新学期、三日目。
新入生たちにとってはまだまだアウェイの環境下ではあるものの、少しずつ学校やクラスの雰囲気を把握しはじめる頃合いである。中にはさっそく気の合う相手を見つけて、友人関係を築き始める者もいるだろう。
しかし彼に関しては、そういう熱病とは無縁のようであって。
「……ふぅ」
ため息とコンビニのレジ袋を引っ提げて、清水大河は裏庭に足を踏み入れていた。人気がないわけではないが、姦しさを好かない生徒が多く互いに干渉しあわないこの場所は、彼のような人種にとっては居心地の良い場所に相違なかった。
しかしそれと引き換えにどこかじめりとした雰囲気は、くさくさした大河の気分を盛り上げてくれるものではなくて。
(……ったく、結局昨日はびしょ濡れんなったし、最悪だ)
彼は昨日、成り行きで野球部の練習を見学することになった。それだけならまだしも、5on5の紅白戦で投手を務めることになってしまい……そこからは思い出したくもない。
ただ客観的にみても、自分に落ち度はなかったはずだ。あのエースとやらが大人げなく本塁打をかましたり、全力投球をかましてくれたというだけで。
あのときは年甲斐もなく、本気で身体が竦んでしまった。目の前に弾丸が飛んでくるなんて、戦場かここは──なんて、癖になっている皮肉で考えたものだ。
(でも……凄かったな)
ふいにそんな想いがよぎって、慌てて首を振る。あんなものに心を動かされているなどとは認めない。認めたくない。
余計なことを考えるまいと、大河は手近な段差に腰掛けるとイヤホンを装着した。そしてスマートフォンを取り出し、お気に入りの音楽を探した。
「♪〜」
小さく鼻歌を唄いながら、パンを齧る。彼にとっては数少ない心休まる時間だった──の、だけれど。
「……、………」
「……?」
音楽に混じって、かすかな声が聞こえる。誰かが近くで喋っているのか?まあ誰が何を話していても興味はないが、邪魔をされるのはいただけない。眉を顰めながらも大河は音量を上げた。
にもかかわらず、声のボルテージもどんどん上がってくる。そして、
「──清水ッ!!」
「!?」
イヤホンを突破するほどの声量と、痛みすら走るほどの肩を掴む手の力強さ。ぎょっとして振り向くと、そこに立っていたのは。
「さっきから無視すんなよな、newbie!」
「ちょっと吾郎くん、清水くんはイヤホンしてるんだから……」
昨日の今日では忘れようもない、ふたつの顔。──かの野球部の、凹凸バッテリー。
「……っ、なんか用すか?」
渋々イヤホンを外しつつ、目を眇めながらも尋ねる。無視して立ち去る──相手が吾郎だけならそうしていただろうが、いちおう寿也には昨日親切にしてもらった、という認識はある。完全につれなくするのは流石に気が引けた。
「ひとり?良かったら一緒にお昼食べない?」
「は?」
怪訝な顔で問い返すと、寿也の反応より早く吾郎が馴れ馴れしく肩を組んできた。
「な、いいだろ?寂しいおっさん二人に付き合ってくれよ〜」
「さ、寂しいおっさんって吾郎くん……」
「あいにくパパ活は間に合ってるんで。どうしてもってんなら指名料とりますけど」
「きみもなかなか言うね……」
苦笑いするしかない寿也だった。
*
さて、三年生ふたりと一年生ひとりによる裏庭の片隅での食事会。元々の知己というわけでもなければなかなか関係性の想像しがたい組み合わせである。その渦中の大河でさえ、何故、という気持ちが燻っているのだから。
「そういえば清水くんは、どうして
寿也の問いはありきたりなものだった。他愛無い雑談の範疇なのか、情報収集のつもりなのか、あるいはその両方か。
べつに知られて困ることでもないので、大河は気怠げながらもそれに答えた。
「まぁうちから近いし、偏差値的にもちょうど良かったんで。もうワンランク上だと、それなりにがんばんなきゃついていけなくなるし」
「あ、あぁ……なるほどね」
「……トシとは真逆の理由だな」
「吾郎くん……!」
吾郎の呟きを咎めた寿也だったが、幸い大河の耳には入らなかった。
「えーっと……中学のとき、部活は何かやってたの?」
「最初はサッカーやってましたけど、先輩がめんどくさかったんで半年でやめました。かと言って帰宅部だと内申に響くんで、それからは文芸部に」
「文芸部か。小説、好きなのかい?」
「まぁ趣味で読むだけっすけど。ミステリー系……"Xの悲劇"とか」
「ドルリー・レーンか。僕も中学生の時に少し読んだことがあるよ。全然詳しくはないんだけどね」
詳しくはないと言いつつも、寿也は多少なりとも深い造詣をもっているようだった。話題を投げかければきちんとした答が返ってくる。こういう会話をしている時間は、それなりに楽しい。
尤も寿也とは対照的なエース様は、自分のついていけない会話にあからさまに退屈そうな表情を覗かせていて。
「あ……と、吾郎くんはないの?好きな本とか、ジャンルとか」
「……ねーなぁ、英語の小説は解読めんどいし。んな暇あったら野球してたしな」
「……英語?」
首を傾げる大河に対し、寿也が「そういえば言ってなかったね」と言った。
「吾郎くんは6歳から去年までアメリカにいたんだ。お父さんがプロ野球選手で、メジャーリーガーになってね」
「父親がメジャーリーガーって……じゃあ、野球は──」
「ん?あー、もちろん向こうでもやってたぜ。春休みにはこいつら連れて元チームメイトと対戦もしたしな!」
「ほんと、信じられないよ。半年ちょっと前までは人数も足りない同好会だった僕らが、アメリカの強豪メンバーと戦って勝ったんだから」
「信じろよ。お前だってJr.からホームラン打ったんだぜ」
「……まだまだきみには敵わないよ」
そんなやりとりを繰り広げるふたりは、心の底から楽しそうで──きらきら輝いていて。
大河はただ、呆気にとられるばかりだった。この男たちもなるほど、自分と同じように才能に溢れているのだろう。にもかかわらず、何故こんなにもひとつのことに熱中していられる?
「そうだ清水くん、良かったらまた見学に──」
"本題"を、寿也が言いかけたときだった。最後のひと口を放り込んだ大河が、無造作に立ち上がったのは。
「……声かけてもらって恐縮ですけど、オレ、野球部に入るつもりはないんで」
「えっ……」
「勧誘ならヨソ当たったほうが賢明だと思いますよ。それじゃ」
そう言ってふたりから目を背け、足早に立ち去ろうとする。正直目に毒だった。夢を追う熱血高校球児なんて、漫画の世界にいてくれればいいのだ。
なのに長く伸びた影の先を、その熱血球児の片割れが踏みつけたのだ。
「……おまえさ、ンな「何事にも興味ないです」って顔してて楽しいか?」
「……は?」
思わず、足を止める。振り向いた先──力強く立つ吾郎の瞳には、軽蔑めいた感情が色濃く浮出ていて。
「おまえ昨日言ってたよな。"たかだか歳がひとつふたつ違うくらいで威張るな"って。……何も成し遂げる気がねえやつに、そんなこと言う資格はねえんだよ」
「……!!」
呆然と立ち尽くす大河に、今度は吾郎のほうから背を向けた。「行こうぜトシ」と、幼馴染の腕を強引に引っ張って。
浅春の未だ冷たさの残る風が、日焼けしていない肌を刺した。
「ちょっと、どういうつもりだよ吾郎くん……!昨日のやらかしを清算してこいってのが国分の指示だったろ!?」
「国分だけじゃなくておまえもだろ、トシ」
「そう思うなら尚更……──僕らをバカにしてるの?」
ふたたび怒気を発しはじめる寿也。やはりこの恋女房、怒らせるとなかなか怖い。まあ捕手というのはそれくらい肚が据わっていないと、一流とはいえないのだが。
「いくら能力があったって、
「それは……そうかもしれないけど」
わずかにトーンダウンする寿也。彼だってわかっているのだ──吾郎の言うことが正しいと。
「ま、安心しろよ。俺が諦めの悪い男なのは知ってんだろ?」
「!……そうだったね」
その諦めの悪さによってチームは全国制覇をめざすことになったし、自分はふたたび球児として、捕手としての道を歩き出した。
本田吾郎は、人を動かすのだ。
「なら僕はむしろお邪魔になりそうだし、あとは吾郎くんの好きにすればいいよ」
「……トシく〜ん、やっぱ怒ってる?」
「じゃあ、頑張ってね」
「ちょっ、やっぱ怒ってんだろぉ!?」
「戻る教室は一緒なのに!」とかなんとか喚いている相棒を尻目に歩を進めつつ、寿也は笑みを浮かべていた。