横浜帝仁・一年生チームとの試合は、夢島チームの勝利で幕を閉じた。児玉も大河もまあまあ打たれはしたが、それ以上に打線が燃えた──というのは、今までの弱小相手の試合でのパターンと同じ。ただそれを、一年生ばかりとはいえ強豪に連なるチームに対しても実行できたのが彼らの実力の向上を示していた。
さて、試合を終えて帝仁グラウンドを辞した夢島チームはその足でホームへ戻り、遅い昼食を食べてそのまま練習を開始した。専用グラウンドを得たとはいえ、名門のように充実したトレーニング設備があるわけでない彼らは、とにかく練習量を確保する必要がある。各々の事情でフルタイムとはいかない泉や草野も含め、同好会時代では考えられないほどの時間を彼らは練習に費やしていた。
「──次、清水くん!」
午後から練習に参加してきた涼子によるノック。選手としては緋色の雌豹の二つ名を恣にしてきた彼女は、コーチャーとしてもなかなかに峻烈である。初心者の大河相手にも、三年生たちに対するのと同じように指導するのだから。
ただ驚くべきことに、大河は入部当初から彼女の指導についていっている。涼しい顔をして。
「──っ、」
宙を這うように進むボールに飛び込み、グラブを填めた手を伸ばす大河。直後にはパシッという小気味良い音が響き渡り、彼はボールを掴んでいた。
「よし、次!一塁!」
もう一度飛んでくるボール。今度は地走のように転がる。それを拾い上げ、一塁方向めがけて投げる。待機していた寺門が、素早くそれを捕球した。
「……ヤバいなアイツ、殆どミスもないやんけ」
唖然と呟く三宅。二年前、自分たちが同好会に入って間もない頃など、もっと緩いノックにも右往左往していたというのに。
「硬球にビビらないってのが大きいね」主将の言葉。「これなら、夏には十分戦力になる」
既に外野手は練習試合などで大過なく務めあげている大河である。投手としてはまだこれからだが、夏に向けて変化球のひとつでも覚えれば実戦でも使っていけるだろう。
「オーケー、合格よ。今後の試合では内野手としても起用していくわ」
「……っス」
「前にも言ったけど……夏以降のことも考えて、きみのことはユーティリティプレイヤーとして鍛えていくわ。もちろん特定のポジションに秀でていることがわかれば、そこで重点的に起用していくから、そのつもりでいて」
「ま、あまり買いかぶられすぎても……って感じですけど。乗りかかったからには先輩方からスタメン貰うつもりで、頑張りますよ」
一部の先輩方にはなかなか突き刺さることをのたまう大河。その意気を買ってか、涼子は微笑みを浮かべた。
「期待してるわ、清水くん」
ニ、と笑う大河。その不敵な表情は、流石自信に満ち溢れていて。
「ぐへぇ……リョーコちゃんがデレたでぇ。しかも大河は大河で平然としとるし……」
「あの笑顔にコロッとやられない辺り、大物だな……」
「あいつ年上は守備範囲外らしいし」
泉の呟きに頷きかけて──「えぇっ!?」と大袈裟に反応する関西人。
「なんでジブン、そないなこと知っとんねん!?」
「聞いたから、本人に」
「あいつ、よくそんなこと話したな」
「ま、人徳でしょ」
さらりと言ってのける泉。人徳……かどうかは別にして、落ち着いた性格の彼は大河にとっても付き合いやすいタイプなのだった。元々「大河」と、名前で呼び始めたのも泉が最初だ。2コ上に姉がいて、小、中学と周囲からは名前で呼ばれるのに慣れているから、と。
「なっ……ぬあぁぁにが人徳やねん!ドライもん同士だからやろ、このドライモンスター!」
「誰がドライモンスターだ、この脳みそスカスカ関西人」
「なんやてぇ!?」
「なんだよ」
「ちょっ、うるさいぞ!」
主将が叱責するが、時既に遅し。気づけば我らが鬼コーチャーがこちらに冷たい視線を向けていて。
「そこ二人!」
「!」
「その場でスクワット千回、はいスタート」
えぇ、と揃って抗議の声を上げかけた凹凸コンビだったが、グズグズしていると即座に増量出血大サービスとなるのが目に見えている。彼女にそう言われた時点で、諾々と従うしかないのだ。
「「1、2、3、4……」」
「……なーにやってんだあいつら」
ピッチング練習をしながら、ふたりを呆れた目で見やる吾郎。その球を受けながら、寿也も苦笑するしかない。
(まあ、様式美だからな……)
三宅はともかく泉まで──と、思わなくもないけれど。
と、図ったかのように部の一員たる少女が顧問とともにグラウンドへ戻ってきた。
「みっ皆さん、ドリンク冷やしてきました!」
「冷やしてきましたー……って、またやらされてんのか三遊間」
何度目だと呆れる南雲。ともあれ彼らがスクワットを終えるのを待って、ドリンクタイムとなった。
「ハァ~……えらい目におうたわ」
「誰のせいだよ」
「どこぞのおチビちゃうんけ」
「は?」
「よせよもう……またやらされたいのか?」
主将の言葉に不承不承黙り込むふたり。まあそんなふうにやり合いつつ、いつの間にか愉しそうに喋っているのが彼らなのだが。
とはいえ空気の入れ替えは必要だと、寿也はたまたま傍に座っていた大河に声をかけた。
「そういえば大河、そろそろやりたいポジションは固まってきたかな?」
「え?あー、はい……なんとなく、っすけど」
「へぇ、どこ?」
「やっぱピッチャーだろ!」割り込む吾郎。「マウンド立たせてやったんだ、楽しさもわかったろ。ま、エースは譲ってやんねーけどな」
「別に頼んでないっすけど」
「んぉっ?」
思った以上に素っ気ない反応に鼻白むエース。大河も投手が嫌なわけではないのだが、如何せん目立つうえ責任重大すぎるというのがマウンドに立ってみた感想だった。そういうポジションを欲するほど、大河の感性は積極的にはできていない。
「内野……できればショート、っすかね」
「おっ」
「へぇ、俺と競う気?」
「そう簡単には譲らないよ」と、泉。言葉とは裏腹に、どことなく嬉しそうである。
「流石に泉先輩からすぐすぐスタメン奪えるとまでは思ってないっすよ……。でもあんなふうに、スパッと打球処理できたらカッコいいかなって」
「わかってんじゃん」
「く〜っ、なんでコイツの評価はくそ高いねん……!」
「まあ実際、ショートは内野の要だからね。……セカンドだって重要なんだけどさ」
しかも泉は強豪リトル・シニアで遊撃手をやっていた少年である。家庭のことがなければ相応の強豪校──あるいは、厚木学園野球部の一員であったかもしれないのだ。そのプレーを見ていれば、自ずと憧れをもつのも当然だった。
「ちぇっ、俺のピッチングは憧れねえってのかよ……」
「吾郎くんは色々と規格外すぎるんだよ。大河は運動神経良いし、泉と体格もよく似てるから。しっかり指導してもらえば、良いショートになれるんじゃないかな」
「……ッス。頑張ります……程々に」
「程々かい!」
どっと湧く一同。大河がそういう性格なのはわかっているので、本気で突っかかる者はもういない。──なんだかんだこの新入生、しっかりとチームに馴染んでいた。
一方で、彼女は。
「………」
「?ん、どうかした、小野寺さん?」
自らに向けられた視線に気づいた寿也が、振り返って問いかける。はっと我に返った和香は慌てて「なんでもないです!」と目を逸した。どことなく、頬が赤い。
その様子を見て、児玉が隣の丸山に耳打ちする。
「前々から思ってたけどよ……小野寺って、やっぱ佐藤に惚れてるよな?」
「惚れっ……そ、そうかなぁ」
「そうだろどう見ても!メリッサみてぇにあからさまではねーけど……なぁ寺門?」
「……そうだとして、俺たちがどうこう言う話じゃないだろ。マネージャーとしちゃしっかり働いてくれてるんだ」
流石に寺門は大人である。メリッサは──彼女はギブソンJr.の妹というだけだったので仕方ないのだが──露骨に寿也を贔屓していたが、和香はきちんと平等に振る舞っている。ただ時々、思い詰めたような視線を向けているというだけだ。児玉も、他の面々も理解していること。
ただ「和香が寿也に片恋をしている」というのは、彼らの経験則上から導き出された憶測でしかないのもまた事実。彼女の本心が一体どこにあるか、
*
部活終りの夕空というのは、こんなにも感慨深いものなのだろうか。
どこかで見たフレーズを思い起こし、大河は小さく笑った。こんなスポ根漫画の主人公めいた台詞にふさわしい立場に、自分がなるとは。──ならば隣を歩く少女は、さしずめヒロインといったところか。
「清水くん、今日も頑張ってたね……すごかった」
「まぁ、あんなもんだろ」
素っ気なく応じつつ──実際、今のところ順調すぎるほど順調に過ごせているのは事実だった。元々のセンスもあってめきめきと実力をつけているという自覚はあるし、先輩たちも生意気な──これも自覚はあるのだ──自分を対等に扱ってくれていると思う。むろん、必要人数ぎりぎりしかいないチームの貴重な+1だから、という事情もあるのだろうが。
「スタメン、なれるといいね」
「……それ、オレが言うならともかく、小野寺に言われたら先輩たちもショックだろうな」
「え、あ……」失言だったと気づいたようである。
「それに、実はオレにキャッチャーの適性があって、おまえの推しの佐藤先輩がベンチ落ちになるかもしれないぜ?」
「え、お、推しって……そんなんじゃ……」
「否定するならもうちょい誤魔化せよな。バレバレだぞ、先輩たちにも」
「………」
何か言いたげな表情を浮かべる和香。まあ大河としては、彼女が佐藤寿也に恋をしていようがしていまいがどうでもいいことだ。和香は可愛らしい顔立ちをしているし一生懸命で好感のもてる女の子なのは確かだが、それだけで好きになってしまうほど大河は純情ではない。これでも恵まれた容姿になんでもそつなくこなすだけの能力と、異性へのアピールポイントは備えているつもりだ。中学時代、それを利用する局面は随所にあった。
「ま、オレにあのおっさんの球が捕れるとは思えねーし、さっきも言ったけど希望はショートだから」
「……清水くんって、結構いじわるよね」
「よく言われる。……じゃ、うちここ右だから」
「あ、うん……じゃあ、また明日ね」
「おー」
ひらひらと右手を振りながら去っていく大河。そのまだ小さな背中を見送りつつ、和香もまた帰路についた。
彼女の自宅は、夢島高校の最寄りから三つぶん離れた駅のすぐ傍に建つ団地の一角にあった。
階段を上り、部屋の扉に鍵を挿し込む。もはや慣れたものだ──小学生のときから、ずっとそうしてきたのだから。
薄暗い室内に消えていく和香の姿。
──"佐藤"と書かれた表札が、部屋の前に瞭然と掲げられていた。