寿也とのキャッチボールで思わぬ才能の片鱗を見せた新入生・清水大河。その姿を目の当たりにした吾郎は、思いもよらぬことを提案した。
「紅白戦、って……いきなり何言い出すんだよ、本田?」
意思の強そうな太眉を下げ、困惑を露にする我らが主将。彼に限らず、必要最小限の修飾もない言葉から吾郎の意図を読み取れるものはいなかった。
「試合形式ってこと?俺ら9人しかいないのに?」
「わかってるって。──5人野球、なんてどうよ?」
5人──フィールドを狭くする代わりに、通常より少ない人数で試合を行う。アメリカ時代、よく行っていた練習代わりの遊びのひとつだった。
「でもそれだってひとり足りな……あっ、まさか」
「そのまさか。──清水、おまえも入れ。ピッチャーさせてやる」
「え……」
喜びよりむしろ困惑を露にする大河。それはそうだろう、ルールもろくに知らないのにいきなり
「なんだよ乗り気じゃねーなー。せっかくの才能埋もれさせる気か?」
「………」
「ルールもわかんないのにそんなこと言われても困るでしょ」
「でも、すごいセンスあるのは間違いないよ!お試しで一回だけ、どうかな?」
才能、センスがある──率直に言って、聞き慣れた言葉だった。物心ついてから今まで、スポーツにしても他の習い事にしても、さして努力せずとも器用にこなすことができた。そのたびに周囲からそう褒められてきたのだ。
今回も、同じ。ただ自分の才能を誇示したいという承認欲求は、大河にも人並みにあった。
*
Aチームに大河と国分のバッテリー、Bチームに吾郎と寿也のバッテリーを指名で置き、残りのメンバーは
Aチーム:泉(二〜三遊間)・寺門(一〜二塁間)・丸山(外野)
Bチーム:草野(二遊間〜左中間)・児玉(一塁〜右翼)・三宅(三遊間)
Bチームがバランスよく全体をカバーする構成であるのに対し、Aチームは外野を丸山ひとりに任せ、内野の守りを徹底した布陣である。初心者の大河では投球以外の守備は難しかろうということで、こういう形になった。
ルールも通常の野球と異なり、打者が一巡するまで攻撃は続く。その間に点をより多く取ったほうの勝ち、となる。
先攻はBチーム、1番打者はやはり
「………」
基本的なフォームや投球動作は教わった大河だが、付け焼き刃もいいところである。お手並み拝見のつもりで、草野は初球を待った。
そして、
「ストライク!」
主審・寿也の、確信のこもった声が響く。人手不足につき、攻撃側チームの待機人員が必然的に審判も務めることになる。ただ走者が出れば南雲一人分しか補えないわけだが、そこは臨機応変に何とかするしかないと強引に結論づけた。形式上は弱小チームの、悲しい性である。
「ナイスボール!その調子!」
積極的な声掛けは国分の得意分野である。朗らかなそれとともに返球を受ければ、大河も悪い気はしない。
一方、我らが1番打者は対照的に、無感動な表情を隠そうともしていなかった──もとよりそういったことが不得意なのもあるが──。
(確かに大したものだが……素人は素人だな。打ってしまうのは簡単だが)
この試合は練習そのものというより、大河に野球を楽しんでもらうための余興という側面が大きいのだ。ここは接待と割り切るしかない。
二球目、ど真ん中。本来なら極めて甘い球だが、草野はあえてタイミングを外して空振りした。続く三球目は大きく外したボール球だったが、あえて当てて軽く打ち上げる。
「オーライオーライ!」
射程圏内に捉えた泉が素早く移動し、地に落とすことなく捕球する。それをぽかんとした表情で見つめている大河。
「!あーそっか……。野球はバットに当てただけじゃ点は取れないんだ。地面に落ちる前に野手に捕られたら問答無用でアウト。フライって言うから覚えておくといいよ、
投げて打ったら、走る。三振でバッターアウト……くらいしか知らなかった大河である。昔からスポ根ものは嫌いで、野球漫画すらあまり読んだことがなかった。
「ただ、地面に落としてもランナーが塁に着く前に野手がボールを持って塁を踏むかランナーにタッチすればアウトにできる。三振はとれなくて大丈夫だから、どんどん打たせてこう」
「……っス」
初心者にも理解しやすいようにと、噛み砕いて教えてくれているのはわかるので、大河は素直に頷いた。
続く打者は児玉。彼も適当に空振ったあと、三球目でボテボテのゴロを二塁方向に転がす。これも泉が捕球し、寺門に送ってアウト。
「フッ、わざと凡打にすんのもラクじゃねえぜ……」
「ふぅん?本当にわざとだったのか?」
「なっっっっ!草野てめぇ!!」
「でかい声出すなや、新入生に聞こえたらどーすんねん!」
まったくこれだからコイツはと思いつつ、入れ替わりに打席へ入る三宅。さて、どうしたものか。
(連チャンでサービスしたったんやし、ぼちぼち打ってもええやろ)
とはいえできるだけ投げさせてやったほうがいいかと思い、一球目は見逃し。二球目はファールゾーンに打ち込む。また泉がファールについて解説しているのを見て、判断は正しかったと思った。
(さぁて……次は打つでぇ!)
三球目。引きつけてから流すつもりで、三宅はバットを振った。かぁんと、小気味よい音とともにボールは外野へと飛んでいく。フライにはならないが、エリアが狭いこともあって処理にそう時間はかからない。ツーベースはあきらめて、三宅は一塁で足を止めた。
「……打って良かったんよな?ワイ三人目やし」
「まぁ……いいんじゃないか」
一塁を守る寺門からそんな答が返ってきたところで、4番・吾郎。
大河が投げた球を、
「──ぁらよ、っと!」
彼は、躊躇なく振り抜いた。
「え、」
「あ……」
これでもかと高い弾道で飛んでいく打球を、野手たちも含め呆然と見つめるしかない。
やがて落球防止用のフェンスにぎりぎりの高さで弾かれ、ボールはグラウンドの縁を転がった。
「っしゃあ、ホームラン!!」
ガッツポーズする吾郎。しかし彼が喜色満面でいられたのは、当初の数秒間だけだった。
「……吾郎くん、ちょっと」
「ん?──!?」
振り返った吾郎は、笑顔のままピシリと硬直する羽目になった。
そこには同じく笑顔を浮かべながらも怒気を発する恋女房と、同じく主将の姿があったのだ。
「お、オーゥ……お二方、ご機嫌うるわしゅう」
「……全っ然、麗しくないっての!!」
「何考えてんだよ、初心者の子からホームラン打ってどうするんだよ!!」
こってり搾られる吾郎。一方、野手たちは大河をフォローに走るが。
「ど、ドンマイ清水くん!」
「あいつ、あーいうヤツなんだよ。いつでも全力というか……有り体に言うと、バカ?」
「………」
「……いーっすよ別に。いくら人数ぎりぎりの弱小ったって、こんな素人の球打てないわけないのはわかってたし」
後半は流石に潜められていたが、傍にいた泉たちの耳にはしっかりと届いていた。
「あちゃー、完全に拗ねちゃってら……」
「弱小とは……はっきり言われたもんだな」
まあ公式戦では何ひとつ結果を残していない以上、対外的には弱小校であることは確かなのだけれど。
果たして5番寿也は開き直ってツーベースヒットを放ち──ホームランは流石に遠慮した──、Bチームの攻撃は2点獲得で終了した。打者が一巡したらチェンジ、というルールなので、5番打者はヒットを出そうが問答無用で攻撃終了なのだ。
Aチームの攻撃。手加減の嫌いな吾郎であったが、児玉と投手交代するぞと脅されて渋々スローボールを投げる。スローと言っても110キロ前後は出ているが。
ともあれ1番・泉が単打で出塁し、盗塁を仕掛けて二塁。2番・国分が送りバントで三塁に送り、3番・丸山がスクイズで泉を生還させる──という黄金パターンで、まず1点。
そして4番・寺門が、
「──ぬうぅっ!!」
持ち前の太腕を振り抜くことにより、見事吾郎の速球ならぬ遅球を本塁打に仕留めた。
「おーやった!」
「寺門、ナイスホームラン!」
仲間の称賛の声を受けるのは嫌なものではない。吾郎が精一杯手加減した投球、というのには引っかかるが。
一方、それは打たれた側にもいえる話だった。マウンドに立ち尽くす吾郎は、明らかに不愉快そうな表情を浮かべている。次の大河の打席、何事もなく終ると良いが──と考えるくらいには、逆説的に不安を抱く寺門だった。
そしてこの試合の
前の打者たちが打席に立っている間、説明を受けながらプレーを見学していたことで、多少は機嫌も回復したようだ。バットの握り方やフォームも、初心者にしてはサマになっている。
「………」
つまらなさそうに初球を投じる吾郎。彼にしてみればリトルの時でも投げられたような手抜きのストレートだったのだが、
「っ!」
腰が引ける大河。俯瞰で見ているのと、真正面から迎え入れるのとではまったく違う。硬質で、一定の重量もあるこぶし大のオブジェクトがその辺を走る自動車よりずっと速く迫ってくるのだ。
(は、速ぇ……)
球児というのは、日頃からこんな球に立ち向かっているのか。それに優男にみえる佐藤とかいうこの捕手も、こんな球を自らの手でパシパシと捕り続けている。
「お、どーしたおぼっちゃん。こんな小学生が投げる球にビビっちまったか?」
「!!」
挑発めいた……というか挑発そのものの台詞を吐く吾郎。とはいえ、内容は失言としか言いようがないけれど。
(あーあ、ついに言っちゃったよ小学生って……)
(頼むから余計なこと言わないでくれ本田……!)
大河に気持ちよくプレーしてもらい、野球を好きになってもらうのが目的だというのに。とことんイヤな先輩である。しかし大河も大河で「己に才能がある」という事実にそれなりのプライドをもっている。要するに、負けず嫌いなのだ。
二球目、明らかに外したボール球。流石にこれを見逃す程度の知識は大河にもある。それを見送った彼は、じろりと吾郎を睨みながらバットを握り直した。
そして──三球目。
──かぁんっ!
「!?」
小気味良い炸裂音とともに、捉えられたボールが飛翔する。思わず目を瞠る吾郎。
「ふぁ、ファール!」
主審役の国分が声を張り上げる。残念ながらと言うべきか、ボールは大きく切れていってしまった。
とはいえ、当てたのも事実。
「あ、当てよったであいつ……」
「それもまぐれじゃない、ちゃんと狙っていたな」
この少年、間違いなくセンスがある。ここにいる元初心者たち皆、狙って打てるようになるまでには時間を要したのだ。
皆の自分の見る目を敏く感じとって、大河はふふんと鼻を鳴らした──ように、吾郎には見えた。
(こ、こんのガキャ〜っ、舐めやがって……!)
それは殆ど、子どもの癇癪のような感情だった。この生意気な後輩の鼻を明かしてやれる方法は、ただひとつ。
吾郎は躊躇いなく、両腕を大きく振りかぶった。
(え、まさか吾郎く──)
「全国レベルの野球、身をもって知りやがれえぇっ!!」
──そして投じられた、全力の100マイル・ジャイロ。
当然、大河の手に負えるはずもない。今度は腰が引けるどころか大きくバランスを崩し、尻餅をついてしまう。吾郎の全力を捕り慣れている寿也でさえ、この不意打ちにはあやうく吹っ飛ばされるところだったのだ。
「っしゃあ、三振!」
ついさっき見たような喜び方を披瀝する吾郎。当然、場の空気は冬に逆戻りしたかのように冷却されていく。
そしてそれを後押しするかのように、鈍色の空からは遂に雨粒が降りはじめて──
「っ、……傘持ってないんで、帰ります」
「あ、清水く──」
足早にグラウンドを去っていく大河。見学していた和香が声をかけようとするが、それも完全に無視である。傘を持っていないから──というのが口実にすぎないのは、誰の目にも明らかだった。
「……本田、」
「吾郎くん……」
「!!」
静かな怒気を発する主将と幼馴染を前に、エースは震え上がるしかなかった。