"長男"という公式設定から原作の内山と同じ環境を与えてみました
夢島高校野球同好会は、本田吾郎という新たな仲間を迎えることとなった。
それは単に、試合に最低限必要な9人が揃ったことだけを意味するのではない。このチームで甲子園優勝をめざす──そんなことを初っ端に宣い、主将の不興を買った男が入会を認められたのだ。野球同好会が新たな局面を迎えようとしていることは、明らかだった──
*
「よォーし、いくぞー!!」
掛け声とともに勢いよくバットを振る吾郎。放たれた打球は低空を駆け抜けるように飛翔していく。
「うぉっ!?」
なんとかボールに喰らいつこうとグラブを伸ばす三宅だが、ボールはむなしく空を切った。
「だあぁ、あかん!」
「三宅、ちゃんとボール見ろぉ!むやみにグラブ突き出してもとれねーぞ!!──次、寺門!丸山!」
「お、おう!」
「っ!」
呼ばれたふたりも勇んで挑戦するが、吾郎のノックは以前の国分のそれとは比較にならないほど鋭く、弾道も極まっている。三宅と比べても動きの遅いふたりでは、到底手の届くものではなかった。
「ふたりとも立ち上がりが遅ぇ!ミートした瞬間のバットの角度を気にしろ、そうすりゃボールがどこに飛んでくかわかる!!」
「ッ、わかった。もう一度頼む!」
「ぼ、僕も……!」
ふたりは今、己の実力がめきめき伸びているのを感じていた。吾郎の指導は厳しいが、言っていることは的確だ。甲子園に行く行かないの話には未だ懐疑的な部分もあるが、上手くなっているのが実感できるのはやはり嬉しい。
その光景を喜ばしげに見つつ、国分は練習メニューの組み立てを再考していた。練習時間は増やせない以上、短い時間で効率よくスキルアップを図らねばならない。そのあたりの采配については本場の名門チームにいた吾郎の意見を参考にしてはいるが、
ペンを片手にじっとボードを睨んでいると、不意に冷たいものが首筋に触れた。
「ひゃっ!?」
弾かれたように顔を上げる。そこにはスポーツドリンクのペットボトルを持った猫目のチームメイトの姿があった。
「おつかれ、キャプテン」
「あ、あぁ泉……。びっくりさせないでよ」
「ごめんごめん。飲む?」
「うん、ありがとう」
国分にボトルを渡すと、彼もその隣に腰掛けた。ふぅ、とため息をつきつつ、練習風景を見遣る。
「本田のおかげで、三人とも一気に上達したね」
「そうだね。まあ三宅は元々運動神経良いし、寺門は足は遅いけどパワーとスタミナがあるし、丸山は意外と器用だから」
「さすがキャプテン、皆の特徴をよくわかってる」
はは、と国分は苦笑した。当人に悪気はないのだろうが、泉はよく物事を見切ったような言い方をする。元々の性格もあれ、家庭環境によるところも大きいのかもしれない。でもこうして親しくしてみればその心根はやさしく、面倒見の良い少年だということはよくわかる。めったなことでは動揺しない性質も相俟って、リトルシニアでは皆に頼りにされていただろう──自分と違って。
「……泉は、さ。どうなの、今から甲子園めざすっていうのは──」
「………」一瞬の沈黙のあと、「立派だとは、思うよ。でも本田が考えてる以上にハードルは高いんじゃない。草野は陸上もあるし、児玉は……あんなだし」
泉の視線の先には、ひとりで壁当てにいそしむ児玉の姿があった。吾郎に対して向けられた背中は、明らかな拒絶を表している。──先日の会話が、自然と思い起こされた。
『転入生の入会を許可しただぁ!!?』
『……うん』
『どういうことなんだ?何度来ても追い返すと言ってたじゃないか』
草野の問いかけに対し、ただ「ごめん」と謝ることしかできない。完全なる心変わり、前言撤回だ。そこに合理的な理由などあろうはずもなかった。
『まさか、本気で甲子園をめざすって言うんじゃないだろうな?』
『……いける気がしちゃったんだ……あいつと一緒なら』
『っ、バカ言ってんじゃねえよ!甲子園なんざ知ったことじゃねえが、俺ぁあいつと一緒にやるのはごめんだ!』
いきりたつ児玉は、そのまま席を立ってしまう。一方の草野はまだ冷静だったが、呆れ混じりの視線が痛かった。
『……別に僕も反対はしないが。なるようにしかならないし、するつもりもないから、そのつもりでいてくれ』
野球を本職の陸上競技より優先することはありえない──草野が楽天的な性格でなければ、確実に見限られていただろう。全員をその気にさせるというのは、わかっていたことだけれど茨の道だ。そう思わざるをえなかった。
戻って、現在。ドリンクに口をつけつつ、泉は続ける。
「それに、いちばんの問題は人数でしょ。佐藤は助っ人で入ってくれてるだけなんだから、本格的に活動するならあてにしちゃいけないし」
「……そう、だね」
実際、唯一過去に知遇があるわりに、寿也は吾郎に対して距離をおいている──近くで見ていて、泉はそう感じていた。おそらくあのペースに巻き込まれるのを警戒しているのだろう。今日だって練習に誘おうとしたのだろう吾郎を制して、素早く下校してしまった。
「ま、そのへんは来年の新入生に期待するって手もあるけどね」
そう言って、泉は立ち上がった。甲子園云々は置いておいても、貴重な練習時間である。おしゃべりに費やしてしまうのは勿体ない。
「お、泉〜!こいつらに手本見せてやってくれ!」
吾郎が大声で呼びかけてくる。苦笑しつつ一歩を踏み出した泉だったが、そのとき、ベンチに置いた鞄の中で携帯電話が鳴動した。
「!………」
なんともいえない表情を浮かべた泉だったが、そのままくるっと踵を返した。鞄から携帯を取り出し、受話する。
「はい、泉です。……そうですか。熱は何度ありますか?……はい、わかりました。すぐ迎えに行きます」
「……どうしたの?」
なんとなく事情を察しつつ、尋ねる国分。泉は気まずげな表情を浮かべつつ、
「弟が熱出したって……。悪いけど、迎えに行かないと」
「あ、あぁうん。わかった、お大事にね」
「ごめん」ともう一度謝罪の言葉を述べると、泉は荷物を纏めて足早に去っていく。
「あ、おいちょっと、どこ行くんだよ泉ぃ!?」
事情のわからない吾郎がそう呼びかけるが、急いでいる様子の泉から返答はない。尤も首を傾げるのは、この場では彼しかいないのだが。
「弟クンになんかあったんやろ」
「弟ぉ?」
「ああ、泉には年の離れた弟がいるんだが──」
寺門がそのあと続けた言葉に、吾郎は息を呑んだ。
*
「──
児童クラブに駆け込んだ泉が目の当たりにしたのは、赤い顔をして布団に寝かされた弟の姿だった。
「あぁ祐一くん、待ってたのよ!」支援員の女性が駆け寄ってくる。「陸兎くん、お昼食べたもの戻しちゃって……なんとかかぜ薬は飲んでくれたんだけど……」
「……すいません、ご迷惑おかけしました」
「いいのよ。──ほら陸兎くん、お兄ちゃんが来てくれたわよ」
支援員に優しく揺り起こされ、陸兎が薄目を開ける。その視線が自身に向いたのを認めて、泉は微笑んだ。
「ほら、帰るぞ」
「にい、ちゃん……」
抱き上げるために触れた身体が、随分と熱い。近くの内科は何時までやっていただろうか、少なくとも家に帰る前に寄らないと間に合わないだろうな──そんなことを考えつつ、泉は弟を背負ったのだった。