清水大河は退屈していた。
何に、と言われれば、すべてに、である。勉学も友人関係も、プライベートにしても、彼にとっては退屈でしかたがなかった。高校に入学すれば何か変わることもあるだろうかという淡い期待を抱いてもいたのだけれど、もとより"家に近いから"という適当な理由で選んだ進学先である。みずから人生をおもしろくしようと行動を起こそうという意志もない以上、ただそれだけのことで何かが変わるはずもなくて。
そんな彼にとって、昨日受け取った部活動のチラシなど処分すら億劫な紙くずの束でしかなかった。ゆうべ自宅で捨てるつもりでそれすらも忘れていた。今は通学鞄の奥で、くしゃくしゃになって眠っているだけだ。
(部活、ね)
流石に中学よりはバリエーションも増えているが、特段興味の湧くものはない。……そもそも何かに強く心惹かれたことが、この15年の人生の中で果たしてあっただろうか。
そんなこと振り返るだけムダだと、思考する自分を嘲笑って蓋をする。帰宅してからどうやって暇を潰すか、考えているほうがよっぽど建設的だ。
そうして帰宅する一群に混じって校門を出、自宅の方向めがけて歩いていると、前方に不審な姿を見つけた。不審と言っても、変質者とかそういう類いではない。同年代の少女が、所在なさげにきょろきょろと辺りを見回しているというだけだ。
(……うちの制服?)
それにしても、道の真ん中で何をしているのか。来ない友だちを待ち焦がれているというわけでもまさかあるまい。ひとつ溜息をついて、大河はふたたび歩を進めた。
「ちょっと、んなとこ突っ立ってられると邪魔なんすけど」
「あ、ご、ごめんなさい!」
端にどく少女。ったく、と毒づきながらも素通りしようとする大河だったが、不意に腕を掴まれた。
「うわっ、な、何?」
「あ、あのっ、実は私、迷っちゃって……」
「迷っ……ハァ?」一瞬呆気にとられつつ、「駅ならそこ右曲がって交差点を左ですぐ。つーか地図アプリかなんか使えよ。スマホくらい持ってるっしょ」
「スマホ、持ってなくて……」
「えっ……あ、あぁ、そう」
今どき高校生で──何か訳ありなのだろうと察するための感性はしっかりともっている大河である。とはいえ自分には関係のない話だと、すぐさま頭の中のゴミ箱に捨ててしまおうとしたのだけれど。
「って、ていうか、駅じゃないんです!……野球部のグラウンドの場所が、わかんなくって……」
「野球部ぅ?」
(そういや、昨日貰ったチラシの中にそんなのがあったような)
鞄の中を漁ったのは、殆ど反射的な行動だった。ぐちゃぐちゃになって混じっているものをひとつひとつ剥がして──程なく、それは見つかった。
「あー……これに書いてあるよ。あげようか?」
「あっ……ありがとうございます。でも……」
「?」
「実は私、方向音痴で……」
「……まさか、案内しろって?」
やだよ、何で俺がそんなこと──そう続けようとした大河だったけれど、「ダメ……ですか?」とやや潤んだ目で見つめられて言葉に詰まった。よく見れば少女は整った、非常にかわいらしい顔立ちをしている。男を惑わせる魅惑的な姿と声は、典型的な冷めた現代っ子である大河にすら抗えなくて。
「っ……わーったよ。ほら、こっち」
このとき彼女を振り切って帰らなかったことを、彼は
「は、おまえ……?」
「……!」
──そう、
「佐藤、あの子ってまさか──」
「……うん」
頷く寿也。これはひと波乱ありそうだ、というのは衆目の一致した感想だった。ただそれを巻き起こす主要因となりそうな吾郎をいつまでも前面に立たせておくわけにはいかないと思い、国分が慌てて駆け寄っていく。
「ふ、ふたりともよく来てくれたね!見学……で、いいんだよね?」
「いやオレは「は、はい!」……」
返事を被せられ、文字通り閉口するしかない大河。少女はなおも続けた。
「あ、でもあの、マネージャー志望……なんですけど……」
「あ、あぁそうだよね。うちマネージャーいないし、それでも大歓迎だよ!」
「ウヒョー、かわいいマネきたで!」「はしゃぐな」と後ろからやりとりが聞こえる。新入部員候補の前で……と内心頭を抱えつつも、主将は努めて笑顔で応対を続けた。
「騒がしくてごめんね。僕は野球部主将の国分篤です、よろしく」
「ぁ、私は……」
「?」
一瞬躊躇う様子を見せた少女はしかし、ややあって「小野寺、和香です」と名乗った。
「よ、よろしくお願いします……」
「よろしく!──きみは?」
「!……1年C組、清水大河」
雰囲気で名乗ってしまった、クラスまで。後ろでこちらを睨んでいる件の男は兎も角、この国分とかいう控えめな体格の主将は見るからにお人好しそうだ。野球部の主将というと、もっと偉そうにしていても良さそうなものだが。
「うち、兼部してるやつもいて、それ含めてもここにいる9人で全部なんだ。特別面白いものはないと思うけど、よかったら見てってよ」
「はい!」
「……っす」
(まぁいいか……どうせヒマだし。テキトーなとこで切り上げて帰れば)
割と状況に流されやすいところまで、徹底的に現代っ子な大河であった。
*
果たして主将の言葉は謙遜でもなんでもなく、大河にとって特別面白いものはなかった。ベースランニングに素振り、シートノック、すべて基礎的なものばかりだ。
ただ素人目にも特異なのは、それに関して指導しているのが主将を筆頭とする一部の部員だということか。遅れてやってきた顧問の南雲とかいう教師は、「見学いるからって気負ってケガすんなよー」と声をかけたきりタブレットで何かやっている有様だ──流石に遊んでいるわけではないようだが──。その南雲に聞いたところだとコーチャーはいるそうだが、ことし大学に入学したばかりで、毎日は顔を出せないらしい。
監督すらいないとは、弱小の極みである。そんなチームの中で件の男は、何を偉そうにしていたのか。ただ真面目そうな主将とは毛色が違うにもかかわらず、彼は一定の信頼と尊敬を集めているようで。
(なんなんだ、あのおっさん)
そのとき、不意に頭上に翳が差す。見れば暗くなりはじめた夕空に、薄鈍の雲が立ち込めはじめていて。
傘は持ってきていない。そろそろ切り上げて帰ろうかと思っているところに、吾郎と一緒にいた美形の男が歩み寄ってきた。
「清水くん……だっけ。見てるだけじゃ暇だろ、よかったら軽くキャッチボールでもするかい?」
「え、いやオレはそろそろ……」
そのとき、ふと隣の少女が何か呟いたように聞こえた。目を向ければ、彼女の視線はじっと寿也を捉えていて。
寿也もまた、それに気づいたようだった。
「ん……?どうしたの、僕の顔に何かついてる?」
「あっ……い、いえ」
「!あぁそっか……女の子だからって配慮が足りなかったね、ごめん。小野寺さんもやる?」
「いっ、いいんです!ここで勉強させてもらえれば……──清水くん、やって?」
「………」
こいつわざとか?と思うくらい、ことごとく「帰る」と言い出すタイミングを潰してくれる和香である。グラブを渡されてなお強行突破するだけの胆力があれば、そもそもこんなところに来てはいないのだ。
「ちぇ、なんでぇトシのやつ……。あんなヤローかまってやることねえのによ」
「こらこら本田……」
「いつまで言ってんだ、ガキじゃあるまいに」
「拗ねてるヒマあるならノック交代して、俺だって守備練したいんだから」
「まぁしゃーないやろ、
チームメイト兼クラスメイト達にばっさりと斬られ、「うぐぐ……」と唸るしかない吾郎なのだった。
*
「じゃあ、このボールを使ってやってみようか」
そう言って差し出された白球。おずおずとそれを受け取った大河は、思わず「硬っ……」と呟いた。
「ははっ、そうだよね。最初はそう思うよね」
「………」
「最初は全然軽くでいいから、このグラブめがけて投げてみて!」
そう言って軽く左手を掲げる寿也。大河の野球経験といえば、せいぜい幼少期に父親とキャッチボールをしたことがあるくらいだという。
だから別に、これはテストでもなんでもない。ただ本当に、大河が退屈しないようにと気を回しただけなのだ。
大河のほうも渋々といった様子で、寿也の構えたところめがけて腕を振りかぶり、投げる。ふわっと浮くように飛んでいくボール。当然ながら、スピードは実にのんびりとしたものだったけれど。
「!」
しかし寿也は、思わず瞠目していた。パシッと小気味いい音とともに捕球しつつ、ミットを見る。
(今の……)
いや、一球だけなら偶々かもしれない。「ナイスボール!」と声をかけ、返球する。大河はそれをつまらなさそうな表情のままそれを受け取ってみせた。己のファースト・インプレッションがひとつ裏付けられるのを感じていた。
そのまま暫く、ボールをやりとりして──確信を得た寿也は、その場に片膝をついて座った。
「ん……?佐藤くん、座った?」
「え?」
「な、何ィ!?」
吾郎が驚きを露にするのが、折り悪くちょうどボールを打ち込もうとしていた瞬間で。止めることのできなかった一撃はあさっての方向へとボールを飛ばした。
「うわっ!?」
「あっ、ぶねーな本田ァ!!」
「余所見すんな馬鹿!」
皆から罵声を浴び、ますます居心地の悪いエース。とはいえ寿也と大河の様子は皆、気になるところで。練習の手を止め、彼らはそちらを注視することにした。
「今からミットを構えたところに投げてみて」
「?……っす」
解せないものを感じながらも、大河は言われた通りに投球する。まっすぐな軌道を描いて飛んでいくボール。次の瞬間には、やはり寿也のミットに納まっていて。
(やっぱり……。反射的に少し動かしてはしまったけど、ほぼ指示した通りの場所に入れてきた)
軽く投げているから、というのもあるかもしれないが、それにしたって素人がここまでコントロールが良いのははっきり言って異常だ。むろん、良い意味で。
続いて試しに全力投球させると、流石にコースにブレが出たものの、大暴投とまではならなかった。
「さっきから上手く投げてんね、あいつ」
「経験ない……ゆーてたよな?」
「児玉くらいにはコントロールもいいんじゃないか」
「!?オレを引き合いに出すなオレを!」
児玉が慌てる一方で、先ほどまで不機嫌だった吾郎は。
「……へぇ、おもしれーじゃん」
ニヤリ、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。彼がそういう