↓4遊飛 ・ 補邪 ・ 左飛 ・ 中飛
(左)ヤン 補邪 ・ 左飛 ・ 三振 ・↓8遊直 ・ 右犠
(投)アラン 遊ゴ ・ 一ゴ
[三]ジェシー ↓7右2 ・ 遊ゴ ・ 中飛
夢島※/以降はvs Jr.
(遊)泉 ↓1三ゴ ・ 右2①・ 三安 ・ 左安 /↓8遊安
(二)国分 左安 ・ 中2①・ 遊ゴ ・ 補犠 / 三犠
(三)三宅 投安 ・ 三振 ・ 右飛 ・ 四球 / 左2
(投)本田 一犠①・↓3左安 ・↓5左安 ・ 中本④/ 反則
(補)佐藤 左安 ・ 中安 ・ 中2 / 三振 ・ 左本③
(中)草野 遊ゴ ・ 投犠 ・ 一犠①/ 補ゴ ・ 遊ゴ
(一)寺門 ↓2左2 ・ 三振 ・ 右犠①/↓7二ゴ
(左)丸山 一犠 ・ 二ゴ ・ 三振 / 補邪
(右)児玉 三振 ・↓4三振 ・↓6死球 / 三振
投手 回 打 振 球 責
ヴァ アラン 6.6 31 5 2 9
ギJr. 2.4 11 2 0 3
夢島 本田 9 45 2 1 9
微妙に数字がずれて見辛いのはご容赦ください。
地味に8割バッター泉…